ホロデンコ 大阪公演 ショパン ノクターン第7、8番 ピアノ・ソナタ第2番 エチュードop.25 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ヴァディム・ホロデンコ ピアノ・リサイタル

 

【日時】

2018年6月30日(土) 開演 19:00

 

【会場】

ザ・シンフォニーホール (大阪)

 

【演奏】

ピアノ:ヴァディム・ホロデンコ

 

【プログラム】

ショパン:

ノクターン 第7番 嬰ハ短調 op.27-1
ノクターン 第8番 変ニ長調 op.27-2

ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35

エチュード op.25
 第1番 変イ長調 「エオリアン・ハープ」
 第2番 ヘ短調
 第3番 ヘ長調
 第4番 イ短調
 第5番 ホ短調
 第6番 嬰ト短調
 第7番 嬰ハ短調
 第8番 変ニ長調
 第9番 変ト長調 「蝶々」
 第10番 ロ短調
 第11番 イ短調 「木枯らし」
 第12番 ハ短調 「大洋」

 

※アンコール

ラフマニノフ:前奏曲 変ロ長調 op.23-2

ラフマニノフ:前奏曲 ト短調 op.23-5

スクリャービン:詩曲「焔に向かって」 op.72

 

 

 

 

 

ヴァディム・ホロデンコのピアノ・リサイタルを聴きに行った。

2010年仙台コンクールや、2013年クライバーンコンクールで優勝した彼。

彼の演奏は録音で何度か聴いているけれど、彼のようなパワフルなロシア系ピアニストは、私としては大好きというほどではない。

こう書くと、少し語弊があるかもしれない。

カザルスはクライスラーのことを「ヨアヒム = サラサーテ = イザイ王朝の最後の王」と呼んだらしいけれど、この言い方を借りると、パワフルなロシア系ピアニストと一口に言っても、「ラフマニノフ = リヒテル = タラソフ/ルガンスキー王朝」のような、深々とした透明な音を持つタイプと、「ホロヴィッツ = ベルマン = ブロンフマン/マツーエフ王朝」のような、迫力ある轟音を持つタイプ、少なくともこの2種類があると私は考えている。

なお、これらは直接の影響関係ではなく、私の独断と偏見による分類であり、ホロヴィッツなど「轟音」の一言で片付けることは本来できないけれど、便宜上このように書いた。

この2つのうち、私がとりわけ好きなのは前者のタイプなのだが、ホロデンコは後者の系譜に連なるピアニストだと思う。

その点で、私の好みのど真ん中に来るピアニストではない。

また、彼の演奏には少しもったいつけたようなところがあって、それも私の好みとは異なる。

とはいえ、せっかくの機会なので実演を聴いてみることにした。

 

 

聴いてみると、やはり上記のような印象は変わらないが、それでもなかなか面白かった。

オール・ショパン・プログラムである。

今回のプログラム曲でとりわけ印象に残っている演奏は、

 

●ノクターン第7番 → 録音:ポリーニ(旧盤)/小林愛実、実演:フアンチ

●ノクターン第8番 → 録音:ポリーニ(旧盤)/プーン(動画)/中川真耶加(動画)、実演:バレンボイム/ユンディ・リ/フアンチ

●ピアノ・ソナタ第2番 → 録音:山本貴志/フアンチ(動画)/チョ・ソンジン、実演:バレンボイム/小林愛実

 

あたりである(エチュードop.25については、12曲もあって煩雑なので割愛)。

こうした私の好きな「ショパン弾き」たちは、もちろん十人十色ながら、皆それぞれショパンらしいショパンを弾くのだが、彼らに比べ今回のホロデンコの演奏には、独特のクセがある。

弱音と強音との頻繁な交代、テンポのタメや揺らぎ。

これらは、おそらく譜面に忠実というわけではなく、彼独自の解釈に基づいている。

 

 

クセのある演奏というと、例えば反田恭平が思い出されるかもしれない。

ただ、彼らのクセの在り方には違いがあって、反田恭平にはどこか軽さがあるのに対し、ホロデンコはどっしりと落ち着いている。

また、反田恭平の弱音には、ドビュッシーの「月の光」にせよ、シューマン/リストの「献呈」にせよ、美しい歌心があるのに対し、ホロデンコの弱音にはそれがなく、奇妙に影が薄い。

まるで、曲のロマン性に真正面から対峙するのを、恥じ入りでもするかのように。

ホロデンコの弾くショパンが私にとって最高の位置を占めることがないのは、このあたりに起因しているように思われる。

その分、ショパンのあまりに直接的なロマン性に辟易している人には、お勧めできるかもしれない。

それに、ホロデンコの弾く強音は大変に充実していて、反田恭平の強音に時折聴かれる詰まったような硬さはない。

また、タッチコントロールの精度の点でも反田恭平より上の印象である。

ただ、ソナタ第2番にせよエチュードop.25にせよ、やはりどこかどっしりと落ち着いてしまっており、彼の精度の高い演奏が聴き手を圧倒的に魅了する、というまでには至らなかった。

 

 

これらの中では、エチュードop.25-6(右手の三度のトリルの練習曲)が、中川真耶加のストレートな超名演(動画はこちら)とはまた違った、ルバート(テンポの揺らぎ)を頻用した弱音主体の演奏で、完成度が高く独特の「詩」も感じられ、なかなか良かった。

今回のショパン演奏の中では、白眉と言っていいかもしれない。

また、エチュードop.25-10は、山本貴志のような鬼気迫る勢いはないものの(そのときの記事はこちら)、パワフルで充実した、かつ余裕のある強音が聴かれた。

 

 

アンコールは、ラフマニノフの前奏曲2曲と、スクリャービン。

ここでのホロデンコは、まるで水を得た魚のようだった。

彼独特の強弱変化やテンポの揺らぎが、曲の個性の範囲内にすっぽりと自然に、幸福に収まっている。

彼の弾くラフマニノフの音は、冒頭で述べたように深々とした透明な音というよりは迫力ある轟音であり、私の本来の好みとは少しずれるけれど、それでもその「轟音」は緻密にコントロールされ充実した響きとなっており、聴きごたえがある。

ショパンのときのような、奏者と曲との間に何か一枚はさんだようなもどかしさは、感じられなかった。

先日のルガンスキーのリサイタルでもそうだったが(そのときの記事はこちら)、「お国もの」を弾くと途端に輝きが増す、という演奏家は少なくない。

グローバル化の進んだ現代社会において、クラシック音楽はまだローカル性の残された数少ない分野の一つなのかもしれない。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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