(好きな作曲家100選 その26 フランソワ・クープラン) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第26回である。

 

 

前回の第25回では、17世紀の中期バロックのイギリスの作曲家、ヘンリー・パーセルのことを書いた。

さて、今回はフランスの作曲家を取り上げたい。

並外れた才能を持ち、若くしてパリのサン・ジェルヴェ教会のオルガニストに抜擢されたルイ・クープラン(L.クープラン、1626頃-1661)については先日に書いた(その記事はこちら)。

ここから、クープラン一族の活躍が始まる。

 

 

L.クープランが夭折すると、同教会オルガニストの地位は弟のシャルル(1638-1679)が継いだが、そのまたさらに後を継いだのが、シャルルの息子で“大クープラン”と呼ばれるフランソワ・クープラン(F.クープラン、1668-1733)である。

今回は、このF.クープランを取り上げたい。

バッハをはじめ音楽一族は少なくないが、真に偉大な才能は一族に一人いるかどうかといったところ。

一族から二人もの作曲家を選ぶのは、私の作曲家100選ではクープランが最初で最後となるかもしれない。

 

 

父シャルルはF.クープランが10歳のときに亡くなってしまうが、サン・ジョルヴェ教会のオルガニストの地位はいったんミシェル=リシャール・ドラランド(1657-1726)が引き継いで代理を務め、F.クープランが18歳になったらバトンタッチする約束となった。

しかし、師ジャック・トムラン(1635頃-1693)のもとでめきめき力を付けたF.クープランは、すでに16歳のときには同教会オルガニストとしての活動を始めており、彼が若くして才能を発揮していたことが窺える。

 

 

20歳代には、師トムランの後任としてルイ14世の“国王のオルガニスト”に就任、またジャン・バティスト・アンリ・ダングルベール(ジャン=アンリ・ダングルベールの子)の代役として王室楽団の常任クラヴサン(チェンバロ)奏者をも務めた。

この頃、彼は「2つのミサ曲からなるオルガン曲集」(1690)や、トリオ・ソナタ「少女」(1692)「スタインケルク」(1692)「アストレ」(1693)「幻影」(1693)「威厳」(1695)、四重奏ソナタ「スルタン」(1695)といった曲を出版した。

 

 

これら前期の作品を見てみると、オルガン・ミサでは彼が初期バロックの厳格な対位法に精通していたこと、室内楽では彼が当時一世を風靡したイタリアのコレッリ(その記事はこちら)の様式を完全に身につけていたことが分かる。

あたかも、彼の約200年後、初期ロマン派音楽に精通するとともに、当時一世を風靡したドイツのヴァーグナーの影響を大きく受けた、若き日のドビュッシーのごとくである。

古来および外来の音楽を大きく吸収しながらも、どこか独自のフランス風の優美さも備えている点も、ドビュッシーと共通している。

 

 

30歳代には、宗教声楽曲「王の命令により作曲されたモテットの4つのヴァーセット」(1703)「同7つのヴァーセット」(1704)「同7つのヴァーセット」(1705)を出版した。

また、この頃から彼はクラヴサン曲を書くようになる。

後輩ラヴェルのピアノ曲「水の戯れ」に触発されたドビュッシーのごとく、後輩ラモーのクラヴサン曲集第1巻(1706)に触発されたのかどうかは、私は知らない。

クリストフ・バラールの「クラヴサン曲選集」(1707)には、F.クープランの作品のいくつかが作者不記載で収録されているというが、そうして書いた曲をのちに集めて、彼自身の「クラヴサン曲集第1巻」(1713)(第1~5オルドル)として出版した。

 

 

40歳代にはこの曲集に引き続き、「クラヴサン奏法」(1716)、「クラヴサン曲集第2巻」(1717)(第6~12オルドル)を出版した。

第1巻において伯父L.クープランらの古典的な組曲からの脱却の道を模索し始めていた彼は、この第2巻において自由で軽快、優美で装飾的な彼自身の中期様式、かつ新時代のロココ様式の音楽を確立する(フランス近代音楽を確立したドビュッシーのごとく)。

時にルイ14世の崩御後まもない頃、フランスのロココ画家アントワーヌ・ヴァトーが代表作「シテール島の巡礼」を描いたのと同年であった。

なお、クラヴサン曲以外には、室内楽「王のコンセール」(1714作曲/1722出版)、宗教声楽曲「ルソン・ド・テネブレ」(1714)を書いた。

 

 

50歳代には、彼の筆はいっそうの充実をみせる。

「クラヴサン曲集第3巻」(1722)(第13~19オルドル)のほか、トリオ・ソナタ「病み上がり」(1720)、「新コンセール」(1724)、「コレッリ賛」(1724)、「リュリ賛」(1724)、「パルナッソス山の平和」(1724)、「祖国の人々」(1726)、「ヴィオール曲集」(1728)といった室内楽を数多く書いた。

彼のロココ調の華やかさがさらに増すとともに、何か情感のようなものが豊かに付与されるようになっていった。

 

 

そして60歳代になると、彼は最後に「クラヴサン曲集第4巻」(1730)(第20~27オルドル)を出版した。

この曲集において彼は、華やかなロココ様式と生き生きとした豊かな情感表現との、偉大なる調和を見出した。

しかし、彼の健康状態は悪化の一途をたどる。

1733年、彼は64歳で生涯を閉じた。

 

 

 

 

「クラヴサン曲集第4巻」第25オルドル より 第1曲「空想にふける女」(La visionnaire)。

なお全曲聴くにはこちら、YouTubeページに飛ばない場合はhttps://www.youtube.com/watch?v=Ewimw_ls1qE&list=OLAK5uy_k9ssvtZwAEc-RD6ryfWdRIM70zQJDFvWI&index=11のURLへ。

 

 

コレッリの影響の強い前期のトリオ・ソナタ集も美しい作品ばかりだし、中期のクラヴサン曲集第2巻やその後の「コレッリ賛」「リュリ賛」も、ブルボン朝のフランスを彷彿させる華やかで流麗な音楽である。

その反面、伯父のL.クープランの物静かな感動に比べると、やや外面的なきらいがないではない。

そんなF.クープランが晩年のクラヴサン曲集第4巻において到達した、外面的な華やかさと内面的な感動との偉大なる調和は、敬意を表すべきものである。

中でも第25オルドルは、大家の風格を持つこの第1曲「空想にふける女」といい、物悲しい終曲「さまよう亡霊たち」(こちら)といい、とりわけ優れた例として挙げたい。

 

 

18世紀フランスのロココ様式を、音楽の分野において確立したF.クープラン。

彼は、200年前のジョスカン・デ・プレ(その記事はこちら)と200年後のクロード・ドビュッシー、この二大巨頭に迫るほどの存在感をもって、フランス・ベルギー音楽史において大きな役割を果たした人であったように思う。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1~10のまとめ 1500年以前(古代・中世とその周辺)

11~20のまとめ 1501~1600年(ルネサンスとその周辺)

21. フランチェスコ・カヴァッリ

22. ルイ・クープラン

23. アレッサンドロ・ストラデッラ

24. アルカンジェロ・コレッリ

25. ヘンリー・パーセル

 

 


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