大正8年6月 歌舞伎座 4年ぶりの市村座引越公演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は4月、5月の2ヶ月連続襲名に続く第3の切り札を用意してきた歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正8年6月 歌舞伎座

 

演目:

一、一谷嫩軍記

二、棒縛り

三、摂州合邦辻

四、神明恵和合取組

五、張交伽画合

 

先月の公演終了後、幹部役者はいつもの様に四散し

 

・5月から九州を巡業中の仁左衛門は引き続き巡業

 

・中車と左團次は横浜座で公演

 

・羽左衛門は帝国劇場へ出張

 

とそれぞれの活動を行い、歌右衛門と段四郎のみが残留しました。ここで普段であったら新派などに貸して休場する所を大谷竹次郎は一計を案じてタイトルにもある様に大正4年7月公演を最後に途絶えていた歌舞伎座への市村座引越公演を4年ぶりに復活させる事に成功させました。無論この背景には市村座の田村成義の思惑もありました。それは以前にも紹介した様に市村座で大正7年を最後に坂東彦三郎と守田勘彌が脱退し勘彌が帝国劇場へと移籍した事でした。

 

勘彌が移籍した帝国劇場の筋書 

 

この事に関して相互提携もあり表面上は大人の対応をした田村でしたが内心は決してそうではなくこの一件を機にこれまでの帝国劇場へのみ引越公演を行ってきた関係を見直し再び歌舞伎座へと歩みよろうと画策し帝国劇場の動きを牽制する狙いがありました。そして都合よくいつもならみんな地方巡業へと出かける6月を見計らって実現する運びとなりました。

因みに吉右衛門以外の役者達は大正6年11月に行われた九代目市川團十郎十五年祭追善公演に出演して以来1年7ヶ月ぶり、吉右衛門にとっては最後の引越公演となった大正4年7月以来丸4年ぶりとなる出演となりました。

 

以前行われていた市村座の引越公演についてはこちら

 

菊五郎、三津五郎などが出演した九代目市川團十郎の十五年祭追善公演の筋書はこちら 

 

主な配役一覧

 

一谷嫩軍記

 
一番目の一谷嫩軍記は市村座でも紹介した吉右衛門のお家芸と呼べる時代物の演目です。
 
市村座で上演した時の筋書

 

因みに一谷嫩軍記と言えば芝翫型で知られる様に歌右衛門も熊谷を得意役としていましたが今回は吉右衛門に花を持たせる代わりに市村座の時同様に組討を出して福助に美味しい役である直家及び敦盛を演じさせて自らは義経を務め、その他は熊谷直実を吉右衛門、弥陀六を菊五郎、相模を菊次郎、熊谷直家と平敦盛を福助、堤軍次を東蔵、藤の方を国太郎、玉織姫を時蔵、平山季重を翫助、梶原景嵩を新十郎がそれぞれ務めています。
 
