のろけついでにもうひとつ。

ふたたび新記録達成のお知らせです。



先日、彼女と飲みに行きました。

一次会では、ふたりとも生を4杯、+彼女は梅酒ロック、私はカンパリロックを飲んできました。


…ん?

カンパリロックなんて聞きなれないって?


ですよね~。

私、カンパリが大好きなんです。

人はあの薬臭さと苦味がダメといいますが、私それがやみつきでして。

この日も…

私「すみません、カンパリのロックってできます?」

店員「はぁ?カンパリのロックですか?…少々お待ちください、確認してまいります」

というやりとりがあったあと、無理やり出してもらっちゃいました。



そして二次会へ。

そこで頼んだものが、コレ。


yakan1


「やかんサワー」という代物です。

見てのとおり、やかんにサワーが満載です。なんでも10杯分取れるとか。

ね、経済的でしょ!


しかし、まぁ、なかなかふつうふたりでは頼まないものですが、この日はもはや勢いで記録に挑戦することになりました。


そして2時間後。


yakan2 yakan3
Before
After

ということで、しっかり飲みきって参りました。

またも伝説達成です。えへ。



まぁ当然のごとく私は翌日二日酔い、

彼女はユリ・ゲラーと化したそうです。

ちゃんちゃん。

今から数ヶ月前のことです。


大学の近くにあるラーメン屋さんで、彼女といっしょに食事をしていました。

たのんだのは、つけ麺。

なんでも、実は東京にしかないといううわさの一品ですね。

ずっと東京に住んでいる私には、関西からきた友人に知らなかったと言われて、逆にカルチャーショックだったのを覚えています。


さて、いざ出てきたつけ麺には、上に野菜がのっていました。

そのときの私と彼女の会話を。


私「これ、なんだろうね?ホウレンソウかなぁ?」

彼女「いやぁ、ホウレンソウじゃないっしょ。チンゲンサイ?」

私「チンゲンサイはないって。」

彼女「じゃあ、八宝菜?」


…一瞬の沈黙…


私「はぁ?八宝菜?」

お昼過ぎで客もまばらな店内で私は大爆笑。


どうやら彼女は、八宝菜というのは野菜だと思い込んでいたようで…。

「八宝菜って料理だから」って説明しても、一切聞いてくれませんでした。

そんなアホな…。


結論。

思い込みって恐いね。

アメブロさんの登録人数、先ほど見てみたら526387人でした。

確か私がこのブログを立ち上げた3月の末は、登録人数は20万人を切っていたような気がします。

わずか半年で、急激にブロガーが増えてきているんですね。


学校でも、インターネット社会の普及を感じます。

後ろの黒板に、子どものホームページのアドレスが書いてあったりします。

調べ学習をすれば、必ずといっていいほどインターネットから資料を探してきます。


自分自身も授業を作るときにインターネットを大いに活用します。

調べたい単語さえあれば、検索すれば情報が出てくるわけですから、こんなに便利なものはありませんよね。

もちろん書籍に比べれば情報の信頼度は低いですし、そういった前提に立ってインターネットを情報源として活用しなくてはいけません。


今、学校では、インターネットをどう使うか、かなり問題になっているのではないでしょうか。

私なりにインターネットについて考えたことを、これからいくつか書いていきたいと思います。

大学の近くに、とあるラーメン屋さんがありまして、私はそこのラーメンが結構好きで、よく行きます。

(俗に言う○郎です。)


