経営の勘どころ・つかみどころ -4ページ目

積小為大、凡事徹底とは何か?

                          

積小為大(二宮尊徳の遺訓)とは、要するに「小さい事を積み重なることで大事を為すことができる。」という意味である。言い方を替えれば、「大事を為すには、小さな事にも努力を惜しんではならない。」となる。
 これに類似した次のような教訓を、旧松下電器創業者の松下幸之助が残している。
    『成功は小さい努力の積み重ねやからね。
         毎日、コツコツ続ける努力なくして成功はないよ。』


  同じような趣旨の経営訓をイエローハット創業者鍵山秀三氏が語っている。
  『成功のコツは二つある。コツは二つ!つまりコツコツである。』

凡事徹底とは、小さな努力をコツコツ積み重ねる行為を意味する。
要するに日常の目の前にある小さな事を、コツコツやり続けることが、「成功の花」を開かせる「コツ」なのである。そしてこの毎日の「コツコツ」がとんでもない事(結果)を生み出す源となる。

積小為大と凡事徹底は一対の行動理念として捉えることができる。

さて、仏教詩人「坂村真民」の有名な詩集『念ずれば花開く』に関して、その言葉の意味について次のような趣旨のことが語られている。


 「念ずれば花開く」。これは、ただ念じていれば、ひたすらお願いしていれば、夢が叶うという意味ではありません。毎日毎日ただ念ずるだけでは、99.9999%の確率で花は開かない。得体の知れない神頼みのお願いでは、成功の花は開かない。
 
 では、花を開かせるための『念ずる』とは、どういうことなのか?
それは、ただ念ずるのではなく、『念を実践』しなければ花は開かないということです。 分りやすく言うならば、毎日毎日を、念じながら小さな努力を積み重ねることで、花は開くのです。

 念という字は、「今」と「心」という字で成り立っている。
つまり念とは、「今」自分の目の前にある小さな事に、「心」を集中して取り組むということを意味する。
 すなわち、「小さな努力を積み重ねる行為」は、「念ずることの実践」に他ならない。
この「念の実践」をコツコツ続けた人が、「成功の花」を咲かせることができるのです。

結び
 合同会計の行動理念である
 「積小為大」・「凡事徹底」は、成功の花を開かせる「念の実践」に他なりません。 


 

人口減少が加速! どうするニッポン! どうなるニッポン?

   4月26日。国立社会保障・人口問題研究所が日本の長期的人口予測を公表した。2070年時点での日本の総人口は、現在から「3割減の8700万人」まで減少するという予測である。単純に計算しても毎年70~80万人人口が減少する話になる。既に現時点でも年間死亡者数130万人・出生者数80万人の差引き50万人減であるから、公表された数値には納得せざるを得ない。確実に日本の社会は静かなる有事に突き進んでいるようだ。


 政府も異次元の少子化対策を声高に唱え初め、こども家庭庁を発足させるなど人口政策に本腰を入れ始めたようだが、まだ手応えのある政策を打ち出すには至っていない。人口減少が国力衰退に直結するという危機感が社会にじわりと拡がり始めたことは確かだが、具体的かつ効果的な施策が聞こえてこない現状は歯痒い限りである。
 さて、日本のかかる現状から世界に目を転じてみると、世界人口は昨年11月に80億人を突破した。加えて今月末頃には、インドの人口が中国本土の人口を抜き去り、世界一の人口大国になるとのニュースも報道されたばかりである。世界人口が増加し続ける中、我が国の人口は減少し続けるという構図をどう考えたら良いのか?実に悩ましい。


 明治以来、日本人は一貫して人口増加を伴う社会発展の道をひたすら歩んできた。その結果、長期的・継続的な人口減少社会を経験していない。悩ましいというより、対処の仕方が分らないというのが本音だろう。とはいえ今後、人口減少を迎える国は日本以外にも数多く出現する。お隣り中国は今年から人口減少に転じたばかり。韓国も特殊出生率が0.78人と世界一低い。早晩日本以上の深刻な人口減少社会に突入するだろう。EU域内の先進国も同様に人口減少期を迎えると予測されている。世界人口の増加が進む中、逆に人口減少に転じる国・地域が拡大し、地球規模で人口偏重現象が進み始めているのだ。人類が初めて体験する人口増の中での人口減少社会の出現。そのトップランナーが日本であり日本人なのである。人類の未来の課題に一番先に直面し、その解決に挑めるのが日本の立ち位置でもある。


