経営の勘どころ・つかみどころ -5ページ目

2022年という時代は?

  2年前から猛威を振るい続けてきた新型コロナが第6波に及ぶ最中、北京冬季五輪の閉幕するのを待っていたかのように、2月24日ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。

 思い起こせば、ロシアによるクリミア半島併合も自国開催のソチ冬季大五輪が閉幕した直後であった。平和の祭典「五輪開催」の舞台裏で、侵略の牙を研ぎすませていたロシアの行動は断じて容認できるものではない。世界はコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻の二つの緊急事態によって、一気に平時から非常時の時代へと否応なしに引きずり込まれた感がある。その後のエネルギーや食糧を中心とした資源価格上昇は、企業物価と消費者物価を否応なく押し上げ、EU・米国を始め多くの国に悪性インフレをもたらすことになった。

 

 特に米国のFRBは相次ぐ金利引き上げを行い、この1年間で7回利上げを実施した。その結果、米国の長期金利は年初の0.25%から4.25%引上げられ4.5%の水準で年を越しそうである。そんななか、日本の長期金利は年初以来0.25%を頑なに堅持し続けた結果円安を招き、一時は32年ぶりとなる1ドル150円を記録した。コロナ禍やウクライナ侵攻によりサプライチェーンが寸断されて資源高が避けられない情勢の中、日米の金利差を背景とした円安は、更に輸入物価を押し上げる結果を招き、国民生活にも深刻な影響を及ぼした。これに慌てた日銀は12月に入り、金利政策の転換ではないと強弁しつつ、10年物国債金利を0.5%までの範囲内で調整する決定をした。来春には日銀黒田総裁の任期が到来する。新総裁への交代を機に、アベノミクス以来継続されてきた異次元緩和政策は終止符を打つのかも知れない。


 さて、そのアベノミクスの提唱者である安倍元首相が凶弾い斃れたのも今年の7月8日であった。憲政史上、首相在任期間が歴代1位となり、希有な政治家の立場を盤石なものとした直後の不幸な出来事であった。折しも米中対立が激しさを増すなか、安倍氏が提唱した「法の支配に基づく、自由で開かれたインド太平洋構想」は、今や米国のアジア戦略の基軸となっている。今後、アジアにおける安全保障の戦略図式は、中国の「一帯一路」VS米国の「自由で開かれたインド太平洋戦略」のもとに激しく展開されることは確かであろう。

   ロシアによるウクライナ侵攻は、中国の武力による台湾統一の行動を誘発しかねない危うさをもたらした。ペロシ下院議長の台湾訪問に激しい反発を見せた中国は、その直後に行った大規模軍事演習によって、武力を行為しても核心的利益である台湾独立阻止を貫く姿勢を鮮明にした。このことは極東の安全保障に大きな影を落とす事になった。


 その中国の軍事演習中に、ミサイル5発が日本の排他的経済水域(EEZ)内に打ち込まれたことは、我が国の防衛政策に大きな影響を及ぼすこととなった。これに加えて北朝鮮が狂ったようにミサイル発射を繰り返し、もはや核開発やミサイル開発を禁止する国連決議が空文化した状況を省みると、やむを得ないとも思えるが、政府は12月に「安保3文書」改訂を閣議決定して、戦後、我が国が堅持し続けてきた専守防衛政策の大転換に踏み切った。いわゆる「反撃能力」を保持するとともに、今後5年間の防衛費を43兆円増額し、最終的には国の防衛費予算をGDP比2%にする方針を明確にしたのである。

 

  しかしそれで国が守れるとは思えない懸念材料がある。今年の新生児数が80万人を割ってしまったことだ。お金で国は守れない。経済でも軍事でも国を発展させ国を守るのは、お金ではなく国民(人)である。もっと子供を大切にする国づくりが必要ではないのか?
 

世界の人口が80億になった2022年に思う!  