先日、5時過ぎに行ったのですが、麺切れということで、偶然最後のお客さんになりました。

ラッキー、と思いながら、楽しみにラーメンを待っていました。

そしていよいよ、ニンニクヤサイを発注して、ラーメンを食べ始めました。

そう、ここの店はがっつりニンニクを入れてくれることでも有名なのです。


しばらく食べていると、店のおばちゃんが、「もうおしまいにするから、ヤサイとニンニクいる人、いる?」と聞いてきました。

私はニンニクが大好物なので、ありがたくもらっておいしく食べ………るはずでした。


人はよく言います。ものには限度があると。


おばちゃんは、ニンニクを、レンゲに山盛り2~3杯入れてくれたようでした。

そこのニンニクは、市販のすりおろしニンニクではなく、ご丁寧に生のニンニクをみじん切りにしたもの。

当然、強烈です。

はじめのうちは、それでもおいしく食べていました。

そこのラーメンは甘みが強いので、ニンニクの辛みがよく合うんです。


でも、次第にしんどくなってきます。

というのも、ニンニクが麺だけに絡んでいるうちはよかったのですが、大量のニンニクがスープにつかり始めると、すべてがニンニクの辛みで支配されてしまったのです。

最後の方は、もはやニンニクの辛さを堪え忍びながら口に運んでいる、という感じでした。


おばちゃんもさすがにやりすぎたと思ったのか、私に声をかけてきました。

「だいじょうぶ?入れ過ぎちゃった?」

「はい、だいじょうぶですよ、ニンニク好きなんで。(しかしやり過ぎだろ)」

「いやー、もったいないからね。私もニンニク素手でつかんでると、水ぶくれできちゃったりするのよ。胃が荒れないように気をつけてね。」

「は、はい…。(だったらそんなに入れるなよ!もう遅いじゃん!!)」


そしてとどめはこれです。


nin-niku


そう、おばちゃんはそれでもあまったニンニクを、私にラップに包んでくれたのでした。

どうやって使うんだ??

今日も引き続き「つくる会」が提起した問題について考えてみたいと思います。


前回、さまざまな歴史的事象を、自分の描きたい歴史像に照らし合わせて選択していくということの是非について問題提起をしました。
monoyaomouさんがおっしゃるように、このことは「つくる会」だけに限った話では当然ありません。
他の教科書会社においても、意識的にか無意識的にかはひとまず措くとして、通史を描いている以上、何らかの価値観・歴史観に基づいた歴史叙述が行われていたことは事実だと思います。


これは歴史学においても同様だと、私は思います。
確かに個別の実証研究のレベルでは、ひとつひとつの史料から何を描き出すかということが大事になりますが、一方でそれを学ばなければならない理由ないしは研究の問題意識ということになってくると、やはりそこには歴史家の価値観・歴史観が反映されざるを得ません。
これが、(論文ではなく)ひとつの「本」という媒体になって世に出されるとき、そこに色濃く反映されるものとなるでしょう。
一般向けに出される本であればあるほど、専門家でなくともわかる内容に近づいてゆき、その結果として何かしらのわかりやすい「ストーリー」がそこに設定されることになります。
そういったわかりやすい「グランドセオリー」を提供することも歴史家の仕事であると私は思いますので、これに対して批判をするわけではありません。
こういったことを前提にしながら、歴史、歴史学、歴史教育を考えていかなければならないと思うのです。


「つくる会」による歴史像は、以前にもお話したように、それ自体問題の多いものだと私は思います。
しかしその一方で、小熊英二が明らかにしているように、「つくる会」による歴史叙述が無批判に受け入れられていっているという現状があり、それが現在のグローバリゼーションやアイデンティティの問題を背景に浸透していくということを、私は問題だと思うのです。
どのような歴史叙述であろうと、その歴史叙述を描いた人の歴史観が色濃く反映されているということは、当然の事実です。
ですが、これが「教科書」や「本」というメディアの媒体を経ることによって、あたかも「歴史的事実」であるかのごとく判断されることに危惧を覚えるのです。


このように考えてみると、歴史教育の現代的課題として、以下の点が浮かび上がってきます。
①歴史叙述というものが、いかに恣意的につくられたものであるかということを理解すること。「つくられたもの」という見方で歴史叙述を見ること。描かれた歴史叙述について、批判的に見るものの見方を養うこと。
そのための方略として、
②自分が自分の「観点」を明確にしたうえで歴史叙述を作り上げる体験をすること。歴史学における史料批判の方法を学ぶこと。ひとつの歴史的事象についての複数の歴史的評価を学ぶこと。複数の立場から歴史的事実を見ること。
などが考えられるのかな、と考えています。


以前お話した、中学校の歴史教育で学ばせるべきことの2点目、「『歴史』に接していくための基本的な考え方、スキルを獲得すること」を多少具体化したものになるでしょうか。
また、平安時代の授業で、教科書の記述の割き方を奈良時代と平安時代とで比較するという授業をしたのも、こういった問題意識が背景にあります。

世の中右傾化してきていると言われますが、そのために歴史が利用されている側面が見られます。
どのような思想をもつにせよ、つくられた歴史像を鵜呑みにせず、何が事実なのか、何が今の自分にとって必要な歴史なのかを考える、そういったことこそが大事なのだと思います。

