近年の歴史教育をとりまく状況を考えてみたとき、「新しい歴史教科書をつくる会(以下つくる会)」が与えた影響は非常に大きいものといえます。
彼らの主張を端的にまとめれば、現在の子どもたちの公共性のなさを憂いつつ、その公共性を国家に還元し、自分の国に誇りを持てる歴史が必要であるとします。
そのうえでこれまでの近代史教育、特にアジア太平洋戦争での日本の加害を中心として描かれてきた歴史像を自虐史観として批判し、近代史の歴史像を再編成しようとしています。
問題は、彼らの主張がもっている歴史認識としての危険性はもちろんとして、むしろ彼らの主張が人口に膾炙しはじめているという点にあります。
小熊英二によれば、それは決して特殊な人々の特殊な思想なのではなく、「ある種の不安と空虚さを抱えながら、いわば束の間の開放感と安定感を求めて、『「歴史」という居場所』『「日本」という居場所』に群れつどう『普通の市民』たちの姿」 (小熊英二 上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究』慶應義塾大学出版会 2003)なのです。
この「つくる会」については、これまで主として三つの観点から議論が行われてきました。
一つは「つくる会」教科書がはじめて検定を通った際に行われた、教科書記述の内容に対する批判と分析です。
これについては主として歴史学の立場から、歴史学で蓄積されてきた研究成果からの批判が行われました。
しかしこの種の批判は、そもそも現代人の公共性の欠如とそれに対する処方箋としての歴史叙述を求める「つくる会」の主張に対しては、必ずしも有効ではありませんでした。
彼らはむしろ、知識人により作られる科学的な歴史像に対して反発し、自分たちが必要であると考える歴史叙述を選択し、ないしは作り上げることを主眼としていたからです。
二つには教科書の不採択運動です。
歴史教育者協議会によるもの、各教育委員会、学校単位などで行われる教員や市民運動などが挙げられます。
これについては採択初年度はもちろん、今年も行われてきました。
これらはある種の教育改革運動といってよいでしょうが、その一方で学問的観点からの批判ではありませんでした。
三つには教育学ないし教科教育学など、学問の立場からの批判・分析です。先に述べた小熊のものが代表的ですが、十分な研究蓄積があるかといえばそうではありません。
2005年現在を考えてみると、教科書の不採択運動などはあるものの、「つくる会」の活動や思想に対する学問的批判や分析などはほとんど行われていないといってよいでしょう。
しかしその一方で、彼らの活動全般が教育界、とくに歴史教育のもつ意味に対して与えた問題は、決して小さなものではありません。
むしろ、歴史教育の根幹にかかわる部分にかんしてパラダイムの転換をすることが求められているのではないかと考えます。
これから、「つくる会」の問題が歴史教育に対してどのような問題を提起したのか、そしてその問題を解決するためにどのような歴史教育を行えばよいのかということについて検討していきたいと思います。