さて自身が熊谷を演じれるにも関わらず義経に廻った歌右衛門を相手に熊谷を演じた吉右衛門ですが
 
吉右衛門の熊谷は藤の方に語り慰めて実は女房相模の覚悟を定めさせる両様の意味もよく通り、義経の真意を悟って倅の身代の苦衷も天晴なり(中略)立派な陣屋で大よし大よし
 
と市村座での修行の甲斐あって歌右衛門の義経に引けを取らない堂々たる大歌舞伎の演技を絶賛されています。
対する義経の歌右衛門も負けておらず
 
歌右衛門の義経は近ごろ気に入りたる出来、宗清の呼び止めも我が意を得たり、これこそ全たく成駒屋ーといふべし、後に控えし四天王もよくこの気合ひを覚えおくべし
 
と他の模範とすべき堂々たる貫禄を示しこちらも高評価されています。
また、女形役では相模を演じた菊次郎と藤の方を演じた国太郎も
 
菊次郎の相模大いによし、国太郎の藤の方も太刀を左りに構えたる気込みよし懐剣を右手にふりかざして居ると自然に拳も下がりて形が悪くなるのをよく持ち堪へたり
 
と若いにも関わらず2人とも難役を演じきり評価されています。
 
吉右衛門の熊谷直実、歌右衛門の義経、菊五郎の弥陀六
 
しかし、全員が全員好評という訳には行かず、熊谷直家と平敦盛の二役を演じた福助は
 
今度も両優(吉右衛門と福助)が底を割らぬ様にしながら父子の別れを示すので見物ボロボロ
 
と組討では評価されている部分はあるものの、
 
福助の熊谷小次郎抜駆の一番乗と駆付けた武者振りはいさましいが陣中より聞こえゆる管弦に感じての独言はあまり幼く上品にて坂東武士の子とは聞こえず、声柄まで最う敦盛がってしかも鉄漿黒々は身代の底を割って悪し(中略)小次郎が鉄漿をつける馬鹿念も入るなり、熊谷が物語に鉄漿黒々抔といふはその場のつくろひで小次郎の死首が口を明いては居もせまい
 
と彼の持ち味の品位の良さが小次郎に合わない事、敦盛の偽物に成り済ます為にお歯黒を塗るという活歴じみた入れ事が見物は分かっているとは言え、あまりに底を割る様な悪描写だと猛烈に酷評されてしまいました。
そして珍しく老け役の弥陀六を演じた菊五郎も
 
菊五郎の弥陀六は難役、併し鎧櫃を負ってから幕切までその重量を保ちたるは注意といふべし、この役は東蔵に譲ってやって欲しかったが、一番目の中へ何でも俳優を揃えよと立派論から菊五郎を煩はしたるなるべし
 
と舞台上に菊吉と歌右衛門を揃えたいというだけの舞台映え優先でニンも何も無視したこの配役に対してかなり厳しい評価となっています。
 
この様に菊五郎、福助は不評でしたが、吉右衛門、歌右衛門の名演と菊次郎と国太郎の好演もあり一番目としては上々の出来だったそうです。
 

棒縛り

 
中幕の棒縛りはこちらも以前紹介した様に市村座で生まれた新作舞踊となります。
 
初演の市村座の筋書はこちら

 

今回も菊五郎が次郎冠者、三津五郎が太郎冠者を務めた他、男女蔵が曽根松兵衛を務めました。
一番目の熊谷陣屋では歌舞伎座側からの注文とは言え慣れない阿弥陀六で不評を買った菊五郎ですが、こちらは市村座で演じた以降も巡業でも演じている事もあって初演時より更に洗練されたらしく
 
菊五郎の次郎冠者、三津五郎の太郎冠者も面白いことであった、男女蔵の主人も大出来で頼もしい人になられたり
 
と3人とも息の合った演技を見せて絶賛され一番目の汚名返上を果たしました。
 
菊五郎の次郎冠者と三津五郎の太郎冠者、男女蔵の曽根松兵衛
 
 

摂州合邦辻

 
同じく中幕の摂州合邦辻は歌舞伎座組の出し物であり、帝国劇場との競演となりました。
 
以前紹介した明治座の筋書 

 

前回紹介した東京座の筋書 

 
こちらは玉手御前を歌右衛門、合邦を段四郎、俊徳丸を菊五郎、合邦女房おとくを菊三郎、若徒入平を吉右衛門、浅香姫を福助がそれぞれ務めています。
さて、梅幸率いる帝国劇場との対峙となったこの演目ですがまずは玉手御前を演じ梅幸との対決となった歌右衛門はと言うと
 
偖愈々歌右衛門の玉手御前である。扮装は黒に白のツケで、袖を頭巾にしての出は無事、然し門口に何時までも立って居て、体の始末の附かぬは工夫が足りず。「門の戸明けまいぞ」の台詞を聞いてから初めて蹲むが、この辺の味は梅幸のに遥に劣る。けれども、「隔たれど」で頭巾を除り、それから花道へ行って向うを見た顔面、目のうるみ、品位と淋しみと伴って、ここには古名優の錦絵を思はせるやうな、イヤ一寸は言ひ現せぬ程な味がある。「開けて下さんせ」と蹲んでゐていふは、手順が悪くて前と反対の感がする。「肌に手を」の床の文句を「撫で擦り」と更へたのは大甚き愚案である。(中略)「面はゆけなる」は、梅幸の恋と色気を見せる演り方と違ひ、こっちは強いて面目無さそうにして見せる。口説その他の腹の据ゑやうも、この呼吸で双方演っている。一長一短、これを突っ付き交ぜたら、申分ないものが出来るのだろう。父に自分の身の上をいはれる時、一々思入れをするのはお若輩である。一番目の陣屋の義経といひ、これといひ、委員長少し何うかしてゐる。(中略)「手負いは顔を」からも、こっちは床を二挺にせず、それは好しとして、数珠を廻さず。悲壮の感甚薄き裡に、「呑み乾し給へば」になって了ふが本復したる俊徳の顔を見せるとて、母は行灯を差寄せ、合邦入平は手負いを扶け起し、俊徳朝香も近々と寄る處には、芝居事ではない哀さが見えて結構。(中略)こっち(歌右衛門)は、最初が悪い代り、終ひまで玉手らしさを保ち堪える處が身上、無理に勝負を附けて、歌右衛門の星とする。
 
