山本貴志 京都公演 ショパン全曲チクルス 第6回 どこまでも続く平原と大地を渡る風 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

山本貴志 ショパン全曲チクルス

~ショパンと巡るポーランド~

第6回「どこまでも続く平原と大地を渡る風」

 

【日時】

2018年7月1日(日) 開演 14:30 (開場 14:00)

 

【会場】

青山音楽記念館 バロックザール (京都)

 

【演奏】

ピアノ:山本貴志

 

【プログラム】

ショパン:
 3つの新しいエチュード(遺作)

 4つのマズルカ op.17 (第10番 変ロ長調、第11番 ホ短調、第12番 変イ長調、第13番 イ短調)

 コントルダンス 変ト長調(遺作)

 即興曲 第3番 変ト長調 op.51
 ワルツ 変ホ長調(遺作)

 4つのマズルカ op.30 (第18番 ハ短調、第19番 ロ短調、第20番 変ニ長調、第21番 嬰ハ短調)

 バラード 第2番 ヘ長調 op.38

 2つのノクターン op.62 (第17番 ロ長調、第18番 ホ長調)

 ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58

 

※アンコール

ショパン:前奏曲 変ニ長調 op.28-15 「雨だれ」

 

 

 

 

 

山本貴志のピアノ・リサイタルを聴きに行った。

ショパン全曲チクルスの第6回である。

私は今のところ、このチクルスの全ての演奏会を聴いてきた。

そのときの記事は、下記である。

 

第1回(プログラムのみ)

第2回

第3回

第4回

第5回

 

やっぱり、私にとっては、昨日のホロデンコのショパン(その記事はこちら)よりも、山本貴志のショパンのほうがしっくりくる。

山本貴志は、ショパンのロマンを真っ向から受け止め、消化して自己のものとして表現する。

最初の「3つの新しいエチュード」、中でも私の好きな変イ長調のエチュードでは、美しい倚音の響きや、薄靄のかかったような内声部の和声の移ろいといった、バッハとは違ったショパンならではの対位法的書法がよく表現されていた。

若書きのシンプルな「コントルダンス」も、山本貴志が弾くと何とも優雅で気品ある舞曲となる。

 

 

「4つのマズルカ」op.17とop.30は、それぞれ小林愛実と中川真耶加による名演があるけれど、今回の山本貴志の演奏もそれらに劣らない出来だった。

特に印象深かったのは、輝かしくかつエモーショナルなop.17-1、大変遅いテンポで奏された夢見るようなop.17-3、そして中間部を除きもっぱら繊細な弱音で統一されたop.17-4あたりである。

特にop.17-4は、ショパンの初期マズルカの最高傑作だと私は考えていて、ショパンの神経質で傷つきやすい孤独な精神を反映したような曲である。

この曲のそんなイメージにぴったり合う演奏は、ホロヴィッツ盤や小林愛実盤だと思う。

山本貴志の場合はむしろ孤独よりも小さな幸福を表しているかのような、優しいタッチの演奏だった。

 

 

バラード第2番は、私はフアンチやチョ・ソンジンの演奏が好きなのだが、山本貴志の演奏はそれら以上に静かな主部と激烈な中間部との対比の大きい解釈だった。

中間部の激しさは本当に嵐のようで、曲の後半ではそのテンションのまま突き進み、コーダなどさすがに走りすぎではないかと思われるほど。

先日聴いたバラード第3番(そのときの記事はこちら)ではもう少し古典的なフォルムが保たれていたのでやや意外だったが、それでもこの静寂と激烈とのすさまじいまでの対比には圧倒された。

 

 

休憩を挟んで、後半の最初はノクターンop.62の2曲。

第1曲も繊細なトリルが印象的だったが、特に第2曲、ショパンの書いた最後にして最高のノクターン。

この曲についてはフアンチや古海行子の演奏が好きだけれど、まだ理想の演奏には出会っていない。

今回の山本貴志の演奏は、理想とまではいわないにしても、それに肉薄するものだった。

この曲は、死期の近づいたショパンが、自身の人生を回顧する音楽だと思う。

そんな安らぎ、哀しみ、慈しみが感じられる。

中間部では感情がやや荒々しく波打ち、その後に主部が帰ってくる。

だが、それは完全な再現とはならず、きわめて短く切り詰められ、断片的になっている。

ショパンは、力なく横たわる。

しかし、そこでほんの数小節の間だけれど、感情が大きくたかぶり、一瞬にして自身の人生の全てに思いを馳せるような、悲しくも限りなく透明な瞬間が現れる。

本当に苦しかったけれど、それでも常に音楽と共にあった、美しい人生…。

そしてそのすぐ後、主部に出てきた装飾的な分散和音が、倍の遅さで、きらびやかな装飾性を捨て、ゆっくりと穏やかに再帰する。

まるで、ショパンの最後のほほ笑みでもあるかのように。

その短い数小節が終わると、何事もなかったように主部と同じパッセージに戻っていくのだけれど、この一連の表現が、今回の山本貴志の演奏では、私がこれまでに聴いた中でも最高に美しかった。

そして、最後のコーダでのペダリングの妙。

「ド」「ミ」「ソ」だけでなく、「ラ」の音もしっかりとペダルに残し(これらは階名表記)、独特の美しい響きの中に消えるように曲を終えていく、そのやり方。

もうこのまま、次の曲は聴かなくてもいいかな、と思ったほど。

 

 

とはいえ、せっかくなので次の曲も聴いた。

ピアノ・ソナタ第3番。

この曲の録音では、私はフアンチと、あと第1楽章だけだけれど高御堂なみ佳の演奏が好きで、また実演では先日のチョ・ソンジンの演奏も印象深かった(そのときの記事はこちら)。

今回の山本貴志の演奏も、これらに匹敵する出来だったと思う。

第1楽章冒頭から、情熱に満ちた力強い表現。

やっぱり、この曲はこうでなくては。

チョ・ソンジンのときは第1楽章第2主題や、第3楽章のメロディの歌わせ方がいまいちだったのだけれど、山本貴志の場合はこういった箇所が本当に美しい歌になっていた。

ただ、第2楽章はちょっとばたばたして、かつ少し走りすぎている印象で、チョ・ソンジンほどのしなやかさは感じられなかった。

そして第4楽章は、チョ・ソンジンも山本貴志も甲乙つけがたい素晴らしさ。

エピソード主題の走句の部分など、やはり少し走りすぎているような感はあったけれど、それでも全体的に高まっていく情熱と、ソナタらしい構成感とのバランスは見事で、最後には圧倒的な高揚感をもって曲を締めくくった。

 

 

アンコールの「雨だれ」も、いうことなし。

今回は全体的に、バラード第2番やソナタ第3番など、少し走りすぎるような箇所がいくつか気にはなったけれど、それでもやはり素晴らしいショパンだった。

私にとって、山本貴志の様式はショパン演奏の原点の一つともいうべきものである。

そしてあのノクターンop.62-2は、忘れられない。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


音楽(クラシック) ブログランキングへ

↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。