 高度成長期の1972年。ローマクラブというシンクタンクが公表した「成長の限界」という報告書が世界の注目を集めたことがあった。「人は幾何学級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しない」。つまり人口はかけ算的に増えるが、食糧は年1回しか収穫できない足し算的な生産に留まる。やがては限界に達するという概念である。食糧、エネルギーなどの資源の有限性(地球の有限性)を説き、世界に向けて警鐘を鳴らした報告書である。その後も国連に働きかけた結果、地球環境問題を討議する委員会が国連内に設置され、1984年には「環境と開発に関する世界委員会」が設立された。この委員会はブロントラント委員会と称され、後に「われら共通の未来」という報告書を発表。「持続可能な開発」の概念を打ち出した。現在、国連が提唱するSDGsの源流となるものである。


 この委員会では「地球上の70億人全員が現在のアメリカ人と同じレベルの資源消費性向を維持しようとすると、地球が5つ必要になる」として、人類の叡智・技術を駆使した省資源消費の概念を公表している。いわば「足るを知る」「もったいない」という日本人の精神文化に通底する概念を世界に発信している。

 

   人口減少社会のトップランナーであるニッポン!「足るを知る!」もったいない!」の精神文化をもつニッポ人!

戦前戦後を通じて今日まで、ものづくり立国を歩んできたニッポン!

大きく目を開いて地球の未来を考えるとき、人類の課題に答えを出せるのは人口減少先進国・ニッポンかも知れない。      

令和5年度国の予算。過去最大114兆円あっさり決まる。

  3月28日、令和5年度の国の予算案が参議院で与党の賛成多数で成立した。予算規模は過去最大の114兆3812億円となったようだ。過去最大の予算にしては以外とあっさりと成立した感がある。世間は予算審議よりも、ウクライナへの岸田総理大臣の電撃訪問や、チャットGPTの話題やら、はたまたWBCでの侍ジャパンの大熱戦に気が惹かれていたのかどうか分らないが、予算成立はあまり国民の関心を惹かなかったようで、新聞紙面での扱いも例年と比較すると以外と地味な扱いであったような気がする。
 しかしながら、今年の予算の中身を見ると、国家運営面で大きな転換点を迎えていることを如実に反映しているように思える。先ず、第一に注目すべきは、例年最大の支出項目である社会保障費である。予算では過去最大の36兆8889億円を計上。前年比6154億円増となっている。進行する高齢化に伴う年金医療費の増加・静かなる有事とも称される少子化(出生数が80万人割れ)対策などに予算が配分されている。18年後の成人は80万人以下となる事を考えると日本社会は大きな転換点を迎えていると云わざるを得ない。

  2番目に大きな支出項目が国債費(国の借金返済)。その規模は年々増え続け、今年は25兆2503億円と前年度比9111億円増である。世界に類を見ない財政赤字国家はいつ返上できるのか?見通しすらつかない。

