グルコサミン博士のブログ

グルコサミン博士のブログ

グルコサミンのことならなんでもお答えします♪

アラレ、14年間、一緒にいてくれてありがとう。

 

パパとママは、今でもアラレを連れて軽井沢に行きたくて仕方がありません。矢ケ崎公園でパパはボールを投げてアラレはとって帰ってくる、そしてママは一所懸命アラレの写真を撮る、というのが我が家の日課だったよね!今年もつづくはずなのに…。

 

我が家の玄関に置いてあるアラレの服も「散歩に行こうよ!」って語りかけてくるような気がします。

 

それに、パパはもっともっとアラレにどら焼きを食べさせないと毎日後悔しています。

ママもせっかく編んであげたセーターをもっと着せればよかったと後悔しています。

 

とても頭がよくて、愛にあふれて、理性があって、穏やかな性格…。アラレは、人間の濁世に遣わされた天使のような存在でしたね。

 

そして、パパとママにほんとうに多くのことを教えてくれてありがとう!またたくさんのご縁を持たせてくれてありがとう。アラレがいなければ知り合うことができなかったたくさんの知己をあたえてくれましたね。

 

何よりもアラレは、ママに無条件で絶対的な味方でしたね!そのようなかけがえのないしあわせを与えてくれたアラレ、ありがとう!大好きだよ。

 

アラレ、一緒にオランダに行ったよね!ママの足元で長いフライトでも物静かで、ひと声も出さず、飛行機を降りたときは「あら、ワンちゃんがいたの」と周りに驚かされましたね!

 

たくさん歩いてフェルメールが「デルフトの眺望」を描いた場所を探して記念写真を撮ったね!

 

そしてヨーロッパの各地でパパとママと一緒に旅行に行ったね~!どこに行っても「Japanese little dog」としてみんなに愛されていたね!

 

フェレンッツのベッキョ橋、ケルン大聖堂の前でも記念写真を撮ったね!

 

そして海が大好きで、沖縄の旅行も楽しかったね!

 

雪も大好きでしたね!一歳の時那須ではじめての雪遊び、愛らしい写真はしばらくママの自慢でしたよ。美しいお嬢さんになってからも何回か軽井沢で楽しい雪遊びしましたね!

 

そしてよくママ憧れのジャンプ写真のモデルになってくれたね!

 

毎日欠かせないおめかし、ママと二人三脚で14年間も続きましたね。今思えばほんとうにあっという間でした。

 

アラレにとって最良の選択だとおもって連れて行った病院での検査がかえってアラレに本当につらい思いをさせて、しかも最悪の結果としてアラレの命まで奪ってしまうことになってしまって本当にごめんね。 

 

アラレは、そのようなパパとママの失敗を責めることなく、最後まで無垢な愛情をもってパパとママに接してくれてありがとう。

 

ただ、病院で最後の「ママ抱っこ」によってママたちに対する愛情を表現したときのアラレがほんとうに辛そうだったので、すぐ先生にアラレを返したのですが、どうしてもっと長い時間、抱っこしてやらなかったのかと、ママはこころから後悔しています。こういったことを思えばおもうほど、かえって辛さが募りますが、すべては後の祭りです。

 

こんな別れ方想像もしたことがなくてパパとママは自分たちの罪の意識で押しつぶされてしまいそうです。

 

いままでは一緒にいるのが当たり前すぎたので、アラレがいない日々がとてもさびしく、そしてアラレへの申し訳なさを感じながら毎日をすごしていくことになりそうですが、いまは、ただ、アラレにありがとうとともにごめんなさいを言うだけにします。そうしないと優しいアラレをかえってかなしませることになるでしょうから。

 

 

今まで何気なくとっていた大好きな影の写真、これから空を見るたびに、アラレの影を探すでしょう。アラレに会いたいです。たまに影でも夢でも現れてくださいね!