前回に引き続き、「つくる会」についての私の考えを述べさせていただきたいと思います。
「つくる会」に限った話しではなく、「歴史を認識することの意味」についての話になります。


monoyaomouさんは「つくる会」の問題を「外交問題」だとおっしゃいます。
確かにそういう側面は、彼らの歴史叙述が引き起こした「外交問題」が存在するわけで、事実であるといえますし、そういった観点から問題を考えていくことも非常に大事です。
しかし私は、「日本」がどのように「歴史認識」を行っていくのかということが問われ、それを「日本」自身の問題として考えなければならないという意味で、「外交」の問題ではなく、「日本」の「歴史認識」の問題であると考えます。


以前から繰り返し述べていますように、「歴史」というのはどんなに中立的であろうとしても、なんらかのイデオロギー(ないし歴史観)を含みこんでしまうものです。
これまでの歴史学における歴史叙述においては、最低限の「ルール」がありました。
それは、歴史学の学問的方法に則って、科学的、実証的な史料批判に基づいた歴史叙述をするということです。
自己の歴史観を自覚し、主観の入る余地を最小限に限定しながら、歴史叙述を行ってきたはずです。
歴史家がある歴史的事象を研究の対象とした時点でイデオロギーに脚色された歴史叙述になってしまうのですが、そこからできる限り客観的であろうとした結果、微に入り細を穿つ歴史学研究が生まれてきたともいえるのかもしれません。
これは、戦前戦中の「皇国史観」に対する反省、「歴史」がイデオロギーに利用されたことに対する反省が、戦後すぐの歴史学で強調されたことに端的にあらわれているということができるでしょう。
その流れが現在でも継承されていると見ることができると思います。


ところが「つくる会」の歴史叙述は、これらの「ルール」をひっくり返してしまいました。
歴史学という既存のアカデミズムへの批判が彼らの思想の根底にはあり、極論を言えば、「日本に誇りを持つ」という最終目標=ストーリーさえ達成できれば歴史学の成果は無視してもよい、という発想なのです。
彼らは人々(我々)の手に歴史を取り戻す、というようなことも言っていたように記憶しています。
ですから、「つくる会」の教科書がはじめて採択されたときに展開された歴史学者からの一大批判キャンペーンが大きい影響をもちえなかったのも、当然です。(かなりの数の「つくる会」批判の書籍が出版されました)
彼らにとっては、歴史学者から、歴史学の研究方法や研究成果から見て不適切な歴史叙述であるという批判は、屁でもない、むしろ再批判の対象であるわけです。
今を生きる人々にふさわしい「歴史」を作り上げることこそが、彼らの目的なのですね。


「つくる会」の教科書での「歴史叙述」、あるいは西尾幹二の『国民の歴史』で描かれる歴史叙述は、断片的には歴史学の成果を当然引用しています。
彼らの「歴史叙述」が特徴的なのは、「日本に誇りを持つ」ということを最終的な目標に据えるため、それらの研究成果を極めて恣意的に編集している点なのです。
最近の議論のなかで、私も記事に書きましたが、「記憶」と「忘却」ということがテーマになりつつあります。
この観点から考えると、「つくる会」の「歴史叙述」は、「日本に誇りを持つ」というストーリーを描ききるために、ある歴史的事実を意図的に「忘却」し、ある歴史的事実を「記憶」する、そのような「歴史叙述」であるわけです。
一般には、歴史学の研究成果を無視して都合よく歴史的事実をつぎはぎしていることが批判されます。


しかし、このことは果たして、ほんとうに悪いことなのでしょうか。
ちょっと記事が長くなったので、続きはまた次回書きたいと思います。

monoyaomouさんにコメントいただいたのでさっそく追加で記事を書きたいと思います。

まず、「彼らが主張がもっている歴史認識としての危険性」について考えてみたいと思います。


私はこれについて、三つの観点を挙げたいと思います。


①彼らが描く歴史像自体について。

②彼らの歴史像の描き方について。

③彼らの主張の通し方について、あるいは主張を受け入れる社会の変化について。


今日のところは①について検討していきたいと思います。

(もしよろしければ「つくる会」ホームページの「趣意書」をご覧下さい。彼らの主張が端的にまとめられています)


まず特筆すべきは、アジア太平洋戦争について、日本の加害性を極力描かないようにし、逆に日本の被害の面を強く打ち出し、当時の社会状況においては戦争に向かっていくのはやむを得ないことだった、という歴史観が根底にある、ということでしょう。