  3番目の支出項目が地方交付税等の16兆3992億円で、前年比5166億円増である。地方経済の疲弊は止まりそうもない。

 厳しい安全保障環境への対応を迫られる中、防衛費の予算も前年度を1兆4192億円上回る6兆7880億円を計上し、これとは別に将来の防衛力強化に充てるための強化資金として3兆3806億円を計上している。ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾統一への動きやミサイル発射を繰り返す北朝鮮の動きに備えるため、反撃能力を確保するため巡航ミサイル・トマホークなどの導入、継戦能力を高めるための弾薬備蓄の増強や堅牢施設の整備などに予算配分がなされている。きな臭い匂いが感じられてならない。
 さて、この114兆円超の予算を執行するためには財源確保が不可欠である。収入内訳をみると、税収が69兆4400億円(前年度比4兆2050億円増)となっている。コロナ禍もおさまり経済回復を見込んでの税収増の予算である。その他、税外収入9兆3182億円を見込み、不足分の35兆6230億円は新規国債の発行で賄うという赤字予算である。これにより令和5年末の国債発行残高は1068兆円となる見通しという。
 毎年の事ながら、日本の財政建て直しは遅々として進まない。小泉政権や安倍第二次政権を通じても一進一退の繰返しである。思い起こせばこの間にはリーマンショックによる世界的な景気後退、東日本大震災などの激甚災害の連続、新型コロナのパンデミックによる経済活動の制限、国内的には特に直撃を受けたのが東京オリ・パラの無観客開催や外国人観光客の激減。加えて昨年2月に勃発したロシヤによるウクライナ侵攻とその後のエネルギーや食糧等の資源高や円安。それに伴うインフレ物価高。まさに2000年代の日本は、嵐のなかを航行する木の葉の舟のような有様である。予算規模が膨らめば膨らむ程に、将来に対する一抹の不安を感じざるを得ないのである。最近、昭和を懐かしむ風潮があるようだが、戦後の団塊の世代が20代であったあの頃の、今より無秩序ではあったが、「超元気な日本」の社会が懐かしくもあり、いとおしく思えるのは、やはり私も古い人間なのでしょうかね。
 

チャットGPTの衝撃!

2023年。ロシアのウクライナ侵攻を契機に世界の安全保障が大きく変化する中、突然、衝撃的なニュースを耳にすることになった。チャットGPTというなんとも不可思議で空恐ろしさを感じる対話型AIがマイクロソフトの検索エンジンに「Bring」に登載され、公開後わずか数ヶ月で億単位の人々が使うようになったというニュースである。


 ITスキルには全く自信のない昭和世代にとっては、とても理解できない能力をこのAIは発揮するらしい。どんな能力なのか?いろいろなニュースを読み聞きしたところによると、何とこのAIは人間の言葉(言語)の「文脈」を理解して、まるで人間と対話するような感じで、人間の質問に対して驚くほど完成された文章表現で回答するというのだ。今までの既存の検索エンジンが知りたい情報に関連するような単語を入力して、ネット上にアップロードされている情報を検索するのではなく、人がAIに語りかけるように文章を入力すると、まるでネット上に人間が住んでいるかのようにAIが自然な文脈で、しかも事の概念を理解し、かつ、事の論点を整理した形で「回答文」をディスプレー上に表示してくれるというのだ。多くの人々がこのチャットGPTに触れつつ、今まで味わったことのない衝撃的体験をしているという。


 この驚くべき対応を可能にしたAIは、米国のスタートアップ企業「オープンAI」が2022年11月に公開した対話型人工知能「ChatGPT」というらしい。驚くことに利用できる言語には「日本語」も含まれるというから、夢のような話である。このAIは膨大な文書データを多言語で深層学習しているそうで、プログラミングのコードなども作成するそうだ。


 数年前、AIが人類の知能を上回る「技術的特異点=シンギュラリティ」が話題になった時があったが、もうすっかり忘れかけていたのだが、今チャットGPTの登場を知り、改めて当時抱いたAIへの不安と恐怖を覚えざるを得ない。
 こままま、対話型AIが人間には不可能なスピードで膨大なデータを学び続けたら近い将来には特異点に到達して、人類をはるかに凌ぐ知能をもつ神の領域の存在として地球上に君臨するのではないかという衝撃を覚えるのである。


 物の本によるとシンギュラリティは2045年頃と予測しているが、このチャットGPTの登場でもっと早くなるのかも知れない。今後の利用の仕方によっては、シンギュラリティが到達する前に、人間の知的生産活動、たとえば弁護士業務、会計・税務、医療、その他製造分野、建設分野、農業分野、政治分野まで活用・利用の裾野が拡大するかも知れない。

 

  そうなればこのAI技術を駆使できない国家は、各種生産分野のみならず防衛分野においても対抗力を喪失することになり、新たな覇権主義の時代が到来するやも知れない。 大きな技術登場は、その技術を得た者が得ない者を支配するという力学が働く。大航海時代の植民地主義。産業革命時代の帝国主義。まだ人類の記憶に残る直近の歴史を振り返っても容易に想像することができるのである。


 昭和世代の小生も、思わず背筋に冷たいものを感じつつも、チャットGPTを使ってみよう、使わなければならない!?・・・と決意を固めて、PCの画面に向き合っているところです。所詮、年寄りの冷や水ではあるけれど・・・。                                  

