今、季節限定で出ている「秋味」というビール、御存知ですか?

これがまた、ことのほかうまい。


母親が偶然買ってきてわけてもらったのですが、母親もはまったらしく、久しぶりにいっしょに飲んでいます。

口当たりは「ヱビス」のような苦味とコクがあるのですが、飲んだあとはさっぱりとしている、そんな感じです。

私もしばらくはまってしまいそうです。


ビールがお好きな方、ぜひ一度お試しあれ。

以前にも記事に書きましたが、今平安時代の学習を進めているところです。

みなさんは、「平安時代」というとどのようなことをイメージされるでしょうか。

子どもに聞いてみると、もちろんマニアックな事件を挙げるような子もいるのですが、藤原道長、貴族、寝殿造り、などというのが挙がってきます。

なかには「眉が丸い」「おじゃる丸」といった珍回答もありましたが。

やはりイメージの典型は、道長・頼通親子に代表される、貴族の政治、摂関政治のイメージのようです。


しかし、このふたりが活躍していたのは11世紀の前半。

平安時代がはじまるとされる平安京への遷都は、794年、すなわち8世紀末。

このあいだには200年以上のタイムラグがあるんですね。

このあいだの時代がすっぽり抜けてしまっているのは不思議じゃない?というところから授業は始まります。


まずやらせたのが、それぞれの時代の記述に割かれる教科書のページ数を数える作業。

こんな教科書の使い方アリかしら?と思いつつ、いかに描かれる「歴史」が恣意的なものであるかに気づいて欲しかったのです。

今使っている教科書では、奈良時代に5ページ、平安時代に7ページでした。

奈良時代は84年間、平安時代は400年余りですから、子どもたちからは思わず声が漏れます。

「これって不公平じゃない?平安時代は何もなかったの?」という問いかけが、この単元のはじまりになるわけです。

教科書の7ページというのも、院政や武士の興りを含めてのページ数ですから、いかに選択的に歴史的事実が描かれているのかということがわかります。


子どもたちの感想を見てみると、「戦争や反乱がなかったから記述が少ないのではないか」「平和な時代だった」というようなことが書いてありました。

「戦争や反乱」が歴史的事件として取り上げられやすいということに気づいてくれただけでも、ひとまずOkかな、と思います。

ただ、もちろん「平和な時代」といえるかどうかは「平和」という言葉の解釈にもよりますし、実際東北地方へ大軍を派遣するということは行われているわけですから、この辺をどう描いていくのかということが今後の課題ですね。




これからもちょっとずつ実践について書いていこうと思います。

私の悩みは、日本史は完全に独学(中学までしか日本史はやってないので…汗)なので、自分が描こうとしている歴史像が果たして歴史学的にどこまで正当性があるのかがわからないというところです。

もし何かおかしいんじゃないか、というところがあれば、ぜひ教えてください。

よろしくお願いいたします。

今日になって突然、鼻水とくしゃみがとまらなくなりました。

授業中も、くしゃみがしょっちゅう出て、そのうえ鼻水をずるずるすする始末。

「先生、だいじょうぶ?」なんて子どもに心配されてしまいました。


彼女の前でもズルズルクシュンを繰り返して心配されてしまい。


そして家庭教師先のお母さんのひとこと。

「花粉症ですか?実は私の知り合いも今朝からきたとか。ブタクサですかね。」

ガーーーーーン。

アレルギーは慢性じんましんだけで十分だよぅ…。


今はひとまずおさまっていますが、明日から戦々恐々です。

季節の変わり目の風邪ならまだいいんだけどな…。


東京は今日はずいぶん涼しい風が日中も吹いていました。

みなさま、ご自愛くださいませ。

久しぶりの更新になってしまいました。

学内で発行している雑誌への投稿論文の執筆に追われていました。


先日、中学校で「夏休みの確認試験」と銘打って、テストをしました。

以前にもお話ししましたように、普段の私の定期考査では、観点別評価に対応できるように4つの観点から問題を作ります。

「知識・理解」「思考・判断」「技能・表現」「関心・意欲・態度」ですね。

いわゆる普通のテストでは「知識・理解」しかはかれませんので、くふうして問題を作っています。


今回のテストは、「『知識・理解』だけを問うよ!」と事前に宣告した上での試験でした。

要は、記号だったり穴埋めだったり、一般に行われているような試験を試してみたかったのです。


結果…

平均点は、70点弱でした。(一応細かい点数は伏せさせてください)