と梅幸と比べると際立って良い所は無いものの、後半に世話女房に崩れてしまう梅幸に比べると品位を保ち最後まで崩れる事が無かったという点で歌右衛門に軍配が上がりました。
続いて丸本物の腹が無いと批判されていた松助との対決となった段四郎の合邦は
 
段四郎の合邦。見た目はその人らしいが、台詞に丸本の匂が乏(まずし)い。「餓るかろ」あたりの可笑味にならぬは感心。「何が違うた」と、左に刀を持ち、右手を膝に置いた處は、昔の武士を思はせる。突込んでからは、丸本物の味が出てよく、「おいやい」も、松助とは違った行き方で、これ亦悪くない。然し、人を悲しがらせる力は松助の方に多い。数珠の場を作る件になり、帝劇では婆が鉦を敲き、こっちでは普通に合邦が敲く。何方でも好いやうなものの、ここは合邦の演所だらう。段四郎は、動もすれば可笑味になる處を巧く避けて演てゐる。大体に於て、松助の方が情愛で勝ってゐるのであるが、緊縮した味と、剛直素朴といったやうな趣とで、段四郎に壓せられてゐる。これは女房と反対にこっちの勝。
 
と欠点はあるものの、まだ柄や所作の部分で利がある段四郎の方が僅差で上回った様です。
 
歌右衛門の玉手御前と段四郎の合邦
 
その他の役者についてはどうかと言うとまず帝国劇場の方が優れているとしたのが同じ音羽屋の幸蔵との対決となった合邦女房おとくで演じた菊三郎は
 
菊三郎の女房。扮装が世話に偏して忌に下司張り、丸本離れしているのは失敗である。けれども、仕事に掛けては自由で、演べき處はチャントしてゐる。幸蔵と比べ、共に功罪半々同志として、假令過誤の功名とはいへ、幸蔵の何処となく膨らみのある方を優しとする。
 
と同じような出来乍らも幸蔵に軍配が上がりました。
また帝国劇場では羽左衛門が演じた俊徳丸を演じた菊五郎も
 
菊五郎の俊徳丸は、フックリよりはデックリしてゐる方で、若君として痔(あぶら)濃く、病人として悼々しさが足りぬ。そして病気平癒となって、鉢巻を除ると、忽ち天一坊臭くなる。「平癒」を「平ゆう」と延ばすのは又耳障りであるが、好い處も可なりある。玉手の口説きの納まりに、顔を背けて上手を向いてゐる工合が滅法巧い。手負の物語の間、左の膝に両手を置き、慎んでその話を聞いてゐる様子も好い。「家でしたのが合点が行かぬ」と合邦がいふと、目立たぬ程に思入をするも行き届いてゐる。然し、床で「探り寄って玉手の手を取り」と語らせるは悪い。「身を百千に砕いても」をいはぬも好くない。余計な知恵は出さぬことだ。處で、羽左衛門のと比べると、演る事に掛けては、こっちに目立った好い處があるが、大体の可憐さ美しさなどが先方に及ばず、折角の努力も遂にこれを補ふに由なく、惜い勝負だが羽左衛門の勝。
 
ととても病人とは思えない肥え太った身体のハンディを持ち前の演技力で補い、劇評にもその点は評価されながらもやはりイケメン正義羽左衛門は到底かなわず羽左衛門に軍配が上がりました。
 
