「鎌倉時代前後に登場する3つの一条家を解説しよう」というシリーズも今回で終わり。

 

最終日は、藤原氏の中でも名門中の名門・摂関家から輩出された「一条家(五摂家)」を紹介して、自己満足感満載で進んできた今企画を締めようと思います。

 

 

「五摂家って何?」というのは、以前にも触れていますが、軽く解説すると「摂政・関白になれる5つの家」のこと。

 

その5つの家と言うのは、「近衛家」「鷹司家」「一条家」「二条家」「九条家」のことで、ぜんぶ藤原氏。

 

これらは全て大河ドラマ『平清盛』にも登場した、藤原忠通(ただみち)が共通の祖先となっています。

 

系図で見てみよう(藤原氏/摂関家三兄弟/五摂家)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11335009507.html

 

五摂家は大別すると、忠通の息子の代で分かれた「近衛流」と「九条流」があるのですが、今回は「九条流」のお話になります。

 

 

一条家(五摂家)の祖となった実経(さねつね)は、九条道家の四男。

鎌倉4代将軍となった頼経同母兄にあたります。

 

実経は1223年生まれなので、実朝暗殺(1219年)は生まれる前の出来事

だから「後継の鎌倉殿を摂関家から」と決まった当時に、末っ子だった頼経(1218年生まれ)が鎌倉に下向することになり、その後に生まれた実経は京都に留まれたわけですねー。

 

 

ところで、「九条流」はこの時代に「九条家」「一条家」、そして「二条家」の3つの家に分裂した…この流れを見ていくのが今日の本題なのですが、何故にそうなったのだろうか。

 

このあたりは勉強不足なので真相は分からないのですが、想像(妄想?)ならできまして。

 

それは、「西園寺公経のせいで、そうなったんじゃないのかな」と、思っていたりします。

 

ちなみに、西園寺公経は道家の正妻の父。実経の外祖父にあたります。

 

 

九条家は、長兄・教実(のりざね。実経の12歳年上の兄)が文暦2年(1235年)に急逝して、跡取り息子はまだ幼児。道家が10年若返ったつもりで(?)がんばっていました。


そんな道家は、実経が可愛くて仕方なかったようで、とても寵愛していたといいます。

 

四男坊の彼を関白にしてあげたり、一条第(いちじょうだい。これが「一条家」の名前の由来)という屋敷を伝領させたりと、もう溺愛レベル。

後に「一条家」が立てられたのは、こうした優遇があったとされています。

 

一方で、次兄・良実(よしざね。二条家の祖。実経の7つ年上)とは、関係が不仲だったみたい。

 

それでも、道家にとって舅にあたる西園寺公経が絶大な権力を握っていたので、後嵯峨天皇が即位した時(1242年)には、良実は関白にまでなることができました。

 

良実にとって公経は、外祖父で恩人。

 

公経は後嵯峨天皇に孫娘・姞子(後の後深草帝・亀山帝の母)を半ば強引に入内させるという力業に打って出るのですが、これを可能にしたのは、良実が西園寺家の側にいたからだと言われています。

 

しかし、摂関家を蔑ろにして機先を制するように入内させたことで、道家と公経の協調関係は逆転して急速に悪化

 

そのまま1244年に公経が亡くなると、権力の座は道家がゲット。良実は関白を降りることを余儀なくされ、実経が関白となりました。

 

ところが、鎌倉で名越氏によって頼経(この時は前将軍)が担がれ、北条時頼に対して謀叛を企てる事件が勃発(「宮騒動」1246年)

 

騒動が未然に防がれると、頼経は京都に送還され、彼の実家である九条家は連座して道家は失脚実経も関白を辞することになってしまいます。

 

この時、道家との関係が疎遠だったために良実は処分を免れるのですが、かえって「これは良実めの策略か!」と疑われて義絶される羽目になり、関係は修復不能となってしまうのでした。

 

こうして良実は、九条家から独立せざるを得なくなり、だから二条家を創造したのでは…

そして、良実憎しが強まるごとに実経可愛いの気持ちが高まって、関白まで継がせて、ゆえに一条家の創造に至ったのでは…

 

それって、西園寺公経が道家に断りもなく諸々を強引に進めたからじゃん

 

というのが、ワタクシの歴史妄想(笑)

 

(…というように、一般には言われているけど、ワタクシは「父と仲が悪かったから西園寺公経に近づいた」のではなく「公経に重用されたから道家と不仲になった」の順番のような気がするんですよねー。勝手な想像ですけれども…)

 

道家とは仲がサイアクだった良実だけど、弟の実経とはどうだったのだろう?