先生としては、がっかりでした。

平均80点ぐらいになるといいなぁと思っていたので。


私の授業では、教師が黒板にきれいにノートを作って解説する、ということはほとんどしません。

子どもが自分の力で知識を再構成したり、資料を読み取って歴史像を築いていくことが大事だと考えるからです。

しかしその一方で、いわゆる受験用の知識といいますか、教養といいますか、そういった意味での従来の「知識」も大事だと思っています。

そういった意味で、自分の授業を反省しました。


おしおき、ではないですが、100点とれるまで再テストを続けることにしました(鬼)


ちなみに、多かった間違いは…

○ 大宰府 → × 大※府(※=うかんむりに幸)

○ 大海人皇子 → × 大海皇子

○ 郡 → × 群

○ 租 → × 祖

○ 大和朝廷 → × 大和朝延

などなど。

私の勤務校は前後期制を引いておりまして、9月と10月で前後期の分かれ目になります。

したがって、ちょうど今の時期が成績の処理で一番忙しい時期で、(学内の雑誌に投稿する論文の締め切りも重なっててんてこ舞いですが…汗)子どものノートを集めて見させてもらったりしています。

私は子どもにはノートは自分が1年間通して作る作品だ、と言ってありまして、毎回の授業の記録を工夫してとることはもちろん、まとめと感想を毎回ノートに書き、また自主学習を推奨したりしています。

ノートと試験を同じ比重で見ると言ってあるので、かなりの力作ノートにもお目にかかることができます。


そんななかで思うことがいくつかあるのですが、今日はその内のひとつを。


実は、去年もったの子どもたちよりも、なんというか、距離がちょっと遠いかなぁ、という感覚があります。

去年の子たちは週1時間、今年は2時間なので、今年の方が距離が近くてもよさそうなもんですが。

今年の子たちの方が全体におとなしいという前評判はあったものの、やっぱり自分に何か原因があるんじゃないかな、と思って考えてみました。


そしたら、ありました、思い当たる節が。


去年の子たちは、1回目にノートを集めたときに、ひとりひとりコメントを書いてあげたんですね。

短い文章ではありましたが、もっとこうした方がいいよとか、こういうところがよかったよ、とか。

以後は忙しさもあって、さぼってしまいましたし、今年もやはり忙しくてひとりひとりにコメントは書けませんでした。

でも、子どもにしてみると、自分だけに対して教師が言葉を投げかけてくれるということが、それがなんのことのないことだったとしても、信頼感や安心感につながるのかもしれないな、と思って反省しました。


小学校とは違い、中学校ではなかなかひとりひとりに対するケアが十分にはできません。

というのはまだ教員経験の浅い自分だからなのかもしれませんが、160人ひとりひとりの性格を把握し、ひとりひとりにあわせつつ全体の調和がとれる学習を組織するのは容易ではありません。

子どもひとりひとりにコメントを書くといっても、それが160人になれば、それ相応の時間がかかります。

私はノートの成績をつけるだけでも160人で8~10時間くらいかかってしまいますから、よほど時間がない限りコメントを書いてあげることはできません。


といってもいいわけにしかなりませんよね。

ひとまずノートは無理でしたが、自主レポートを出してくれた子に対しては、十分時間をかけてコメントを書かせてもらいました。(まだ終わってないー><)

非常勤講師だと特に、授業の時だけの関係になりがちですが、少しずつでも時間をとって、子どもと対話していけるようにしていきたいです。

そうすることによってきっと、授業の雰囲気も変わってくるのだと、そう思います。



…そう考えれば考えるほど、教師の時間を奪う、行き過ぎた管理のもとにある現在の学校の在り方に疑問を覚えます……。

kongoubuji しばらく更新できませんでしたが、実はサークルの合宿に行っておりました。

大学では学部の頃からずっと、歴史を肴にして飲むサークル(?)に参加しております。

(ちゃんと学習活動をする、数少ないサークルでは?と思っております)

