ロシアのモスクワで開催された、第17回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門が、終わった(公式サイトはこちら)。
これまで、ネット配信を聴いて(こちらのサイト)、感想を書いてきた。
とりわけ印象深かったピアニストについて、備忘録的に記載しておきたい。
ちなみに、第17回チャイコフスキー国際コンクールについてのこれまでの記事はこちら。
第16回チャイコフスキー国際コンクール(ピアノ部門)が終わって
(第17回チャイコフスキー国際コンクール(ピアノ部門) 出場者発表)
08. Stanislav KORCHAGIN (Russia 1993-)
今大会の第3位受賞の2人の中の1人。
力強い打鍵が特徴で、リストのマゼッパやブラームスのパガニーニ変奏曲第2巻あたりが印象的。
15. Xuanyi MAO (China 1995-)
今大会の第4位受賞の2人の中の1人。
独自の集中力を持ち、派手すぎないシックなセンスで聴かせる音楽的なピアニスト。
01. Sergei DAVYDCHENKO (Russia 2004-)
今大会の優勝者。
パワーとテクニックをトップレベルで兼ね備えた18歳の逸材。
細部の完成度と陰影のある音楽表現が今後の課題ではあろうが、プロコフィエフの協奏曲第2番などは現時点ですでに文句なしの名演である。
20世紀をピークとして少しずつ勢いを失いつつある現在のロシアのピアノ界(特にテクニック面で東アジアに後塵を拝している)においては貴重な存在で、将来マツーエフのようなピアニストになりそう。
18. Marcel TADOKORO (Japan/France 1993-)
惜しくも2次審査で選に漏れたが、他の誰とも違うユニークな選曲で勝負し、フランス風味の優美な演奏を聴かせてくれた。
16. Ilya PAPOYAN (Russia 2001-)
今大会の第3位受賞の2人の中の1人。
直情的でメランコリックな音楽性を持ち、小手先でない感動を与えてくれるピアニスト。
10. Nikolai KUZNETSOV (Russia 1994-)
2次審査で選出されなかった人から一人選ぶなら彼か。
柄の大きな音楽をするピアニストで、彼と同世代のドミトリー・マイボローダなどもそうだが、こういうタイプの人はロシアならでは。
05. George HARLIONO (United Kingdom 2001-)
今大会の第2位受賞の3人の中の1人。
イギリス人の父とインドネシア人の母を持つという彼は、洗練された技巧と端正な音楽性が特徴で、前回大会では1次で落とされてしまったが、昨年の仙台コンクール第6位を経て(その記事はこちらなど)、今回ついに念願の入賞を手にした。
20. Angel Stanislav WANG (USA 2003-)
今大会の第2位受賞の3人の中の1人。
また、私の中での個人的な今大会のMVP。
中国系アメリカ人の父とロシア人の母を持つという彼は、華のある打鍵とロマン的な感覚が特徴で、ソロ曲では出来にムラがみられたが、協奏曲では水を得た魚のように、天性のヴィルトゥオーゾともいうべき存在感を遺憾なく発揮した。
チャイコフスキーの協奏曲第1番は、先日のルービンシュタインコンクールでのKevin CHENに匹敵する演奏はしばらく現れまいと思っていた矢先(その記事はこちらなど)、さっそく現れてしまった(洗練のKevin CHEN、音圧のAngel Stanislav WANGといったところか)。
22. Suah YE (South Korea 2000-)
今大会の第4位受賞の2人の中の1人。
くっきりした明瞭な音づくりが快く、「ヴァルトシュタイン」ソナタなど新鮮な印象を受ける。
09. Koki KUROIWA (Japan 1992-)
惜しくも2次審査で選に漏れたが、ヴィルトゥオーゾとしてのスタンダードな選曲で勝負し、ベストの演奏を聴かせてくれた。
03. Bogdan DUGALIĆ (Serbia 2003-)
(1次)
1次審査で選出されなかった人から一人選ぶなら彼か。
若々しく勢いがあり、ベートーヴェンのソナタ第7番やリストの「荒々しき狩」あたりが印象的。
14. Valentin MALININ (Russia 2001-)
今大会の第2位受賞の3人の中の1人。
ロシアにありがちなピアノをガンガン鳴らすことをしない、ラフマニノフよりはスクリャービンタイプのピアニスト(私のイメージするスクリャービンよりは少しひんやり冷たい感触なのもまた彼の特徴だが)。
実際、彼は今回スクリャービンの曲を多く取り上げ、普段ほとんど演奏されない協奏曲をも選んでいたが、彼には奏功したように思われる。
以上のようなピアニストが、印象に残った。
最後に、戦時下でのコンクールということについて、少しだけでも触れないわけにはいかない。
ウクライナ侵攻中のロシアで開催された今大会に出場したコンテスタントたちに対する批判的な意見を、ちらほら見かける。
それらの多くは、おそらく正論なのだろう。
こんな現状で、彼らはなぜコンクールを受けたのか。
記事から類推するに(→こちらなど)、彼らにはまず、人生の夢であったのだと思われる。
アスリートがオリンピックを夢見るように、音楽家としてこのコンクールをどれだけ強く夢見ていたか、単なる愛好家である私には想像もできない。
夢は強く願えばいつか叶う、というけれど、この夢は年齢制限があるため、先延ばしすることはできなかったはずである。
そしてもう一つ、先の記事や他の記事から類推するに(→こちらなど)、彼らにはまた、今回のコンクール出場は、平和への祈りのメッセージでもあったのだと思われる。
音楽によるメッセージというのは、非常に難しい。
音楽は、抽象的な芸術だからである。
1937年のザルツブルクで、「偉大な音楽はナチの不思慮と非情とに真っ向から対立する」と言ったフルトヴェングラーと、「第三帝国で指揮するものはすべてナチ」だと言ったトスカニーニ。
その後、凄惨な第二次大戦を経て、現在ではトスカニーニの言うほうが正しい、というのが一般的な社会通念ではないかと思う。
それでも、若き音楽家たちの純粋な信念と行動に対して、それが間違っていようとも、私は同情的に考えている。
音楽家が音楽の力を信じるのは自然なことだし、それくらいの信念があってこそ音楽を極めることができるのだろう。
ただ、特にロシア人以外の入賞者たちは(ロシア人は自身や家族の安全のため難しいだろうけれど)、くれぐれもここでロシア政府に利用され、今後の音楽人生を棒に振ることのないよう、慎重な行動をと願う老婆心があるのみである。
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