 

ママは来世、きっと軽井沢の大きくないカエデの木になるでしょうから、アラレは生まれ変わっても犬だったら、ママを探しにきて「クンクン」とたくさんのにおいを嗅いでくださいね。

   生まれ変わったら | グルコサミン博士のブログ (ameblo.jp)

 

アラレ、一人でしばらくはさみしいかもしれませんが、いつか虹の橋であおうね。

 

それまで、しばらくのあいださようなら。                                        

                                                                        

旅の最終日は桜島にまつわる日と言えます。

宿泊したのはサンロイヤルホテル12階の部屋で、真正面に噴火し続ける桜島の景観が見られます。

 

ゆっくり朝食をし、部屋でしばらく桜島を眺めたのち、ホテルを後にしました。

 

標高107mの城山公園にきました。

展望台は雄大な桜島を目前に、鹿児島市内を見渡すことのできる絶景スポットとして、鹿児島観光の定番スポットとなっています。

城山公園の展望台

 

城山の解説板

 

桜島の解説板

 

展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できます。

 

城山展望台からの眺望

目の前一杯に広がる鹿児島市街地の町並みに、フルサイズの桜島。これぞ鹿児島を象徴する風景に出会えてよかった。

 

城山茶屋、鹿児島の工芸品からおもちゃなどのお土産から、アイスクリームなんかも販売していました。

 

余談:

うなぎの美鶴でランチと決めていたのに、旅行をしているとだんだんとお腹がいっぱいになってしまい、(そのためとはいえませんが)、せっかく車もあるのに、うなぎのランチは割愛。

 

つぎは鹿児島市吉野町にある、薩摩藩島津家別邸名勝「仙巌園」を訪れました。

仙巌園とは江戸時代に大名だった島津家の別邸で、かなり壮大な大名庭園で、江戸時代初期の万治元年(1658年)に島津家19代光久によって築かれたもので、桜島や錦江湾の景色が素晴らしく、鹿児島を訪れた国内外の賓客をここでもてなしていたようです。

 

いかがですか!この表門の風格!

 

ここから眺める桜島がまた美しい!

 

こちらが御殿の表玄関になっています。内部の拝観は通常の入場券の他に御殿拝観券が別途必要になります。

ほかにも山のほうを散策できたり、竹林があったり、庭園だけで30分以上は歩いてたんじゃないかな。

 

最後は仙厳園名物 両棒(ぢゃんぼ)餅を賞味!

2本の串がささった一口大のお餅で、昔から愛されてきた素朴な郷土菓子です。上級武士が刀を腰に2本さしている姿に似ていることから、この名がついたと伝わっています。

 

鹿児島には何回も来ましたが、すべて出張でしたので、自由に動き回れるのははじめてです。

おわり

ゆっくり朝食、砂浜で海を眺めたのち、奄美空港へ。


昼頃鹿児島に到着、ここでもレンタカーで移動。

今日は少し足を延ばして知覧の武家屋敷見学へ。

 

歴史と伝統を今に語り継ぐ「薩摩の小京都」といわれている知覧の庭園。

武家屋敷入場料530円、パンフレットをもって見学。

 

こんな感じの通路を歩いていく。

 

武家屋敷は7つ開放しています。

順番見ていきましょう。

 

平山克己氏庭園


平山亮一氏庭園

 

西郷どんのロケ地にもなってます


知覧型二ツ家

 

佐多美舟氏庭園

手入れが行き届いていて、素敵。

 

佐多民子氏庭園

 

顔ハメパネル

 

佐多直忠氏庭園

 

みかんがなっていました。

 

知覧の道路はあちらこちら水路があって、鯉が泳いでいました。

 

知覧も静かで見学者が多くなくてお気に入り。

 

さー、雄大な桜島を眺める温泉に入りたいので、夕方ホテルにチェックイン。

(ホテルHPより)

 

夕食は20数年ぶりに黒豚しゃぶ名店「遊食豚彩いちにさん」本店へ。

はじめて来る前にしゃぶしゃぶといえば「牛」というイメージでしたが、初のおいしい豚しゃぶなので、印象深く残っています。

今日はツレと一緒に、想い出の地を再訪。

つづき

奄美大島の二日目は、細かいスケジュールを立たずに、ドライブを中心に海や森を楽しむ、地元のグルメを食すことを目的にしました。

 

宿泊したのは島の北側ですので、南端のヤドリ浜を目標にまずはオオゴマダラを見られるということで、ビッグツーという奄美で一番大きな大型総合スーパー敷地内の「フルフルガーデン」へ。


ガーデンは奄美大島ならではの植物を中心とした植物園です。

 

