チョ・ソンジン 大阪公演 ドビュッシー 映像第1集 ショパン ピアノ・ソナタ第3番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル

 

【日時】

2018年1月21日(日) 開演 14:00

 

【会場】
ザ・シンフォニーホール (大阪)

 

【演奏】

ピアノ:チョ・ソンジン

 

【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 「悲愴」 op.13
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
ドビュッシー:「映像 第1集」

 水に映る影

 ラモーを讃えて

 運動 
ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58

 

※アンコール

シューマン:幻想小曲集 op.12 より 第3曲 「なぜに?」

リスト:超絶技巧練習曲 より 第10曲 ヘ短調

ドビュッシー:レントより遅く

 

 

 

 

 

好きなピアニスト、チョ・ソンジン。

弱冠23歳にして、すでに世界的ピアニストとなっている彼。

ただ、前回のリサイタルでは、もちろん大いに感嘆したのだけれど、彼が15歳の頃に浜松国際ピアノコンクール(通称「浜コン」)で優勝したときの端正な演奏と比べると、少しもったいつけたような感じの演奏になっていて、気になってしまったのでもあった(そのときの記事はこちら)。

それから、はや一年。

彼は今回、再来日することとなった。

今度はどんな演奏になるだろうかと、そわそわしながら聴きに行った。

 

 

前半は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ2曲。

チョ・ソンジンのベートーヴェンといえば、上記の浜コンの予選での「熱情」第1楽章が印象的である。

これは、このベートーヴェン随一の劇的なソナタを、ややロマン派寄りの大変情熱的な解釈で、かつソナタとしての緊密さも失うことなく端正にまとめ上げた、考えうる最上の演奏の一つだと思う。

そんな彼が今回最初に弾いたのは、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ。

この曲で私の好きな録音は

 

●エトヴィン・フィッシャー(Pf) 1938年11月7、8日セッション盤(NMLCD

●アレクセイ・ゴルラッチ(Pf) 2013年7月4~6日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

「悲愴」という標題が付けられてはいるが、29歳頃の若きベートーヴェンの作であり、あまり仰々しくどーんと弾くよりは、悲愴味を帯びながらも颯爽と駆け抜けるような若々しい演奏が、私は好きである。

今回のチョ・ソンジンの演奏は、フォルテ(強音)で何だか荒々しいような打鍵が聴かれた。

曲の情熱を出そうとしているのだとは思うが、詰まったような音色で、あまり美しく響いてこない。

上記の浜コンでの「熱情」では、もっと自然な迫力のあるフォルテが聴かれるのだが。

やはり彼は変わってしまったのか、と最初から不安になった。

ただ、第1楽章の主部の第1主題など颯爽としていて私の好みに合っていた。

第1楽章の第2主題や終楽章で聴かれる、スタッカートやプラルトリラー、三連符のパッセージの見事な粒のそろい方も、惚れぼれするほど。

第2楽章の有名なメロディは、ところどころあまりに大きい音で弾かれ、きつい印象になってしまっていたのが惜しかったけれど、そうでなく弱音で弾かれる場合もあって、そういった箇所は大変美しく、フレーズの終わりに向けてふっと力を抜くやり方など、絶妙この上ない。

 

 

次は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番。

この曲で私の好きな録音は

 

●ヴィルヘルム・ケンプ(Pf) 1936年セッション盤(NML

●リード希亜奈(Pf) 2015年浜コンライヴ盤(CD)

●石井楓子(Pf) 2017年?(動画

 

あたりである。

これらはいずれも、後期ベートーヴェン(作曲当時50歳だった)のイメージにふさわしい、静かな感動に打ち震えるような演奏である。

それに対し、今回のチョ・ソンジンは、もっとくつろいだ感じの、「ベートーヴェンの後期の曲だから!」といった気負いのない、伸びやかな演奏で、これはこれで大変良かった。

変幻自在な幻想性をもつ第1楽章、情熱的な第2楽章、そして淡い情感を湛えた終楽章、いずれも素晴らしい。

終楽章では、美しい六連音が紡がれていく第4変奏において、左手の対旋律風の動きをもしっかり重視して際立たせていたのが、とりわけ印象的だった。

 

 

休憩を挟んで、後半はまず、ドビュッシーの「映像」第1集。

チョ・ソンジンの弾く「映像」については、以前の記事にも書いた(そのときの記事はこちら)。

今回の実演でも、その素晴らしさに変わりはない。

「水の反映」での、右手で奏されるアルペッジョの自在かつ繊細なコントロール、きらめくような美しさ。

「動き」での、無窮動的な細かい音型の緻密さ。

急速な三連符が右手から左手へ、左手から右手へと移っても、その滑らかさや粒のそろい方は全く変わらず、聴いているだけでは手が変わったことに気が付かないほど。

大変鮮やかな演奏だった。

 