2023年! 年頭に当たって思うこと・・・。

2023年を迎えた。いつものようにテレビ桟敷で箱根駅伝を楽しんだまでは良かったが、ついに我が家もコロナ禍に襲われてしまった。帰省中の長女と2人の孫に長男夫婦とおせち料理とおとそで新年を寿ぐまでは良かったのだが、翌日、長男から発熱したとのメールが届き、程なく長女と2人の孫、加えて小生の妻までも体調不良を訴え、ついに小生を除く家族全員が新型コロナに感染してしまったのだ。新年そうそうの大惨事である。幸い全員重症化には至らず早期に回復したので、ホット胸を撫で降ろすことができたものの、どうやら今年も4年目に入ったコロナ禍に振り回される年になりそうである。


 さて我が家のコロナ禍はともかくとして、2023年の劈頭。この先1年を展望してみると、2022年に生起された様々な出来事に、今年も振り回される年になりそうな予感がする。
 年末から勢いを増したオミクロン株もやがて第8波のピークを迎えつつ、新たな変異株に姿を変えて、今年中盤には第9波となって再襲来する可能性が高い。中国のゼロコロナ政策転換による世界的なパンデミックも懸念される年となるだろう。


 ロシアとウクライナの戦争も1年を迎える。戦線は膠着状態になりつつあるが、ロシアの大攻勢の動きを予想する報道も有り、新たな緊張状態に陥る可能性が高い。ウクライナを支援する米国やNATO諸国、とりわけ、今注目を集めているのが、ドイツ製の戦車「レオパルト2」の供与をドイツが認めるかどうかであろう。戦況打開の鍵を握ると目されているのだが、ドイツとしてはロシアとの過去における比較的良好な関係を維持してきた立場から、ウクライナ支援で目立ちたくない姿勢を保ち続けるのか、ウクライナ支援に一歩踏み出すのか周辺国はじっと見守っている状態だ。当面はこのドイツの支援姿勢いかんで今後の戦況に大きな影響を及ぼすことになりそうである。


 コロナ禍とウクライナ侵攻の影響を受けてグルーバル経済は大きな打撃を受けた。物流網の寸断でエネルギーや食糧、半導体などの供給体制が崩壊し、物価高騰を引き起こした。米国やEU諸国は急激なインフレを抑え込もうと相次いで金利を引上げた。あおりを受けて円安が150円まで進み、その結果輸入物価を中心に我が国でも3%超える消費者物価の上昇を記録した。今年は、世界的な物価抑制を中心目標として、金利と為替の動向がかってないほど注目される年となることは間違いない。折しも日銀総裁の任期到来と新総裁の誕生がこの春に予定されている我が国では、アベノミクス以来の「異次元金融緩和政策」が転換期を迎えるのかどうかも注視される年となろう。


 そして、戦後の平和国家ニッポンの安全保障政策が大転換期を迎える年ともなる。引き金はロシアのウクライナ侵攻である。我が国の周辺国は、ロシアを含め、戦狼外交を標榜する覇権主義中国と、狂ったようにミサイル実験と核開発を進める北朝鮮である。今の防衛力ではたとえ日米安全保障条約があっても守りきれない不安が急速に高まったのも昨年である。それを受けて今年は「反撃能力」の確保と「継戦能力」向上が愁眉の急とされ、防衛予算を今後5年間で43兆円増額する第一歩を踏み出そうとする年となる。法人税やたばこ税、復興特別所得税の見直しなどで国民に負担を求めることが今年の国会で明確になる。

 

 大きな転機は既に昨年数々起きている。今年は、一つ一つその方向を見定めて大きく舵を切る年になるであろう!
 

2022年という時代は?

