夜、軽く飲みに繰り出していたのですが、帰りがけに会ってはいけない人に会ってしまいました。
そう、勤務校の生徒です。
どうも彼らは塾帰りだったようですね。
「あっ」という声とともに、きょとんとした目で私を見つめてくれました。
生徒にしてみたら、思いもかけない場所で思いもかけない人に会ったという感じなんでしょうね。
大体どこで会うにしても、大抵の子はきょとんとしてます。
学校の先生は大変ですね。
素の自分をそうそう子どもの前でさらし出すわけにはいきません。
学校というのはきわめて特殊な空間ですから、そうでない場所での遭遇というのは、先生が先生でなくひとりの人間だという奇妙な感覚を子どもにもたせるのではないかと思います。
日常と非日常の対照といったら言いすぎでしょうか。
子どもにとって先生でない先生を見てしまうことは、ある意味学校で作り上げたさまざまな儀式の意味、学校だけでしか通用しない価値観を壊してしまうことにつながりかねない。
まわりくどい言い方になってしまいましたが、要は、子どもが先生を先生としてみてくれなくなる可能性があるということです。
教師は「役者」でもある、ということも昔書いたような気がします。
「役者」の素の姿に出会う(例えばワイドショーでスキャンダルが報道される)ことは、彼が演じる「役」のイメージに少なからず影響を与えるわけです。
やはり、なんらかの権威が身体化された職業は、個人としての自由が束縛されます。
一番端的な例が、首相の靖国神社参拝の問題でしょう。
公人として、とか、私人として、とか議論になりますが、これもその人の立場とその人の人格とを、分離すべきなのか統合すべきなのかという問題ですよね。
それを考える相手が大人ならまだしも、子どもの場合はそれが感覚でストレートに出ますから。
悪いことをしてるわけではないんだけど、学校の近くではあんまり飲み過ぎないように、気をつけよぅっと。