中川真耶加 名古屋公演 ショパン スケルツォ第1番 24の前奏曲 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ヤマハ コンサートグランドピアノCFX コンサートシリーズ vol.15

 

【日時】
2018年2月4日(日) 開演 14:00 (開場 13:30)

 

【会場】
ヤマハ名古屋ホール(旧 広小路ヤマハホール)
(ヤマハミュージック 名古屋店 8F)

 

【演奏】
ピアノ:中川真耶加

 

【プログラム】
バッハ:パルティータ 第2番 BWV826
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第4番 K.282

ショパン:スケルツォ 第1番 ロ短調 Op.20
ショパン:24のプレリュード Op.28

 

※アンコール

ショパン:ワルツ 第5番 変イ長調 Op.42

 

 

 

 

 

中川真耶加のピアノリサイタルを聴きに行った。

プログラムは、バッハ、モーツァルト、そしてショパン。

彼女のバッハとモーツァルトは、アンドラーシュ・シフのような作曲当時の楽器や様式を意識した演奏(いわゆるピリオド奏法)ではなく、ペダルも十分に織り交ぜた、主にロマン派以降に発展・確立したモダン・ピアノの様式に根差した演奏である。

私は、シフのやり方が好きなのと同じくらい、彼女の採る方法も好きである。

何も、全てが全てピリオド奏法である必要はない。

彼女のやり方もまた、モダン・ピアノでバッハやモーツァルトを聴く醍醐味の一つである。

ロマン派以降の精神に根差したといっても、もちろん彼女の場合は、往年の巨匠にしばしば聴かれるように、過度なロマンティシズムを付加したり、テクニックの不足をペダルでごまかしたりするようなことは、決してない。

バッハのパルティータ第2番、冒頭の「シンフォニア」の緩徐部分だとか、「アルマンド」「サラバンド」といった箇所では、淡々と味気なくなることも、逆に濃厚になりすぎることもなく、きわめて自然で清澄な、衒いのない美しい歌が紡がれた。

ロマン派風でありながら、ロマン派になりきることなく、あくまでバッハでであることを失わない、絶妙なバランスの「歌」である。

ペダリングについても、ヴィブラート・ペダルを用いるなどして、響きが濁らないよう最大限の注意が払われていた。

また、「シンフォニア」のフーガ部分や、終曲の「カプリッチョ」といった、技巧的に難しく対位法的にも込み入った曲においても、彼女はトップスピードで大変鮮やかに整然と演奏してみせた。

モーツァルトのソナタ第4番、こちらもまた、ロマン派風な彼女のやり方が大変しっくりくる曲である。

古典派時代のノクターンとでも言いたくなるような、美しい第1楽章。

憧憬に満ちた七度跳躍+音階的下行音型が印象的な、第2楽章。

「シャンパンの歌」のように急速でご機嫌なアリア風の、終楽章。

こんなに小さなソナタでも、モーツァルトは過不足なくととのった珠玉の傑作にしてしまうのだが、それをしっかりと表してくれる演奏だった。

 

 

あとは、ショパン。

中川真耶加の本領とするところである。

スケルツォ第1番は、前回の彼女のリサイタルでも聴いたが(そのときの記事はこちら)、印象はそのときと同様だった。

情熱的で大変良い演奏だが、トップクラスの技巧をもちストレートに真っ向勝負するタイプの彼女にしては、ちょっとタメが多く、やや弾きづらそうな感じも受ける。

同じことが、例えば小林愛実盤などにもいえる。

この曲は、もしかしたら手が大きくないと弾きにくいのかもしれない。

そもそもこの曲については、私はまだこれぞといった演奏に出会っていない。

ポゴレリチ盤やガヴリリュク盤のようなキレ味鋭い演奏から、それぞれエキセントリックな要素、ヴィルトゥオーゾ風の要素を取り去って、若いショパンならではの端正な情熱を付け加えたならば、最高の演奏になるのではないか、と私は思っている。

私は、スケルツォ第2番ではチョ・ソンジン盤、第3番では山本貴志盤、そして第4番では山本貴志盤およびチョ・ソンジン盤が好きである。

この第1番においても、山本貴志とチョ・ソンジンならば上記のような演奏をしてくれるのではないか、と期待している。

 

 

休憩を挟んで、後半はショパンの「24の前奏曲」。

こちらも、素晴らしい演奏だった。

第16曲や第24曲のような技巧的な曲では、彼女のテクニックが冴えに冴えて、聴いていて圧倒された。

昨年聴いたクレア・フアンチの同曲演奏にも迫る勢い(そのときの記事はこちら)。

第18曲や第22曲では、彼女得意のバラード第4番にも共通するような、腹の底までこたえる大迫力のデモーニッシュな演奏が聴かれた。

第4曲や第15曲「雨だれ」のような緩徐な曲も、素直な情感がよく出ていて美しかった。

 

 