 

そして最後に、ショパンのピアノ・ソナタ第3番。

この曲で私の好きな録音は、

 

●クレア・フアンチ(Pf) 2010年ショパンコンクールライヴ(動画

●高御堂なみ佳(Pf) (第1楽章のみ) 2015年1月8~14日ショパンコンクール in Asia ライヴ盤(CD

 

あたりである。

今回のチョ・ソンジンの演奏は、これまでの曲にも増して素晴らしいものだった。

第1楽章冒頭から、情熱的な演奏で聴き手を惹き込む。

嬉しいことに、もったいつけたような弾き方ではなく、端正な演奏。

経過句では、上声と内声とがうまく描き分けられ、美しい歌のかけ合いのように聴こえる。

そして第2主題、これこそは、美しい旋律を山ほど書いたショパンの中でも、最上のものの一つと言ってよく、上記フアンチの演奏など本当に美しい。

しかし、ここで残念ながらチョ・ソンジンは、上記の「悲愴」ソナタと同様、メロディを大きく響かせようとしたためか、きつめの音になってしまっていた。

これは、弾き進められていくうちに本来の弱音に戻り、それからは大変繊細に美しく奏されただけに、惜しいことである。

この第2主題は、展開部や再現部でも登場するのだが、そこでも強音で始まり本来の弱音に戻る、というパターンは同様であった。

 

 

第2楽章、これはもう文句のつけようのない演奏で、川の中を泳ぐ鱒のようにしなやかと言ったらいいだろうか、上記フアンチの演奏を上回るばかりか、これまでに聴いた中でも最高の演奏だった。

第3楽章、これは先ほどの第1楽章第2主題と同様きわめて美しい音楽だが、やはり強めのきつい音で奏されるのが残念(その後しばらくすると本来の弱音に戻り、それからは大変美しい)。

彼のこのクセ、何とかならないものだろうか。

そして終楽章は、短い序奏の後、主要主題がいきなりトップスピードで始まる。

アルゲリッチ盤よりもさらに速いほど。

チョ・ソンジン特有のクールな演奏で何ともかっこよく、ゾクゾクさせられる。

これは、主題が右手のオクターヴで確保される頃には、もう一般的なテンポに戻ってしまうので(とはいっても速いほう)、反則と言えば反則なのだが、大変鮮やかなので許せてしまう。

副主題部も、右手の急速な走句が全くムラなく流麗で、シルクのような滑らかさである。

この後、主要主題が再現するたびに演奏はよりいっそう情熱的になっていき、最後のコーダでは圧倒的な盛り上がりをみせる。

全体的に、第1、3楽章のクセを除けば、上記のフアンチと並んで、この曲における理想的な演奏の一つだと感じた。

 

 

アンコールは3曲。

そのうち、シューマンの「なぜに?」と、リストの超絶技巧練習曲第10番は、浜コンでも弾いた彼の得意曲である。

この2曲は、今回の演奏会のハイライトともいえるような、最高の名演であった。

「なぜに?」では、シューマン特有の幻想と憧憬が、繊細きわまりない語り口で、ケレン味なく奏される。

会場の空気が一変してしまうような美しさだった。

超絶技巧練習曲第10番では、左右の手の和音の急速な交代や、右手のオクターヴの連続が、めくるめく速さで、信じられないような精度をもって奏される。

音楽的にも優れていて、豊かな詩情の感じられる、大変に情熱的な演奏。

それでいて、リストの演奏にありがちな「爆演」にはならず、音楽が拡散してしまうことなくぎゅっと凝縮されて均整を保っている。

アグレッシブでありながら、完成度がきわめて高い。

人間業とも思えない。

「蜜蜂と遠雷」ふうに言うと、さしずめ「神に愛されし子」といったところか。

 

 

色々と不満もありつつも、やっぱり否応なく感動させられた、彼の演奏会。

前回のリサイタルでも聴かれた、妙にもったいつけたようなところは、今回もやはり聴かれたが、それでも彼の端正な良さもまだまだ健在だった。

彼はあまり音楽をこねくり回すことなく、端正なままでいてほしい、と私はつい思ってしまう。

しかし、もしかしたら、こうした「工夫」と「端正」のせめぎ合いこそが、彼のような王道タイプのピアニストがともすると陥りやすい教科書的な堅苦しさから彼の音楽を救い、柔軟でエキサイティングなものとしているのかもしれない。

ポリーニやアンスネスのように、世代を代表する正統派ピアニストとして、今後もますます活躍してくれることを期待したい。

 

 


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