大正6年6月 明治座 左團次、延若、芝雀、段四郎大奮闘 | 栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
所有する戦前の歌舞伎の筋書を週に1回のペースで紹介しています。
他にも歌舞伎関連の本の紹介及び自分の同人サークル立華屋の宣伝も書きます。
※ブログ内の画像は無断転載禁止です。
使用する場合はコメント欄やtwitterにご一報ください。

今回は久しぶりに明治座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正6年6月 明治座

 

演目:

一、川中島東都錦絵

二、摂州合邦辻

三、佐々木高綱

四、恋飛脚大和往来

五、後面露玉川

 

本編に入る前に前回の紹介から大分間が空いたのでこの頃の明治座の状況について説明したいと思います。

明治44年に二代目市川左團次が伊井蓉峰に売却して以降伊井の持ち物となっていた明治座ですが、彼もまた買収当初こそ自分の出る新派の公演を打つ等していましたが左團次同様に次第に役者と座主の兼業が重荷となって行き大正3年には松竹が伊井から借り受けて事実上の座主として公演を行っていました。

しかし、大正5年11月に伊井が明治座を輸入映画の公開で一儲けして勢いに乗っていた小林商会の小林喜三郎に売却しようとしている話を聞き付けて伊井との交渉の末に松竹が買い取る事になり大正6年1月から直営の劇場となっていました。

 

大正時代の明治座

 

直営初の公演は歴史的な経緯もあってか、左團次一門と仁左衛門一門及び歌六と芝雀が出演し華々しく行われ、仁左衛門の当たり役である名工柿右衛門の評判も相まって大入りを記録していました。続く3月公演では仁左衛門の甥の四代目片岡我童を迎えて大岡政談や極付幡随長兵衛を上演していました。

そして今回は上方から延若と芝雀が加わった他、東京組も歌六、段四郎一門が加わり1月、3月にも負けない顔触れとなりました。

 

主な配役一覧

 

延若と左團次は今までも触れた通り歌舞伎座や明治座、新富座、本郷座でも共演を重ねていて新鮮味こそありませんがその代わりに「双方豪勢無敵の活発」と劇評にも書かれる程双方が脂が乗りきっていて息もあう上に新作に翻案物、古典と幅広くこなせる芸幅が異常に広い延若であるが故に左團次も際限なく演じる事が出来るので相性が抜群の相手でもありました。

 

歌舞伎座で共演した時の筋書

 

本郷座で共演した時の筋書

 

 

 

川中島東都錦絵

 
一番目の川中島東都錦絵はつい先日も歌舞伎座で紹介した演目である為に内容の解説については省略させて頂きます。
 
参考までに市村座の時の筋書
 
同じく歌舞伎座の筋書

 

 
今回は初演時同様に額岩寺光氏と武田信玄の二役を左團次、初演時に初代左團次が務めた鬼小島弥太郎と上杉謙信を延若、山本勘助を段四郎、牛窪大蔵を猿之助、高坂弾正を歌六がそれぞれ務めています。
まず主役である左團次と延若ですが、
 
鬼小島彌太郎が二人出でたりとすれば猿に等しき見物共が後(しり)込みするも弱虫とのみ貶すべからず、延若の鬼小島が大盃で重ね左團次の額岩寺がその大盃を引き受けて飲むところ、馬場三郎兵衛がまた二人並んだ様にて怖ろしくもまた凄まじく
 
左團次の額岩寺光氏は前年市村座で見た吉右衛門の光氏と比べると、勇気凛々たるのに対して武勇堂々わといふ程の差があるだけである。
 
と2人共に骨太で豪快な芸風だけに菊吉の2人とはまた違った意味で火花が散るような熱い舞台であったと評価されています。
 
左團次の信玄と延若の謙信
 
また市村座の時には山本勘助と武田信玄の二役を務めた六代目菊五郎の写実的な芸風が仇となって不評でしたが、今回は山本勘助を古風で骨太な演技で知られる段四郎が演じた事もあり、
 
段四郎の山本勘助の討死も凄まじいものにて、乗馬の死を労ひての述懐もよく、自害せんとして物具を脱ぎ捨しが旗持大蔵が呼ぶ声の遠く聞ゆる不覚(そぞろ)懐しくもおほえて(覚えて)刃を止めて向ふを見やるところも凄惨の気に満ちたり
 
と九代目直伝の重厚な演技で戦に負けた武士の散り際を見事に演じきり、息子猿之助の
 
猿之助の大蔵もよし、旦那様ーと絶え絶えに呼びかけ、かすり手ながら数箇所の疵によろほひよろほひ出たところ、いかにも乱軍戦場の光景を思はしめたり、負軍を惜しがるも勝にのみ馴れたる雑兵としては左もあるべく「お旗をお渡し申します」とこの中にも敵の手に渡さじと旗を主人に渡してからグッと気の張りが抜けて弱る体もよし
 
という好演のアシストもあり、
 
旗を受け取り押し頂きてその忠義を悦ひ、苦痛を助けて大蔵を一刀に刺殺し、我家の旗は未来までも我肌にといふ心持にて腹へ巻き付け、余りを口に咥え(これは少し心持過ぎたり只無造作に腹に巻くだけにしたし)鎧通しを脇腹へ突き立て敵の方をハッタと睨んでの幕切は大剛無双大よしなり。
 
と劇評が手放しで絶賛する程の出来栄えだったそうです。
 
段四郎の山本勘助と猿之助の牛窪大蔵

 
とこの様に揃いも揃って時代物のニンと柄が合う役者ばかり揃えたのが功を奏したのか若手ばかり故に経験と技量の面でどうしても劣り今一つの出来だった市村座とは正反対に大変に好評となりました。