  2年前から猛威を振るい続けてきた新型コロナが第6波に及ぶ最中、北京冬季五輪の閉幕するのを待っていたかのように、2月24日ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。

 思い起こせば、ロシアによるクリミア半島併合も自国開催のソチ冬季大五輪が閉幕した直後であった。平和の祭典「五輪開催」の舞台裏で、侵略の牙を研ぎすませていたロシアの行動は断じて容認できるものではない。世界はコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻の二つの緊急事態によって、一気に平時から非常時の時代へと否応なしに引きずり込まれた感がある。その後のエネルギーや食糧を中心とした資源価格上昇は、企業物価と消費者物価を否応なく押し上げ、EU・米国を始め多くの国に悪性インフレをもたらすことになった。

 

 特に米国のFRBは相次ぐ金利引き上げを行い、この1年間で7回利上げを実施した。その結果、米国の長期金利は年初の0.25%から4.25%引上げられ4.5%の水準で年を越しそうである。そんななか、日本の長期金利は年初以来0.25%を頑なに堅持し続けた結果円安を招き、一時は32年ぶりとなる1ドル150円を記録した。コロナ禍やウクライナ侵攻によりサプライチェーンが寸断されて資源高が避けられない情勢の中、日米の金利差を背景とした円安は、更に輸入物価を押し上げる結果を招き、国民生活にも深刻な影響を及ぼした。これに慌てた日銀は12月に入り、金利政策の転換ではないと強弁しつつ、10年物国債金利を0.5%までの範囲内で調整する決定をした。来春には日銀黒田総裁の任期が到来する。新総裁への交代を機に、アベノミクス以来継続されてきた異次元緩和政策は終止符を打つのかも知れない。


 さて、そのアベノミクスの提唱者である安倍元首相が凶弾い斃れたのも今年の7月8日であった。憲政史上、首相在任期間が歴代1位となり、希有な政治家の立場を盤石なものとした直後の不幸な出来事であった。折しも米中対立が激しさを増すなか、安倍氏が提唱した「法の支配に基づく、自由で開かれたインド太平洋構想」は、今や米国のアジア戦略の基軸となっている。今後、アジアにおける安全保障の戦略図式は、中国の「一帯一路」VS米国の「自由で開かれたインド太平洋戦略」のもとに激しく展開されることは確かであろう。

   ロシアによるウクライナ侵攻は、中国の武力による台湾統一の行動を誘発しかねない危うさをもたらした。ペロシ下院議長の台湾訪問に激しい反発を見せた中国は、その直後に行った大規模軍事演習によって、武力を行為しても核心的利益である台湾独立阻止を貫く姿勢を鮮明にした。このことは極東の安全保障に大きな影を落とす事になった。


 その中国の軍事演習中に、ミサイル5発が日本の排他的経済水域(EEZ)内に打ち込まれたことは、我が国の防衛政策に大きな影響を及ぼすこととなった。これに加えて北朝鮮が狂ったようにミサイル発射を繰り返し、もはや核開発やミサイル開発を禁止する国連決議が空文化した状況を省みると、やむを得ないとも思えるが、政府は12月に「安保3文書」改訂を閣議決定して、戦後、我が国が堅持し続けてきた専守防衛政策の大転換に踏み切った。いわゆる「反撃能力」を保持するとともに、今後5年間の防衛費を43兆円増額し、最終的には国の防衛費予算をGDP比2%にする方針を明確にしたのである。

 

  しかしそれで国が守れるとは思えない懸念材料がある。今年の新生児数が80万人を割ってしまったことだ。お金で国は守れない。経済でも軍事でも国を発展させ国を守るのは、お金ではなく国民(人)である。もっと子供を大切にする国づくりが必要ではないのか?
 

世界の人口が80億になった2022年に思う!  

 超高齢化が世界最速で進行し、誰の目にもハッキリと目視できるようになった日本の人口減少と経済力の顕著な縮小現象。そんななかで、2022年11月15日、世界の人口が80億人の大台に到達したというニュースが報道された。
 2010年(平成22年)の世界の人口が70億人ということらしいので、この12年間で10億人増えたことになるそうだ。1960年、戦後の第1回東京オリンピックが1964年(昭和39年)に開催されているので、つまりはその4年前の世界人口は30億人であったという。その時代と比較すると何と50億人も増加した計算になる。当時の人口の2.7倍もの人間が、この唯一無二の地球号に生息することになったのであるから、世界は一層狭苦しくなっており、温暖化を巡る環境問題が人類共通の深刻な課題となってきたのも、不承不承ながら頷かざるを得ない思いである。