 超高齢化が世界最速で進行し、誰の目にもハッキリと目視できるようになった日本の人口減少と経済力の顕著な縮小現象。そんななかで、2022年11月15日、世界の人口が80億人の大台に到達したというニュースが報道された。
 2010年(平成22年)の世界の人口が70億人ということらしいので、この12年間で10億人増えたことになるそうだ。1960年、戦後の第1回東京オリンピックが1964年(昭和39年)に開催されているので、つまりはその4年前の世界人口は30億人であったという。その時代と比較すると何と50億人も増加した計算になる。当時の人口の2.7倍もの人間が、この唯一無二の地球号に生息することになったのであるから、世界は一層狭苦しくなっており、温暖化を巡る環境問題が人類共通の深刻な課題となってきたのも、不承不承ながら頷かざるを得ない思いである。


 国連の中位推計によると、2037年には90億人、2058年には100億人に達し、2063年にピークを迎え、2090年頃には減少に転じると予測しているようだ。推計どおりすれば、21世紀後半まで人口は増加し続けることは間違いなく、果たして100億人に至るまでの間、人類は胃袋を満たす食糧を確保できるのかどうか心配になる。
 最近は昆虫食などの研究が行われているというニュースを聞くが、もしかしたら後10年か20年かしたら、昆虫ハンバーグや、昆虫粉末スープなどがレストランや食卓に普通に並ぶ時代が来るのかも知れないと思う。それはそれで、その時代の人間は貪欲にそれを受け入れるのかも知れないが、昭和20年代生まれの小生からすれば、昔の子供の頃にフラッシュバックしたような気もする。
 なぜならば、昭和20年代は、戦後の深刻な食糧不足から村の人々は田んぼの「イナゴ」を捕まえて、佃煮にしてタンパク源を補っていたからである。結構うまかった記憶もあるから、もし昆虫食の時代になっるまで寿命があれば(ある訳ないけど・・・)自分は絶対に生き抜けるかなぁ・・・とも思ったりするのである。


 食糧問題はともかくも、今後世界の人口増加の中心エリアはアジアとアフリカであるという。アジアでは特にインドの人口増加が著しく、まもなく中国を抜き去って世界一の人口を誇る国になることが確実視されている。直近の人口ランキング1位は中国の14.3億人、2位がインド13.8億人、3位米国の3.3億人、4位がインドネシアの2.7億人だという。もうすぐインドが中国を抜いて14億人(中国は今後高齢化で人口減少に転ずる・・)となれば、その他のアジアの人口を含めて合計すれば、地球上の人類の2人に一人はアジア人ということになるようだ。これにアフリカ勢が猛追することになることを想定に入れると、この先の地球号の運命はアジアとアフリアが握ることになるかも知れない。

 どのような運命を握ることになるかは定かではないが、貧困、飢餓、疫病、環境破壊、紛争、戦争などの修羅の世界だけはご免被りたい。今年はヨーロッパにも戦禍が拡大している。東アジアでもミサイルを狂ったように発射している国もある。「天気晴朗なれど波高し!」の光景が再現されることだけは何としても回避したいと祈るばかりある。

 

 世界の人口増加がもたらすものが何んであるかは正直分らないが、歴史を学ぶことで人類生存の叡智を見い出せるかも知れないと密かに思う今日この頃である。


 

令和5年(2023年)の税制改正の注目点の一つは暦年贈与だ!

この数年間、いつもこの時期を迎える頃になるとささやかれ始まるのが生前贈与の話である。社会の格差問題の一つとして富裕層への富の集中化が取り沙汰されるなか、決まってその解決策としてフォーカスされるのが現行税制のあり方である。


 つまり多くの財産を有する富裕層が、自らの相続税の負担を軽減するため計画的に生前贈与を行うことで、将来の税負担を相当程度圧縮できてしまうことが社会的な公平さを欠き、かつ、持てる者と持たざる者との格差拡大につながっているとの見解が毎年のように指摘されている。特に中心的な論点に浮上しているのが、生前贈与の王道と目される暦年課税制度の改正機運である。2021年度の与党税制改正大綱に続き、2022年度の同税制改正大綱においても、生前贈与税制の改正を示唆する文言が盛り込まれており、今後の2023年度税制改正の動向が注視されているのが現状であろう。


 さて、それでは過去2年間の生前贈与、とりわけ暦年課税制度の改正に関する与党税制調査会の態度はいかなるものであったかというと、財産継承を巡る税制上の主な論点として表明しているのが、「資産移転時期の選択に中立的な税制を構築する方向で、検討をすすめる必要がある。」という点に尽きる。


 資産移転時期の選択に中立的とは、砕けて云えば、いつ生前贈与しても公平な課税が行われることを意味する。例えば、相続発生前の1年前に贈与によって資産移転しても、同様に7年前に資産移転しても、贈与の時期にかかわらず相続税を課税できるようにして税負担の公平を図る仕組みの検討をすすめるというこである。現行の生前贈与対策で誰もが行っているのが受贈者一人につき年間110万円までの贈与が非課税となる暦年課税制度である。計画的に「長く早く遅れなく」暦年贈与を続けていけば、相続時までに相当程度の資産移転が実現し、合法的に相続税が節税できる。但し、現行税制では相続開始前3年間に行われた贈与は、相続財産に持戻して合算課税をされる規定になっている。