だが、私はちょっとここで回り道したい。

ショパンという人には、とかく病弱で儚い、ロマンティックなイメージが付いてまわるし、もちろんそういう面も多分にあっただろうけれど、実はそれ以外の面もあったらしい。

彼は、同時代のロマン派の作曲家たちの音楽がどうもあまり好きになれず、バッハやモーツァルトといった古典的な作曲家を深く敬愛していた。

また、彼は自分の作品について、公にも私的な手紙にも、ロマンティックで文学的なコメントは一切書かなかったようである(愛する誰々を想ってこの曲を書いた云々の手紙もあるが、実はこれらは現物が残されておらず、後世の捏造である可能性があるらしい。現物が残されている手紙には、そのような記述はみられないとのこと)。

つまり、彼はきわめて職人的な、ある意味でクラシカルな作曲家であった。

彼はあくまで純粋な絶対音楽を書いたのである。

彼はソナタを書くようにしてバラードやスケルツォを書き、エコセーズやバガテルを書くようにしてポロネーズやマズルカ、ノクターンを書いたのだろう。

 

 

そんなショパンの気質は、彼の作品にも十分に表れていると思う。

彼の曲は、小曲であってもしっかり均整が取れている。

ソナタやバラード、スケルツォのような大曲になると、なおさらその形式的均整感がはっきりしてくる。

曲の起承転結が明快なのである。

その意味で、例えばマウリツィオ・ポリーニのように、情感豊かながらも形式感のくっきりとした、病的だったり神経質だったりしすぎない、古典的爽快感を持った演奏が、ショパンにはふさわしいように私には思われる。

「陰」と「陽」でいうと、「陽」のほうに近い演奏、ということになる。

最近のピアニストでは、私の好きな山本貴志、クレア・フアンチ、チョ・ソンジンといった人たちは、それぞれ音楽性は異なるけれど、みなこの「陽」の要素を強く持っていると思う。

そして、中川真耶加もその一人である。

彼女は、上記3人ほどの個性的なセンスはないにしても、音楽性がストレートな分、上記3人にも増してポリーニに近いところにいるのではないか。

 

 

しかし、ショパンには、従来のイメージ通りの、病的で神経質な、感じやすくメランコリックな面も、やはりある。

こういった「陰」の面を出すことに長けたピアニストとしては、例えばヴラディーミル・ホロヴィッツを挙げることができるかもしれない。

最近では、ケイト・リウや小林愛実など、このタイプのピアニストだと私は思っている。

この「陰」と「陽」というのは面白くて、ショパン演奏でなくてもこの違いは如実に表れてくる。

例えば、内匠慧は「陰」、務川慧悟は「陽」のほうにあたると私は思うのだが、私は彼らのショパン演奏を聴いたことがないにもかかわらず、このように強く感じる。

 

 

そして、私は少し回り道をしすぎたので、ここでショパンの「24の前奏曲」に戻りたいのだけれど、この曲は彼の「陰」の面が強く出た音楽だと思う。

即興的で不安定で、気まぐれで構成感・形式感に乏しく、激したり沈んだり、感情の変化が激しい。

その分、ショパンの職人的な仮面を剥ぎ取った、壊れやすい生の感情に触れることができる。

こういった曲を表現するには、中川真耶加は、それからポリーニも、少し正攻法すぎるところがある。

そうは言っても、彼女はそうならないよう工夫していて、ところどころに聴かれるルバート(テンポの揺らし)だとか、強弱の変化など、個性的な表現が見事ではあった。

ただ、彼女にはやっぱりストレートな正攻法のアプローチが一番合っているような気もした。

ところで、先日聴いた鯛中卓也、彼はもう「陰」の人である。

彼の弾いた「24の前奏曲」は(そのときの記事はこちら)、ショパンの個人的な感情を我が事のように表現し、気まぐれでありながらも全24曲をして一つの連作詩集たらしめるような、そんな不思議な統一感さえあった。

というよりは、この「24の前奏曲」がそんな作品である、ということを彼の演奏が私に教えてくれた、というほうがより正確な言い方かもしれない。

 

 

とは言っても、中川真耶加の「24の前奏曲」だって、もちろん十分にハイレベルな演奏だったことは強調しておきたい。

それに、技巧的な確かさでいうと、第16曲の粒のそろった明瞭なタッチといい、第24曲の鮮烈かつ滑らかでムラのない右手三度の半音階的下行といい、鯛中卓也よりも優れていた。

そして、アンコールのワルツ第5番、これはショパンコンクールでも弾いた彼女の得意曲の一つで(動画はこちら)、優雅さと疾走感とを併せ持つ、大変素晴らしい演奏だった。

 

 

正攻法な彼女に合っているであろうショパンの曲は、まだまだたくさんある。

バラード、スケルツォ、ソナタあたりはぜひ全曲弾いてほしい。

そして、叶うことならば、エチュード全曲。

彼女がショパンコンクールで弾いたエチュードop.25-6とop.25-11は、最高の名演だった(動画はこちらこちら)。

もしこのクオリティで全曲演奏がなされたら、かの有名なポリーニ盤を超えること必至である。

一曲一曲が全く違った難しさを持つこのエチュード集、そう簡単にはいかないとは思うけれど、いつかチャレンジしてほしいものである。

 

 


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