 

「宮騒動」で関白を降りた実経ですが、文永2年(1265年)、兄の良実から譲りを受けて、再び関白に返り咲きます。この時、道家はすでに故人(1252年)。

 

詳しいことは存じないのですが、不仲だったら譲るかなぁ…?と、思いたくなるんですよねー。

 

 

ちなみに一条家は、6代後の房経が早死にしたことで、実経の系統は断絶(1366年)

その後は、二条良基の三男・経嗣(良実の玄孫)が継承したので、一条家は良実の血統となっています。

 

なので、戦国時代に分かれた土佐一条家もまた、実経ではなく良実の血筋になるわけですね。

(もしかしたら女系では繋がっているかもしれません…調べてないので分かりませんが…)

 

二条家は上記の経緯で道家から義絶されているので、摂関家に伝わる書類や日記などを受け継ぐことができませんでしたが、この時に一条家に伝わっていたものが伝承され、晴れて「有職故実」の家となることができたそうです。

 

そして、一条家よりも前、本家筋たる九条家もまた、教実より6代後の道教の代に断絶して(1349年)、二条道平の子・経教(良実の曾孫)が家を継いでいます。

 

 

ついでのついでに、近衛家から分かれた鷹司家は、戦国時代の鷹司忠冬の代で断絶(1546年)

織田信長の勧めで、二条晴良の子・信房が跡を継いで再興となっています(1579年)。

 

室町時代以降の九条流(九条家・二条家・一条家)、そして織豊時代以降の鷹司家は、みんな二条良実の子孫…ということを覚えておくと、系図好きにはいいかもしれませんねー。

 

(一条家の紹介と言いながら、なんだか二条家についての記事っぽくなっていたけど、こういう事情があったんですよ…と伏線回収・笑)

(ちなみに、一条家と近衛家、鷹司家は、江戸時代に断絶して天皇の子が入り、「皇別摂家」となっています)

 

 

以下、余談。

 

 

九条家・二条家・一条家が分かれる原因になった(とワタクシが妄想する・笑)西園寺公経「百人一首」96番歌の詠み人です。


花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣/新勅撰集 雑 1052

 

「嵐にさそわれた花びらが庭一面に散り、まるで雪が降っているようだが、ふりゆく(古りゆく)のは花ではなく私の身なのだ(年を取ったものだ)」みたいな意味。

 

ちなみに、公経は百人一首の撰者・藤原定家の義弟でもあります以前に紹介した、定家が式子内親王から歌を頂戴したと漏らした妻の甥=実氏は、公経の子)

 

公経は妻が頼朝の姪(坊門姫の娘)で、本人が池禅尼の血筋(頼朝の命を救った人。平頼盛の孫娘が母)。さらに4代将軍の外祖父関東申次を任されるなど、立場が鎌倉幕府に近く、政略としても鎌倉寄りの立場を取っていきました。

 

「承久の乱」の時も上皇側には付かず、ゆえに失脚・幽閉されるという薄氷を踏む思いをしています。

 

例の道家と不仲の原因となった、摂関家に諮らず強引に孫娘を入内させたのも、北条泰時の逝去と内侍・平棟子の懐妊(後の鎌倉6代将軍・宗尊親王)という情報を得ての、ピンチを切り抜けるための策でもありました。

 

朝廷と幕府、両方のバランスを取ることで栄華を極めた彼は、ゆえに浮き沈みも激しい人生を送っていたのですね。

 

 

摂関家との関係悪化も恐れずに入内を実行した決断力は、西園寺家にとっては栄達の嚆矢となりました。

 

公経は、四条天皇の曾祖父。

公経の嫡子・実氏は後深草天皇、亀山天皇兄弟の外祖父。

公経の別の子・洞院実雄は3人の娘を三代の天皇に入内させ、それぞれの皇子が天皇になって、3人の天皇の外祖父になるという偉業を達成。

 

そのような、西園寺家が天皇家の外戚になる慣例を作ったのは公経

(そして、五摂家は天皇の外戚にはなれなくなってしまってますね…)

 

百人一首に選ばれた和歌も、彼の人生と重ね合わせたうえで深読みすると、「嵐のような時代を乗り切って、栄華の花吹雪も雪のような冷たい危険も沢山見たけれど、それだけ俺も年を取ったなぁ」みたいな意味になるかなぁと思うのですが、どうでしょうかねー。

 

 

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