17年間在籍したZIP-FMとの契約満了に伴い、新年度からFM AICHIへの完全移籍が決定した。

 

名古屋のラジオ業界関係者の皆さんは驚いた事だろう。

 

「ZIP-FM」と「FM AICHI」は、言わずと知れた名古屋の2大巨頭のラジオ局。

 

この2局間での移籍は、サッカーでいうところの「レアル・マドリード⇄FCバルセロナ」の移籍と同様に、いわゆる「タブー」とされていた。…が、過去に数名、この2局間を渡り歩いた先輩方はいる。しかし、その全てが1年〜数年あけてからの移籍。

間髪入れずに移籍したのは、今回が史上初。いや〜、なんとも面白いことが起こるものだ。

 

振り返ってみると、全ては「縁と運」だった。

 

2005年、愛・地球博の年。

その年にZIP-FMでデビューし、クラブ系番組を8年間、その後、サブカル特化番組を9年間担当した。

 

「ZIP-FMミュージックナビゲーター」

この肩書きのおかげで本当に順調に名古屋でのキャリアを積むことができた事、感謝してもしきれない。

紛うことなく、今のYO!YO!YOSUKEがあるのはZIP-FMのおかげだ。

 

感謝と言えば、当時21歳という、何もない、勢いしかない若造だった自分に目をつけ、拾ってくれたZIP-FMのSさんには一生をかけても返しきれない恩がある。17年経った今、ZIPを離れることで恩返しができなくなる…それがとても心残りだ。

 

それ以外は本当に悔いのない17年間だった。

 

ZIPに入った当時、音楽の知識もほとんどなく、サッカーの知識以外なにも取り柄のない自分。

それに比べ、当時のナビゲーターはほとんどが帰国子女。自分は、留学1年のつけ焼き刃イングリッシュ。

 

そんな強者揃いの中で、いかにして生き残っていったらいいのか??

そう考え、辿り着いたのが…「他の人がやらないジャンルを開拓する」ということだった。

 

「ラジオDJ=音楽が詳しい」がスタンダードの中、「知らないものは知らない。正直に、オープンに。そのジャンルと向き合い、学んでいくスタイル」これしか自分にはないと思った。

 

クラブ番組を担当していた時は、週7日クラブへ通い、クラブ系のアーティスト・DJ・イベンター・関係者に番組に来てもらったり、一緒に浴びるほど酒を飲んだり、踊ったり、バカやったり…と、とにかく仲良くなったし、楽しかった。

そのおかげで、名古屋にクラブ系アーティストがキャンペーンにきた時は「ZIPのYOSUKEの番組に出る」が通例になっていった。Zeebra、KREVA、RHYMESTER、AK-69、m-flo etc...とにかく今やレジェンドといわれるクラブ系アーティストと邂逅できたことはまさに財産と言える。こんなに嬉しいことはない。

そして何より運が良かったのは、SEAMOさんの存在だ。

ZIPデビューの年にSEAMOさんは再デビュー。自分の番組内にレギュラーコーナーを3〜4年間受け持ってくれた。

彼の存在のおかげでクラブシーンにスムーズに溶け込むことができたし、しゃべり手の自分よりトークは面白く、アーティストなのに、若造な自分に対してトークの部分でものすごくライバル視してきたりと。おかげで毎週ヒリヒリした緊張感の中、必死に「俺の方が面白くなってやる!」と、食らいついていったことを今も鮮明に覚えている。

その間、SEAMOさんは紅白歌合戦出場、日本武道館ライブ成功と、まさにアーティストがスターダムに登っていくさまを傍で見られたことも幸運だった。

そして時は過ぎ・・・。

 

クラブ系ミュージックがZIPの至る所でかかるようになり、しゃべり手もクラブDJやレゲエDJなど、そのシーンの本物が現れ始めたので「自分の役目はもう終わった」と感じるようになった。

 

そんなタイミングに、次の出会いが現れる。

 

ZIP-FMが「若年層対策」として立ち上げた「アニソン・アイドル・動画系アーティストに特化した番組」との出会いだ。

学生時代、声優を目指していた自分にとって、初めて「仕事でアニメに関わること」ができるようになった。

しばらくクラブ通いばかりしていた自分は、アニメ鑑賞からだいぶ離れてしまっていたので、まずは最初の2年間とにかくアニメを観まくった。番組自体も他の番組では呼ばないようなアーティストや、かからないような楽曲を扱い、数字には表れてこなかったが手応えは感じていた。ちなみに今となっては時の人となった「LiSA」も彼女にとって初のラジオレギュラーは自分の番組だった。

・・・がしかし、無情にもその番組は2年で打ち切りとなってしまった。

 

これでZIP-FMから再び「アニメ特化番組」とYO!YO!YOSUKEが姿を消すはずだった…が、それを救ってくれたのがMプロデューサーだった。

過去20年以上扱ってこなかった「アニソン」は、当然ZIP-FM内部に理解がある人も少なく、唯一番組を担当していたM氏だけが「アニソンの可能性」を感じてくれていて、首の皮一枚で番組を存続させてくれたのだ。

 

ただ、元々の金曜の夜の2時間枠から、月曜のド深夜1時間という枠に移動となり、まさに「窓際」での存続となった。

「ああ・・・普通に番組やるだけだと、確実に1年で番組は打ち切りだわ。」と確信した。

 

東京では当たり前となっているアニメ・アニソンの盛り上がりを、ここ名古屋でも目の当たりにすれば、何か変わるかも知れない…。そこで仲の良いサンデーフォークH氏に「名古屋でアニソンライブイベントを開催したいです!」と伝えたところ…「よし!やってみるか!」といってくれたのだ。

これによって誕生したのが「ナゴヤサブカルスーパーライブ(通称:ナゴライブ)」だ。

 

ここでもまた運が炸裂する。

 

クラブ番組時代、SEAMOさんともう1人、番組でレギュラーをもっていたアーティストがいた。

それが、当時R&Bアーティストだった「中林芽衣」こと、今やアニソン業界で知らない人はいないアニソン界の歌姫「May'n」ちゃんだ。

クラブ番組当時以来ずっと仲が良かったおかげで、第1回ナゴライブにトリで出演してもらい、大盛況となり、見事興行を成功することができた。この成功が、ZIPの上役の目にも届き、番組は徐々に拡大していくことができたのだ。

 

いまでも覚えているのが、ZIPはアニソンレーベルとのつながりが皆無な為、オンエア用のサンプルCDが届かない。

この状況をなんとかしたいと思い、単身東京のアニソンレーベルにアポを取り、ルートを開拓しにいき、今では無事サンプルが届くようになった。

アニソンアーティストも、当時はなかなか名古屋のラジオ番組に出る枠がなく、自分だけが「来てくれてありがとう!嬉し過ぎます!」と受け入れていたおかげで、「名古屋でキャンペーンといえばYOSUKEの番組」となってくれた。

それから毎年ナゴライブも行い、大好きなアーティスト達と共演し、名古屋でアニメ・アニソン文化を徐々に確立していくことができていった。

 

ここ近年はコロナ禍により開催できずにいたわけだが、その反面、「アニメで名古屋を盛り上げたい!」という思いがより強くなり、自ら旗揚げした「ナゴヤアニメプロジェクト」が、遂に2021年、ナゴヤアニメ第1弾作品となる「シキザクラ」を全国放送するまでに至った。

 

そうこうしているうちに、昨年ごろからZIP-FMの他の番組でも「アニメ・アニソン」をよく耳にする機会が増えてきた。

それは単純にアニメを嗜好する若い世代のしゃべり手やディレクターがZIPに増えたことと、ZIP-FM自体がより若者に目を向け始めたことで、アニメ・アニソンを発信する機会が多くなってきたのだ。

 

それに比べ、昨年で40歳を超えた自分は「若年層対策」となる番組を続けるには少々年齢が離れ過ぎている…いわゆる限界を感じ始めていた。

それに、アニメだけではなく、もっと大枠でとらえた「エンタメ」という視野で新たな動きを模索し始めている自分がいることも実感していた。

 

そんな折、ZIP-FMより「今年度いっぱいでの契約満了」が告げられたのだ。

これは天啓だったのかも知れない。

 

17年という歳月が流れゆく中、たくさんの経験、出会いをさせてもらった。

正直ここまでZIP-FMで続けられるとも思っていなかったし、いつまでも居たいとも思っていた。

 

だが、この辺りが潮時だったのだ…そして、また運と縁が巡ってきた。

 

以前から仲良くしている業界関係者から「FM AICHI」でのパーソナリティの話が舞い込んできたのだ。

 

一度は迷った。

長年お世話になったZIP-FMに対し、間髪入れずにライバル局へ移籍するのは不義理なのでは?

まずは1年ラジオから離れて、再来年度に向けてアプローチするのがベターなのでは?と。

しかし、こうも思った。

YO!YO!YOSUKEというコンテンツを1年寝かしてしまって、本当にいいのだろうか?

名古屋を盛り上げる存在にもっともっとならなきゃいけないのに1年間とはいえ、止まってしまっていいのだろうか?

それに、すぐ移籍って・・・誰もやったことないし、面白そうじゃん!と・・・。

 

ということで、FM AICHIのパーソナリティYO!YO!YOSUKEになるという決意ができたのだ。

 

ただ、仁義だけは通したかったので、ちゃんとZIP-FMに挨拶にいった。

すると、お世話になった社員の皆さんは快く送り出してくれ、応援もしてくれるともおっしゃってくれた。

不義理を責められる覚悟を持っていたのに、本当に感謝しかない。

 

「ラジオ」が「オールドメディア」と言われるようになり、いくばくか経った。

 

ならば新天地でただただ枠に収まるのではなく、今までの概念にはない、全く新しいアプローチをしていき、新しいエンタメを発信していく。それが僕が今後やるべき、使命であり、ある意味ZIP-FMへの恩返しになるのだと思う。

 

『名古屋をエンタメで面白くする!』

 

これこそが自分にとって人生最大のテーマであり、ゴールだ。

そのゴールに向け、YO!YO!YOSUKEはまだまだやれる。戦える。

このエンタメ不毛の地といわれる名古屋で、死ぬまでエンタメ人として戦い続けよう。

 

ラジオだ、テレビだ、という垣根を超越した存在に、もしくはそういった存在を作り、名古屋 to Worldを成し遂げたいと思う。

野望はまだまだ枯れてはいない。

 

奇跡に近しい嬉しいニュースだ。

 

まずはこちらの記事をご覧いただきたい。

↓↓↓↓

2021年秋アニメ、“いま”一番推せる作品は? 3位「鬼滅の刃」、2位「シキザクラ」…トップは原作ファンからも熱い支持!