このような歴史の理解をしているということが、諸外国、特に東アジアの国々の人々に対してどのような感情を抱かせるのかは想像に難くないし、現実に外交問題として表出してきています。

つまり、日本はあの戦争のことを忘れたのか、ひどい侵略をしておきながら、それを「記憶」から消し去るということは、また同じことを繰り返すのではないか、何も反省していないのではないか、そのように思われるわけですね。

「つくる会」の教科書叙述を危険視する立場の人は、やはりそういった諸外国とのかかわりは大事であるし、そもそも自分の「国家」「祖先」が犯した過ちについて、しっかり「記憶」し続けなければならない、そうすることによって過去の同じ過ちを繰り返してはならないと考えるわけです。

ですから、過去の「都合の悪い」侵略の事実を歴史叙述から葬り去ろう、日本人は日本を誇れる歴史を学べばよいのだとする「つくる会」の歴史像に対して異議を申し立てます。


アジア太平洋戦争以外の「日本史」に対しても、「誇りのもてる歴史」というスタンスは変わりありません。

神話に4ページも割かれていることに代表されますが、「日本」が古くから続くものであること(ここには万世一系の天皇ということもかかわってきますが、「つくる会」自体はそれほど天皇に固執していません)、他の文化と比べて優秀であったことが強調されています。

「日本」という「国家」の系統性の強調、そしてその古来から続く「日本」という「国家」の文化の優位性の語り、これらが歴史叙述の基本線といってよいでしょう。

つまり、彼らの「誇りのもてる歴史」を学ぶという主張を達成するために、極めて効率よく歴史的事実が選択され、配置されているわけです。

余談ですが、ある意味では学習指導要領をもっとも忠実に文章化した教科書であるとも言えるでしょう。

(これは大学の先生がおっしゃっていました。)


以前にもお話ししたように、一般に「歴史」は、ひとつの「ストーリー」として見られる向きが強いように思いますし、それは事実でしょう。

いろいろ問題はあるのですが、今日のところ問題にすると宣言したのはその「ストーリーの内容」についてです。

ここまで批判的に論を進めておいてこんなことを言うのもなんですが、実は私は彼らの描く「ストーリー」自体について、否定はしません。

なぜなら、「歴史」の数ある「ストーリー」の中のひとつであると考えるからです。

これまでの「つくる会」批判は、「彼らの歴史叙述は間違っている」という前提に立って議論が進められてきたように思いますが、私はそうは思いません。

確かに、歴史学の立場からすれば、実証性という面で、彼らの「歴史叙述」は多くの問題をもちます(このことは次回の記事で詳しく触れます)。

しかし、ひとつの「歴史」の「ストーリー」としては成立しえるわけですね。

子どもにとって、歴史の授業の内容も、歴史の教科書も、歴史小説も、三国志も、信長の野望も、「歴史」であることに変わりありません。

そういう立場に立って、歴史の授業を考えなければならないと思うのです。


私自身は、彼らの描くような「ストーリー」は、現在の社会を生きていくうえでの認識の前提となる「歴史叙述」としては甚だ不適切だと思っています。

なぜなら、皮肉にも彼らの作った教科書の前文にあるように、「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。」と考えるからです。

日本の優位性のみをことさら取り上げ、都合の悪い事実は隠蔽する、そのような歴史叙述は説得力をもたないし、もっと現在のグローバル化された社会を認識していくうえで必要な歴史叙述が他にあると思います。

少なくとも、内にも外にも、「日本人」以外の他者への視線を一切排除するという歴史叙述のスタイルは、現在の社会の状況にそぐわないものであると思います。(このことの具体的な話は、また次回以降に。)

ですが、それは私個人の歴史認識の話であり、子どもたちどの歴史叙述を歴史認識として獲得するかは子どもに委ねられるべきであると基本的には考えています。

ですから、ひとつの「ストーリー」としては認める、そのような前提に立たないと、議論が進んでいかないと思うのです。


ということで、本日の結論を。

①について…「つくる会」の「歴史叙述」は、ひとつの「ストーリー」として認めるべきである。だが、現在の社会の状況に対応した「歴史叙述」にはなりえていない。

②についての作業仮説…むしろ問題は、彼らの「歴史叙述」伝達の方法、ないし「歴史叙述」を作り上げる過程、にあるのではないか。

次回は②について検討していきたいと思います。

近年の歴史教育をとりまく状況を考えてみたとき、「新しい歴史教科書をつくる会(以下つくる会)」が与えた影響は非常に大きいものといえます。

彼らの主張を端的にまとめれば、現在の子どもたちの公共性のなさを憂いつつ、その公共性を国家に還元し、自分の国に誇りを持てる歴史が必要であるとします。

そのうえでこれまでの近代史教育、特にアジア太平洋戦争での日本の加害を中心として描かれてきた歴史像を自虐史観として批判し、近代史の歴史像を再編成しようとしています。


