日本センチュリー交響楽団 第10回びわ湖定期 園田隆一郎 ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

日本センチュリー交響楽団 びわ湖定期公演 Vol.10

 

【日時】
2017年12月17日(日) 開演 15:00 (開場 14:15)

 

【会場】
びわ湖ホール 大ホール (滋賀)

 

【演奏】

指揮:園田隆一郎
ピアノ:小林愛実
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

(コンサートマスター:荒井英治)


【プログラム】
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11
ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」より パ・ド・シス
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」バレエ音楽「四季」より 秋
ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

 

※アンコール(ソリスト)

ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作

 

 

 

 

 

センチュリー響のびわ湖定期を聴きに行った。

プログラム前半は、フランス七月革命の起こった1830年に、まだポーランドにいた若きショパンが書いた看板曲、ピアノ協奏曲第1番。

プログラム後半は、それとほぼ同時期に書かれたロッシーニ最後のオペラ「ウィリアム・テル」を中心に、その20年ほど前に書かれたロッシーニの「絹のはしご」と、20年ほど後に書かれたヴェルディの「シチリアの晩鐘」という、3種のイタリア・オペラからの抜粋。

やや突飛な選曲、組み合わせではあるけれども、ショパンはイタリア・オペラからも影響を受けたと言われているし、なかなかに乙なプログラミングではないだろうか。

 

 

ショパンのピアノ協奏曲第1番。

ソリストは、小林愛実。

彼女の弾くこの曲の演奏は、昨年にも大フィルとの組み合わせで聴いたけれど(そのときの記事はこちら)、今回もそのとき同様、大変素晴らしい演奏だった。

この曲で私の好きな録音は

 

●ポリーニ(Pf) クレツキ指揮フィルハーモニア管 1960年4月20~21日セッション盤(NMLApple MusicCD

●アルゲリッチ(Pf) アバド指揮ロンドン響 1968年2月セッション盤(NMLApple MusicCD

●チョ・ソンジン(Pf) カスプシク指揮ワルシャワ・フィル 2015年10月1~23日ショパンコンクールライヴ盤(CD

 

あたりである。

端正でかちっとしたポリーニ盤、奔放でデモーニッシュなアルゲリッチ盤、そして爽やかでみずみずしい情感を湛えたチョ・ソンジン盤。

小林愛実の演奏は、このいずれの盤とも異なった個性を持っており、なおかつこれらにひけを取らない名演である。

 

 

彼女が弾くとこのコンチェルトは、華やかで力強いというよりも、むしろ繊細でナイーヴな音楽になる。

彼女の音は決して大きいほうではないけれど、その音色は耽美的なまでに美しく魅力的で、聴き手を強く惹きつけてやまない。

そして、メロディの歌わせ方とか、ちょっとしたルバート(テンポの揺らし)、内声の際立たせ方なんかが、抜群にうまい。

それも、理論的というよりは感覚的な、天性のセンスの感じられる、ちょっと日本人離れしたような演奏である。

第1楽章の物憂げな副主題とか、優しい第2主題、あるいは夢見るような第2楽章など、聴かせどころのメロディを、彼女はいかにしみじみと美しく奏することか!

あるいは第1楽章再現部で、第2主題が再現する直前のところなど、彼女はかなり長めに「間」を取るけれど、それがまた美しい第2主題への期待を否応なく高め、絶妙な憧憬の表現となる。

そして、満を持して再帰する第2主題の美しいこと…。

これほどのセンスを持った日本人ピアニストは、他にそうそういまい。

比肩しうるのは、昨日聴いた山本貴志くらいのものかもしれない。

ただ、山本貴志との相違点もある。

山本貴志はいかに濃厚な表情付けを施しても、あくまでさわやかな、どこかポジティブな演奏なのに対し、小林愛実の場合はもっと「妖しい光」というか、魔力のような美しさを備えている。

そういう意味では、ホロヴィッツタイプのピアニストといってもいいのかもしれない(ホロヴィッツのようなガツガツした強音は、彼女からは聴かれないけれど)。

 

 

また、彼女はテクニック的にも、山本貴志と同様、世界のトップクラスだと思う。

技術的に難しい第1楽章展開部やコーダ、あるいは終楽章、こういったところは多くのピアニストの場合いっぱいいっぱいな、大味な演奏になってしまう。

例えばトリフォノフも、2010年ショパンコンクールのファイナルでの演奏は、粗さが目立つ箇所もある(ただ、先日の記事にも書いたように、これはこれで私は好きなのだけれど)。

しかし、小林愛実の場合はどの箇所も余裕綽々で、彼女の両手は縦横無尽に鍵盤上を飛び回り、かつ音楽的な配慮も十分に行き届いた「よく歌う」演奏となっている。

終楽章も軽やかで味のある演奏で、トップスピードなのに最後のコーダに至るまで実に鮮やか、急速なアルペッジョ(分散和音)もユニゾンも全く破綻なく、まさに完璧である。

アンコールの遺作ノクターンも、言うことなし。

日本からもこのような「真のヴィルトゥオーゾ」が現れうるというのは、何とも嬉しいことである。

 

 

前半がこのように大変な名演で圧倒されっぱなしだったため、後半のプログラムがマーラーやブルックナーなどの重い曲ではなく、イタリア・オペラ抜粋プログラムだったのは、私としてはありがたかった。

全体的にさわやかで風通しの良い演奏で、肩ひじ張らずに楽しんで聴くことができた(弾いているほうにしてみれば、難しくて楽しいどころではないのかもしれないが)。

ロッシーニの有名な「ウィリアム・テル」序曲については、私は

 

●トスカニーニ指揮NBC響 1939年3月1、29日セッション盤(NMLApple MusicCD

●トスカニーニ指揮NBC響 1953年1月19日ニューヨークライヴ盤(Apple MusicCD

●ライナー指揮シカゴ響 1958年セッション盤(Apple MusicCD

●アバド指揮ロンドン響 1978年5月セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりのパンチの利いた(死語?)演奏が好きなので、今回の園田隆一郎/センチュリー響の演奏はやや物足りなかったけれど。

その分、「絹のはしご」序曲などは初期ロッシーニならではのこじんまりした編成によるすっきりした演奏で、楽しかった。

また、ヴェルディの「シチリア島の晩鐘」序曲でヴァイオリンが高音域で歌うメロディなんかも、大変美しかった。

 

 

なお、小林愛実は来年の3月17日(土)に岐阜で大フィルとシューマンのコンチェルトを演奏するという。

彼女の弾くシューマン、名演となることはまず間違いないと思われ、ぜひ聴きに行きたいのだが、先日の記事(こちら)に書いたように、この日は高松国際ピアノコンクールの2次審査の日でもある。

岐阜と高松、どちらに行くべきか。

距離的にもどっちもどっち。

悩ましいところである。

 

 


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