 

この「アニメ!アニメ!」はYahoo!とも連携するほどの最大手のアニメ情報プラットフォームの一つで、アニメファンにとっての信頼度はかなり高い。

 

そんな最大手サイトで一時的とはいえ、我々のアニメ『シキザクラ』が『鬼滅の刃』などを抑え、堂々の2位となったのは、奇跡であり快挙としか言いようがない。

 

おそらく多くのアニメファンが・・・

 

『シキザクラ?なにそれ?』

 

だったことだろう。

まさにダークホース、大穴といった存在だ。
 

他の作品は原作があったり、有名な声優、制作会社など、元々期待値の高い作品がこの秋クールは目白押しだった。

その中にあっての2位は快挙中の快挙というしかない。

 

昨今の深夜帯アニメは1クール(3ヶ月間)で、60〜70作品が同時にスタートする。まさに熾烈なデッドヒートだ。

本命と謳われていた有名な原作がある作品でさえ、なんの話題にもならず埋もれて終わることもしばしば。

 

その中で、1位ワールドトリガー、3位鬼滅の刃という大人気&大本命のジャンプ作品に挟まれTOP3に入ったのは、まさにダークホースが巻き起こした奇跡なわけだ。

 

4位以下も錚々たる作品ばかりであるコトを考えると、なんで「シキザクラ」が2位に入り込めたのか?

 

・・・が気になるところだと思う。

 

1クール70前後ある作品のうち、90%以上が首都圏から生まれたアニメだと思われる。なんならシキザクラ以外の作品は多分全てそうなんじゃないかと思う。

それが王道であり「横綱」な戦い方だ。

 

そんな多勢に無勢の中、シキザクラが戦えている唯一の理由は・・・

 

「シキザクラに関わった人たちと地元の人達の熱量」

 

でしかないと、自分は思っている。

 

 

10月からの放送開始に先駆けて、出演声優たちが自分たちの足で東海エリアの施設や店舗にポスターの掲出やフライヤーの設置をお願いする活動を放送中の今も続けている。

アニメイト名古屋さん

放送期間中、店舗前でPR活動をみんなでさせていただいています。

 

三洋堂梅坪店さん

三洋堂さんは、東海エリア全店舗で大々的に展開していただいています。

 

名古屋グランパスさんではホームゲームでPRをさせていただきました。(中央は太田豊田市長)

 

岡崎の武将隊の皆さんにも応援いただいています。

 

名古屋市内のデイサービスさん

大須のパデル名古屋さん

声優・茉白実歩の母校NSMさん

結婚式プランナーオリジナルあいさん

 

 

などなど、ここには載せられきれないくらい多くの企業、施設、行政機関、書店、店舗さんにご協力をしていただいている。

 

もちろんSNSでのPR活動も手を抜かず発信を続けているが、こういったPR活動を通じて、そして、今回の2位という結果を踏まえて改めて思うのは結局「アナログが大事」だということだ。

 

コロナ禍で人と接する機会が減り、デジタル化によりどんどん簡素、簡略化が進む時代…そんな時代だからこそ、手間やFACE TO FACE、人と人との繋がりがとても大事なのだ。

 

 

今回、自分が掲げたPR活動の理念は…

『みんなが面倒くさがることをやろう!』

だった。

 

 

SNSで「シキザクラ見てください!」ってUPすれば、おそらく数十人〜数百人は目にしてくれるだろう。

 

でも、果たしてそこに「熱」はあるのだろうか?

 

答えは「NO」だ。

 

「熱をつくる」「思いを感じてもらう」のは「面倒くさいこと」でしか作れない。

人の心を掴むということは、簡素・簡略の中にはない。

と自分は確信していた。

 

だからこそ、面倒くさいこと=誰もやらなくなった事をやってみたら、受けた側の心に届くのでは!?

そう声優たちに訴え続け、彼らもそれに呼応し、日々本当に一生懸命前向きにPR活動に励んでくれている。

そんな彼らに心からリスペクトを贈りたいと思う。

 

 

そもそも「シキザクラ」という存在自体、形成している主成分が「情熱・想い」なのだ。

 

 

5年前、知識や経験などは一切なかった我々に唯一あったのは「ナゴヤにアニメの文化・産業を根付かせ、ナゴヤをもっと楽しい、みんなが魅力を感じる地域にしたい!」という想いだけだった。

 

そこにサブリメイションの知恵と技術、人脈が加わった。

そんな彼らでさえも今回の「シキザクラ」に対する想いは相当で、おそらく捻出された予算以上の想いと時間をかけて死に物狂いで取り組んでくれている。

 

そして、「シキザクラ」の影も形もない頃から応援し続けてくれているプロジェクト会議のメンバーたち。

シキザクラの製作が始まり、関わり出していただいたアニメ製作関係者の皆さん。

そして、自分の無謀とも言える挑戦に応援をし続けてくれている先輩、友人、後輩たち。

 

そんな今まで出会ってきた人に加え、放送開始とともに実感したのは・・・

 

地元のアニメファンの皆さんが

「名古屋から発信されるアニメを求めていてくれた」

ということだった。

 

さらには、地元企業も我々が存在と活動を届けられていなかっただけで、地元のコンテンツをずっと探していた。というのだ。

 

 

そんなアニメ「シキザクラ」が始まったことで、より強く実感したことが2つある。まず一つは・・・

 

 

 

「みんな地元が大好きなんだ」

 

 

 

ということだった。

これは本当に意外だった。

正直、シキザクラが放送されるまでは、みんなが冷ややかというか、興味ない…というような空気や向かい風ばかりが吹き荒れ、みんなが成功か失敗かだけを静観している…そんな感触を勝手に感じていた。

ま、本当にそうだった相手も少なからずいるのも事実だが。

 

 

だが、そうじゃなかった。

 

 

本当に嬉しい誤算だった。

 

 

 

 

そしてもう一つは・・・

 

「ホンモノであればクチコミの波に乗り、全国に届く」

 

ということだ。

 

 

今回のシキザクラは作品自体は無名だが、クオリティだけは他の全国アニメと引けを取らない技術と内容になっている。

 

サブリメイションの3DCG技術、脚本の永川氏のストーリー構成、K&Kのキャラデザ原案、プロップデザイン、そして東海サウンドのこだわり抜いた効果音の数々、絶対音感の持ち主斎藤氏による劇伴などなど、アニメファンにはまだまだ知る人ぞ知る知名度でも、クオリティは疑いようのないほどに全国トップレベル。

さらに広告もしっかりと予算を割き、全国で有数のアニメ宣伝会社アクアアリスにお願いをし、コミックを双葉社が月刊アクションで連載をしてくれたりと…名古屋発でありながら全国区、世界規模のPRを届ける事ができている。

 

 

それに加え今の時代は何より「クチコミ」が最大級の広告となる。

 

公式がどれだけ予算を積んで「SNS」で告知を打っても作品がホンモノでなければ泣かず飛ばずになる。

 

ここで一番大事なのは…ただの一個人のたったひとつの…

 

「シキザクラ、おもしろいじゃん」

 

というSNSでのつぶやきだ。

この一滴一滴が大きなうねりとなり、大河となっていくのだ。

 

 

とあるプロモーションの天才の先輩がいっていた。

 

 

「いまは広告の時代ではなく、クチコミの時代。その時に一番必要なことは、それが本物であるかどうか。」

 

ということらしい。

 

 

まさに、「シキザクラ」にそれを感じる。

 

 

放送が始まってからとにかく「#シキザクラ」でエゴサをすると心ないコメントに吐き気を催すこともあるが、大方いい評価をいろいろなアカウントの方達がつぶやいている。

 

もちろん地元の人かどうかはわからないが、中には…

 

「地元が舞台のアニメじゃん!それも面白い!シキザクラいいね!」

 

というコメントも多く見られる。

 

ということは、地元の人たちにも「シキザクラ」を認めてもらいかけているということだ。なんとも嬉しい限りである。

 

 

 

そういった要因たちが重なり、今回のダークホースが起こした奇跡的快挙につながったと思う。

 

 

おそらく内訳は到底わからないが、地元票が大いに影響しているだろう…でも、それでいいんだと思う。

 

 

地元の人が全国、世界に誇れるモノを我々は地元で産んで、発信しているんだから。

 

 

「シキザクラはナゴヤにありながら全国区のクオリティのホンモノであること」が皆の中に届けば、それが一番嬉しい。

 

 

これこそがナゴヤアニメプロジェクトの根幹であり、本望なのだから。

 

 

 

この一時に喜びを感じつつも、世の中がそんな簡単なモノではないことも重々承知している。

 

だからこそ、今やれることを地道にコツコツ、そして時には大きくナタを振ってやってやろうと思う。

 

 

 

来年には愛知県にジブリパークも開設する。

 

 

まだまだナゴヤは捨てたもんじゃないことを引き続き証明してみせようと思う。

 


まだまだエンタメの可能性がある街、ナゴヤ。

愛する人たちともっともっと盛り上げていこうと思う。

 

そして、いつかエンタメ企業がもっともっとナゴヤに増えてくれる事を願っている。

 

 

 

まずは、引き続きアニメ「シキザクラ」をどうか応援よろしくお願いします。

 

 

p.s.コミックスも販売しているので、コチラも是非!

 

 

 

遂にTVアニメ「シキザクラ」が中京テレビにて放送がスタートした。

さらにはHuluなど配信サイトで全国配信スタートだ。

 

大いなる第一歩をやっと踏めた中、一番込み上げてきた気持ちがあったので、ここに綴ってみる。

 


今から4年8ヶ月前の2017年1月18日。

この日から僕らのプロジェクトは始まった。

 

「旧名:ナゴヤアニメ創生計画第8特務機関」こと「ナゴヤアニメプロジェクト」

 

この年の年末年始。

膝の「前十字靭帯と内側半月板」の手術入院をし、その時たまたま病床で見つけたネットNEWSが・・・

 

『CGアニメーション会社サブリメイションが名古屋にスタジオを開設』

 

・・・だった。

 

足は動かずとも心と手は動いた。

サブリメイションの公式HP「問い合わせ」にダメ元でメール。すると、翌日には返事がきて「会いましょう!」ということに。

 

そして、会ったのが運命の日。2017年1月18日だった。

 

そこにはサブリメイションの他に、サブリメイションを名古屋に誘致する際に尽力された名古屋のデザイン会社「K&K」の取締「川上博氏」もいた。

 

そんな初めて会うメンバーに松葉杖で行った自分は、もうこの日に全ての想いをブツけ「名古屋からアニメを作るプロジェクトをやりましょう!」と呼びかけた。

それに快く「やりましょう!」と応えてくれたサブリメイション小石川元社長、須貝現社長、K&K川上氏、本当に感謝しかありません。改めてありがとうございます。

 

 

その時の自分は、東海エリアを中心に活動する「一介のアニメ好きタレント」でしかなかった。

多少、アニソンライブイベントを主宰したり、アニメ特化のラジオ番組をやったりはしていたが、あくまでタレントの延長線上。

アニメを「事業・ビジネス」として向き合うというより、「ただのアニメファン」といった印象だった。

 

だからこそ、「表向きのアニメ」しか知らないし、わかっていなかった。

そんな中、アニメ業界で戦っている「サブリメイション」と知り合え、今のアニメの内情や現状、表には出ない深い情報を根掘り葉掘りとにかく聞かせてもらった。

最初はただのアニメファンとしての優越だったが、すぐにそれは戦うための武器を磨くような意識へと変わっていった。

 

聞けば聞くほど、自分は「アニメの本当の姿を何も知らないんだ」ということを痛感した。

 

まず、戦々恐々としたのが「深夜アニメの1クールの平均予算」だ。

 

 

 

皆さんはご存知だろうか?