 国連の中位推計によると、2037年には90億人、2058年には100億人に達し、2063年にピークを迎え、2090年頃には減少に転じると予測しているようだ。推計どおりすれば、21世紀後半まで人口は増加し続けることは間違いなく、果たして100億人に至るまでの間、人類は胃袋を満たす食糧を確保できるのかどうか心配になる。
 最近は昆虫食などの研究が行われているというニュースを聞くが、もしかしたら後10年か20年かしたら、昆虫ハンバーグや、昆虫粉末スープなどがレストランや食卓に普通に並ぶ時代が来るのかも知れないと思う。それはそれで、その時代の人間は貪欲にそれを受け入れるのかも知れないが、昭和20年代生まれの小生からすれば、昔の子供の頃にフラッシュバックしたような気もする。
 なぜならば、昭和20年代は、戦後の深刻な食糧不足から村の人々は田んぼの「イナゴ」を捕まえて、佃煮にしてタンパク源を補っていたからである。結構うまかった記憶もあるから、もし昆虫食の時代になっるまで寿命があれば(ある訳ないけど・・・)自分は絶対に生き抜けるかなぁ・・・とも思ったりするのである。


 食糧問題はともかくも、今後世界の人口増加の中心エリアはアジアとアフリカであるという。アジアでは特にインドの人口増加が著しく、まもなく中国を抜き去って世界一の人口を誇る国になることが確実視されている。直近の人口ランキング1位は中国の14.3億人、2位がインド13.8億人、3位米国の3.3億人、4位がインドネシアの2.7億人だという。もうすぐインドが中国を抜いて14億人(中国は今後高齢化で人口減少に転ずる・・)となれば、その他のアジアの人口を含めて合計すれば、地球上の人類の2人に一人はアジア人ということになるようだ。これにアフリカ勢が猛追することになることを想定に入れると、この先の地球号の運命はアジアとアフリアが握ることになるかも知れない。

 どのような運命を握ることになるかは定かではないが、貧困、飢餓、疫病、環境破壊、紛争、戦争などの修羅の世界だけはご免被りたい。今年はヨーロッパにも戦禍が拡大している。東アジアでもミサイルを狂ったように発射している国もある。「天気晴朗なれど波高し!」の光景が再現されることだけは何としても回避したいと祈るばかりある。

 

 世界の人口増加がもたらすものが何んであるかは正直分らないが、歴史を学ぶことで人類生存の叡智を見い出せるかも知れないと密かに思う今日この頃である。


 

令和5年(2023年)の税制改正の注目点の一つは暦年贈与だ!

この数年間、いつもこの時期を迎える頃になるとささやかれ始まるのが生前贈与の話である。社会の格差問題の一つとして富裕層への富の集中化が取り沙汰されるなか、決まってその解決策としてフォーカスされるのが現行税制のあり方である。


 つまり多くの財産を有する富裕層が、自らの相続税の負担を軽減するため計画的に生前贈与を行うことで、将来の税負担を相当程度圧縮できてしまうことが社会的な公平さを欠き、かつ、持てる者と持たざる者との格差拡大につながっているとの見解が毎年のように指摘されている。特に中心的な論点に浮上しているのが、生前贈与の王道と目される暦年課税制度の改正機運である。2021年度の与党税制改正大綱に続き、2022年度の同税制改正大綱においても、生前贈与税制の改正を示唆する文言が盛り込まれており、今後の2023年度税制改正の動向が注視されているのが現状であろう。


 さて、それでは過去2年間の生前贈与、とりわけ暦年課税制度の改正に関する与党税制調査会の態度はいかなるものであったかというと、財産継承を巡る税制上の主な論点として表明しているのが、「資産移転時期の選択に中立的な税制を構築する方向で、検討をすすめる必要がある。」という点に尽きる。


 資産移転時期の選択に中立的とは、砕けて云えば、いつ生前贈与しても公平な課税が行われることを意味する。例えば、相続発生前の1年前に贈与によって資産移転しても、同様に7年前に資産移転しても、贈与の時期にかかわらず相続税を課税できるようにして税負担の公平を図る仕組みの検討をすすめるというこである。現行の生前贈与対策で誰もが行っているのが受贈者一人につき年間110万円までの贈与が非課税となる暦年課税制度である。計画的に「長く早く遅れなく」暦年贈与を続けていけば、相続時までに相当程度の資産移転が実現し、合法的に相続税が節税できる。但し、現行税制では相続開始前3年間に行われた贈与は、相続財産に持戻して合算課税をされる規定になっている。