それはさておき、高野山に行ってきました。

南海高野線からケーブルカーとバスを乗り継いで降り立った、高野山。

街がほんとうにお寺しかないんですね…びっくりしました。

まさに門前町、という感じです。

時間の関係で金剛峰寺周辺にしかいけませんでしたが、あの山のなかにひっそりとたたずむお寺の雰囲気、大好きです。

私は例えば京都では嵯峨野のほうが好きだったりするのですが、それも同じ理由です。

活発にあちこち動き回るのも好きですが、そういう静かなところで、座りながらぼーっと庭園を見たり木々や小鳥のさえずりを聞いたりというのも、実は好きだったりします。

平日とはいえ金剛峰寺はさすがに人が多少いましたが、金堂周辺の建物(ひそかに国宝建築もありました)なんかは、もうすぐそこが山で、木々のあいだにひっそりたたずんで、やわらかい光が建物にあたるというような感じで、すごくよかったです。

当日は雨が降ったりやんだりしていたので、むしろそんな雰囲気を助けてくれました。

(壇上伽藍はそういう意味ではちょっと派手過ぎましたが…)


帰りがけにバスで山道を行くなか、霧が立ちこめてきて、ほんとうに幻想的な雰囲気でした。


空海は、何を想ってこの山のなかに分け入って、寺を建て、仏教を広めようとしたのでしょう。

仏教の教えのことはわかりませんが、東京に住む者としては、ああいった幻想的な雰囲気が、人間とは何かというようなことを考えることにつながるのかなぁ、なんて思ってしまいます。


なかなか行ける機会はありませんが、もし次に行くときは、ぜひ奥の院を訪ねてみたいですね。

5月に書いた私の記事、覚えていらっしゃるでしょうか。

そう、ライオンズの西口投手が9回2アウトまでノーヒットノーランをつづけながら、ジャイアンツの清水にホームランを浴びた、というアレです。


そして昨日、対イーグルス戦。

西口と一場の先発で始まった試合。

両投手とも好投を続け…ました。

西口はなんと、完全試合(ヒットどころか、四死球すら与えていない)ペース。

過去2回、9回2アウトでノーヒットノーランを逃している西口、完全試合ペースのまま9回2アウトを迎えます。

そして、藤井を遊ゴロに討ち取り、打者27人をパーフェクトに抑え、ついに完全試合を達成しました!!



…かに見えました。

しかし…なんと、相手の一場投手(去年金銭授受問題で話題になったルーキーです)も好投、なんと9回178球、0点に抑えてしまいます。

つまり…延長に突入!!


そして迎えた10回表、先頭の沖原、これまで抑え込んできたスライダーをライトに運ばれてしまいます。

そのあと、2アウト1、3塁のピンチを迎えますが、無事に10回を0点に抑えます。

そして10回裏、一場から代わった福盛に対し、目下首位打者の石井義人がサヨナラヒットを放ってゲームセット。

西口は10回完封ということになりました。


打線の援護がなく、9回をパーフェクトに抑えながら完全試合達成できず。

本当に残念です。

っていうか、これ完全試合を達成したって言ってもいいですよね?

だって9回パーフェクトなんだから。

むしろそれを越えて10回完封ってのも、もはや今年33歳になるベテランとは思えないすごさです。


西口本人は、「0―0だから緊張感を保って投げられた。2、3点もらってたら、こうはならなかったと思うよ」(デイリースポーツ)と、あいも変わらずひょうひょうとしたものだったそうです。

これで今期ハーラートップタイの16勝目。

いやぁ、今シーズンの西口はほんとにすごい。

先日のホークス杉内との投げあいもそうでしたが、本当に見るものを魅了してくれます。


欲を見せず、ひょうひょうと、チームの勝利のために努力する。

こんな西口選手、大好きです。

残り試合も少なくなってきましたが、プレーオフ進出に向けて、頑張って欲しいです。


がんばれ、ライオンズ!

昨日に引き続き世界史の教科書を読んでいて改めて気づいたことを。

今日は私がずーっとこだわっている「国家」という存在について書いてみたいと思います。


13世紀、ユーラシア大陸に超巨大国家が誕生しました。

そう、モンゴル帝国です。

現在の中国やモンゴルを含む東アジアはもちろん、中央アジアから西アジアにかけて、さらには東ヨーロッパの一部にまで進出した、空前の大帝国ですね。

「世界の一体化」ということが「世界史」を語るうえでひとつの指標とされます。

昨日の「近代世界システム論」においても、大航海時代以降の西ヨーロッパが、「世界帝国」ではなく「世界経済」のシステムをもって世界へ拡大していったことが重要なこととして捉えられています。