 

 

 

当時の「平均予算」は・・・約2億円だそうだ。

 

あんなにもバンバン深夜に放送しているアニメがなんと平均2億円…初めは全く信じられなかった。知らないからって嘘を言われているんじゃないか?とさえ疑っていた。

 

が、どうやらそれは本当であり、また今では平均がさらに上がり、2〜3億円だそうだ。

 

 

何をするにも、先立つものが必要なのは世の常。

 

 

その金額たるや、一介のタレントがどう足掻いてもどうにかできる次元ではない。

これは早速、予想外の大きな壁が一歩目からそびえ立った。

 

 

ただ、日本国内でもかなり立派な経済圏でもある「名古屋」であれば、東京のように「アニメを常套ビジネス」にすることもできるポテンシャルは絶対にあると思う。

・・・いや、思っていた。

 

 

が、それがこの上なく難しいことを名古屋とアニメビジネスを知れば知るほど判明していった。

 

 

その大きな理由の一つが・・・「名古屋にアニメコンテンツを使用したビジネスができる企業がほぼない。」ということ。

 

昨今のアニメは「製作委員会」というものが組まれる。

簡単にいうと、アニメを1作品作るのに対し、売れるか売れないかが未知数の初期段階で「出資金」を投じる会社たちのことだ。

主に「製作委員会」に参画する企業は「アニメ制作会社」「レコード会社」「DVD/BD販売会社」「出版社」「パチンコ・パチスロメーカー」「ゲーム会社」「グッズ販売会社」「配信系会社」など。

いわゆるアニメが放送されることでビジネスになる会社ばかりということだ。

 

さて、名古屋に上記のような企業があるだろうか?

 

 

答えは、ほぼない。と言えるのではないか?

 

名古屋は大きな経済圏だが、こと「アニメ」・・・いや、広義で、そもそも「エンタメ」に従属する企業が「ほぼない」ということに気付かされたのだ。

 

 

これは、大きな壁にさらに「向かい風」が吹き荒れた。

 

 

そんな中、我々の無謀とも言える挑戦に最初に呼応してくれたのは…中京テレビ「河原氏」だった。

 

彼は7年前くらいから『2020年東京オリンピックがある時、名古屋はサブカルでインバウンドすべき』と語っており、名古屋に「アニメ」がまったく浸透していない頃から、自分の話、自分が収集した情報に常に興味を持ってくれていた。

 

そして、「プロジェクト」が発足したことを報告すると、自社の配信アプリ「Chuun(現:Locipo)」にて、プロジェクトに密着する番組「ナゴヤアニメプロジェクト」を立ち上げてくれた。

 

立ち上げ当時、第1回の配信では、自分が「アニメの影も形もないです!」と開口一番言っているのだが、本当にそうだったから今思うと笑うことしかできない。

決して、全てが先が仕込まれてて始まった番組ではないというのだから。

 

そして、先日9月をもって配信は一旦終了を迎えた。結局その当時始まった番組で唯一4年半も続き、生き残った番組は我々の番組だけだった。制作スタッフの鬼頭さん、猪原(よしお)、放送作家ハマちゃんなど、いまでは腐れ縁の戦友みたいになった。感謝しかない。ありがとう。

 

 

中京テレビも自社制作アニメはもちろん、深夜アニメも流したことのない唯一のテレビ局であったため、在名のテレビ局の中でも「アニメ」へのリテラシーは正直高くない局だったにも関わらず、河原氏は内部への情報提供や新規事業としてのアニメへの着手など、とにかく孤軍奮闘戦ってくれた。

そのおかげで、「シキザクラ」の製作委員会への出資も決めていただけたわけだ。

いまでは「シキザクラ製作委員会」の主幹事窓口として奔走してくださっている。

本当に感謝しかない。ありがとうございます。

 

 

そして、自分がだれよりも感謝と尊敬をしているのが、パチンコ・スロットの遊技機施設「玉越」の髙木社長だ。

彼は、帰国子女でありスポーツや音楽にも明るく、名古屋にいながら現状のビジネスでの成功だけでなく、多岐にわたる事業を興されている実業家だ。

特に名古屋にあって「エンタメ事業」にも精力的で、愛知県の大型音楽フェス「WIRED MUSIC FES」も共同開催されていたりと「名古屋を面白い街に」という想いを持ってくださっている数少ないエンタメ事業従事者なのだ。

 

そんな彼を知人からご紹介いただき「名古屋からアニメを作り、名古屋を盛り上げたい」という情熱をお伝えしたところ、彼は「アニメの可能性」をすでに感じていたのだった。

 

そのおかげで、我々の取り組みにもとても興味を示してくださり、多方面においてとてつもない尽力をいただいた。

 

まずは、ナゴヤアニメの聖地「KDビル」の誕生だ。

 

名古屋市の天白区に地上3階、地下1階のビルがあり、そこのオーナーになっていただいたのだ。

そして、我々「K&K」「サブリメイション」「TYK」は、そのビルで日夜アニメ事業に従事している。

まさしく「KDビル」はナゴヤアニメの聖地といえる存在だ。

 

 

そして、なんといっても「シキザクラ製作委員会」への参画だ。

自分も法人化し4年目。

とにかく経営者として未熟すぎる自分は、ことあるごとに彼を師と仰ぎ、たくさんのマインドとメンタルコントロールを教えてもらった。

 

彼がいなければ、「ナゴヤアニメプロジェクト」も、「シキザクラ」もこの5年で成果を出せなかっただろう。

心の底から感謝しかない。ありがとうございます。

 

 

さらに名古屋の玄関口「名古屋駅前」にある映画館といえば「ミッドランドスクエアシネマ」であり、そこを運営する「中日本興業」さん。

彼らも製作委員会に参画いただいたのだが、理由は「我々は映画館というハードをもっているが、ソフトはすべて県外のコンテンツ。これからは地元のソフトというものが増えていくことは非常に大事。あとは、夢に掛けたいと思う。」という言葉を役員の方からいただいた時は本当に勇気をいただけた。

その後コロナ禍になり、非常に苦しい時期もあったはずだが、引き続きサポートをいただいており、本当に感謝しかない。ありがとうございます。

 

 

その他、この7年くらいの間、僕の言い続けた夢を馬鹿にもせず、一緒に歩んでくれたり、背中を押してくれたり、時には叱咤をしていただいた東京・名古屋関係なく、公私共に「シキザクラと自分の夢」に期待を寄せ、チカラを貸してくれた沢山の同志の皆さんに心から感謝したい。

 

 

名古屋でアフレコができたのも、そして音効(効果音など)も名古屋でできたのも、全ては「東海サウンド」さんのおかげです。

 

そして、東京の同志たち。

「月刊アクション」連載、コミック出版もしてくれた「双葉社」さん。

 

日本一多忙な宣伝マン前田社長が自分の想いに応えてくれたおかげで、他のアニメと遜色のない素晴らしい宣伝をしてくださった日本有数のアニメ宣伝会社「アクアアリス」さん。

 

いつも名古屋と自分の活動を見届けてくれていて、今回、初の作詞にも挑んでくれたOP主題歌「BELIEVE MYSELF」を歌う妹みたいな存在「亜咲花」。

 

自分の名古屋でのアニメ関連活動の節目節目に必ずお世話になっているED「シキザクラ」を歌う絶大の信頼感とリスペクトを送りたい、世界の歌姫、盟友「May'n」。

 

そして、なんの形もない頃から有志で集まってくれて、「シキザクラ」につながる多くのアイディアとアニメ愛、名古屋愛を我々に与えてくれた「プロジェクト会議」に参加してくれた「ナゴエイト」の皆さん。

 

 

こういった全ての方々のお力添えをいただき、ここまでこれました。

が、まだあくまで「シキザクラ」は第一歩でしかありません。

我々の目標は「名古屋にアニメ文化・産業を根付かせるコト」です。

 

それにはまだまだ遠く及ばないのも事実。

だからこそ挑戦し続けるしかない。

 

是非、今後とも「ナゴヤアニメプロジェクト」と共に夢に向かって走っていきましょう。

 

その為にも是非ともナゴヤアニメ第1弾作品「シキザクラ」をどうかよろしくお願いします。

 

 

TVアニメ「シキザクラ」公式サイトはコチラ

 

 

TVアニメ「シキザクラ」Hulu配信はコチラ

bit.ly/3mtl16x

 

 

10月に突入。

何気ない日常の中、TYK Promotionは、何気なく大きな変革を迎えた。

 

前回のブログでも報告した声優・タレント養成所「TYK STUDIO」のクローズ。

それに加え、さらにもう一つ「終止符」を打ったモノがある。

 

それは、この2年半、我々、TYKのタレントのアイデンティティとして使用していたネーミング『ナゴヤセイユウ』という名称を先月を以って「一時撤廃」した。

 

 

なぜ?か。

 

 

我々「名古屋からアニメを創生していくプロジェクト《ナゴヤアニメプロジェクト》」からすれば、今月ついにナゴヤアニメ第1弾作品「シキザクラ」が全国放送&配信となる。待ちに待った日がやってきたわけだ。

他者から見れば「まさに順風満帆」に見えるだろう。

 

・・・しかしながら、実際のところ、全く浮かれていない自分がいる。

むしろその逆で「焦燥感と危機感」しかない。

 

 

 

世間は、今やアニメ&声優ブーム。

 

 

ただ、そのビッグウェーブに乗っている「声優」は「スター声優」ばかりで、その人口は、事務所所属から自称声優も含めた「声優という大きな氷山」でいうところの「数%の選ばれた人たち」だけの話であり、その他の声優は「声優だけで飯を食うこと」がほとんどできていないのは「変わらぬ事実」ではないだろうか。

 

「なり手」の数はどんどん増えている割に、結局チャンスをモノにできる「勝ち組」になれるのは、ほんのひと握り。

それもそうだろう。

実力もキャリアもあって、その上でフォロワーもずば抜けて多い「勝ち組声優」と、名前も実力もフォロワーもいない将来性だけの新人声優・・・どちらをビジネスとして起用するか?答えは言わずもがな明白だ。

 

 

こうやって、ほんの数%の声優たちが、今の「声優ブーム」を牽引し、どんどん活躍していく。

 

