山本貴志 ショパン全曲チクルス
~ショパンと巡るポーランド~
スペシャルコンサート「ショパン生誕日に想いを寄せて」
【日時】
2019年2月24日(日) 開演 14:30 (開場 14:00)
【会場】
青山音楽記念館 バロックザール (京都)
【演奏】
ピアノ:山本貴志
第1ヴァイオリン:泉原隆志
第2ヴァイオリン:山本美帆
ヴィオラ:丸山緑
チェロ:城甲実子
【プログラム】
ショパン:
演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」 ヘ長調 op.14 (ピアノ五重奏版)
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21 (ピアノ五重奏版)
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 (ピアノ五重奏版)
※アンコール
ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調 (遺作)
山本貴志のピアノ・リサイタルを聴きに行った。
彼の現在進行中のショパン全曲チクルス全10回、その合間に企画された特別コンサートである。
私は今のところ、このチクルスの全ての演奏会を聴いてきた。
そのときの記事は、下記である。
今回は特別コンサートということで、これまでのソロ作品とは違い、協奏作品となっている(ただしオーケストラとではなく、弦楽四重奏との共演)。
ショパンのピアノ協奏曲第1、2番と、ロンド「クラコヴィアク」。
現代最高のショパン弾きの一人、山本貴志。
彼のショパンは、上述の通りこれまでに何回も聴いているのに、聴くたびに感動してしまう。
彼の音色は、本当に特別。
独特の色合いを持つ美音である。
美音といっても、色々ある。
アンデルジェフスキのような、磨き抜かれて丸く光沢を帯びた美音もあれば、アンスネスのような、ややソリッドな純白の美音もある。
山本貴志の場合は、このどちらとも違う。
色で例えると、虹色とでもいうべきか。
それも、強烈な色彩感を放つというよりは、むしろ淡く控えめでデリケートな、消え入る直前の虹の光のようなイメージである。
彼の演奏はきわめて明晰なものだが、こうした独特の音色と繊細なタッチコントロールによって、聴き手をあたかも幸福な夢でも見ているかのような心地にさす。
彼のカラフルな音と比べてしまうと、ほとんどのピアニストの音は無色に聴こえる。
今回の最初のプログラムであるロンド「クラコヴィアク」も良かったが、何といっても次のピアノ協奏曲第2番が素晴らしかった。
この曲で私の好きな録音は、
●ポリーニ(Pf) 井上道義 指揮 シュトゥットガルト放送響 1973年頃のライヴ盤(CD)
●小林愛実(Pf) プリマ・ヴィスタ弦楽四重奏団 2011年1月13日 第12回ショパンコンクール in Asiaライヴ盤(CD)
あたりである。
今回の山本貴志の演奏は、これら2盤にも勝るほどの、最高の名演だった。
第1楽章、第1主題も第2主題も実に美しく、ルバート(テンポの揺らぎ)も絶妙で、みずみずしい情感がしたたり落ちるかのよう。
そして、再現部冒頭で装飾を伴いながら回帰する第2主題の、たとえようもない麗しさ。
第2楽章、ここの演奏ではもうショパンの繊細な心のひだがこの上ない美しさで体現されていて、涙なしには聴くことができなかった。
再現部直前、ピアノ・ソロにより高音部からゆったり下行していく和音の、星のようにきらめく音色。
第3楽章、随所に出てくる三連符のスケール進行が、繊細極まりないコントロールで奏されるばかりでなく、移ろう感情そのものの表現となっていた。
単なるスケールを弾いて、ここまでの表現ができてしまうのである。
ピアノ協奏曲第2番、この曲の忘れられない演奏となった。
休憩をはさんで、最後はピアノ協奏曲第1番。
この曲で私の好きな録音は
●ポリーニ(Pf) クレツキ指揮フィルハーモニア管 1960年4月20~21日セッション盤(NML/Apple Music/CD)
●アルゲリッチ(Pf) アバド指揮ロンドン響 1968年2月セッション盤(NML/Apple Music/CD)
●チョ・ソンジン(Pf) カスプシク指揮ワルシャワ・フィル 2015年10月18日ショパンコンクールライヴ盤(CD)
あたりである。
また、実演で聴いたチョ・ソンジン(こちら、記録のみ)や小林愛実(こちらとこちら)の名演も忘れがたい。
今回の山本貴志の演奏も、もちろん大変素晴らしいものだった。
ただ、上記の名演たちを凌駕するほどだったかというと、そこまでではなかったかもしれない。
これは、曲の性質のためと思われる。
協奏曲第2番に比べ、第1番にはどっしりとした重み、安定感がある。
やや交響曲風、と言ったらよいか。
その意味で、山本貴志のやり方、例えば第1楽章のソロ冒頭をやや仰々しく始めたり、経過句でいきなりテンポを速めたりといったラプソディックな解釈は、良いのだが少ししっくりこないところがある。
その点、上記のポリーニやチョ・ソンジンには、交響曲的なこの曲にふさわしい、悠々たる安定感がある(また、少し意味合いは異なるけれど、アルゲリッチや小林愛実にもやはりある)。
山本貴志には、第1番よりも第2番のほうが合っているように感じた。
ちょうど、比較的安定した構成を持つピアノ・ソナタ第3番(彼による演奏の記事はこちら)よりも、やや自由で幻想曲風なピアノ・ソナタ第2番(CD)のほうが彼に合っている気がしたのと、よく似ている。
とはいえ、このあたりは好みの問題だろう。
これはこれで彼の個性なのだし、第1楽章展開部やコーダ、そして終楽章エピソード主題再現前の展開部風の箇所、こういった技巧的難所をものともしない情熱的な演奏には圧倒された。
それにしても、ピアノ協奏曲第1番も第2番も、何という傑作だろうか。
勇壮な第1番と優美な第2番、異なる性格を持ちながら共に高い完成度を誇るこの2曲が、ショパン20歳時に作曲されたというのだから驚きである。
21歳でピアノ協奏曲第9番「ジュノム」を書いたモーツァルトと並ぶ天才である、といったら言い過ぎだろうか?
(画像はこちらのページからお借りしました)
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