 が、3年を超えていれば課税されずに済むので、無理な借金をして将来に禍根を残す可能性のある賃貸マンション投資などの節税対策などと較べても、リスクなしで安心して取り組める相続税対策であり、多くの人がこの税制を利用しているのが実情であろう。

 

 来たるべき2023年の税制改正では、この暦年課税制度の改正が主役になる可能性が高い。すでに与党・政府の両税制調査会においても、暦年課税廃止論はさすがに否定的ではあるものの、相続開始前3年間の贈与財産の持戻し期間については、相当程度延長する方向であることを匂わせている。持戻し期間が5年になるのか7年になるのか、はたまた10年になるのか10年超になるのか、現時点では不明だがおそらく3年間という期間は相当程度延長される可能性が高いと云わざるを得ない。


 この持戻し期間延長の改正はおそらく国際標準をベースに検討される公算が高いと推測される。そこで、外国の例をみると、英国は7年、ドイツ・韓国は10年、フランスは15年、米国は無期限となっている。これら外国の例を参考に持戻し期間延長が検討されるとすれば、現行3年が7年~10年(最長でも15年)のレンジで決まるのだろう。納税者の立場からすれば最良な改正は英国並みの7年、最悪はフランス並みの15年というところだろう。いずれにしても「期間3年」が使えるのは今年と来年の2回限りか?
 

波乱の金融市場でマイナス金利政策を貫く日銀黒田総裁が輝いて見える!?

 2022年の世界経済はコロナ禍に揺さぶられ続ける中、ロシアのウクライナ侵攻(今や戦争)により、加速度的に混乱の度合いを深めている。かつて企業は、世界の最適な地で最適なコストで最適な製品を生み出して最高の利益を得ることに奔走していたが、今や見る影も無いほどに選択肢をもぎ取られつつある。トランプ政権時代に勃発した米中対立の構図に、ロシアとEUの深刻な対立が投影されたことにより、世界経済は急速に分断化されてきた。グローバル経済下での低インフレの時代は終焉を迎え、今年前半からインフレの流れが加速し始めたようである。経済の分断は、食糧資源やエネルギーなどの供給制限を誘発する。国内における年初来のガソリン価格上昇や食料品の相次ぐ値上げも世界市場における価格高騰が背景にある。加えて、日本は1ドル145円台に届かんとする円安で輸入物価の高騰に拍車がかかっている状況だ。


 当然、円安を放置している日銀への風当たりも相当に強いはずである。にも関わらず、日銀の黒田総裁の低金利政策は微動だにしない。市場関係者が悲鳴を上げるような局面でも、10年物国債利回りを上限0.25%に押さえ込み、国債買入れオペを果断に実行しつつ、財務省による24年ぶりの大規模な為替介入の強調行動を取付けて、円安防衛に当たっている。
 これに相反して金利引き上げに動いているのが米国を筆頭とするEU・イギリス・カナダ・豪、NZなどの中央銀行である。それに吊られるように新興国も軒並み金利を引き上げ、自国通貨安の回避に腐心している。世界が民主主義VS権威主義に分断されつつある局面での供給制限と物価高騰が始まる中、自国の通貨安はどこの国も避けたいのが本音である。米国をはじめとする先進各国は、インフレ警戒で金利引き上げに動き、多額のドル建て債務を抱える新興国は自国通貨安にともなう債務膨張を防ぐために金利引き上げに走る。

 そんな金融市場のドタバタ劇が始まっている中で、日銀だけは、アベノミクス仕込みの円安・低金利の方針を堅持しているのだ。投機筋から円が狙い撃ちされることなど意にも返さず、一人我が道を行く構えなのだ。まさに孤高の人の姿そのものである。今となっては逆にその信念の強固さが輝いて見える程である。考えて見れば円安と騒いではいるが、通貨安になっているのは円だけではない。世界の主要国も実はドルに対しては軒並み通貨安になっている。つまりは、ユーロもポンドも、元も、その他の国の通貨も軒並みドルに対して下落しているのだ。であるならば、ことさら円安を騒ぎ立てる理由はないようにも思える。むしろ、円安をチャンスと捉え、円安メリットを最大限に利用する企業家精神を存分に発揮すべき時ではなかろうか。