 が、3年を超えていれば課税されずに済むので、無理な借金をして将来に禍根を残す可能性のある賃貸マンション投資などの節税対策などと較べても、リスクなしで安心して取り組める相続税対策であり、多くの人がこの税制を利用しているのが実情であろう。

 

 来たるべき2023年の税制改正では、この暦年課税制度の改正が主役になる可能性が高い。すでに与党・政府の両税制調査会においても、暦年課税廃止論はさすがに否定的ではあるものの、相続開始前3年間の贈与財産の持戻し期間については、相当程度延長する方向であることを匂わせている。持戻し期間が5年になるのか7年になるのか、はたまた10年になるのか10年超になるのか、現時点では不明だがおそらく3年間という期間は相当程度延長される可能性が高いと云わざるを得ない。


 この持戻し期間延長の改正はおそらく国際標準をベースに検討される公算が高いと推測される。そこで、外国の例をみると、英国は7年、ドイツ・韓国は10年、フランスは15年、米国は無期限となっている。これら外国の例を参考に持戻し期間延長が検討されるとすれば、現行3年が7年~10年(最長でも15年)のレンジで決まるのだろう。納税者の立場からすれば最良な改正は英国並みの7年、最悪はフランス並みの15年というところだろう。いずれにしても「期間3年」が使えるのは今年と来年の2回限りか?
 

波乱の金融市場でマイナス金利政策を貫く日銀黒田総裁が輝いて見える!?

 2022年の世界経済はコロナ禍に揺さぶられ続ける中、ロシアのウクライナ侵攻(今や戦争)により、加速度的に混乱の度合いを深めている。かつて企業は、世界の最適な地で最適なコストで最適な製品を生み出して最高の利益を得ることに奔走していたが、今や見る影も無いほどに選択肢をもぎ取られつつある。トランプ政権時代に勃発した米中対立の構図に、ロシアとEUの深刻な対立が投影されたことにより、世界経済は急速に分断化されてきた。グローバル経済下での低インフレの時代は終焉を迎え、今年前半からインフレの流れが加速し始めたようである。経済の分断は、食糧資源やエネルギーなどの供給制限を誘発する。国内における年初来のガソリン価格上昇や食料品の相次ぐ値上げも世界市場における価格高騰が背景にある。加えて、日本は1ドル145円台に届かんとする円安で輸入物価の高騰に拍車がかかっている状況だ。


 当然、円安を放置している日銀への風当たりも相当に強いはずである。にも関わらず、日銀の黒田総裁の低金利政策は微動だにしない。市場関係者が悲鳴を上げるような局面でも、10年物国債利回りを上限0.25%に押さえ込み、国債買入れオペを果断に実行しつつ、財務省による24年ぶりの大規模な為替介入の強調行動を取付けて、円安防衛に当たっている。
 これに相反して金利引き上げに動いているのが米国を筆頭とするEU・イギリス・カナダ・豪、NZなどの中央銀行である。それに吊られるように新興国も軒並み金利を引き上げ、自国通貨安の回避に腐心している。世界が民主主義VS権威主義に分断されつつある局面での供給制限と物価高騰が始まる中、自国の通貨安はどこの国も避けたいのが本音である。米国をはじめとする先進各国は、インフレ警戒で金利引き上げに動き、多額のドル建て債務を抱える新興国は自国通貨安にともなう債務膨張を防ぐために金利引き上げに走る。

 そんな金融市場のドタバタ劇が始まっている中で、日銀だけは、アベノミクス仕込みの円安・低金利の方針を堅持しているのだ。投機筋から円が狙い撃ちされることなど意にも返さず、一人我が道を行く構えなのだ。まさに孤高の人の姿そのものである。今となっては逆にその信念の強固さが輝いて見える程である。考えて見れば円安と騒いではいるが、通貨安になっているのは円だけではない。世界の主要国も実はドルに対しては軒並み通貨安になっている。つまりは、ユーロもポンドも、元も、その他の国の通貨も軒並みドルに対して下落しているのだ。であるならば、ことさら円安を騒ぎ立てる理由はないようにも思える。むしろ、円安をチャンスと捉え、円安メリットを最大限に利用する企業家精神を存分に発揮すべき時ではなかろうか。


 円高になると困ったといい、円安になるとまた困ったいう。円高も円安もメリット・デメリットの両面が必ずあるのだから、揺れ動く通貨相場の各局面でメリットを最大限に発揮することに意識を集中すべきであると思うのだが・・・。

日本は今こそ、円安という現状の局面を千載一遇のチャンスと捉えて、経済をV字回復する決意で、果敢に世界市場に打って出る時期が到来していると考えるべきではないだろうか。孤高の人がいる間に。
 

 

巨星墜つ! 経営の哲学者・稲盛和夫京セラ名誉会長逝く!