問題は、彼らの主張がもっている歴史認識としての危険性はもちろんとして、むしろ彼らの主張が人口に膾炙しはじめているという点にあります。

小熊英二によれば、それは決して特殊な人々の特殊な思想なのではなく、「ある種の不安と空虚さを抱えながら、いわば束の間の開放感と安定感を求めて、『「歴史」という居場所』『「日本」という居場所』に群れつどう『普通の市民』たちの姿」 (小熊英二 上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究』慶應義塾大学出版会 2003)なのです。


この「つくる会」については、これまで主として三つの観点から議論が行われてきました。

一つは「つくる会」教科書がはじめて検定を通った際に行われた、教科書記述の内容に対する批判と分析です。

これについては主として歴史学の立場から、歴史学で蓄積されてきた研究成果からの批判が行われました。

しかしこの種の批判は、そもそも現代人の公共性の欠如とそれに対する処方箋としての歴史叙述を求める「つくる会」の主張に対しては、必ずしも有効ではありませんでした。

彼らはむしろ、知識人により作られる科学的な歴史像に対して反発し、自分たちが必要であると考える歴史叙述を選択し、ないしは作り上げることを主眼としていたからです。


二つには教科書の不採択運動です。

歴史教育者協議会によるもの、各教育委員会、学校単位などで行われる教員や市民運動などが挙げられます。

これについては採択初年度はもちろん、今年も行われてきました。

これらはある種の教育改革運動といってよいでしょうが、その一方で学問的観点からの批判ではありませんでした。


三つには教育学ないし教科教育学など、学問の立場からの批判・分析です。先に述べた小熊のものが代表的ですが、十分な研究蓄積があるかといえばそうではありません。


2005年現在を考えてみると、教科書の不採択運動などはあるものの、「つくる会」の活動や思想に対する学問的批判や分析などはほとんど行われていないといってよいでしょう。

しかしその一方で、彼らの活動全般が教育界、とくに歴史教育のもつ意味に対して与えた問題は、決して小さなものではありません。

むしろ、歴史教育の根幹にかかわる部分にかんしてパラダイムの転換をすることが求められているのではないかと考えます。

これから、「つくる会」の問題が歴史教育に対してどのような問題を提起したのか、そしてその問題を解決するためにどのような歴史教育を行えばよいのかということについて検討していきたいと思います。

夜、軽く飲みに繰り出していたのですが、帰りがけに会ってはいけない人に会ってしまいました。


そう、勤務校の生徒です。

どうも彼らは塾帰りだったようですね。

「あっ」という声とともに、きょとんとした目で私を見つめてくれました。


生徒にしてみたら、思いもかけない場所で思いもかけない人に会ったという感じなんでしょうね。

大体どこで会うにしても、大抵の子はきょとんとしてます。


学校の先生は大変ですね。

素の自分をそうそう子どもの前でさらし出すわけにはいきません。

学校というのはきわめて特殊な空間ですから、そうでない場所での遭遇というのは、先生が先生でなくひとりの人間だという奇妙な感覚を子どもにもたせるのではないかと思います。

日常と非日常の対照といったら言いすぎでしょうか。

子どもにとって先生でない先生を見てしまうことは、ある意味学校で作り上げたさまざまな儀式の意味、学校だけでしか通用しない価値観を壊してしまうことにつながりかねない。

