★権中納言の歴史語り★

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権中納言が歴史について語ってみるblogです。
それほど得意ではない平安時代を、勉強の意味も兼ねてメインに据えたいと思っております♪

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平成31年4月1日。

今年5月から改元される新しい元号が発表されました。



「令和」



出典は、なんと万葉集!


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万葉集 巻五 梅花の歌三十二首 并せて序

天平二年正月十三日に、
そちおきないえあつまりて、宴会をひらく。
時に、
初春しょしゅん令月れいげつにして、気く風やはらぎ、
梅は
鏡前きょうぜんひらき、 蘭は珮後はいごこうかをらす。
  
加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り、
松は
うすものを掛けてきにがさを傾け、夕の岫(くき)に霧結び、
鳥はうすものに
めらえて林にまとふ。
庭には
新蝶しんちょう舞ひ、空には故雁こがん帰る。
ここに天を
きにがさとし、地をしきゐとし、 膝をちかづかづきを飛ばす。
ことを一室のうらに忘れ、えりを煙霞の外に開く。
淡然たんぜんと自らひしきままにし、 快然と自ら足る。
翰苑かんゑんにあらずは、 何を以ちてかこころを述べむ。
詩に落梅の篇を
しるす。古と今(いま)とそれ何そことならむ。
宜しく園の梅を賦して
いささかに短詠を成すべし。

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要するに、「太宰帥・大伴旅人の家で宴をして、梅の花の和歌を詠んだお!」ということ(ざっくりし過ぎ?ほっとけw)

 


「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香」

初春の令月にして氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫す。

初の日本書籍出典の元号が桜の花ではなく梅の花っていうのが、個人的にはとても素敵で嬉しいです♪


「令和」。

ワタクシはもう、バッチリ馴染んでしまいましたw


六十を超えて太宰帥(だざいのそち)として赴任を命令された大伴旅人(おおとものたびと)は、
神亀6年(729)、大宰府の空の下で衝撃のニュースを聞きます。

長屋王、呪詛の疑いで兵に囲まれ、自害。

世にいう「長屋王の変」


聖武天皇を共に支え、酒好き同士として親しかった長屋王を、留守の間に殺された。
武門の大伴氏を大宰府へ排除したのは、長屋王を追い詰めるための藤原氏の布石だった…
気づいた時には時遅し。

この「太宰帥・大伴旅人邸での初春の宴」が行われた「天平二年正月十三日」は、西暦にすると729~730年
聖武天皇が自分の奥様で、人臣の娘である安宿媛(あすかべ)を皇后にした(=光明皇后)直後。

長屋王の変の黒幕といわれる藤原四兄弟が天然痘で全滅するのは天平9年(737年)
つまり、この初春の宴とは、藤原四兄弟が世の春を謳歌する中、長屋王の無念の死を遠くから悼むしかなかった頃の出来事ですね。

旅人はこの年の暮れに大納言に任じられて帰京しますが、まもなく亡くなってしまいます。


しかし、序の文章は雅やかで美しい。

書いたのは山上憶良なんだそうです。
筑前守として北九州に赴任していたため旅人との交流があって、ともに「筑紫歌壇」を成したという歌人。
旅人痛恨の晩年を慰めるかのような細やかさをワタクシは見てしまいました。


期待の王はあの世へ旅立ち、長年の功績ある卿が中央を離されるこんな時代でも、
令月(何をするにもうまくいくいい月)の春の宴で、梅は美しく蘭は薫り高く。
色々あるけど、暗くなるなよ。楽しく生きていれば、いいことあるよ。


まるで、昭和の後片付けに追われに追われて勢いを失い疲れ果てた感のある平成の人々にも、語りかけているような。


昭和より長く空気を吸った平成も、残りあと1ヶ月。
新たな年号とともに、かつての雅な日本がやってくる。
そんな光すら見えたような、そんな気がしました。

それにしても、天皇の崩御とともにあった平成と違って、
「もうすぐ上皇さま」も見守る元号発表は、こんなにも言祝ぎお祭り気分になるもんなんですねぇw


余談ですが、先ほどSNSで見かけた言がちと気になって。

中国の古典で「令月」は、以下のようなものがあるそうです。

張衡「帰田賦」(紀元前78~139年)
「仲春令月、時和し気清し」


王羲之「蘭亭序」(353年)
「天朗气清,惠风和畅」


昭明太子「文選」(501~531年) 
歸田賦 文選考異
「儀禮曰:令月,吉日。鄭玄曰:令,善也」


これが「令和」の典拠となった序文に近く、また旅人は『文選』を愛読していたそうな。

ゆえに日本書籍ではなく漢籍が出典といえるのではないか、という指摘が国内外からありました。


それを知って、「なんだ中国古典が由来なのか。がっかりした」と思う人がおられたようです。


「令和」は万葉集出典だけど元を辿れば漢籍。

それの何が残念なのかなぁ…。

漢籍はかつての日本人が命を懸けて海を越え取りに行った宝物。
中国が喪失してしまった漢籍が日本には残っているってことだってあるくらい大切に読み解き守り伝えてきたもの。

漢籍と呼んでいても、それはもうはや日本人の書籍ですと言っても過言ではないと、思うのですがねぇ。