山本貴志 京都公演 ショパン全曲チクルス 第3回 芽吹きの季節、心をなでる春の薫り | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

山本貴志 ショパン全曲チクルス

~ショパンと巡るポーランド~

第3回 芽吹きの季節、心をなでる春の薫り

 

【日時】

2017年3月19日(日) 14:30 開演 (14:00 開場)

 

【会場】

青山音楽記念館 バロックザール (京都)

 

【演奏】

山本貴志 (ピアノ)

 

【プログラム】

ショパン:
ワルツ 第15番 ホ長調(遺作)
ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲 ホ長調(遺作)
3つのワルツ Op.34(第2番 変イ長調、第3番 イ短調、第4番 ヘ長調)
カンタービレ 変ロ長調(遺作)
タランテラ 変イ長調 Op.43
演奏会用アレグロ イ長調 Op.46
3つのノクターン Op.15(第4番 ヘ長調、第5番 嬰ヘ長調、第6番 ト短調)
3つのマズルカ Op.50(第30番 ト長調、第31番 変イ長調、第32番 嬰ハ短調)
スケルツォ 第4番 ホ長調 Op.54

 

※アンコール

ショパン:ヘクサメロン 第6変奏 ホ長調

 

 

 

 

 

我が国が誇るピアニスト山本貴志は、チョ・ソンジンやクレア・フアンチらとともに、現代を代表するショパン弾きといっていいと私は考えている(ここでいう「ショパン弾き」とは、単にショパンを得意とするピアニストという意味であって、ショパン以外の曲の得意不得意は問わないし、ショパンだけうまいというレッテルを貼ろうとするものでもない)。

彼は、2005年のショパンコンクールに出場した際、数多いるコンテスタントたちの中でも、ひときわ美しく、個性の光る演奏をした。

このときのライヴ録音は、私にとってきわめて大事な愛聴盤となっている。

ロマン派によく合った、艶のある美しい音色やテンポの自在な伸縮は、他のどのコンテスタントからも、優勝者のラファウ・ブレハッチからさえ聴かれなかったほどのものだと思う(ただし、古典派の作品などでは、ブレハッチのほうが素晴らしい可能性はあると思うけれども)。

彼のショパンには、きわめてロマンティックな表現が溢れているにもかかわらず、見境なく耽溺することは決してなく、節度ある表現で古典作品のようなさわやかさを失わないし、また甘さだけでなく確かな技巧に裏付けられた力強いドラマの表出を聴くことができる。

ケイト・リウや小林愛実のような耽溺するショパンも大好きだけれども、ショパンの音楽がロマン性だけでなく古典性をも有することを考えると(ショパンは同時代のロマン派の音楽よりもバッハやモーツァルトの音楽のほうをずっと深く敬愛していたという)、さきほど挙げた山本貴志、クレア・フアンチ、チョ・ソンジンのようにロマンとともに古典的な律動をも備えた、さわやかな春風のようなショパン演奏に、私はよりいっそう惹かれるのである(この三者の演奏も、それぞれ全く違ったものではあるのだけれども)。

 

そんな山本貴志は、近年京都のバロックザールにおいて、ショパン全曲演奏のツィクルスを開催している。

第1回第2回も聴きに行ったが、今回は第3回である。

今回は、山本貴志が「春」をイメージした曲を集めてプログラムを組んだとのことである。

 

1曲目の遺作のワルツ(ホ長調)からして、大変美しい。

棒引きなどでは決してなく、細かなニュアンスに溢れているのだが、決してべたつくことなく、さわやかさに満ちている。

次の、ドイツ民謡による変奏曲は、おそらく初めて聴く曲で、聴いた感じでは傑作とまではいえない曲という印象を持ったが、山本貴志が演奏すると大変魅力的に聴こえる。

何気ない音階でも表情豊かに、かつきわめて滑らかに奏される。

次の、3つのワルツ op.34は、あまりにも有名な曲ということもあってか、欲を言えばリパッティのようなこじゃれた雰囲気が欲しいとも思ってしまったが、それは贅沢な話で、十分に素晴らしかった。