まわりくどい言い方になってしまいましたが、要は、子どもが先生を先生としてみてくれなくなる可能性があるということです。

教師は「役者」でもある、ということも昔書いたような気がします。

「役者」の素の姿に出会う(例えばワイドショーでスキャンダルが報道される)ことは、彼が演じる「役」のイメージに少なからず影響を与えるわけです。


やはり、なんらかの権威が身体化された職業は、個人としての自由が束縛されます。

一番端的な例が、首相の靖国神社参拝の問題でしょう。

公人として、とか、私人として、とか議論になりますが、これもその人の立場とその人の人格とを、分離すべきなのか統合すべきなのかという問題ですよね。

それを考える相手が大人ならまだしも、子どもの場合はそれが感覚でストレートに出ますから。


悪いことをしてるわけではないんだけど、学校の近くではあんまり飲み過ぎないように、気をつけよぅっと。

私は、もっともっと歴史教育が取り沙汰されていいのではないかと思っています。

歴史ほど、人為的に作り上げられ、社会的に大きな影響をもつものはないと思っているからです。

だからこそ、これまでここのブログでいろいろ述べてきたわけです。


ただ、勘違いしてはいけないのは、あくまで教育は子どものためにあるということ。

子どもが社会のなかで最大限に自己実現できることが第一目標です。

子どもが社会とどのようにかかわりをもっていくか、そのためのスキルを養わなければならないというのが、私の考えの前提にあります。

しかしその一方で、子どもの自己実現ということを短期的な目で見たとき、やはり最低限の教養としての歴史教育は捨てきれないものであると思っています。


子どもの目の前に最大の課題として立ち上がるのは、やはり「受験」でしょう。

「受験」が変わらなければいくら学校が変わっても意味がない、という意見もあるほど、「受験」というのは大きな意味を持っています。

(だからこそ、大学をはじめとした学校が「受験」としてどのような学力を求めるのかということが、社会的な責任を負うことをもっともっと自覚しなければならないと思います)

「受験」において、学習指導要領なり教科書なりに記述された「歴史」というのは、子どもが進路を選択するうえで学ばなければいけないもの、最低限の教養であるわけです。

「受験」のためであると同時に、日本で公教育を受けたものに共有されている教養でもあります。

やはり「知らない」ことが「恥ずかしい」ことにつながり、教養はその人の人間性の一部として評価されるという現実を見たとき、最低限の教養というものはやはり必要なのだと思います。

子どもが将来の人生を歩んでいく際、学校を選択する幅を広げる「受験」のための教養、社会に出たときにすでに共有されている「教養」、このふたつの意味で、歴史教育において「最低限の教養」を養う義務があると思います。


この意味での「教養」は、必ずしも学校教育における歴史教育だけに規定されているわけではありません。

学習指導要領が何度変わろうとも、なぜかどこかに維持されている一般常識、先ほど述べた「最低限の教養」は、それほど変わっていないようにも思います。

現行学習指導要領での教科書記述を嘆く声が多いのも、そして最終的な「受験」に必要な教養の範囲がそれほど変わらないのも、厳然としてどこかに誰かが構築した「最低限の教養」「一般常識」としての歴史像があるような気がするのです。

これはおそらく、塾産業において再生産されてきた側面が大きいのではないかと思っています。

(そういった意味では、教育学はもっと塾産業を研究対象に据えなければいけないと思います)


また、もっと違った意味では、「三国志」「信長の野望」に代表されるような、ロマンとしての歴史というのも存在します。

歴史小説や歴史を題材にしたマンガは、近年の多チャンネル化もあってか、増加傾向にあるような気がします。

これはこれで、ひとつの立派な歴史像であり、決して低俗なものではありません。

学校で教えられる「最低限の教養」としての歴史像に対置される、ひとつの歴史像でもあると思うのです。


このような、歴史像の「多チャンネル化」が起こっている現在、学校教育で養わなければならないのは、こういった様々なイデオロギーに染められた「歴史」に対して、どのように接し考えてゆけばよいのかという、そういう意味でのスキルなのではないかと思っています。

(そのスキルのなかで重要な意味をもつのが、「国家」を中心に据えた歴史像であると思っているのです)


結論。

中学校の歴史教育においては、以下の2点を学ばせなければならない。

(1)「最低限の教養」「一般常識」としての「歴史」を認識すること(知識・理解/目に見える学力)

(2)「歴史」に接していくための基本的な考え方、スキルを獲得すること(思考・判断や技能・表現/目に見えない学力)


したがって、教科教育学としての社会科教育学においては、

(1)「最低限の教養」「一般常識」としての「歴史」の内実を明らかにすること。その教授の内容や方法について検討すること。

(2)「歴史」に接していくための基本的な考え方、スキルとしてどのようなものが考えられるのか、これまでの先行研究を踏まえながら構造的に、また臨床的に明らかにしていくこと。

が必要であると思っています。


ずいぶんおおざっぱな話ではありますが、ひとまず自分の方向性を示すメモとして残させてください。