さらにコロナに見舞われたことで、以前は「午前・午後」で1作品ずつ「出演者全員同時の掛け合いアフレコ」だったのに対し、今は三密を避けるため、個別に時間割りされ拘束時間が短くなり、少人数でのアフレコに移行したケースも多くなったという。

声優たちの拘束時間の短縮で、より一層、有名声優が同時期に多くの作品に出演することができるようになったと聞く。

 

これは、製作委員会など、アニメビジネスをする側にとっては非常においしい話なわけだ。

今まで以上に容易に「有名声優」をキャスティングできるわけだから。

 

しかしだ。

この出来事で憂き目を追うことになったのが「中堅声優」と「新人声優」。

 

今までだったら「スター声優」のスケジュールが空いておらず、その隙間を「中堅&新人」が掴み取り、キャリアとバリューを上げていき「スター声優」の仲間入りをする流れだった。

なのに、最近ではそういったチャンスも「すでに人気のスター声優」の元へと渡っていく。

 

故にチャンスの分母が減り、ブレイクする機会ももちろん減る。

「新たなスター声優」になれる確率は減少の一途だ。

この現象、必ず近い将来「声優業界の危機」になるのではと、危惧して止まない。

 

 

そんな「東京の声優」でさえ、生きる道がより狭くなっている中、「アニメ未開の地・名古屋」にいる声優「ナゴヤセイユウ」が順風満帆なはずもない。

 

 

じゃあ、「名古屋在住のまま東京に進出しよう!」と、動き出すと・・・アニメ関係の中枢にいる大切な友人の1人がこう言った。

 

『東京⇆名古屋が近いとはいえ、往復移動&宿泊で3万円以上かかる新人声優を製作委員会が選ぶメリットって正直ないじゃないですか?』

 

「よし!じゃあ、東京にも拠点をもって売り込んでいこう!」と、動き出すと・・・


『そんな半端なことやっても無理っすよ。声優業界ってガチガチに固まった村社会みたいなもんなんで。やるなら東京一本に絞って本気でやらないと。それでもどうなるかわからないくらいだし。』と。

 

 

もう、袋小路…ほぼ死刑宣告を受けたような勧告だった。

可能性や希望の光を全て閉ざされ、闇の中にドン!と押し込めらた気分だった。

 

でも、不思議とそんな宣告をされても、自分の心から湧き上がる「2つの燃える想い」は消えることはなかった。

 

1つは、『名古屋は絶対に捨てん!』だ。

そもそも自分の残りの命は「名古屋をエンタメで盛り上げること」に捧げると決めている。

 

2つ目は、『じゃあ、それでもやれたら、俺、ヒーローじゃん。第一人者じゃん。』だ。

名古屋の大先輩が教えてくれた「9:1の法則」。万人が「9」を取るなら、自分は「1」を取れ。まさにその精神だ。

 

 

とはいえ、活路が見出せず苦悩していると、同じく友人が今度は・・・

 

『じゃあ、名古屋でNo.1のスター育ててくださいよ。それがたとえ声優じゃなくても、名古屋で超有名になってくれて、そこに販促市場ができているなら、ぶっちゃけ東京の新人声優起用するより、製作委員会メリットが断然あるから、間違いなく声かけれると思う。』と。

 

 

それを聞いた瞬間・・・

 

『これだぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!』

 

と、心の中で叫んだ。

まさに「天啓」を賜ったようだった。

 

 

「名古屋No.1有名人を生む」

 

「ナゴヤセイユウ」を創った当時から、そもそも目指していた「はず」であり、「つもり」だった。

「ナゴヤセイユウ」という概念は、従来の声優業だけでなく、ラジオ、TV、SNSなど、多岐に渡り活躍できる「名古屋No. 1の存在」を目指す存在だった。

 

だがしかし、いつの間にか、自分なりに得た「アニメ・声優業界の知識」により、どこかで「結局、声優になるなら東京にいかなきゃいけないんだ」と思いだしていた自分がいたようだ。

 

そんな頭の中と目の前に立ち込めていた暗雲を一気に払ってくれた天啓は、改めて一筋の光を見せてくれたようだった。

 

「名古屋でNo.1」

 

これはこれで果てしなく困難な道だ。

既存の存在で目指し、追い越すべき存在は「東海オンエア」であり「BOYS AND MEN」だ。

 

 

そんな「一筋の光」が見え、目指すものがハッキリとしたと同時に感じた、「ナゴヤセイユウ」という言葉への疑問。

 

それは「ネーミングの強さ」だった。

 

アニメ「シキザクラ」放映までは「ナゴヤセイユウ」というネーミングは手前味噌だが、すごく素晴らしい名称だと自負できる。

たった2年半だが「名古屋に声優あり!」と名古屋の業界関係者に浸透させることができたし、ファンの方たちにも親しみを持っていただけるところまで育てることができた。

このネーミングを考えてくれた名古屋の業界の先輩「株式会社ワンダーズの岩田氏」に心から感謝を申し上げたい。

 

だが、今後は違う。

現状シキザクラの次となる「第2弾ナゴヤアニメ」が始まるまでの間、既存の仕事(テレビやラジオ、イベントなど)や、SNSでの活動もより精力的に行う必要がある中で「セイユウ」と名乗ることは「大きな歪み」を生んでしまう懸念があるのだ。

 

結局、一般人が「セイユウ」と聞けば、「アニメに声を入れる人」だからだ。

 

もちろん東京のアニメのオーディションを事務所として取ってきたりという努力は最大限するつもりだ。

がしかし、肝心の「ナゴヤアニメ」がまだ影も形もなく、なかなか「アニメに声を入れる仕事」が巡って来なかったら「セイユウ」と名乗り続けていることが所属タレントたちにとっていずれ苦痛になってしまうと思う。

 

それにラジオDJやTVタレント、SNSタレントを中心に活動しているメンバーにとっては「ナゴヤセイユウ」と名乗ることがすでに違和感となってきてしまっているのだ。

 

 

やはり「言葉のチカラ」というのは、とても強いのだとひしひし実感する。

 

 

そんなジレンマから脱却するため決意したのが…今回の「ナゴヤセイユウ」の一時撤廃。

そして「声の表現者」という意味をこめた新たな職業名「ボイスエンターテイナー」だった。

 

 

この命名に込められた想いは、声優やその他の芸能タレントそれぞれの志向性が、広義に当てはまるということ。

「言葉のチカラ」で、やりたいことや可能性を狭めたくないという想いが込められている。

 

もちろん、インパクトは減った。

「ナゴヤセイユウ」の方が言いやすいし、印象に残りやすい。

しかし、今後はそれが「足枷」になると感じた。

今いるメンバーはもちろん、これから出会う新たな才能にとっても、この「新職業名」は必ずや「名古屋No. 1」への第1歩になると確信している。

 

 

とはいえ、第2弾ナゴヤアニメが始動する時には、再び「ナゴヤセイユウ」は復活する。

 

簡単にいえば「ハロプロ」の中の「モーニング娘。」が、「ボイスエンターテイナー」の中の「ナゴヤセイユウ」という概念となるのだ。

 

さあ、「ナゴヤセイユウ」再始動の為にも!

「第2弾ナゴヤアニメ」誕生に向けて、引き続き東奔西走するのみ!!

 

名古屋にアニメ産業・文化を根付かせるのは簡単な事ではないし、時間がかかるのは覚悟の上。

だからこその「ボイスエンターテイナー」という存在なのだ。

 

 

必ずや「ボイスエンターテイナー」が名古屋No. 1を獲ってみせる。

 

 

まずは、兎に角、今週末土曜日から始まるアニメ「シキザクラ」をどうか応援してください。

 

 

 

 

まず、弊社TYK Promotionは大きな転換期をこの2021年10月に迎えることとなった。

 

苦節5年の集大成となる第1弾ナゴヤアニメ「シキザクラ」が10月より全国放送&配信が遂に始まる。

 

正直長いことかかったが、東海エリアで初めての挑戦だったので、感覚的にはあっという間の5年間だった。

 

タレントとして20歳から名古屋で活動を始め、39歳からは「タレント・声優事務所&養成所」として法人化し代表となり、名古屋拠点の地元ヒーローを誕生させるべく後人育成に奔走していると、本当に苦悩ばかりだ。

 

ものづくりも大変だろうけど、「人づくり」はこんなにも大変なのか…と打ちひしがれることばかりである。

 

1人でタレント活動していた方が、よっぽど「楽」だし、今のキャリアのままいけば、それなりに食うに困らない人生を歩めたかもしれない。

 

でも、僕は思った以上に「名古屋が好き」らしい。

 

なぜか馬鹿みたいに「名古屋をエンタメで盛り上げて、面白い街にしてやるんだ!」という炎がメラメラ燃えて燃えて仕方がないのだ。

 

ただ、名古屋という土壌は本当に「エンタメ関連の企業」が少ない。

だから、仲間も少なけりゃ、ビジネスパートナーになれる相手も少なく、ましてや都市として「エンタメに関しての知識・リテラシー」が全くアップデートされていないのだ。

なぜなら「エンタメ」に帰属する企業・人材がいなさすぎて、情報が断絶されてしまっているから。

所謂、ガラパゴス状態、鎖国状態といった惨状である。

 

日本第3都市にして、ものづくり産業の街ではあるが、それはあくまで「衣食住&移動にまつわる生産工業」であって、「娯楽に対するものづくり」ではないのが致命的だ。

 

そうなると「エンタメビジネス」の機運は一向に高まらず、我々のようなエンタメの「0か100か?失敗か成功か?」のビジネスマインドだと「詐欺師」のように扱われてしまう。

生産工業は「モノ」という可視化された物体があり、それの有用性や利便性などに価値がつき、ふさわしい単価と物量が決まり、売り上げが見込める。

 

だが、我々エンタメは「娯楽」という「生活」になくても困らない商品を販売している。このコロナ禍でいえば「不要不急」に該当するモノなわけだ。悲しいかなね。

 

現在、愛知県や名古屋市はベンチャー企業、スタートアップ企業の誘致やサポートに大きくちからを入れている。

が、関係者に聞くと、おおよそが「テクノジーやIT」「教育」「SDGs」関連の企業が対象になることが多いらしい。

新たな起業=ベンチャーの機運も「エンタメ」には向いていないのだ。

理由は、単純に「名古屋の近代」がずっと「生産工業」に支えてもらっているからに他ならない。

ま、生活する人間としては超ありがたい限りだけどね。

名古屋人の大半が「住むのは好きだけど、面白い町だとは思わない」という意見であるのも頷ける。

 

それを踏まえて、3億円以上という莫大な資金を投入しないと出来上がらない「アニメ」をここ東海エリアの企業が出資し、完成まで辿り着き、全国・全世界に発信できるというのは、手前味噌だが「奇跡」だと感じる。

 

出資をしていただいた「中京テレビさん」「玉越さん」「中日本興業さん」「サブリメイションさん」「K&Kさん」には心の底の底から感謝をしております。ありがとうございます。

 

名古屋で実現不可能と思っていたこの「奇跡」も、考えようによっては、「誰もやらなかったから成し得ていなかっただけで、苦労はするけど夢を諦めなければ名古屋でも実現することができる」ということも同時に証明できたなと。

 

 

さて、じゃあ「シキザクラ」できたからって第2弾、第3弾・・・と、ジャンジャンバリバリ作り出せるか?といえば、そこがまた名古屋。どだい無理な話なのである。

 

当然、我々が東海エリアから「アニメ」を作ったことは、色々な関係各社が耳にしてくださっているし、興味は持っていただいている。

ましてや世の中は「鬼滅の刃ブーム」。

TVでは声優を見ない日はないし、コロナ禍で実写の映像が撮りづらいことや、リアルタレントはスキャンダルによって、トラブルになる事も少ないくないため、TV・WEBのCMに「アニメ映像」を起用する作品も多くなっているのも事実としてあるため、確実に時代として「ニーズ」は捉えている。

 

・・・が、「テレビアニメ」となると話は別なのだ。

 

だって、「億単位のお金」が必要になるからだ。

 

 

だから、今の名古屋はどんな感じかと言うと・・・

 

「シキザクラ」がどうなるか?

