17年間在籍したZIP-FMとの契約満了に伴い、新年度からFM AICHIへの完全移籍が決定した。
名古屋のラジオ業界関係者の皆さんは驚いた事だろう。
「ZIP-FM」と「FM AICHI」は、言わずと知れた名古屋の2大巨頭のラジオ局。
この2局間での移籍は、サッカーでいうところの「レアル・マドリード⇄FCバルセロナ」の移籍と同様に、いわゆる「タブー」とされていた。…が、過去に数名、この2局間を渡り歩いた先輩方はいる。しかし、その全てが1年〜数年あけてからの移籍。
間髪入れずに移籍したのは、今回が史上初。いや〜、なんとも面白いことが起こるものだ。
振り返ってみると、全ては「縁と運」だった。
2005年、愛・地球博の年。
その年にZIP-FMでデビューし、クラブ系番組を8年間、その後、サブカル特化番組を9年間担当した。
「ZIP-FMミュージックナビゲーター」
この肩書きのおかげで本当に順調に名古屋でのキャリアを積むことができた事、感謝してもしきれない。
紛うことなく、今のYO!YO!YOSUKEがあるのはZIP-FMのおかげだ。
感謝と言えば、当時21歳という、何もない、勢いしかない若造だった自分に目をつけ、拾ってくれたZIP-FMのSさんには一生をかけても返しきれない恩がある。17年経った今、ZIPを離れることで恩返しができなくなる…それがとても心残りだ。
それ以外は本当に悔いのない17年間だった。
ZIPに入った当時、音楽の知識もほとんどなく、サッカーの知識以外なにも取り柄のない自分。
それに比べ、当時のナビゲーターはほとんどが帰国子女。自分は、留学1年のつけ焼き刃イングリッシュ。
そんな強者揃いの中で、いかにして生き残っていったらいいのか??
そう考え、辿り着いたのが…「他の人がやらないジャンルを開拓する」ということだった。
「ラジオDJ=音楽が詳しい」がスタンダードの中、「知らないものは知らない。正直に、オープンに。そのジャンルと向き合い、学んでいくスタイル」これしか自分にはないと思った。
クラブ番組を担当していた時は、週7日クラブへ通い、クラブ系のアーティスト・DJ・イベンター・関係者に番組に来てもらったり、一緒に浴びるほど酒を飲んだり、踊ったり、バカやったり…と、とにかく仲良くなったし、楽しかった。
そのおかげで、名古屋にクラブ系アーティストがキャンペーンにきた時は「ZIPのYOSUKEの番組に出る」が通例になっていった。Zeebra、KREVA、RHYMESTER、AK-69、m-flo etc...とにかく今やレジェンドといわれるクラブ系アーティストと邂逅できたことはまさに財産と言える。こんなに嬉しいことはない。
そして何より運が良かったのは、SEAMOさんの存在だ。
ZIPデビューの年にSEAMOさんは再デビュー。自分の番組内にレギュラーコーナーを3〜4年間受け持ってくれた。
彼の存在のおかげでクラブシーンにスムーズに溶け込むことができたし、しゃべり手の自分よりトークは面白く、アーティストなのに、若造な自分に対してトークの部分でものすごくライバル視してきたりと。おかげで毎週ヒリヒリした緊張感の中、必死に「俺の方が面白くなってやる!」と、食らいついていったことを今も鮮明に覚えている。
その間、SEAMOさんは紅白歌合戦出場、日本武道館ライブ成功と、まさにアーティストがスターダムに登っていくさまを傍で見られたことも幸運だった。
そして時は過ぎ・・・。
クラブ系ミュージックがZIPの至る所でかかるようになり、しゃべり手もクラブDJやレゲエDJなど、そのシーンの本物が現れ始めたので「自分の役目はもう終わった」と感じるようになった。
そんなタイミングに、次の出会いが現れる。
ZIP-FMが「若年層対策」として立ち上げた「アニソン・アイドル・動画系アーティストに特化した番組」との出会いだ。
学生時代、声優を目指していた自分にとって、初めて「仕事でアニメに関わること」ができるようになった。
しばらくクラブ通いばかりしていた自分は、アニメ鑑賞からだいぶ離れてしまっていたので、まずは最初の2年間とにかくアニメを観まくった。番組自体も他の番組では呼ばないようなアーティストや、かからないような楽曲を扱い、数字には表れてこなかったが手応えは感じていた。ちなみに今となっては時の人となった「LiSA」も彼女にとって初のラジオレギュラーは自分の番組だった。
・・・がしかし、無情にもその番組は2年で打ち切りとなってしまった。
これでZIP-FMから再び「アニメ特化番組」とYO!YO!YOSUKEが姿を消すはずだった…が、それを救ってくれたのがMプロデューサーだった。
過去20年以上扱ってこなかった「アニソン」は、当然ZIP-FM内部に理解がある人も少なく、唯一番組を担当していたM氏だけが「アニソンの可能性」を感じてくれていて、首の皮一枚で番組を存続させてくれたのだ。
ただ、元々の金曜の夜の2時間枠から、月曜のド深夜1時間という枠に移動となり、まさに「窓際」での存続となった。