            
なんとも寂しいニュースが跳び込んできた。京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が、8月24日老衰のため京都市内の自宅で死去(90歳)したという。これで日本の経済人を代表する大物を失うことになった。まさに巨星墜つ!である。

 

その喪失感は稲盛氏が仰ぎ見たであろう二人の先人、松下幸之助や土光敏夫を失った時代を思い起こさせる。この3人に共通するのは経営や人生を貫く哲理の人であったということである。

 稲盛氏は生前多数の著書を世に出しているが、私が手にした「生き方」という本は特に印象深い本である。その本の中で未だ覚えているのが「人生の方程式」である。稲盛氏は、人生や仕事の結果は、「考え方」×「熱意」×「能力」という三つの要素のかけ算で決まるとしている。


ここで私が最初に驚いたのは、「考え方」+「熱意」+「能力」という足し算ではなく、かけ算としていることである。足し算とかけ算ではその結果に大きな違いがある。考えればすぐ分ることだが、足し算であるならば、先述した三つの要素のうち、どれか一つが0点でも他の要素がそこそこならば、それなりの点数(結果)は得ることができる。しかし、これがかけ算ともなると、三つの要素のうち、一つでも0点となったときは、他の要素がそこそこ高得点でも、答えは0点となってしまう。

 つまり、考え方・熱意・能力という三要素を単純に足し合わせるのではなく、掛け合わせるというのが人生であり、人生の方程式なのである。当時の私は、稲盛氏の内心に潜む自己に対する妥協や怠慢を許さないストイックな生き方に正直圧倒されたものである。


 さて人生の方程式にはもう一つの思想が配点されている。それは、まず、「熱意」と「能力」には、0点から100点満点が配点される仕組みになっている。能力が仮に80点でもやる気が10点程度ならば、結果は800点。一方で能力が30点でも、やる気満々の熱意90点であれば結果は、2700点となり、この時点ではやる気がある人の方が人生の結果では優位に立たつ。

  最後にこの方程式の真価を決する配点が、三つ目の要素である「考え方」に仕掛けられている。考え方の配点は0点から100点と0点からマイナスの100点である。仮に熱意・能力が共に50点でも、考え方が-50点ならば、結果は、-12.5万点となり、人生負け犬になってしまう。逆に考え方が+50点であれば結果は、+12.5万点で全く真逆の結果となる。

 

ここで誰もが気づくのは能力や熱意は人生や仕事の成功不成功には欠かせない要素であるがそれだけでは足りないということである。つまり、この方程式で一番大切な要素は「考え方」である。考え方(思想や理念を含む)が正しければ熱意と能力は成功のベクトルとして作用するが、考え方が邪(よこしま)だと、熱意も能力もマイナスに働いてしまうということである。


 人生の成功も、仕事の成功も、その鍵を握るのはその人の「考え方」次第であることを稲盛氏は三つの要素のかけ算で端的に分りやすく教えてくれているのだ。今、世間では「エシカル経営」とか「理念経営」とかが叫ばれているが、稲盛氏がその生涯を通して知らしめた「生き方」は、この先も長く後世に語り継がれるであろう。

 

 ここで、渋沢栄一の論語と算盤の中に出てくる「昭憲皇太后が詠まれた詩」が思い出される。

  『 持つ人の 心によりて 宝とも 仇ともなるは 黄金なりけり 』 

意訳すれば、「もとよりお金そのもに物事の善悪を判断する力はないが、それを持つ人の心次第で、世の為にもなるし、仇ともなるのがお金である」ということになる。

 

いつの世でも、人生の決め手は「考え方」次第ということか!
 

諸悪莫作 衆善奉行  我がGODOHファームの基本理念なり!