第2番 変イ長調のコーダなど、大変鮮やかで聴きごたえがあった。

カンタービレというとても短い曲でも、山本貴志はこの曲のもつロマン性をとことんまで表現しつくそうとし、それに成功しているのがすごい。

タランテラ、および演奏会用アレグロでは、彼の鮮やかな超絶技巧が遺憾なく発揮され、なおかつ細部まで表現意欲にあふれ洗練されており、まさに目を見張るものがあった。

 

休憩をはさんで、3つのノクターン op.15。

これも実に素晴らしく、第4番、第5番ともに大変美しかったが、第6番 ト短調での幻想的ともいえる演奏がとりわけ忘れがたい。

思いのたけを強く主張するのではなく、よりインティメートな、孤独をそっとつぶやくような歌い方である。

その幻想的な美しさが最高度に発揮されたのが、次の3つのマズルカ op.50の、第32番 嬰ハ短調だった。

憧れに満ちた演奏の前曲(第31番 変イ長調)に引き続いて奏される、この曲の冒頭のカノン風の部分の、あまりにも美しい最弱音の歌は、その幻想的、芸術的な香りにおいて、民族舞曲たるマズルカの域を優に超えていた。

もちろん、その後はその香りを保ちながらも、はっきりした特徴的なリズムによってきちんとマズルカへ着地するのではあるが。

このマズルカ第32番は、ポリーニのショパンコンクールでのライヴ録音(NMLApple Music)も素晴らしい出来だが、繊細な表現において山本貴志はそれ以上のものがあった。

 

そして、最後はスケルツォ 第4番。

この曲を、山本貴志はショパンコンクールで弾いており、そのときの録音は実に素晴らしく、チョ・ソンジンの浜コンでの同曲ライヴ録音と並んで、私の中で決定的な名盤となっている(あるいはチョ・ソンジン盤よりも好き、といってもいいかもしれない)。

それが生で聴けるなんて、と否応なく期待が高まった。

いざ聴いてみると、やはり素晴らしかった。

ショパンコンクールのときのほうがスムーズだったかな、という箇所もないではなかった。

しかし、中間部での表現力などはより素晴らしくなっている印象を受けたし、それに何といっても生演奏は音の質も迫力も録音とは全く異なる。

玉を転がすような軽やかさとがっちり掴むような力強さ、円熟期から晩年へとさしかかったショパン特有の洗練された情趣とその裏に潜む哀愁―こういった相反するような複数の要素を、この曲では同時に表現しなければならない。

それを、山本貴志はすべて実現している、大げさでなくそう感じた。

陽光のきらきら反射する水の流れのように、きわめて滑らかで、かつ生き生きとはじける彼のタッチを聴いていると、伸びやかな明るい曲調であるにもかかわらず、胸が熱くなった。

 

アンコールのヘクサメロン 第6変奏も、勇ましい行進曲でさえノクターン風にしてしまうショパンらしさがよく出た演奏で、良かった。

演奏前には、尊大と思われがちだが実は社交的で人と人との調整役だったリストと(彼はこのヘクサメロンにおいて、6人の作曲家の書いたそれぞれ全く異なる変奏をうまくつなげる間奏や、うまくまとめる終曲を書いた)、あくまでも自分流にしてしまう空気の読めないショパンとを、対比して説明する曲紹介が山本貴志自身によってなされた。

また、ショパンの「春」を思わせる曲には、なぜかホ長調の曲が多いこと、そしてこれら「春」を思わせる曲は、多くの場合真冬に書かれたり、体調が思わしくない辛い時期に書かれたりしているということが、紹介された。

山本貴志の、ショパンへのこだわりが感じられるスピーチで、面白かった。

 

それにしても、こういったショパンのあまり知られていない曲まで、全て弾いてくれるというのは、大変ありがたい。

山本貴志の手になると、いずれの曲の演奏も完成度が高く、実に素晴らしい。

せっかくなので、ぜひショパンのピアノ・ソロ曲の全曲ライヴ録音を実施してほしいのだが、どうにか実現しないものだろうか。

 

 


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