失敗するのか?

成功するのか?

様子見てからでも遅くないよね。

 

・・・と、誰もが静観している・・・のだ。

ま、これがまた名古屋っぽいよね。苦笑

 

 

さて、そうなると「今の我々」はどうしたらいいのか?

 

まずは、「シキザクラ」を1人でも多くの地元の方に知っていただけるよう、ナゴヤセイユウたちがチラシとポスターを持って、街に飛び出し、店舗や施設で掲出していただく活動をしている。

また、製作委員会を経由し、原作のないオリジナルアニメ=無名なアニメに放送前から興味を持ってもらうための「宣伝・広告」にナゴヤセイユウが出演したりしている。

・・・などがある。

 

 

 

じゃ、「シキザクラ」が終わった後はどうする?

 

 

そう。そこが問題なのだ。

正直、僕は今年に入ってからずっとその焦燥感を抱きながら危機的状況になる前にどうにかしなければ…と、策を練ることに執心していた。

 

 

しかし、その焦燥感は日を追うごとに現実となって足元からやってきた。

大きな原因は「演者たちのモチベーション」だ。

 

シキザクラ全話のアニメアフレコが終了したのは7月。

それにより演者たちに蔓延しだしたのが「次回作がないことに対する不安と不満」だった。

 

ただでさえ、このコロナ禍で「表現の場」を奪われてしまった若手タレントたちは、成長するチャンスも活躍するチャンスもどんどん失っている。

今まではシキザクラがあったから気づかなかったのだろうが、終わった途端、養成所内は、一気に火が消えたかのようにドンヨリし始めた。

早々に退所を選ぶモノ、月謝を延滞したまま消えるモノ、レッスン受講者が少なく前日にレッスンをバラしに、でも講師の皆さんには当然ギャラはお支払いする…などなど。

 

 

もちろんコンスタントに仕事をしているメンバーもいる。

でもそれは、ナレーションだったり、TVだったり、ラジオだったりで・・・テレビアニメではない。

芸能生活1、2年目のメンバーが上記の仕事をもらえていること自体感謝なはずが、「アニメ声優」がやりたいメンバーからすれば、明らかに「シキザクラ」が終了したことによる停滞感は抗いきれないモノだったし、何よりショックだったのは、TYKに対する「不平・不満」の声がどんどん増長していったことだった。

 

 

 

『なんのために俺はTYKを作り、シキザクラを作ったんだろう???』

 

『俺の今までの苦労をなんだと思っているんだ?』

 

『シキザクラができたのは、俺が5年間頑張ったからなんだぞ!』

 

と、めっちゃカッコ悪いことを心の中で叫びまくることもしばしば。

 

 

でも、思うのだ。

人はみんな自分が一番かわいい。

僕もそうだ。

 

 

だから開き直ることにした。

 

 

 

よし!

文句言われる筋合いもないし、レッスンも受けないんだったらスクールを辞めよう!

 

 

ということで、立ち上げ2年半の養成所「TYK STUDIO」をクローズすることを決意した。

 

 

このことは相当悩んだ。

もちろん急なクローズに対する反感も予想できるし、一生懸命通っているメンバーたちには申し訳ないという気持ちも大いにあった。

それに、もしかすると「シキザクラ」が大ヒットしてまた生徒も増えるかも…とかいう淡い期待を想像したこともあった。

 

 

でも、僕がブラしちゃいけないこと、それは「名古屋をエンタメで盛り上げるためにやりべきことは何か?」だ。

 

 

現状「シキザクラ」の次がないということは「声優」としてだけ名古屋でやっていくことが不可能であることは事実で、それがわかっている中でココにいつづけるということは、またさらに不平不満は増長する…そうなってはお互いにとって不幸でしかない。

「ナゴヤセイユウ」という存在は、当初から「マルチなタレント活動ができる新たな声優の概念」と定義し臨んできたが、「声優」がやりたくて、憧れて入ってきたメンバーからすれば、正直「シキザクラの次がない時点」で、「TYKにいる理由」はなくなる。

 

 

それならいっそ、こちらから区切りをつけよう。

ということで、養成所事業「TYK STUDIO」を一旦クローズすることに決めたのだ。

 

 

なので、理由はさまざまあるが、7〜9月で多くのメンバーが、TYKを離れることとなる。

 

 

別れは正直悲しい。いいものなはずもない。

しかし、お互いの将来を考えれば、確実にHAPPYな選択であったと僕は確信している。

 

 

 

 

ということで、10月からは「新生TYK」として、「シキザクラ」以降のアニメがなくても、TYKのスローガン「名古屋をエンタメで盛り上げて、面白い街にする!」に共感をし活動していく志を持ったメンバーのみが残り、新たなスタートを切る準備を重ねている。

 

 

 

「シキザクラ」といういい意味でも、悪い意味でも、大きなコンテンツを名古屋に産んでしまったこと。

 

それによって得られた経験や出会いは本当にかけがえのない財産となった。

逆に、大きすぎたために、我々TYKの未熟さを露呈し、不幸なこともいっぱいありました。

でも、そんな経験をしたエンタメ事務所は名古屋にそんな多くはないはず。

 

 

シキザクラをきっかけに出会えた全ての関係者に改めて感謝とリスペクトを贈りたいです。

本当にありがとうございました。

 

 

そして!!

10月から生まれ変わる「TYK」をどうかよろしくお願いします!

 

まだご報告したい重大発表いっぱいあるので、またブログします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YO!YO!YOSUKEのmy Pick

 

2020年から全世界で猛威を振るう「新型コロナウィルス」。

これにより大打撃を受けたジャンルの一つ…エンターテインメントシーン。

 

コロナ襲来から1年半が経った今も、その猛威は衰えるどころか勢力は増すばかり。

 

興行(イベント)の目的は「人を集める」だ。

まさに今のコロナ禍においてご法度ともいえる行為でもある。

 

そこで去年浸透した手法が「リモート配信」による興行だ。

誰もが「リモートイベント・ライブ」の可能性を信じてトライアンドエラーを繰り返し、

徐々にひとつのエンタメとして確立をしていった。

 

さらにリモート参加の場合、強力なコンテンツであれば、施設収容型の従来の興行より青天井で集客することもできる・・・まさに「リモート配信」は、このコロナ禍において「救世主」かと思われた。

 

・・・が、そうではなかった。

 

リモート配信が普及し1年半が経ち、今や「リモート配信」は、イベントやライブの常識となっており、その必要性と魅力は確固たるものにはなってきたが、2021年になり、あることに気づいてしまったのだ。

 

「リアルイベントほどの充足感を味わうことができない。」・・・ということを。

 

イベントというのは、その会場で起こる出来事はもちろん、そこに至るまでの準備や道程、イベント前後の思い出など、その全てを含んで「イベント」なんだと気付かされたのです。

イベントには「体感」であり「思い出づくり」「共感」が必須なのだと。

 

たしかに「何もない」よりは「リモート配信」であってもエンタメが発信される方が嬉しい。

でも、決して「リモート配信」がリアルイベントで得られる満足感を与えてくれることはないのだと、気づいてしまったのも事実だ。

 

「エンタメシーン」は、いまだ大きな逆風の中にいる。

 

そんな中、エンタメのチカラを実感したことがあった。それは東京2020オリンピックだ。

 

開催前も開催中も色々な賛否両論が飛び交う異例の大会だったが、僕にとってはある確信を感じた。

人はやはり感動によって元気や勇気、希望がもらえるということだ。

 

無観客であり、TVやネットでの配信でしか閲覧できなかったわけだが、大会が始まってしまえばメディアも「コロナ報道」ばかりだったものが「●●選手、金メダル獲得!」などの明るいニュースが流れ、この大会のために必死に人生を賭けてきたアスリートの喜びや悔しさに全世界が涙し、感動しました。

 

さらに、ここ近年のSNSを見ていると「人のあげ足取り」「誹謗中傷」「アンチコメント」が以前以上に横行しており、明らかに人々の心が「荒んできてしまっているな」と心底感じます。

 

そんな時だからこそ、ストレスや鬱憤を開放する「エンターテインメント」が必要なのではないか?と僕は強く感じました。 

そして、僕には年明けから抱えている大きな課題があります。

 

それは「若い声優・タレントたちの表現する場所の喪失」です。

コロナは「若者が育つための環境とチャンス」をものの見事に奪っていきました。

 

これは「コロナだからしょうがないよね」なんていう言葉で納得しちゃいけない。

待っていたら状況がよくなり、活躍の場が戻ってくるかといえば、企業もこんな不安定な状況だとイベントを開催することよりもリスクが最優先となり開催自体を控えたり見送ったりと・・・いつまで待てばいいのかわからない状況に陥ってしまいました。

 

そこで、僕は決意しました。

 

他人が場を作ってくれないなら、僕がやるしかないだろ!と。

 

そこで、あの手この手「なにを始めたらいいか?」を探っていたところ、色々な縁に恵まれ、課題に向け、新たなチャレンジをすることができそうなんです!!

 

大きく分けて2つあります。

 

1つ目は、「声優アフレコ体験イベント」の開催です。

 

これは、イオンさんなどの商業施設で行うイベントで、すでに始動しお客様に楽しんでもらいながら「シキザクラ」と「ナゴヤセイユウ」を知ってもらえる良い機会となっています。

 

目標は、北は北海道、南は沖縄まで!全国の商業施設でアフレコ体験を楽しんでもらい、イベントを通して「ナゴヤセイユウ」を知ってもらえるよう頑張ります!