 その昔、中国唐の時代の詩人、白居易(はくきょい)という人が仏教の高僧、鳥窠道林(ちょうかどうりん)和尚に仏教の大意は如何なるものか? と尋ねたところ、和尚は次のように答えた。

    諸悪莫作(しょあくまくさ)
 衆善奉行(しゅうぜんぶぎよう)
   自浄其意(じじょうごい)
   是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

諸々の悪をなさず、諸々の善いことを行い、自らの心を清める。これ諸仏の教えなり。

この答えに白居易は、『そんなことなら三歳の童子でも言えること。』と聞きとがめると、

鳥窠道林和尚は、『たとえ三歳の童子が言えたとしても、八十歳の老人でも行い難し。』
と答えた。白居易は和尚に礼拝してしずかに去って行ったという法話である。

七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)にあるように、
人は『自浄其意』に努め、本来の清浄心に立ち返れば、
その行いは自ずと善行であり、
悪いことなどできるはずもない。

 *七仏通戒偈とは、釈迦以前に存在したとされる6人の仏と釈迦を含む7人の仏が共通して説いた教えを
  一つにまとめた韻文のこと。

一切の悪いことはするな! 善いことをせよ!
口で云うのは簡単だが、簡単なことほど実行するのは難しところがある。
実は、『分ること』と、『行うこと』は全く別なものである。
仏教の教理は、何よりも『行』を根本としている。
この『行』を実践するには、清浄心(正直な心)を持ち続けることである。
これこそが諸仏の教えである。

鳥窠道林和尚は、三歳の子供でも分りそうなことでも、実際のところは八十歳の老人でも実行することは難しいとして、仏教の大意を説いている。

この仏教の教理を理解して、正直な心で日頃の仕事やお客様に向き合うことができれば、自ずと善い仕事を行うことができるようになり、その積み重ねが、やがて大きな信用につながることになる。
商売の種類や事業の大小を問わす、この教理は企業の永続的な発展の極意である。
 

奇妙なインフレがやってくる!?

 30年も続いた日本のデフレ経済を尻目に、コロナ禍とウクライナ戦争を契機として世界経済は不気味な物価高現象に覆われつつある。欧米の消費者物価指数は軒並み8%台を記録し、それ以外の新興国でもそれを上回る物価高が庶民の生活を直撃し、世界では一部の国で市民の暴動が起きている。幸い日本での物価上昇は世界各国と比較するとまだ穏やではあるものの、アベノミクスで目標としつつ、ついぞ実現できなかった消費者物価指数+2%を、現実はあっけなく達成した恰好である。


 世界経済を動かす要因の一つは基軸通貨ドルを持つ米国の金利政策である。米連邦準備理事会(FRB)は、政策金利(FF)を5月に0.5%大幅に引上げたのに続いて、6月においても0.75%引上げた。来月7月も0.75%引上げ、その後も数次にわたって金利引上げを行うとの観測が市場では囁かれている。もしそうなれば、2022年の年頭から一気に3%以上の、急激な利上げが行われる事になる。FRBがインフレ退治に本腰を入れてきたことが窺える。米国同様、ヨーロッパ中央銀行(ECB)もこれに歩調を合わせるように金利引上げに動き出している。アジアでもタイ・韓国などが金利引き上げに動き出した。
 悩ましいのは我が国の金融当局者であろう。世界の金利反転を前にして、金縛り状態に陥ったかのようにマイナス金利政策を継続し続けている。その結果として、為替市場においては1ドル・136円台まで超円安相場を招く結果となった。このまま米国の金利高がさらに進行すると、ますます円安に拍車がかかることは目に見えている。

 

日本は資源に乏しい国である。多くのエネルギー資源や食糧資源は輸入に頼らざるを得ない国である。

今後さらに輸入する資源価格が上昇し、それに追い打ちをかけるように円安が進行すれば、資源調達に欠かせないドル資金のニーズが高まり、これがさらなるドル高円安を招くことになる。もがけばもがくほど自ら円安傾向を強める結果となるのである。かといって円防衛のために米国やEUに対抗して日本も金利を引上げることはさらに難しいだろう。日本は世界に類を見ない借金大国である。政策金利を上げれば1000兆円にも及ぶ国債の利払いを膨張させることになり、国の財政を直撃することになりかねない。もがけばもがくほど深みに嵌まる蟻地獄のなかに片足を捕られている状態である。


 しかし、今の不作為ともとれる金利政策をこのまま放置しておいて済む訳がないことは誰の目にも明らかである。いずれ日銀も早晩、マイナス金利政策を捨てる決定をするであろう。どの程度の利上げで収まるかは現時点では見通せないが、金利高は株式や不動産(特に首都圏のマンション)などのリスク資産の価格下落を引き起こすことは想定しておくべきであろう。低金利から高金利への金利反転に伴い、庶民には実感なきバブル崩壊が始まるとともに、痛いほど実感を伴う物価高が国民の生活を直撃するという奇妙なインフレの時代がやってきたのかもしれない。

動き始めたグローバリゼーションのバージョンアップ!  