中に木造の小屋が蝶ハウスです。

設置された無人箱に200円/人を投入して蝶ハウスに。たくさんの蝶々が舞っているというイメージだったのですが、天候が悪い冬は生きているオオゴマダラがまばらでした。

せっかくなので、ビッグツーでお土産をチョイス。

 

島のほぼ真ん中のマングローブに到着。ツレはカヤックはやらないというので、展望台に登ったり、またカヤックに挑戦した方たちの準備を見たりして、マングローブを後にしました。


島の南に奄美黒マグロを養殖しているところが多く、ホテル従業員一押しの食堂で、私はクロマグロ入り海鮮丼、ツレはクロマグロ丼をいただきました。脂がのっていてしつこくなくておいしかったです。


午後は天気がすっきり晴れて、南端のヤドリ浜に到着。

夏はキャンプ場もオープンする賑わいの場所なのに、オフシーズンのため、2-3組の観光客だけで海を眺めました。混みあい苦手な私たちには好都合です。

 

マネン崎展望広場では今回の旅で一番きれいな海を見れました。


また幸運のことに何十年ぶりにきれいな虹も見ることができました。

 

奄美大島に多い樹木ガジュマル。


近くハートロックと名がついた場所があって、完全な退潮時ではないので、なかなかハートの形を写真に収めることが難しかったです。

奄美にしか許されない黒砂糖焼酎の工場見学は間に合いませんでした。

 

夕食は地元でも有名はひさ倉で鶏飯を食べるつもりでしたが、夏より早く閉店したので、名瀬市内で無名な居酒屋に入って注文したので、案外飾りもきれいで味もグッドでした。


明日は鹿児島へ移動

夕食は車を走ること50分、奄美大島で一番の市街地「名瀬(なぜ)」にある「郷土料理かずみ」へ。ここは奄美の郷土料理と伝統文化である島唄を堪能できる有名な居酒屋です。

その日はたまたま予約しているのは私たちだけ。メニューはないので、おまかせコース一本オンリー。トビンニャと言われる貝の塩ゆでやゴーヤの味噌和え、さつま揚げや刺身、豚骨の煮物などボリュームたっぷり!

どれもおいしくて、島のお家にお呼ばれしたような温かいおもてなしに、心がほっこりします。

 

食べている途中、島唄がスタート!店名の「かずみ」というのはこの店の店主でもある奄美島唄の唄者、西和美さんのお名前です。西和美さんはなんと奄美大島を代表する唄者で、店に鹿児島大学法文学部教授梁川英俊さん著書「かずみの時代」を置かれています。

 

ご本人のホームページもありますよ。

nishikazumi.com

 

和美さんはすでに80過ぎまして、お料理は娘さんが切り盛りしていますが、ご本人は座敷に座って島唄を唄っています。

 

 

そして、島唄に関わる多くの方がかずみに集い、今活躍する多くの唄者がここで唄を磨いてきたそうです。私たち夕食した日も二人の若い女性は和美さんを師に一生懸命唄っていました。

 

少し慣れてくると太鼓を渡されて、「ほら、これ叩かんかね」と私たちは太鼓担当に!

リズム感がないので難しかったですが、一緒に島唄を奏でる一体感が面白かった。

 

「みんなで歌うのが島唄」歌えない人は太鼓を叩くことで、一緒に唄ってることになるんだとか。

こういうところにも、奄美のスピリットがありますね。

奄美大島では「伝泊The Beachfront MIJORA」に二泊しました。

宿選び時、プライベートビーチがあり、美しい海をみながらのんびり過ごしたいな~と思いながら、伝泊The Beachfront MIJORAの宣伝写真に惹かれ、決定しました。

 

 

今回は、Standard Villa スタンダード ヴィラに宿泊。

 

 

宣伝写真とは違うのですが、コンクリートが剝き出しになっています。

さっそく入りましょう。

わ~、オーシャンビュー♪、

大きな窓から見える海はサイコー!

 

 

籐で作られるイスがとてもおしゃれ。

 

書斎スペースにもなるデスクテーブルとチェア。

 

無料で利用できるWi-Fiもあるので、便利。

ちなみにテレビはありません。のんびりしてもらうためにはあえてテレビはおかないですって。

 

ヴィラホテルなのにお着き菓子もあります。

笠利町で少ない人数で作っている凪屋の黒糖かりんとうで、サクッという柔らかい味でおいしいです。

 

天井には田中一村絵の模様の壁紙。とことんこだわっています。

 

電気ケトル、オーブントースターなどの家電製品もありますが、しかもバルミューダで統一されています。おサレ!