 円高になると困ったといい、円安になるとまた困ったいう。円高も円安もメリット・デメリットの両面が必ずあるのだから、揺れ動く通貨相場の各局面でメリットを最大限に発揮することに意識を集中すべきであると思うのだが・・・。

日本は今こそ、円安という現状の局面を千載一遇のチャンスと捉えて、経済をV字回復する決意で、果敢に世界市場に打って出る時期が到来していると考えるべきではないだろうか。孤高の人がいる間に。
 

 

巨星墜つ! 経営の哲学者・稲盛和夫京セラ名誉会長逝く!

            
なんとも寂しいニュースが跳び込んできた。京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が、8月24日老衰のため京都市内の自宅で死去(90歳)したという。これで日本の経済人を代表する大物を失うことになった。まさに巨星墜つ!である。

 

その喪失感は稲盛氏が仰ぎ見たであろう二人の先人、松下幸之助や土光敏夫を失った時代を思い起こさせる。この3人に共通するのは経営や人生を貫く哲理の人であったということである。

 稲盛氏は生前多数の著書を世に出しているが、私が手にした「生き方」という本は特に印象深い本である。その本の中で未だ覚えているのが「人生の方程式」である。稲盛氏は、人生や仕事の結果は、「考え方」×「熱意」×「能力」という三つの要素のかけ算で決まるとしている。


ここで私が最初に驚いたのは、「考え方」+「熱意」+「能力」という足し算ではなく、かけ算としていることである。足し算とかけ算ではその結果に大きな違いがある。考えればすぐ分ることだが、足し算であるならば、先述した三つの要素のうち、どれか一つが0点でも他の要素がそこそこならば、それなりの点数(結果)は得ることができる。しかし、これがかけ算ともなると、三つの要素のうち、一つでも0点となったときは、他の要素がそこそこ高得点でも、答えは0点となってしまう。

 つまり、考え方・熱意・能力という三要素を単純に足し合わせるのではなく、掛け合わせるというのが人生であり、人生の方程式なのである。当時の私は、稲盛氏の内心に潜む自己に対する妥協や怠慢を許さないストイックな生き方に正直圧倒されたものである。


 さて人生の方程式にはもう一つの思想が配点されている。それは、まず、「熱意」と「能力」には、0点から100点満点が配点される仕組みになっている。能力が仮に80点でもやる気が10点程度ならば、結果は800点。一方で能力が30点でも、やる気満々の熱意90点であれば結果は、2700点となり、この時点ではやる気がある人の方が人生の結果では優位に立たつ。

  最後にこの方程式の真価を決する配点が、三つ目の要素である「考え方」に仕掛けられている。考え方の配点は0点から100点と0点からマイナスの100点である。仮に熱意・能力が共に50点でも、考え方が-50点ならば、結果は、-12.5万点となり、人生負け犬になってしまう。逆に考え方が+50点であれば結果は、+12.5万点で全く真逆の結果となる。

 

ここで誰もが気づくのは能力や熱意は人生や仕事の成功不成功には欠かせない要素であるがそれだけでは足りないということである。つまり、この方程式で一番大切な要素は「考え方」である。考え方(思想や理念を含む)が正しければ熱意と能力は成功のベクトルとして作用するが、考え方が邪(よこしま)だと、熱意も能力もマイナスに働いてしまうということである。


 人生の成功も、仕事の成功も、その鍵を握るのはその人の「考え方」次第であることを稲盛氏は三つの要素のかけ算で端的に分りやすく教えてくれているのだ。今、世間では「エシカル経営」とか「理念経営」とかが叫ばれているが、稲盛氏がその生涯を通して知らしめた「生き方」は、この先も長く後世に語り継がれるであろう。

 

 ここで、渋沢栄一の論語と算盤の中に出てくる「昭憲皇太后が詠まれた詩」が思い出される。

  『 持つ人の 心によりて 宝とも 仇ともなるは 黄金なりけり 』 

意訳すれば、「もとよりお金そのもに物事の善悪を判断する力はないが、それを持つ人の心次第で、世の為にもなるし、仇ともなるのがお金である」ということになる。

 

いつの世でも、人生の決め手は「考え方」次第ということか!