                            
 1989年のベルリンの壁崩壊をもって戦後世界を二分した東西冷戦が終結し、今日のグローバリゼーションが始まった。それまで封じ込まれていたヒト・モノ・カネの動きは開放され、世界中を自由に動き回ることができるようになった。
 企業は安い賃金と安全な環境を求めて国境を越えて最適地に生産拠点を移動し始め、結果、BRICsに代表される新興国の勃興を許した。経済が豊になればその国の統治システムは民主化されると考えていた先進国は、やがて大きな失望を味わうことになった。

 ロシアも中国も経済力が強くなるにつれて、権威主義に傾斜し始め、独裁性と専制統治を強めていった。今日の民主主義VS専制主義の対立の芽は、この時すでに萌芽していたと考えられる。
 そしてそれが人々の目に明らかになったのがコロナ禍前のトランプ大統領と習近平主席の間で始まった米中対立であり、コロナ禍において勃発したロシアによるウクライナ戦争である。世界を一つのルールで繋げようとするグローバリゼーションは、米中対立やコロナ禍を起因とする半導体や戦略物資などのサプライチェーンの分断リスク懸念。ウクライナ戦争によるエネルギー・食糧資源の供給不安の高まりによって確実に行き詰まってきた。今や企業の生産活動はコスト削減と生産性の効率化を求めるだけでは生き残れない。金融ビジネスにしても高利回りだけを追求するだけでは投資先の分断によって墓穴を掘りかねない。これからの企業戦略は、生産拠点やビジネス拠点の過度な集中を避け、人材・データなどの重要な経営リソースやサプライチェーンなどの再配置・再構築に着手し、コスト削減よりもリスク削減に取り組まなければならない。


 今や、国連の安全保障理事会も、WTO(世界貿易機構)も、リーマンショック後にG7を拡大する形で発足したたG20も軒並み機能不全に陥っていることは明らかだ。世界統治(グローバルガバナンス)システムが不在の時代に突入したのである。かかる時代においては、世界の政治情勢に即応できるだけの強靱性が企業に要求されるようになった。グローバリゼーションのバージョンアップとは、このように揺れ動く世界の情勢に起因するリスク削減に対応できる能力を備えることである。

 現下の世界は、旧来の国連やWTOなどの国際統治から、新NATO(フィンランド・スエーデン加盟を想定)、AUKUS・QUADやバイデン大統領が来日時に提唱した1PEFなど価値観を共有する有志国を軸とした複層構造の部分統治の時代に移行すると思われる。
そうなると企業もビジネスも、これまでのコスト優先、効率化優先だけでなく、世界を劃す統治システムに歩調を合わせる形で企業のガバナンスや経営戦略を練り上げる能力、すなわち強靱性(Resilience)が欠かせないということになる。一言で断じるならば、「新冷戦に相応した経営の変身」を図らないと生き残れないということである。


 先月も記述したとおり、ウクライナ戦争前を「新戦前」と称し、ウクライナ戦争後(いつ終わるか未だ不明だが・・・)を「新戦後」と称するならば、グローバリゼーションのバージョンアップは、「新戦後」に向けてすでに水面下で激しく動き始めていると思われる。

ウクライナ戦争が21世紀の「戦前」と「戦後」を区切る歴史の転換点になる!?


ロシアのウクライナ侵攻が始まって2ヶ月が経過した。侵攻当初は、圧倒的な軍事力を誇るロシアの優位は揺るがず、2週間程度でウクライナ全土を制圧するだろうとの見方が強かった。しかし、大方の予想を覆し、戦火は2ヶ月を経過してもなお収まる気配を見せない。5月9日に予定されているロシアの戦勝記念日までに一定の戦果を収めたいとするロシアの意図は完全に挫折したようである。それにしてもロシアのウクライナ侵攻は、コロナ禍という「人類の大災厄の炎」に油を注ぐような最悪の危機をもたらした。第一次世界大戦中に大流行した疫病「スペイン風邪」を想起させる。人類は再び無益な愚行を繰り返すことになるのだろうか?さて、今回の軍事侵攻を「ウクライナ戦争」と呼ぶとして、世界の政治と経済・安全保障の歴史は、第二次世界大戦が終結してからウクライナ戦争が勃発する前の77年間の時代とウクライナ戦争勃発後の時代とに、明確に区分されることになるだろう。
  