冷蔵庫はアイリスオオヤマでギャップが大きいかもです。
 その他、ワイングラス、タンブラー、マグカップ、丸皿まで用意されています。

 

プライバシーを確保しつつ開放感のあるバスビュー!どうですか、このリゾート気分!

 

 
デッキに出てみると、こちらに多くアダンの木がありました。
 

 

朝食は2waterというレストランで。

カウター席のみ。

 

海を見ながらの食事、これもまたサイコー♪

ビュフェではなく、洋食セットです。

 

 

二日はそれぞれ別なもので飽きが来ません。

 

とてもいいホテルで、また機会がありましたら泊まりたいと思っています。

 

1月下旬寒波の中、奄美大島と鹿児島に行ってきました。自分の記録として残しておきます。

 

まずは奄美大島から。

鹿児島県の離島で最も大きな島が奄美大島です。令和3年(2021)7月には、「世界自然遺産」として登録されました。奄美ブルーと称されるサンゴ礁の海に囲まれ、陸上には亜熱帯植物の森が広がります。独自に唄い継がれる島唄をはじめ、鶏飯を代表とした島料理、奄美の島々でしか製造を許されていない黒糖焼酎、大島紬などの豊かな文化も、私たち旅人を魅了します。

 

空からの写真です。


JALの羽田→奄美空港のフライトで到着したのは午後でした。さっそくレンタカーを借りて、まず訪れたのは空港にほど近い「田中一村記念美術館」です。

以前、日曜美術館で紹介されたことを覚えていたツレの希望でした。

 

三つ連なる常設展示室から構成されており、特にホールの中から見た全体の作りもとても素敵で、水に映る姿がきれいです。

旅行のオフシーズンであることもあり、喫茶&ミュージアムショップはお休みでした。

 

一村(いっそん)は1908年栃木生れの画家で、50歳となった1958年にに奄美に移住しました。

それまで住んでいた家を売り払い、絵も手放して奄美に移り住み、大島紬の工房でバイトをしながら、ひたすら自分の納得する絵を追求したそうです。一村の絵は、奄美大島に多大な遺産を残しています。

 


彼の代表的な上のこの絵はルソーととても似ているというのは第一印象でしたが、様々な絵をみているうちに、やはり全然異なって、奄美の自然を愛し、亜熱帯の植物や鳥を力強く繊細な花鳥画を描いた彼なりの独特な風格があることに気づきました。

 

田中一村記念美術館を後にし、車走ること15分、あやまる岬に到着しました。

曇りに風が強かったので、残念ながら奄美ブルーは見ることができませんでした。

 

展望台


今回の宿泊施設はとても楽しみにしていたので、少し早めにチェックインしました。

つづき

 

昨日夕方の情報番組で、外国人が日本の美味しいものに大喜びしたり、ニセコが高級ブランドで煌めき、外国人観光客でバブルで沸いている。

あぁ…そうですか…
多くの日本人は上がらない収入にどんどんやってくる物価上昇に日々苦しみ、涙をのんでいるというのに…

申し訳ないですが、私のような立場の人間からしたら、ちっとも嬉しくない、なんだか、自分がみじめにさえに思えてきて…侘しくなるばかり。

そりゃそうだ!日本のお金持ちと外国人からしたら日本は天国だ!

不動産も含めて物を買えば品質はいいし、美味しい食べ物がたくさんあるし、それが、彼らからしたら笑っちゃうくらい安いんだろうから…

もはや海外旅行は高過ぎて行けないなぁ…
夢の夢になったなぁ…と諦めていますが、(円安+海外の物価高の合わせ技で。
まるで1ドル250円時代に戻ったみたいです)

インバウンドに引っ張られホテルの宿泊費や国内の旅行代金も上がってしまったら、もう日本の一般庶民は旅行すら気楽に行けなくなってしまいそうで、恐ろしいです。

寂しいかな、日本
悲しいかな、日本
貧しきかな、日本
希望が見えないな、日本

そう思ってしまうのは私だけですか?
なんて…ひがみ根性で呟いてしまいました(笑)