 

 

そして2つ目。

それが、ナゴヤセイユウたちの発信拠点《テンパクベース》の誕生です。

 

昨年末でクローズした「旧・サブリメイションカフェ」跡地を再利用し、TYKが管理する新たなイベントスペース「テンパクベース」として生まれ変わる予定です。

 

開催するコンテンツも今まで名古屋にないエンターテインメントを画策中です。

 

もちろんそこでは「ナゴヤセイユウ」が大活躍します。

でも「ナゴヤセイユウ」はまだまだ無名です。

 

なので、「ナゴヤセイユウ」の魅力を知ってもらうためにも「コンテンツ自体の魅力」でお客さんに来てもらえるような企画をいっぱい考案中です。

 

とはいえ、名古屋に今までないものだし、このコロナ禍でのチャレンジなので、逆風の方が強いと思います。

絶対成功するとも正直言えません。

 

でも、エンタメって挑戦と失敗の連続でしか育たないと思うんです。

 

だから僕は、自分の一生を賭して挑戦を繰り返していきたいと思います。

 

 

是非、これからも41歳いまだ想いだけで戦っているおバカ名古屋人にご注目ください!!

 

尊敬すべき友人Tom-H@ckこと大嶋文博くんと今日サシメシをした。


アニメ『けいおん』で作曲家デビューし、超絶ヒット。その後もずっと売れつづけているスーパー音楽家の1人でありながら、経営者としても4つの会社を持ち、さらには不動産投資なども行う…ほぼFIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early…経済的自立し早期リタイアを実現する)状態の男…まさに身近にいる大成功者だ。


そんな彼が、しがない名古屋のタレントであり、経営3年目の新米社長である自分と仲良くしてくれている事にまずは甚だ感謝だし、それだけでなく色々なアドバイスをくれて、気付きをいっぱい与えてくれる…とても大切な友人だ。


そんな彼と話している中で、気づかされた事がたくさんあった。


例えば…


『自分を出す事を恐れている。とくに嫌われる勇気=弱みを出す事を恐れている。』


…だったり…


『自己承認欲求が誰よりも強く、コンプレックスも強い男』


だということだった。


『自己承認欲求』


僕がいま一番向き合うのに苦戦している言葉だ。

なぜなら、この言葉に、そしてコレが強い者たちにとても頭を悩ませているからだ。


そんな嫌悪している言葉の権化が、まさか自分であることに気付かされ、相当ショックを受けた。


でも、否定できないくらい該当していた。


じゃあ、その原因がどこにあるのか?


人は幼少期の頃の出来事が自分の性格に多大な影響を及ぼす。


自分は中1で母親、高1で父親を亡くした。


まぁ、これも言わばショッキングな出来事ではある。…が、今回はそこではなく、その出来事以降の人生こそが、今の『自己承認欲求の権化』となってしまった自分を作り上げていたのだ。


両親が他界し、それからは母方のバアちゃんに20歳まで育ててもらった。

彼女は両親がいない事を補って余りあるほどの愛情で自分を育ててくれた。


20歳になり、タレント活動を始め、24歳には東海エリア最大のラジオ局ZIP-FMでナビゲーターとして芸能デビュー。

そこからグランパスのスタジアムDJなどに就任したりと、順風満帆なタレント人生を送ってこれたのは本当に感謝している。



そんなタレントとしての人生を振り返りながら気づいた事があった。



『自分は嫌われる事をずっと避けて生きてきた。』


ということだ。

とにかく人に嫌われないよう明るく笑顔で元気でい続ける。本名の陽介の如く、太陽のように明るい人間であり続ける…


『YOSUKEに任せていれば期待以上の事をやってくれる』


『YOSUKEのおかげでイベントが成功したよ。』


『YOSUKEにしかできなかったよ。』


『YOSUKEが相手だとすごくやりやすい。』


これらの言葉は、自分に居場所と存在の意味を与えてくれた。


とにかく人からの賛辞が欲しくて欲しくてたまらないし、必要とされたいし、逆に叱られたり、失望させたりすることを心の底から嫌ったし、自分が関わった全ての人にハッピーになって欲しいし、感謝されたい。そうじゃなきゃ、心が耐えられなかった。だから叱られるどころか、褒められる為に必死に準備したし努力したし、いい顔をして生きてきた。



自分は今も両親の残してくれた実家のマンションに一人暮らしをしている。

留学時代以外の40年間変わらず住んでいる場所だ。

だから自分と同じマンションに住んでいる方々は当然幼い頃の自分を知っているわけで•••


『臼井さんの息子さん、早くにご両親亡くしてしまったから、あんな風になっちゃって…。両親がかわいそうだわ。』


とか、ぜっっったいに思われたくない。


『ご両親が亡くなっても、息子さん頑張ってるわねぇ、偉いわぁ』


って、思って欲しい。

早くに死んだ両親を悪く言われたくない!

(たぶん、何も思っていないというのが現実かもしれないけど。)


そして今も健在で、90歳を超えたバアちゃん。


『この前保険屋さんが、「おバアさんのお孫さん、YO!YO!YOSUKEさんなんですか?グランパスのスタジアムDJさんですよね!すごい!」って言われたわぁ。』と電話口で嬉しげにしゃべってくる。


バツイチで子供のいない孫である自分にとって、唯一のバアちゃん孝行がコレかも知れない…。



とにかく自分は、『人の顔色をこんなにも伺って生きていたんだ。』と改めて気づいたわけだ。


いわゆる『世間体』というヤツだ。


決してそれを気にすることが悪いことではない。

ただ、そんな狭い範囲の世間体を気にするがために、弱さや悩んでいる自分などが出せずにいるより、ありのままの自分をさらけ出した方が、もっとYO!YO!YOSUKEや臼井陽介の魅力は出るはず。



…と助言を受けたのだ。



ごもっともだ。



僕は人に嫌われるのが大嫌いだ。


人に愛されたい。

だから人を信じ、愛したいと思う。


ただ、経営者になり、タレントの時には一切味合う事のなかった…『人に嫌われる』ことがとても多くなった。

正直まだ慣れてこない。心は痛いし、散歩中とかずっと頭の中に雑念としてまとわりつく。


『タレントだけやってりゃ良かったのに。』


『タレントが調子に乗って会社とか作るからだよ。』


『人を雇ったり教えたりするなんて偉くなったもんだ。』



とか言われないようにしなきゃ…


そして…

『自分の一挙手一投足で、所属タレントたちにまで被害が及んだらどうしよう…』


『自分の判断ミスで、みんなを露頭に迷わせたらどうしよう…』


『これだけ巻き込んでしまって、彼、彼女の人生の大事な時間をこんなにも奪っていいのかな…』


『自分の発言や言動が原因で、関係各社からキラれたらどうしよう•••』



毎日こんな事ばっかり考えている。



自分はどうしようもなく弱い。



だから今まで読んだこともなかったビジネス書ばかりここ数年読むようになり、ビジネスのノウハウやマインドを学ぶようにしている。とても参考になるし、本当にビジネス書は面白い。自分の価値観や固定概念を壊してくれるから、もっと前から読んでおくべきだったと後悔するほどにはハマっている。



だから読めば読むほど痛感するのが…まだまだ果てしなく未熟すぎる…ということ。



こう思うことのタチの悪さが…『人からは認められたいくせに、自分が自分を認めていない事』なのだ。



自分がやってきた事や、やってる事なんて誰でもできる。数多いる経営者やタレントの足元にも及ばない。これを本気で思ってしまっているわけだが、ほんとはそんな事ない。でも、そう思えない。



これが良くないんだと、彼は言う。



そうか…




自分のやってきた事に誇りを持ち、もっと口に出していく。そして、背伸びした言葉ではなく、等身大のカッコつけない言葉を素直に発していく。




20年間のタレント人生により、こびりついたこの『ありのままの自分を出さないクセ』をどうにか払拭していくことが、今後のミッションだ。




うまく出せるかなぁ…。。。

とにかくやってみるよ。



ありがとう、トムくん。




次回は『自分はコンプレックスの塊。』をお届けします。

僕の憧れの存在「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さん。

 

彼の行動と決断、才能、ビジョンなど、とにかく自分がなりたいロールモデルとして燦然と輝いている存在。

そんな彼が「顔出しを卒業する」というネットNEWSが流れた。

『どういうこと!?win win wiiinとか絶対あっちゃん必要じゃん!Youtube大学も?まじか!』

『でも、その決断も面白い!羨ましい!彼の視野には何が映っているのか超気になる!』と、羨望の眼差しを持ち続けている。

そんな彼ともう1人「両学長」が大好きで、彼らが発信している「投資」の話に俄然興味がわき、まずは「積立NISA」から始め、40歳にして投資に挑戦しようとしているのである。

そんな自分がもう一つ始めるのが「Youtube番組」だ。

もはやコロナ禍で数多のタレントさんの参入はもちろん、素人さんもやっているYoutube。

 

そう…まさに「今さら」始めるわけだwww

 

「中田敦彦を崇拝しているわりに行動が遅い」といわれても仕方ないなと。

なぜこんなにも遅れてしまったのか?

それは「今までは覚悟が持てなかったから」だ。

 

なんの覚悟か?

それは「Youtubeを本気でやる覚悟」だ。

「Youtubeなんて、気軽に始めたらいいじゃん」と思う人もいるだろう。

だが、Youtubeで名を馳せた人物たちの配信をみていると、彼らが口を揃えて言うのが「Youtubeと本気で向き合えるかどうかが明暗を分ける」と。

それを聞いて、前までの自分は「覚悟をもって臨む準備ができていなかった」わけだ。

やるならちゃんと時間をしっかり確保し、続けていける体制を作らなければと。

そんな中、今の自分に難しかったのが「固定の時間を確保すること」だった。

しかし、それができなければ一生始められないなと思ったので、毎週固定で時間を空ける覚悟をすることにした。

 

やっと自分にとって「Youtube番組収録は仕事」と割り切ることができたのだ。

そうじゃないと、今だに「YO!YO!YOSUKE」を使ってくれる取引先に「この日のこの時間はNGです。」と言えないからだ。

なし崩しに予定を入れていってしまっていた過去からの脱却。

とはいえ、もちろん今までの仕事や取引を無碍にするつもりは一切ない。最大限努力を重ねるつもりだ。

だが、今後の自分の人生を考えた時に、この決断は「必要」と感じ、やっと腹を括ることができたので、この度、始めることにした。

 

じゃそもそも、なんでYoutubeをはじめることにしたのか?