77年間の戦前(ウクライナ戦争前)は、イデオロギ-対立と東西冷戦、ソビエト連邦崩壊と民主主義の勝利、経済のグローバル化とインターネットを中核とする情報のボーダレス化の時代として、人類の歴史を飾ることになるだろう。しかし、戦後(ウクライナ戦争後)は、まず第一に政治面においては自由で開かれた民主主義国家群VS絶対的権威によって国の安定を図ろうとする専制主義国家群の対立の時代が本格化し、経済や軍事面では、両陣営ともに、AIやSNS、ドローンやロボットなどの先端技術を駆使した経済安保不可分体制時代へ突入した転換期として、未来の歴史に深く刻まれるであろう。

 今や21世紀の世界の姿が、人々の眼前にはっきりと映し出され始めている。思いもよらなかったが、21世紀における政治対立の本質は、19世紀型の専制主義と20世紀型の自由民主主義の対立である。冷戦終結とともに滅び去ったと思われた専制主義の残り火はロシアと中国で燻り続け、グローバル経済の恩恵を受けて再び燃え上がった。19世紀と20世紀の政治体制の対立こそが「21世紀型政治対立」の本質であろう。さて、その上で双方ともに共通するのが、最新のデジタル技術を駆使して相手を封じ込める技術的優位性を、経済安全保障面において一方の相手に先んじて如何に迅速に構築していくか?を最大の戦略目標としている点である。ウクライナ戦争におけるハイブリット戦争と称される数々の最新兵器の使用や、SNSなどを駆使したフェイクニューズ・ニセ旗作戦などの情報戦にその一旦を垣間見ることができる。

 さて、かかる時代の大きな転換期。日本はどう動こうとしているのか。与党自民党は、4月28日、外交安全保障政策の「長期指針:国家安全保障戦略等3文書改定」の提言を政府に提出した。その内容は、これまでの専守防衛の方針転換を迫るものである。そこには「反撃能力の保持」、「防衛費GDP比2%以上」、「防衛装備移転適用範囲の拡大」の見直しを提言している。この提言を後押ししたものこそ、今回のウクライナ戦争を通じて浮き彫りになった我が国を巡る脅威の存在である。提言では、中国を重大な脅威、ロシアを現実的な脅威、北朝鮮を差し迫った脅威と位置づけ、まず自国を自力で防衛するためには、一定の反撃能力の保持、他国への装備品支援の見直し、欧米並みの防衛費確保、具体的にはGDP比2%以上10兆円予算化を目指すべきとしている。


 この提言の底流には、日米安全保障条約を日本の防衛の基盤としつつも、まずは自力で国を守る防衛力を備えなければ、条約締結の相手国である米国も本気で条約を履行する気にならないだろうという懸念を強めていることが窺える。第二次世界大戦で日本と同じく敗戦国となったドイツは、ウクライナ侵攻後ためらうことなく国防予算をGDP比2%に引上げることを宣言した。今ではウクライナに対して戦車を含む重火器類の提供を開始している。

 

大きく動き出した世界情勢と主要各国の安全保障政策。日本でも21世紀の戦後が始まろうとしている。
 

ロシアのウクライナ侵攻で見えてきたものとは?

                                                        
 今日、大部分の日本人は第二次世界大戦を経験していない。戦後、イスラエルとアラブの中東戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガン戦争など多くの戦火を知ることはあっても、どこか遠い異国での出来事でしかなかった。戦争は悪い!だから止めるべきで、平和を追求して当然であると、自ら結論づけて半ば傍観者としてやり過ごしてきた感がある。


 しかし、2022年2月24日に起きたロシアによるウクライナ侵攻は、日本人を傍観者としてやり過ごす事を許さない衝撃的なものとなった。戦争は悪だ!武力をもって相手を傷つけることは人道にもとる!暴力は許さない、直ちに止めるべきだ!・・・と声を上げてみても、目の前で展開される現実を変えるにはまるで無力で空疎な言葉に過ぎないことを思い知らされたと思う。
 戦後日本は、平和憲法のもと77年の長きにわたって平和に過ごしてきた。しかし、ウクライナ侵攻を目の当たりにしたとき、戦後の日本の平和は決して人為をもって維持してきたものではなく、たまたま偶然に平和であったという結果に過ぎないと私自身は直感させられたのである。