この13世紀のモンゴル帝国をもって、「世界の一体化」の端緒と捉え、「世界史のはじまり」をここに措定する考えもあるようです。


が、しかし、この空前の大帝国をそのまま捉えることはできません。

もし普通に世界史の授業で地図を見せたとしたら、子どもはおそらく、「こんなに広い地域をまとめて国を作るなんて、すごい!!」というのではないでしょうか。

実際実感が湧かないほどの広大な地域に影響力を及ぼしていたのは事実でしょう。

でも、現在の国民国家のイメージでこのモンゴル帝国を捉えるのは大きな間違いです。

彼らの支配システムについて詳しくは勉強していませんが、少なくとも彼らが遊牧民族であったことは間違いありません。

遊牧を中心とした地域なんですね、彼らがもともと支配していたのは。

「遊牧」ということは、私たちの土地感覚と、彼らの土地感覚がまったく違っていることを意味しています。

少なくとも、ここからここまでは私の土地で、ここでとれたものは私のもの!というような感覚がないということです。

おそらくある意味での「なわばり」のようなものはあったでしょうが、基本的に移動しながらの生活であり、彼らの生活は日本の農耕でイメージされるような土地に縛られた成果とはかけ離れたものであったはずです。


こう捉えてみると、あの13世紀に出現した広大なモンゴル帝国も、現在の領域国家のイメージでその広さを捉え、「すごい」と思うのは、ひょっとしたらどこかに大きな勘違いが含まれているのではないかと思うのですね。

具体的にどこがどう違うとかもっとここはこうだとかいうことは勉強不足なのでいえませんが、地域によって時代によって環境によって、そこで大事にされるもの、決定的な影響力をもつものが違うんだということ、そしてそれを支配するシステムも多様であるはずなのに、それが同じ「国家」という言葉で語られてしまうことの恐さを感じます。

そういった意味で、モンゴル帝国の歴史を学ぶのは、現在の「国家」に縛られる私たちにとっても有益なのではないかと思うのですね。


他にも、こういう事例は世界史のなかにたくさん転がっています。

マラッカ海峡という地の利だけで栄えたマラッカ王国。

政治的に征服はするものの他宗教に対しては寛容だったイスラームの諸王朝。

シュリーヴィジャヤのような海洋王国もあります。

「国家」に限定しなければ、故網野氏が盛んに触れていた「海民」の存在もこれに近いのかもしれません。


「国家」という言葉で言い表される「歴史」にも多様なかたちがあると同時に、その「国家」に束縛されない多様なアクターがいる。

よく現在の国際化の時代の端的な例として多国籍企業やNGO・NPOなどアクターが多様化したことが挙げられますが、何も今に始まったことでもありません。

国民国家という「国家」のイメージを打破しながら、多様な「国家」や「社会」のあり方に思いを馳せることによって、もっと新しいよりよい「社会」を構想する力につながるのではないか、そんなふうに考えています。

今、次の日曜日にある「私学適性検査」に向けて、高校のときの世界史の教科書を読み直しています。

(「私学適性検査」というのは、教員採用試験とセンター試験を足して2で割ったようなもんですかね。)

そのなかで、ああ、あらためて世界史っておもしろいなぁと思っています。


私が高校のときに使っていたのは東京書籍の教科書でした。

一般的には山川出版社のものが多く使われているようですが、この東書の教科書、実はちょっとした特徴があります。

「ネットワーク」というのを意識したつくりになっているんですね。

章立てのなかにも、いわゆる受験に必要な知識を飛び越して、ネットワークを語っている部分があります。

具体的には、インド洋を結ぶネットワーク、ヨーロッパとアジアを結びつけるネットワーク、イスラーム商人が担ったネットワーク、中華帝国の理念に基づいてシステム化されたネットワークなどなど…。

そして15世紀末から始まる、西ヨーロッパ諸国による「世界システム」の形成につながっていきます。

このあたりの理論は、ウォーラーステインの「近代世界システム論」に則って、「従属」ということばもネットワークの説明のなかで使われています。

(もちろん、従属理論はウォーラーステインがはじめたわけではありませんが。ウォーラーステインに興味がある方は『近代世界システム』という本がありますので読んでみてください。


