山本貴志 京都公演 ショパン全曲チクルス 第5回 耳を澄ませば聞こえる森のささやき | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

山本貴志 ショパン全曲チクルス
~ショパンと巡るポーランド~
第5回「耳を澄ませば聞こえる森のささやき」

 

【日時】

2018年 3月25日(日) 開演 14:30 (開場 14:00)

 

【会場】

青山音楽記念館 バロックザール (京都)

 

【演奏】

ピアノ:山本貴志

 

【プログラム】

ショパン:
 2つのノクターン op.32 (第9番 ロ長調、第10番 変イ長調)
 マズルカ風ロンド ヘ長調 op.5
 4つのマズルカ op.6 (第1番 嬰へ短調、第2番 嬰ハ短調、第3番 ホ長調、第4番 変ホ短調)
 即興曲 第2番 嬰ヘ長調 op.36
 3つのマズルカ op.63 (第39番 ロ長調、第40番 へ短調、第41番 嬰ハ短調)

 序奏とロンド 変ホ長調 op.16
 12の練習曲 op.25

 

※アンコール

パデレフスキ:メヌエット ト長調 op.14-1

 

 

 

 

 

山本貴志のリサイタルを聴きに行った。

ショパン全曲チクルスの第5回である。

私は今のところ、このチクルスの全ての演奏会を聴いてきた。

そのときの記事は、下記である。

 

第1回(プログラムのみ)

第2回

第3回

第4回

 

今回、この演奏会の前日に高松国際ピアノコンクールの本選で聴いた、古海行子の弾くリストのピアノ協奏曲第1番の鮮烈な演奏が、このときもまだ私の頭から離れていなかった。

それに、この演奏会の直前に古海行子の優勝の報に接して、私は喜びすぎていたため、正直なところ演奏会でゆっくりとショパンを楽しむ気分にはなっていなかった。

しかし、いざ最初のノクターン第9、10番を聴くと、もうすっかり惹き込まれてしまった。

ノクターンの中では比較的地味なこれら2曲だが、山本貴志が弾くと、何でもないようなちょっとしたフレーズまで、全てが夢のような憧憬に満ちている。

これぞショパン、としか言いようのない演奏である。

マズルカ風ロンドも大変生き生きとしているし、若書きの4つのマズルカも、ショパンの芸術的感性とポーランドのリズムとの高度の融合が聴かれる。

即興曲第2番もさわやかで美しいし、晩年の3つのマズルカではさらに細やかな情緒が表現される(殊に第3曲の美しいこと!)。

 

 

「序奏とロンド」は、小林愛実の2015年ショパンコンクールでの演奏があまりに美しく(動画はこちら)、ついこの演奏を基準にしてしまうのだが、今回の山本貴志の演奏も小林愛実に負けず劣らず素晴らしかった。

例えば、エピソード主題(A-B-A-B-A形式の、Bの部分)から主要主題(Aの部分)に移行するあたりのアッチェレランド(加速)において、何とも鮮やかなヴィルトゥオジティが発揮されることなども、彼ら2人に共通している。

ただし、両者の演奏から受ける印象がよく似ているかといわれると、そうではないように思う。

以前、ショパン演奏における「陽」と「陰」の2つのタイプについて書いたことがあるが(そのときの記事はこちら)、山本貴志のショパンは「陽」、小林愛実のショパンは「陰」であるように私には感じられる。

そもそも私がこういう考え方をするようになったのは、音楽評論家の吉田秀和に影響されてのことである。

彼は、ルービンシュタインを「聴くものを幸福にさす」ピアニスト、ホロヴィッツを「ロマンティックな憂鬱」をもつピアニストというように対比させて、両巨匠の芸風を端的に表現した。

このやり方でいくと、山本貴志は前者、小林愛実は後者ということになりはしないか。

山本貴志は、ルービンシュタインのような巨匠の芸風とは違うし、もっと細部に気を遣った現代風の演奏をするけれど、伸びやかで調和のとれた、ポジティブな音楽を志向するという点では、共通しているように思う。

山本貴志の演奏を聴くとき、私はいつも大きな幸福感に包まれる。

小林愛実を聴くときは、逆に憂愁に浸ることとなる。

なぜこのように印象が異なるのか、私には客観的にうまく説明できないのだが。

 

 

後半のプログラムは、12の練習曲op.25の全曲。

ルービンシュタインが録音を残さなかったこの曲集を、山本貴志がどう演奏したか。

第1曲から優しい詩情にあふれた、「練習曲」であることをほとんど忘れさせるような演奏だった。

2005年ショパンコンクールでも弾いた彼の得意な第5曲をはじめ、どの曲も何ともロマン的で雄弁な表現が素晴らしい。

第6曲については、中川真耶加の演奏がうますぎて(動画はこちら)さすがにやや聴き劣りするけれど、それでも情緒的な味わいの感じられる佳演だった。

躍動感に富む第8、9曲を経て、最後の第10~12曲、この3曲はとりわけ圧巻だった。

いかづちのような第10曲、激しい嵐のような第11曲、そして荒れ狂う海のような第12曲。

これら3曲が、これほどまでに激烈に奏されるのを、私は他に聴いたことがない。

「練習曲」の範疇を優に跳び越えてしまっている。

ポリーニのように明快で整ったアポロン的な演奏とは対照的な、激しい情熱に身を任せたディオニュソス的な演奏。

それでも、完全に主観的な自分だけの世界ではなくて、どこか調和のとれた、天性の品の良さがある。

ルービンシュタインがこれらの曲を弾いたならば、もしかすると同様の調和が感じられたかもしれない。

 

 

いずれにしても、現代最高のショパン演奏の一つを、日本にいながらにして、このように次々とツィクルスで聴くことができるのは、なんと幸福なことだろうか。

 

 


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