西安にある青龍寺は真言宗の開祖である空海縁の地。空海はここで恵果に師事し、密教の奥義を授けられ、それを元に日本で真言宗を開いたのです。

 

青龍寺は582年、霊感寺として隋時代に創建されたお寺です。662年に観音寺と改名され、青龍寺と改名されたのは711年。

青龍寺は唐における密教の拠点でした。

 

空海は804年遣唐使として唐の首都長安(現在の西安)に入り、翌805年に青龍寺に住持する恵果を訪れ、密教の奥義伝授を受けました。

その後日本に帰国した空海は、恵果から学んだ密教を基盤に真言宗を開いたのです。

ですから、青龍寺は真言宗の原点ともいえる、日本人にも縁のある地です。

 

青龍寺は、ポツンと青龍寺のお寺が1つあるのではなく、青龍寺遺址(遺址とは歴史的な建造物があった場所)の広い境内にお寺以外にも博物館、記念碑などいくつか建物があります。

 

建物や池は趣がありますね。

 

青龍寺と書かれた寺院があり、ここに空海と恵果の像があります。

左の人物が恵果で、右の人物が空海。

恵果が空海に密教を伝授している場面を見事に再現した像です。

 

「空海記念碑」は、日本の真言宗諸派や空海の故郷の香川県をはじめとした四国四県等の基金により、青龍寺跡に、1982年に建設されました。仏教界における、空海の果たした偉大な業績を称えています。

青龍寺境内には桜の木が1000本植えられています。

 

看板にもある通り、青龍寺に植えられている桜の木は1985年に香川、愛媛、徳島、高知の四国4県が寄贈された木です。

香川県は空海の出身地でもありますから、青龍寺とのつながりも強いのかなと思います。

春になると桜並木で青龍寺が満たされ、美しい景観が見られることでしょう。

 

残念ながら私が青龍寺を訪れたのは11月でしたので、桜を見ることはできませんでした。

 

青龍寺は決して有名な観光スポットではありませんが、日本ととても深いかかわりのある地です。

ぜひ西安を訪れた際には足を運んでみてはいかがでしょうか。

【完】

 

西安の夕刻。名所の一つ鐘楼を見に行きました。

鐘楼は明代の1384年に建てられました。

ライトアップされてきらきらに見ごたえあります。

中に入れると思いましたが、5分すぎたので、今回は外から見学のみです。

この辺りが街一番の繁華街となっているようで、周辺も商店やホテルがあって建物も大変豪華&趣きがあります。

 

鐘楼から5分程の所にある鼓楼です。大きな太鼓が見えます。

昔「晨钟暮鼓」という言葉がありましたが、朝は鐘夕暮れは鼓という使い分けかしら。

 

鼓楼から少し回ると、雰囲気ががらんと変わって、沢山のひとが賑わっていて、ここは西安にとても楽しいスポット「回民街」です。つまりイスラム教徒(回民族)の多いエリアということですね。

昔NHKのシルクロードの番組もここはシルクロードの起点として紹介されたことを思い出しました。

 

さて、その回民街、夜市っぽい雰囲気に誘われ足を踏み入れると、

たっくさんの屋台が並んでいます。休日の横浜中華街にまけないすごい人出です。

 

羊肉の串焼き

 

西安風ハンバーガー、肉夹馍の店

長い列に並べて私も一個ゲット

 

ビャンビャン麺!難しい漢字と書かれていますが、面を作る時にテーブルにたたきながら伸ばすときの音をあらわしているそうです。

 

こちらは有名な名物「泡馍」

羊肉のスープにパンをちぎって入れたスープだそうです。これも好きな人が多くて、あちこちで食べてる人を見かけました。

 

ナツメやアンズなどの干し果物。

 

お店の人たちの服装も他民族を感じさせます。

 

ビャンビャン麺の乾麺を発見!やっぱりこれってひもかわ?

 

この回民街はかなり広範囲にわたって賑わいが続きます。

今回は食べ物屋さんばっか撮ってましたが、小物や西安のお土産物などの屋台もたくさんあります。

西安で夜市の雰囲気を楽しみたかったら、「回民街」をおススメです。

 

ガイドさんに聞いたら、人口800万の西安市には約30%は回民族です。漢民族ととても仲良くともにこの街で暮らしています。