山川の教科書はよく平板でおもしろくないと言われますが、教科書なんて多かれ少なかれおもしろくないものです。

私は以前から、「歴史はつくられたものである」ということを強調してきました。

無限にある歴史的事実のなかから、当時を生きた人々、あるいは現在を生きる人々が恣意的に記録として再現したものこそが「歴史」であるわけで、そのなかには、ひょっとしたら意図的に「忘却」された「歴史」もあるのかもしれない、そんなお話をしたと思います。

教科書というのは、教科書検定を見てもらえれば端的にあらわれますが、そうした「歴史」がもつ「恣意性」を極力排除しようとします。

検定にとおるために客観的に「見える」記述を書くと、どうしてもストーリー性の一切ない、平板な事実の羅列に見える文章になってしまうわけです。

しかし、どんなに客観的に文章を書いたとしても、「歴史」である以上、「恣意性」から逃れることはできません。

むしろ物語的に教科書を記述して、そのうえでそこの記述にあらわれる「恣意性」を読み取るということのほうが、よほど歴史教育の目標としてふさわしいのではないかなんて思ってしまいます。


そういった意味では、こんど杉並区では採択されるようですが、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史の教科書の記述のほうがおもしろい部分はたくさんあると同時に、その記述の「恣意性」を明らかにしていくという

授業はやりやすいのかなぁと思ってしまいます。

まぁ今私がやっているように、後になって教科書を読み返して、それが歴史的真実だと思われると困るのですが…。

「歴史」が描かれたものだという、その「恣意性」に気づけること、そして歴史的事実と歴史に対する評価は別物であるということを踏まえられていれば、また教科書も別の読み方をすることができます。


そういった意味では、今回取り上げた東書の世界史の教科書は結構斬新な取り組みをしているのではないかと思います。

もちろん物語が描かれているわけではありませんが、自分が受験対策用に学んできた世界史に対して「ネットワーク」という観点から切り込まれている章があることによって、また新たな発見があるわけです。

こういう世界史の見方もあったんだなぁ、と単純に思うわけですね。

同じ歴史的事実も、別の見方をするとまったく違う意味を付与されて浮かび上がってくる、これも「歴史」のおもしろいところです。


25になろうとする年になって、世の中のいろんなことに触れかけているような時期、改めて昔の教科書やノートを読んでみると結構おもしろいですよ。

歴史に限らず、国語や家庭科の教科書なんか改めてみてみるのもおもしろいかなぁ、なんて思います。



…さて、まだ半分しか読んでないからな…勉強しなきゃ(汗)

9月からの中学校の授業では、平安時代あたりから授業が始まることになっています。

今、そのための準備をしているところです。


平安時代、というと、みなさんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。

勉強する前の私が思い浮かべたのは、藤原道長、頼道、摂関政治、寝殿造、国風文化、貴族の時代、こんなところでしょうか。

私は高校のときに日本史を江戸時代からしか学んでいないので、私のなかの平安時代イメージはおそらく中学校で作られたものなのだと思います。

これらのイメージ、果たして歴史教育としてはどのような意味があるのでしょうか。


もちろん、歴史学の研究成果をふまえると、もっともっと取り上げなくてはならないことはたくさんあります。

藤原一族のなかでの政争しかり、初期荘園から墾田地系荘園、そして寄進地系荘園への変化、そして真言宗や天台宗、浄土宗など仏教世界の変化も欠かせないでしょう。

最新の歴史学研究の成果を踏まえ、それらを教育の現場にどのように還元するかということがこれまで議論されてきました。


こうした中学校での実践のなかで問題を立てるとき、たいていの場合、「平安時代をどう教えるか」「初期荘園をどう教えたか」などのような形になっているように思います。

私は、これらに対して非常に違和感を覚えます。

現在を生きる子どもたちにとって意味があるから中学校で歴史学習をするわけで、「最新の歴史学の研究成果」をただ教えるために中学校があるのではありません。

もちろん歴史学研究者は現在の問題意識に則って研究をしているわけですから、「最新の歴史学の研究成果」に学ぶところがないわけではないし、むしろおおいに参考にすべきです。

しかしそれらをただやみくもに、中学生にわかるかたちに変換し、出力すればよいというものではないはずです。


私なりの問題意識のなかから、平安時代という時代をどう捉え、歴史の授業のなかで意味づけしていくのか、これからの教材研究のなかで明らかにしていかねばと思っています。