「ああ・・・普通に番組やるだけだと、確実に1年で番組は打ち切りだわ。」と確信した。
東京では当たり前となっているアニメ・アニソンの盛り上がりを、ここ名古屋でも目の当たりにすれば、何か変わるかも知れない…。そこで仲の良いサンデーフォークH氏に「名古屋でアニソンライブイベントを開催したいです!」と伝えたところ…「よし!やってみるか!」といってくれたのだ。
これによって誕生したのが「ナゴヤサブカルスーパーライブ(通称:ナゴライブ)」だ。
ここでもまた運が炸裂する。
クラブ番組時代、SEAMOさんともう1人、番組でレギュラーをもっていたアーティストがいた。
それが、当時R&Bアーティストだった「中林芽衣」こと、今やアニソン業界で知らない人はいないアニソン界の歌姫「May'n」ちゃんだ。
クラブ番組当時以来ずっと仲が良かったおかげで、第1回ナゴライブにトリで出演してもらい、大盛況となり、見事興行を成功することができた。この成功が、ZIPの上役の目にも届き、番組は徐々に拡大していくことができたのだ。
いまでも覚えているのが、ZIPはアニソンレーベルとのつながりが皆無な為、オンエア用のサンプルCDが届かない。
この状況をなんとかしたいと思い、単身東京のアニソンレーベルにアポを取り、ルートを開拓しにいき、今では無事サンプルが届くようになった。
アニソンアーティストも、当時はなかなか名古屋のラジオ番組に出る枠がなく、自分だけが「来てくれてありがとう!嬉し過ぎます!」と受け入れていたおかげで、「名古屋でキャンペーンといえばYOSUKEの番組」となってくれた。
それから毎年ナゴライブも行い、大好きなアーティスト達と共演し、名古屋でアニメ・アニソン文化を徐々に確立していくことができていった。
ここ近年はコロナ禍により開催できずにいたわけだが、その反面、「アニメで名古屋を盛り上げたい!」という思いがより強くなり、自ら旗揚げした「ナゴヤアニメプロジェクト」が、遂に2021年、ナゴヤアニメ第1弾作品となる「シキザクラ」を全国放送するまでに至った。
そうこうしているうちに、昨年ごろからZIP-FMの他の番組でも「アニメ・アニソン」をよく耳にする機会が増えてきた。
それは単純にアニメを嗜好する若い世代のしゃべり手やディレクターがZIPに増えたことと、ZIP-FM自体がより若者に目を向け始めたことで、アニメ・アニソンを発信する機会が多くなってきたのだ。
それに比べ、昨年で40歳を超えた自分は「若年層対策」となる番組を続けるには少々年齢が離れ過ぎている…いわゆる限界を感じ始めていた。
それに、アニメだけではなく、もっと大枠でとらえた「エンタメ」という視野で新たな動きを模索し始めている自分がいることも実感していた。
そんな折、ZIP-FMより「今年度いっぱいでの契約満了」が告げられたのだ。
これは天啓だったのかも知れない。
17年という歳月が流れゆく中、たくさんの経験、出会いをさせてもらった。
正直ここまでZIP-FMで続けられるとも思っていなかったし、いつまでも居たいとも思っていた。
だが、この辺りが潮時だったのだ…そして、また運と縁が巡ってきた。
以前から仲良くしている業界関係者から「FM AICHI」でのパーソナリティの話が舞い込んできたのだ。
一度は迷った。
長年お世話になったZIP-FMに対し、間髪入れずにライバル局へ移籍するのは不義理なのでは?
まずは1年ラジオから離れて、再来年度に向けてアプローチするのがベターなのでは?と。
しかし、こうも思った。
YO!YO!YOSUKEというコンテンツを1年寝かしてしまって、本当にいいのだろうか?
名古屋を盛り上げる存在にもっともっとならなきゃいけないのに1年間とはいえ、止まってしまっていいのだろうか?
それに、すぐ移籍って・・・誰もやったことないし、面白そうじゃん!と・・・。
ということで、FM AICHIのパーソナリティYO!YO!YOSUKEになるという決意ができたのだ。
ただ、仁義だけは通したかったので、ちゃんとZIP-FMに挨拶にいった。
すると、お世話になった社員の皆さんは快く送り出してくれ、応援もしてくれるともおっしゃってくれた。
不義理を責められる覚悟を持っていたのに、本当に感謝しかない。
「ラジオ」が「オールドメディア」と言われるようになり、いくばくか経った。
ならば新天地でただただ枠に収まるのではなく、今までの概念にはない、全く新しいアプローチをしていき、新しいエンタメを発信していく。それが僕が今後やるべき、使命であり、ある意味ZIP-FMへの恩返しになるのだと思う。
『名古屋をエンタメで面白くする!』
これこそが自分にとって人生最大のテーマであり、ゴールだ。
そのゴールに向け、YO!YO!YOSUKEはまだまだやれる。戦える。
このエンタメ不毛の地といわれる名古屋で、死ぬまでエンタメ人として戦い続けよう。
ラジオだ、テレビだ、という垣根を超越した存在に、もしくはそういった存在を作り、名古屋 to Worldを成し遂げたいと思う。
野望はまだまだ枯れてはいない。