前回に引き続き、「つくる会」についての私の考えを述べさせていただきたいと思います。
「つくる会」に限った話しではなく、「歴史を認識することの意味」についての話になります。


monoyaomouさんは「つくる会」の問題を「外交問題」だとおっしゃいます。
確かにそういう側面は、彼らの歴史叙述が引き起こした「外交問題」が存在するわけで、事実であるといえますし、そういった観点から問題を考えていくことも非常に大事です。
しかし私は、「日本」がどのように「歴史認識」を行っていくのかということが問われ、それを「日本」自身の問題として考えなければならないという意味で、「外交」の問題ではなく、「日本」の「歴史認識」の問題であると考えます。


以前から繰り返し述べていますように、「歴史」というのはどんなに中立的であろうとしても、なんらかのイデオロギー(ないし歴史観)を含みこんでしまうものです。
これまでの歴史学における歴史叙述においては、最低限の「ルール」がありました。
それは、歴史学の学問的方法に則って、科学的、実証的な史料批判に基づいた歴史叙述をするということです。
自己の歴史観を自覚し、主観の入る余地を最小限に限定しながら、歴史叙述を行ってきたはずです。
歴史家がある歴史的事象を研究の対象とした時点でイデオロギーに脚色された歴史叙述になってしまうのですが、そこからできる限り客観的であろうとした結果、微に入り細を穿つ歴史学研究が生まれてきたともいえるのかもしれません。
これは、戦前戦中の「皇国史観」に対する反省、「歴史」がイデオロギーに利用されたことに対する反省が、戦後すぐの歴史学で強調されたことに端的にあらわれているということができるでしょう。
その流れが現在でも継承されていると見ることができると思います。


ところが「つくる会」の歴史叙述は、これらの「ルール」をひっくり返してしまいました。
歴史学という既存のアカデミズムへの批判が彼らの思想の根底にはあり、極論を言えば、「日本に誇りを持つ」という最終目標=ストーリーさえ達成できれば歴史学の成果は無視してもよい、という発想なのです。
彼らは人々(我々)の手に歴史を取り戻す、というようなことも言っていたように記憶しています。
ですから、「つくる会」の教科書がはじめて採択されたときに展開された歴史学者からの一大批判キャンペーンが大きい影響をもちえなかったのも、当然です。(かなりの数の「つくる会」批判の書籍が出版されました)
彼らにとっては、歴史学者から、歴史学の研究方法や研究成果から見て不適切な歴史叙述であるという批判は、屁でもない、むしろ再批判の対象であるわけです。
今を生きる人々にふさわしい「歴史」を作り上げることこそが、彼らの目的なのですね。


「つくる会」の教科書での「歴史叙述」、あるいは西尾幹二の『国民の歴史』で描かれる歴史叙述は、断片的には歴史学の成果を当然引用しています。
彼らの「歴史叙述」が特徴的なのは、「日本に誇りを持つ」ということを最終的な目標に据えるため、それらの研究成果を極めて恣意的に編集している点なのです。
最近の議論のなかで、私も記事に書きましたが、「記憶」と「忘却」ということがテーマになりつつあります。
この観点から考えると、「つくる会」の「歴史叙述」は、「日本に誇りを持つ」というストーリーを描ききるために、ある歴史的事実を意図的に「忘却」し、ある歴史的事実を「記憶」する、そのような「歴史叙述」であるわけです。
一般には、歴史学の研究成果を無視して都合よく歴史的事実をつぎはぎしていることが批判されます。


しかし、このことは果たして、ほんとうに悪いことなのでしょうか。
ちょっと記事が長くなったので、続きはまた次回書きたいと思います。