新型コロナの死者ついに100万人に! 人は、社会はどう変わる?! | 経営の勘どころ・つかみどころ

新型コロナの死者ついに100万人に! 人は、社会はどう変わる?!

                                                
 世界各国・地域の新型コロナ感染者数が9月29日時点で3,300万人を超えた。死者数も100万人を突破した。有効なワクチンや治療薬を提供できるまでには、まだまだ時間がかかることから、世界保健機関(WHO)は、新型コロナによる死者数は今後さらに増加し続け、比較的短期間の内に200万人に達する恐れがあるとする見解を公表した。
 最大の感染国・米国をはじめ、インド・ブラジル・ロシアの四カ国合計で1,919万人の感染者が確認されている。(出典:9月29日時点・米ジョンズ・ホプキンス大学) この四カ国だけで世界の感染者数の58%を占めている。しかも、欧州など他の地域に目を転じると、仏・英国・スペイン・イタリア・ドイツやフィリピン・インドネシア・メキシコなどでも感染拡大・再拡大が続いており、新型コロナが年内に終息する見込みは殆ど予測できない状況である。


 我が国でも、6月から始まった第二次感染が完全に収束期を迎えたと言える状況には至っておらず、小池百合子東京都知事の「ギリギリのギリ」で踏み留まっているというのが偽らざる実態であろう。
 かかるコロナ禍において、首相在任期間で歴代最長を記録した安部総理大臣が8月28日体調不良を理由に辞任の意向を表明した。これを受けて9月14日に自民党総裁選が実施され、管義偉官房長官が選出され、直後に開かれた臨時国会での可決を得て、第99代日本国・内閣総理大臣に就任した。コロナ禍の中でのトップリーダーの交代は異例かつ異常事態である。
 しかしながら、就任後の菅首相の動きもまた極めてユニークだと思う。表面上は安部政権の継承を唱えているが、それは主に外交面の話であり、内政面においてはこれまでとは空気感の違う雰囲気を漂わせているのだ。「はんこ追放」を叫ぶ河野太郎行革担当相の任命をはじめ、少子化対策の一環として「不妊治療の保険適用・待機児童ゼロ方針」や携帯電話料金の引下げ発言、コロナ対策と経済対策の両立や地方重視発言など、矢継ぎ早に管カラーを鮮明にし始めた。とりわけ注目すべきはデジタル後進国に転落した我が国の巻き返しを狙って、「デジタル庁」を創設する方針を打ち出したことだ。DX社会(デジタル・トランスフォーメンション)の到来を見通した上でマイナンバーをデジタル行政の中心に据える構えだ。これまでマイナンバーの利用範囲は、法律で「税と社会保障、災害関連業務」のみに限定していた。これを今後は、健康保険証・運転免許証・預金口座・消費税インボイス番号等に紐付けする他、その対象範囲を拡大して、お役所業務全般に横串を通す形で情報連携を図ろうとする狙いが込められているようだ。何かと利便性に乏しいお役所の各種の申告・申請手続等のオンライン化を「デジタル庁とマイナンバー」の両輪で強力に牽引していく構想であろう。


 コロナ禍の下、民間はすでにテレワークやオンライン会議などの対応を否応なく進めているときである。お役所だけが、特別給付金や持続化給付金・家賃支援給付金などの申請で混乱を露呈した、脆弱な旧来型のデジタル基盤にしがみつく事はもう許されないであろう。
 明くる2021年は、国を挙げての「DX元年」になることは間違いないと思われる。新型コロナは人々に不安と恐怖を与え、かつ、人と人とを物理的に分断する悪行を働いたのだが、その反面、人々には否応なしの「行動変容」を促した。その結果、リモートワークやオンライン利用が急拡大し、思いもよらず社会のデジタル化を促進する牽引役を担ったようである。
 人間は危機に直面するとそれを直視しないで、大丈夫だろう・・・と自らを納得させてしまう「正常性バイアス」を無意識に働かせてしまうという。言い換えれば、人は尻に火がつくまでは動こうとしない「茹で蛙の論理」を内包する生き物だということである。新型コロナはこのことを皮肉にも、見事なまでに再証明してくれたようである。