一方で歌舞伎座が勝ったのは帝国劇場の勘彌に対し同じ市村座同志の対決となった入平を演じた吉右衛門で
 
吉右衛門の入平、振分の荷を持ってゐる勘彌、持たぬこの優。これは持ってゐる方が、旅に出た心、片方は「爰とは聞けど」と、旅心を深くせぬ行き方、何うでもといひたいが、昔の世界、旅らしい方が穏当だ。が、演る事となると、内端にヂッと締めてゐる工合が、勘彌の心掛とは大違ひで、危気もなく立派になるこっちの勝。
 
とこちらは吉右衛門の方が遥かに優れていると軍配が上がり、浅香姫を演じ宗之助との対決となった福助も
 
福助の浅香、品が好いのを取柄とする。様子の余り初々しいは、本文からは些と感心しかねるが、齢を十六ぐらゐに書いてある處で我慢する。宗之助にと比べると、悪さ加減に於いてこっちが罪が軽い。
 
と出来の悪さ加減に於いてまだ本文にほど近い年齢である事や品位の点でまだマシと辛口ながらも福助に軍配ががる結果となりました。
 
この様に帝国劇場との競演は
 
・玉手御前、合邦、入平、浅香姫で歌舞伎座の勝ち
 
・俊徳丸、合邦女房おとくで帝国劇場の勝ち
 
とトータル的に見れば歌舞伎座の勝ちという結果に終わりました。
 

神明恵和合取組

 
二番目の神明恵和合取組はこちらも何度も紹介しましたが明治23年に初演された世話物の演目となります。
 
歌舞伎座の筋書

 

角座の筋書

 

市村座の筋書  

 

東京座の筋書

 

こちらも市村座の出し物であり、市村座の時同様、め組の辰五郎を菊五郎、四ツ車大八を吉右衛門、柴居井町藤松を三津五郎、九龍山浪右衛門を東蔵、辰五郎女房お仲を菊次郎、辰五郎倅又八を米吉、喜三郎女房おいのを国太郎がそれぞれ務めた他、歌舞伎からも焚出しの喜三郎を段四郎、尾花屋女房おくらを歌右衛門が華を添える形で出演しています。
市村座で演じた時は肥えた肉体を見せてしまったが為に評価拒否という汚名を喰らってしまった菊五郎ですが、今回はと言うとどの劇評も一番目の熊谷陣屋や競演となった摂州合邦辻にのみ注目が集まってしまった反動からか
 
菊五郎の辰五郎や三津五郎の藤松は見て居て気持ちが能い
 
とこれしか言及がありませんが短いながらも評価されています。
 
菊五郎の辰五郎と段四郎の焚出しの喜三郎
 
対して四つ車を演じた吉右衛門も
 
相撲方に廻った者は一割損の様だが大きく見える所が立派にてこれも皆よし
 
とこちらも一言レベルですが評価されています。
 
吉右衛門の四ツ車大八と歌右衛門の尾花屋女房おくら
 
大詰の菊五郎の辰五郎と吉右衛門の四ツ車大八
 
この様に殆ど言及がなかったこの演目ですが前回も含めて幾度となく演じた事で経験を積んだのか今回は概ね好評でした。
 

張交伽画合

 
大切の張交伽画合は再び舞踊演目で
 
・鳶奴(御年玉海老手遊)
 
・座頭(其七変化所作)
 
・角兵衛(月酒宴島台)
 
と長唄、清元、常磐津から1つづつ舞踊を出して一つにまとめた物となっています。
今回は奴三津平と角兵衛獅子三吉を三津五郎、座頭菊平を菊五郎、女大夫おいねを米蔵がそれぞれ務めています。
配役を見ても分かる様に棒縛りが菊五郎の出し物であるのに対してこちらは三津五郎の出し物となっているのが分かります。
ただこちらは劇評などに殆ど降られておらず
 
大切の踊も無論好評
 
としか書かれていませんがこれを見る限り悪くはなかった模様です。
 
この様に集客力では確かな実力を持つ市村座連が加入した事や帝国劇場との摂州合邦辻の競演もあり話題性が十分だった事もあり無事3ヶ月連続の大入りを記録し市村座の力を誇示する事に成功しました。しかし、この時市村座を襲う悲劇が目前にまで迫っている事は知る由もありませんでした。