これにはちゃんとした「自分なりの考え」がある。

 

過去2年間を振り返ると「名古屋から声優を誕生させ、全国区・全世界で活躍する人材を育成・プロデュースしていくんだ!」という気概のもと、代表を勤めるタレント事務所「TYK Promotion」に「声優部門」を新設し、養成所「TYK STUDIO」をつくり、「ナゴヤセイユウ」と呼ばれる東海エリア在住の声優・タレントを誕生させること…これに自分のタレント活動以外の時間・心・頭をほとんど捧げてきた。

そのおかげで、周りには「無謀」としか見られていなかった挑戦も、最近では着実に「声」を使ったお仕事をいただけるようになり、「名古屋でアニメ系の映像に声を入れるとしたらTYK」という口コミは徐々に広まってきているなと実感しており、とても感謝している。

 

ただ、TYK STUDIO&ナゴヤセイユウが誕生し、3年目となった今年…とても大きな異変を自分の中に感じたのだ。

 

それは、2年間でとても大きく成長してくれたナゴヤセイユウだが、このまま3年目も同じような環境で彼らが学んでいっていいのか?ということだった。

 

2年間は、とにかく自分もTYKの内部にだけ目を向け、彼らの成長になることを試行錯誤しながら挑戦、アクションしてきた。

そのおかげで、なんの土壌もない名古屋であったにも関わらず、講師の皆さんの尽力もあり、この2年間で彼らは相当成長したと自負している。実際に仕事が増えていっているのも、その証拠だろう。

がしかし、逆に2年間やってきて、衝撃的に強く感じてしまったことがある。

 

それが…「外部の刺激を与えず育ててきてしまった」ということだ。いわゆる「外で揉まれる経験」だ。

 

TYKという親鳥が、巣の中で口を開けて待っているひな鳥に餌をもってくるという行為ばかりしてきた2年間。

コロナ禍ということでイベントなども激減し、外部と接触する機会も減ったというのも原因の一つではあったが。

ただ、これからは飛べるかわからない…でも、飛ぼうとしなければ、いつまで経っても広く大きな空を知ることはできない。

だから飛ぼう!その勇気を持つんだ!と。

 

新たなバイトでもいい、旅でもいい、東京のワークショップにいくでもいい、ドラマのエキストラをやるでもいい…とにかく「外で揉まれ、人間的に成長をすることが、次なるステージに上がる絶対条件」だと気づいてしまった瞬間…

 

『よし!オレも新たな空へ飛ぶ勇気を持ち、皆との向き合い方と時間の使い方を変えよう!』となったのだ。

 

タレントとして現状いただいている仕事に加えて、新たなバトルフィールドを探し、熾烈な戦いを乗り越え成功してみせることで、今一度、彼らの身近なTYK=太陽のように輝く存在になれるのではないか?

Youtubeという県境も国境もない戦場の中で、改めて「0」から戦いに出ていくことを率先して見せる時なのでは?

そしてYoutubeを通して自分自身、新たな出会い、ビジネスを始める大きなきっかけになるんじゃないか?ということで、放送作家の後輩にも手伝ってもらって、自腹の先行投資をして、現在、4月配信スタートに向け動画を収録している真っ最中なのだ。

 

『ナゴヤセイユウにとってSNSは絶対的必須活動であり、最大の武器になる。』

 

これは、ナゴヤセイユウを産んだ時からの普遍のマインドだ。

しかし、なかなかSNSに本気で向き合ってくれるメンバーも少ないのが現状だ。

 

僕が目指しているのは「今の声優の形」ではなく「新たな未来の声優の形」だ。

「なる」のではなく「つくる」のだ。

 

それを実現するためにも言うばかりではなく、同じ「タレント」として彼らの最も近い「成功者」にならなければいけないのだ。

 

アニメ「シキザクラ」と共に成長と挑戦をしてきた2年間。とてもわかりやすい目標だった。

このアニメ放送後、我々はわかりやすい目標を失うことになる。

その時に挫折するも、次のステージを見つけるも自分次第。

 

「ナゴヤから革命を」の精神に揺らぎは1mmもない。

 

中田敦彦さんから学んだこと…それは人がやってきたことには興味がない。人がやったこともないことに挑戦をする。

 

僕もいつまでも「誰もやったことのない挑戦」を続けようと思う。

 

 


2月16日は僕にとってとても大切な日です。

2つあります。

まずは、株式会社TYK Promotion創立記念日🎉

今期で4年目に突入となります。

ずっと個人事業主から法人化することを躊躇っていた自分。法人税やらその他諸々さっ引いても個人事業主の方が支出が少ない…などの理由で。

そんな自分が法人化するきっかけは…

「ナゴヤセイユウ創生計画」の始動であり、
ナゴヤアニメ第一弾作品『シキザクラ』制作決定でした。

自分のことではなく、未来のナゴヤを考えた時に…

『自分の世代は、このまま芸の道でなんとか生きていけるけど、次世代の若者達はエンタメに夢を持てなくなってしまう。ナゴヤのエンタメが死滅する。』

と危惧してから、
自分がナゴヤの未来の為に出来ることはないか?
と考えた結果が…

『デジタル化が進む今、ナゴヤからでもアニメを生み出すこともできるはずだし、強力なエンタメコンテンツ《声優》もいつしか東京以外でも活躍できる日がくるのではないか!?よし!新しいエンタメIPをナゴヤに作るんだ!』

そう思った時、たかだか「法人税」の為に一歩を踏み出さない自分の小ささに気づき、一瞬で蹴り飛ばしてやりました。

そして生まれたのが株式会社TYK Promotion。

僕の本名は、臼井陽介といいます。
親が付けてくれた『陽介』には…

太陽のように明るく輝ける人間になってほしい☀️

という願いが込められています。
その名に、期待に恥じない自分でありたいと、ずっと思って生きてきました。

そして思いついたのが…

T:太陽の 
Y:ように 
K:輝く

《TYK》という屋号でした。

今度は自分が親となり、TYKの元に集まってくれた《通称:ナゴヤセイユウ》と呼ばれる太陽のように輝く存在を、ここナゴヤから生み、全国、世界の人たちを照らしていきたい。

しかし、経営はもちろん、人材を抱え育てマネージメントする事、その全てが未知数で無謀な挑戦でした。

それでも今期4期目を迎える事ができ、また、このコロナ禍で一度は、昨対比70%減までいった売上も、昨年末には手を変え品を変えやってきたおかげで、昨対比ほぼ変わらぬ所まで持ち直す事ができました。

コロナ禍でエンタメ業界が大打撃を受け、周りを見れば下を向いている人や、愚痴やネガティヴな言葉しか聞こえてこない中…この状況下だからこそ出来ることが逆にあるのでは?ピンチこそチャンスだ!!

その言葉を強く胸に刻み、悩むことや壁にぶち当たることも多々ありながらも、乗り越え、結果昨年よりも楽しい今を生きる事が出来ました。

そうなれたのも、個人事業の頃から自分の掛け替えのない右腕として支えてくれている存在チーフマネージャーの田中。そして、TYKの看板として全国区で戦ってくれている最古参の矢方美紀。さらには演者としてもマネージャーとしても内外を支てくれている頼もしい2人のプレイングマネージャー。
そんな彼らの支えの中、所属メンバーたちも立ち上げ2年で成長しナゴヤでの仕事量はどんどん増えてきています。そんな彼らにチャンスをくださる取引先の皆様に心から御礼申し上げます。ナゴヤの新たな太陽になれる日を目指し、日々精進している彼らをどうか応援よろしくお願い申し上げます。

また、養成所TYK STUDIOにて、所属タレント達に追いつき追い越せと息巻くスタジオ生達もこの2年でとても成長してくれていますし、彼らをそこまで引き上げてくれた講師の皆さんには多大なる感謝を感じずにはいられません。

そんな未来の太陽達を見ていると、自分の使命がよりくっきりとメラメラと魂奮え、自分1人だった頃の数十倍のパワーと充実した日々を送る事が出来ています。

たった1つの心がけで、こうも変わった3年間。

40代に突入し、さらに人生が楽しくなった決断の1つが、法人化だったかもしれません。


今年は法人化4年目。スタジオ開設3年目。

立ち上げの1年目に、地盤固め&内政の2、3年目。今期からは「攻め」に転じます!

TYKイズムが染み込みはじめたメンバーたちがそれぞれ大海に繰り出す1年にしたいと思います。大海原は強者揃い。その強者たちを倒さなければ道はない。これは演者だけでなく、事務所も同じ。世の中はまさに戦国時代。そこへ戦いを挑み、国取りをする。メッカからの船出でなく、極小の国からの天下統一!!

そこで掲げ、誓ったのが…《TYK20年計画》。

T:太陽のように輝く(育成期:Shince2018〜2025)全国区、世界的に活躍できる実力を持ったスターを生み出す。

Y:夢を掴む(成熟期:Shince2025〜2032)スターが誕生し、そのブレイクを持続。確固たるファンをスケールし続け、前代未聞の「初」に挑戦。日本・世界のエンタメに名を残す。

K:革命を起こす(変革期:Shince2032〜2038)TYKが旗振り役となり、ナゴヤにエンタメの中心地を築く。新たなエンタメ産業、文化の礎を作る。


残り18年。もう焦りしかありません。でも必ずやり遂げます。

そして、やり遂げて迎える60歳…そうなれば早逝した両親に『お前の一人息子は、なかなかだっただろ?』ってドヤれるかなと。



そして、2月16日、大切なもう一つの日は…

愛息子(愛犬)ぽん太の誕生日ですww
6年前に独り身となった自分にとって今は唯一の家族。そんな小さな命も10歳になりました。

もう愛しすぎてしょうがないぽん太。いつまでも健康でいて欲しいし、彼の最高の笑顔が毎日僕に癒しとパワーを与えてくれます。

そんな世界一大切なぽん太の誕生日に法人化した、まさに公私混同の記念日は、他の人には理解されないし、されなくてもいい程に、すごーーく思い入れが深い特別な日となりました。


沢山の《大切》が詰まった、心の底から感謝を感じることのできる1/365日。


また来年の今日、今日以上の最高の1日を目指して。


ここ1ヶ月以上ブログの更新は止まっていた。

 

さぼっていたというより、書いては途中で止まって、書いては内容に自問自答するようになってしまい、結局最後まで書ききれず削除したり…。

だから今書いているこれも、果たして最後まで書き終えることができるのか?と思いながら綴り出しているわけだが…

 

最近は、色々な「インプット」をしていた。とくにビジネス関連の本をよく読んでいる。

あとは話題の「NIZIプロジェクト」「愛の不時着」「梨泰院クラス」など、人気の韓国コンテンツを総ざらい。

その中でも梨泰院クラスは、韓国ナンバーワン外食企業のトップに復讐を誓った若き飲食経営者のクライミングストーリーで、予想外に今の自分に大きく影響を残してくれた。こういう新しい出会いには脳が刺激されてとても良い。

 

改めて経営者としての自分の武器・財産は、なんといっても「タレントYO!YO!YOSUKE」のキャリアであり、人脈だ。

そのおかげで、芸能・声優プロダクション/養成所の経営もなんとか成り立っていると言っても過言ではない。

 

とはいえ、莫大な成功を納めているかといえば、全くである。

 

そんな中、とても尊敬している1個下の友人経営者がいるんだが、彼は名古屋に本社を置く世界規模で事業展開している会社の代表で、とにかく自分とは全く違うキャリア、感覚と視野、行動力、決断力を持っている。

まさに身近にいる唯一のスーパー経営者だ。

 