 今回のロシアによるウクライナ侵攻では、世界の安全保障を担う国連安全保障理事会は全く機能しなかった。拒否権を持つ常任理事国ロシア自身が戦争当事者であり、かつ、同じ常任理事国・中国も侵攻反対の決議には棄権の立場をとり、ロシアの行動を間接的に擁護する側に回った。その結果、140カ国にのぼる多数の国々が表明した「侵攻反対」の意思は完全に無視された。これに加えてロシアは、人道上許されるべくもない核兵器や生物・化学兵器の使用をも匂わせて周囲の反対勢力に脅しをかけたことで、やりたい放題の邪悪な作戦行動に出たのである。ウクライナのゼレンスキー大統領がSNSを通じて各国の議会で軍事的な支援を繰り返し叫んでも、各国の政治家は手も足も出せず、只々、拍手とスタンディング・オーベーションをもってしか、これに呼応することができなかったのである。


 さてこのウクライナの状態を日本に置き換えてみたらどうだろうか。日本の周囲は中国・北朝鮮・ロシアという非民主主義・大陸国家が勢揃いしている。しかもロシア・中国は安保理・常任理事国である。加えて中国は近年国力を増強し、今や世界第二の経済大国・軍事大国でもある。かつ、この三カ国がともに核保有国あるいは核保有国と推定されている国である。しかも、中国とは尖閣諸島、ロシアとは北方四島の領土問題を抱えている。ウクライナとロシアの間にも長い間の歴史的な民族問題やクリミア半島などの領土問題が複雑に絡み合っていたことが今回の戦争勃発の引き金の一つとなっている。


 仮にどこかの国が日本に攻撃を仕掛けてきたらどうなるのだろう。ウクライナ人のように国を守るために勇敢に銃をとって戦えるだろうか?我が国には徴兵制はない。銃や兵器を扱える成人男子は自衛隊出身者のみだ。

 ウクライナのように、陸伝いに近隣の国に女・子供・老人達を避難させられるのだろうか?我が国は海に囲まれている。逃げようとしても歩いては海は渡れない。逃げることも逃げさせることも不可能だ。

 ウクライナのようにEUやNOTO加盟国が結束して難民の受入れや戦争反対・ウクライナ支持を強力に打ち出してもらえるだろうか?アジアにはヨーロッパのような経済連合体(EU)やNATO(集団安全保障機構)も存在しない。唯一あるのは日米安全保障条約だけである。隣国・韓国との信頼関係も微妙な状態のままだ。

 それでは世界の国が国連決議で日本を擁護してくれるだろうか?それも絶望的である。ロシアも中国も安保理・常任理事国である。仮に、日本に戦争を仕掛ける国が常任理事国であるとすれば、国連が戦争反対を決議することは不可能である。今回のウクライナ決議と同じ事が再現されるだけだ。


 ウクライナを日本に置き換えると嫌になるくらい、日本の安全保障は憂慮すべき状態にある。我々が覚知しなければならない日本の潜在的な危機は、正に今回のウクライナ危機を通じて明確になったと思う。今やドイツもウクライナ侵攻を機に、国防予算をGDP2%に拡大することを明確にした。米国も国防予算を4%増額する方針を打ち出した。戦争を望む者はいない。しかし、戦争は絶え間なく起きる。誰かが誰かのために・・・、あるいは誰かが何かのために・・・起こすのだ。これを防ぐのは起こさせないことしかない。


 起こさせない方法は文化交流などの平和的方法とパワーバランスを前提とした軍事的方法がある。しかし、最後の歯止めは軍事バランスである。気脈を通じ難い相手国の行動を抑制するには相応の力が不可欠である。20世紀型の領土・民族・統治体制・イデオロギーを巡る戦争は21世紀においても起き得ることをウクライナ危機は証明した。かかる事態が日本やその周辺で起きないとは誰も断言できないであろう。今後想起される西欧諸国VSロシアを軸とする新冷戦、米国VS中国を軸とする新冷戦に日本が無縁でいられる訳がないのである。


 今時のロシアの行動を見る限り、戦後77年の長きにわたって続いた日本の平和は、今後も続く保障は全く無いといっても過言ではなかろう。
平和を維持するには相応の行動とコストを伴うことを我々は覚知しなければならない。その上で、ウクライナ後に大きく変貌するであろう新たな世界情勢の変化に備えなければならないと思う。