彼には自分の「経営者としての未熟さ」を隠すことなく吐露しているわけだが、とにかく次元が違い過ぎて「俺は今まで何をやってきたんだ。もう40歳なのに…情けなさすぎるだろ…。」という自分への失望と「年齢は関係ない!絶対に成功するんだ!」と奮起する自分とが、まさに50:50で混在する事がよく起こる。

でも、そんな友人がそばにいてくれることこそ、自分にとっての「幸運」だと感謝している。

 

そんな彼からはいつも「貴重な言葉」をもらう。

もらう度にその言葉が、自分の経営者としての指標となっていくことを実感する。

最近もらった言葉は「会社の大きさは、経営者の器の大きさだから。」という言葉。

 

なんて重くのしかかる言葉なのか…。

志を持って立ち上げた会社でも、今の自分の会社規模は本当に脆弱だ。

彼の器が「ズンドウ鍋」なら、僕の器は「おちょこ」だ。

正直、聞いた瞬間自信喪失したが、でも改めて自分に足りていない言葉だとも思った。

 

そして、もう一つ「とても重要な言葉」をもらった。

 

その言葉をつたえる前に、最近なぜSNSやブログを投稿するまでに至れなかったのか?について話そうと思う。

 

最近ではブログだけでなく、ツイッターもなかなか呟けていない。

呟こうとしても様々な雑念・邪念が頭をよぎり、削除してしまうのだ。

 

その大きな理由はやはり「コロナ」だ。

「コロナ」発生以降、SNSでの世間の批判が悪化しているような気がしている。

はじめにそれを感じたのが「木村花さんの自殺」の一件だった。

あの頃から度重なる芸能界の不祥事や事件が起こる度、SNSでの批判がエスカレートしているように思えた。

 

「見えない敵・コロナによるストレスの吐け口」としてSNSに罵詈雑言を載せ発散しているような感覚だ。

 

もちろん不祥事などは断罪されるべきだ。

が、有名人だからとはいえ、他人がどうこう言い過ぎではないか?

他人に言えるほど、自分は清廉潔白で、すべてを善に全うし、生きているのか?

 

どうやらコロナによって人の心がどんどん荒んでしまっていることを感じずにはいられなかった。

 

匿名性のものだからといっても、すでに市民権を得てしまったSNSでの批判の嵐は、ひと1人くらい簡単に死に追いやることもできれば、芸能界から追放することもできてしまう。

すでにSNSは「凶器ともなりうる力をもったメディア」となのだ。

 

そして、アンジャッシュ渡部くん。

12年前、名古屋のテレビ局で彼が司会を務める番組に、自分はレポーターとしてレギュラー出演していた。

おかげでよく彼とは名古屋で交遊していた。

その時の彼は、東日本代表のお笑いコンビとして名を馳せながらも、司会業をやることで「まわし」や「フリートーク」の技術を高め、その上、東京のお洒落ラジオ局「J-WAVE」でもソロで冠番組を持ち、「しゃべりの技術」を研鑽することに執心する「プロの芸能人の姿」を間近で見せてくれていた。

だからどんどん売れていく彼が僕にとっては「納得」の一言だったし、羨ましくもあり、そんな彼を知っていることを誇らしくも思っていた。それは今でも変わらずそう思っている。

 

そんな彼がしてしまったことは無論間違っていただろうし、それが明るみに出ることによって、色々な関係者にも迷惑をかけてしまったことだろう。さらに、そのNEWSを見て不快に思った人もいると思う。

でも、それで今までの彼が果たしてきた功績の何もかもを否定してしまえる権利は、僕ら部外者にはないと思う。

ただそれがSNS時代であり、生活の一部として強大な力をもってしまった今のありようだというのであれば、もうそれに従わざるを得ないだろうとも思う。

 

さらに最近では、悲しいことにJリーグの度重なる不祥事や伊藤健太郎さんのひき逃げ事件など、有名人による事件が後を絶たない。これが「コロナ」の影響かどうかはわからない。

 

でも、こういった事件を見ていると…「これって人ごとじゃないよな…」と警鐘が鳴る。

 

有名・無名にかかわらず、罪を犯す事は許されない。

とはいえ、有名人であればあるほど世間の注目はどうしても集まってしまう。

コツコツ何年もかけて積み上げてきたキャリアが、泡のように一瞬で弾けて消えてしまうわけだ…。

一つの判断ミス、一つの軽率な行動・言動で…だ。

芸能人にとって、それは仕事を失うのと同意。それも永遠に元に戻れないほどの。

中にはそれでもヘコたれずに芸能界復帰を果たす人もおり、それを見ると「ほんと、すげ〜な〜」とメンタルのタフさに脱帽してしまう。

 

こんな恐ろしいことが、もしも自分自身に起こったとしたら…そう考えるだけで戦々恐々となる。

 

そして今は「コロナ禍」だ。

自分がレギュラーをもっている某メディアでは「コロナにかかるのは罪」というような空気感が蔓延している。

批判しているのではなく、会社を守るためには仕方のないことだし、その徹底ぶりは同じ経営者として感心の一言。

たしかにコロナにかかってしまえば2週間は隔離生活。番組や仕事に穴をあけてしまう。

さらにそれだけでなく、濃厚接触者も現場にいけないという…個人だけの問題ではなく集団問題になる。

これは「インフルエンザ」以上に深刻である。

 

そう考えれば、以前のように人に会ったり、いろいろなところに行ったりすることに、少なからず「罪に意識」「後ろめたさ」を持って行わなければならない状況も仕方のないことなのかもしれない。

 

この「見えない足かせ」に、ほとほと嫌気がさしてはいるのだが、発信者として「責任」がそこにはある。

だから極力自粛するようにしている。

GoToトラベルなども情報は発信はしても、使おうとは思えないのである。

エンタメも観光も僕にとっては大事なフレームワークなのに、そこへ貢献ができない心苦しさは尋常ではない。

 

そんなこんなを考えていると、ツイッターで今までにように普通にあげていたつぶやきにもその都度「疑問」が生じてしまう。

まるで針の筵に自分を投げ込むような気がするし、いつ爆発するかわからない爆弾を自らセットするような気もしてしまって。

 

タレントプロダクションの代表でなければ…

タレントでなければ…

 

という無意味なことまで口にする始末・・・。

ことの他、重症である。

 

エンタメ人としてどうするのが正解なのか??

 

だれかこの問いに答えられる人はいますか????

 

ということで、答えがいまだに見つからない間は、仕事に関わるつぶやきだけになってしまっている。

…というわけだ。

 

とはいえ、所属タレントには「今こそSNSだ!」と言っているジレンマ。

ま、元々ウチの所属タレントたちは、概ねインドアだからうまくやっている。

だが、自分は外向きの活動が多かった分、非常に辛い。

 

ま、愚痴っていても仕方がないので、自分は仕事のやり方もライフスタイルも今に適応した形に変えていこうと今は躍起になっているわけだ。

 

世間は、アメリカ大統領選が注目を集めていたが、その中でトランプ元大統領はコロナ禍でもマスクをしないことで「コロナに負けるな!」という意思を誇示していた。

ある種の蛮行と一般論では捉えるのであろうが、そこには一定の支持者もいるわけで…。

小さく見れば個人的な価値観。

でも、影響力の強い人は、その価値観を他人の価値観に上書きする力も持っている。

 

これがいいのか悪いのかはわからない。

でも、タレント、経営者としてその強さに一種の憧れを抱いているのも事実。

なぜなら自分にはできないからだ。

 

いつになったら、今の世の中に適応した自分を作りだし、SNSと上手く付き合っていけるだろうか・・・。

 

 

 

さて、では話を元に戻し、僕のスーパー(超)経営者の友人のとても大事な言葉…それは…

 

『ジャンプの主人公とかって、絶対倒すの無理!っていう強敵に勝つために、馬鹿みたいに修行して努力して、最後は勝っちゃうわけだよね?それが一番ワクワクするっていう事をYOSUKE君は知っているはずなのに、なんでそれを実践しないの?』

 

僕のDNAには「DRAGON BALL」という作品が深く刻まれている。

孫悟空の口癖は「強ぇヤツと戦いてぇ〜、オラ、ワクワクすっぞ。」だ。

 

なのに全然、自分の人生に反映できてないじゃないか!!

 

いや…待てよ。

コロナ前の自分は少なからずそういう潜在意識はあったと思う。

 

そうなのだ…自分の気づかないところで自分はコロナという毒にしっかりと侵されいていたのだ。

 

気づかぬうちに「視野は狭くなり」「足元のことばかりに目がいき」「手堅い仕事だけをコツコツやり」「地元だけで完結できるビジネスを考えだし」…など、上げたらキリがないほどに、この言葉を言われた瞬間自分の内側から「膿み」のように溢れ出てきた。

 

 

彼は続けた…。

 

『YOSUKE君が本当にナゴヤ盛り上げたいなら、ナゴヤを見るんじゃなく、TYKの声優やタレントを全国区、世界規模のスターにすることだけを考えたほうがいいんじゃない?つまるところ、声優なら今は「鬼滅の刃」に出ることだし、タレントなら「ヒルナンデス」でしょ!ww』

 

 

ああ・・・。

言葉が出なかった。

 

 

『じゃあ、そういうのに出ることが無理だと思うのはなんで?手が届かなすぎるから?それなら、なんで無理なのか書き出して、その無理を一つずつクリアしていけば、その無理は無理じゃなくなるよね?』

 

 

『それにその無理が無理じゃなくなった時、最高に面白いよね。』

 

 

悲しいほどの経営者としての未熟さ。

そのことに気づかせてくれた友人がそばにいてくれて本当に自分は幸運だった。

 

 

いつの間にか「ウチの子たちをどうにかして食わせてやりたい!」という気持ちと、コロナによる閉塞した状況が、「夢のない考え方」をする脳へと自分を変えてしまっていたみたいだ。

 

もちろん今いただけている仕事は、どれも大切で、どれもが我々タレントにとっての生命線だ。

 

でも、エンタメ業界にいて、「夢」を失ってしまっては、それはもうエンターテイメントではない。

 

一番大事なことに気付かされた宝物のような言葉を友人は授けてくれた。

 

 

ありがとう。

やっぱりこんなコロナだとしても自分は会えるだけの人にはやはり会いたい。

「罪」にならぬよう最善の対応をしながらでも自分は動きたい。

 

コロナ禍の答えは、まだわからない。でも、コロナなんかのために人生を無駄にはできない。

 

 

最高にワクワクする人生を僕は仲間と共有していこうと思う。
 

 

「夢」

これこそ人生の活力剤だ。

 

 

と、やっと最後までとりあえず書き切れたので、投稿しようと思う。

 

 

そして最近自分が読んだビジネス書は以下の著作も挙げておく。

この作品のどれもが今の自分を後押ししてくれたし、新たな考え方を教えてくれた。

感謝すべき本たちだ。

YO!YO!YOSUKEのmy Pick