 

摂州合邦辻

 
中幕の摂州合邦辻は芝雀の出し物で菅専助、若竹笛躬の両名により安永2年に書かれた丸本物の演目です。歳が近い先妻の息子である俊徳丸に禁断の恋をする玉手御前の真実とそれ故起こる悲劇をお家騒動に絡めて描いていて、歌舞伎に移された時点から下の巻の合邦庵室の段のみが上演される見取り演目として戦後を代表する2人の女形である六代目中村歌右衛門と七代目尾上梅幸がそれぞれ親から引き継いだ解釈を基に上演して好評だった事から今も時折上演されています。そして今回演じる芝雀はこの演目を中村傳五郎から教わり持ち役の1つとしていました。
今回は玉手御前を芝雀、合邦を段四郎、老母お徳を歌六、俊徳丸を壽美蔵がそれぞれ務めてます。
東西の役者が入り交じるこの中で左團次一門の壽美蔵だけが浮いていますが、実は彼の養父である五代目壽美蔵は秀調の玉手御前あるいは八百蔵の俊徳丸等で合邦を幾度となく務めていた事から養父から演目について教わった経験を買われての抜擢だった様です。
さて劇評ではまず主役の玉手御前を演じた芝雀について
 
芝雀の玉手御前のしなやかでいて狂乱じみた人形式の動作にすっかり感心
 
芝雀の玉手御前、これが今回の呼物なるべく、俊徳丸を慕ふといふをが筋を知っている者にも誠の横恋慕と思はれるほど情深く、父の怒りも、母の諭しも耳に入れず、ただ一向に恋慕ふところ滅法界によく、母に無理矢理手を引かれて奥へ行く形もしなやかにてよし、これが父合邦に脇腹刺をされてから本心を明かし、義理ある息子を助けたさに名も捨て、命も捨るといふ長物語に、だんだん弱りに弱って行く気合大出来なり。
 
と手放しで絶賛する程の出来栄えでした。
この演目では上述の様に幾つかの型の違いがありますがその中でも最大の違いは「玉手御前の俊徳丸への恋は本当か否か」という点です。
戦後玉手御前を演じた歌右衛門、梅幸の2人の解釈はそれぞれ異なり
 
歌右衛門…俊徳丸への恋は彼を守る為の偽り
 
梅幸…俊徳丸への恋は本心から惚れていた
 
という解釈で演じていました。今回の芝雀はというと前者の歌右衛門と同じく恋は偽りという立場で演じています。
余談ですが、芝雀はこの時既に養父の名跡である中村雀右衛門の襲名が決定しており、今回の明治座が芝雀の名前で出る東京での最後の舞台でもあり、芝雀としての集大成として並々ならぬ意気込みで演じた事が今回の高評価に繋がったと言えます。
 
また劇評では芝雀の次に合邦を演じた段四郎について触れていて
 
段四郎の庵主合邦は明晰な解釈が生きた感情と共に濃やかに流れ出たことに敬意を表する。
 
段四郎の合邦も娘は家に入れぬと表は怒りながら一目逢ひたいといふ親の内心を義強のうちによく現したり
 
とあまり演じた事の無い役にも関わらず建前と本音が垣間見える父親を演じきり評価されています。
 
更に歌六のお徳も良かったらしく、
 
歌六の母親も何かな取りなして家に入れたく夫をなだめつくらふところ女親の情あり、娘を諌めても聞入れぬに呆れながら尚かばふ心持十分なり
 
と花車役を十分に肚に入れての情感ある演技を評価されています。
この3人の好演もあってか
 
午後五時十五分より六時四十分までの長丁場を息もつかせず見せたるは感心なり
 
と1時間半の上演時間が長く感じられない程の張り積めた演技を称賛され、今回の演目の中でも一位二位を争う出来栄えだったそうです。
 
佐々木高綱

 
同じく中幕の佐々木高綱は杏花十種の一つであり、左團次の盟友岡本綺堂が書き下ろし大正3年10月に新富座で初演された新歌舞伎の演目です。以前紹介した修善寺物語のヒットした後、定期的に左團次に作品を提供するも中々次のヒット作が出ずにいた岡本綺堂が久しぶりに当てた演目で数々の武功を立てるもその比例して褒賞に恵まれず、武士に嫌気がさし厭世気味である佐々木高綱と彼が贖罪の為に養う子之助、父の仇と高綱の命を狙うおさわの3人が中心となり話が展開するという新歌舞伎ならではのシンプルでありながらも独特な展開が特色となっています。
今回は左團次が佐々木高綱、子之助を壽美蔵、おみのを秀調がそれぞれ務めています。いつもであればおみのは松蔦が務めていても不思議ではありませんが、彼はこの時大阪の浪花座で行われている若手芝居に呼ばれて珍しく左團次とは別行動を取っていて代わりに秀調が務める事になりました。
ここで三代目坂東秀調について少し説明したいと思います。彼は元々九代目市川團十郎の弟子で市川升次郎を名乗り活動していた役者でした。そして明治時代に活躍した名女形で当時團十郎と度々共演していた二代目坂東秀調に見込まれて彼の娘である坂東のしほと結婚して娘婿となり初代坂東勝太郎と改名しました。
そして二代目の死から3年後の明治37年に三代目を襲名しましたが團十郎、菊五郎と時代物、世話物で共演を多くしていた養父とは異なり彼は二代目市川左團次の一座に入って自由劇場や新歌舞伎の演目に活路を開くなど養父とは全く異なる芸風を確立していました。
 
参考までに生さぬなかを演じた時の筋書

 

 

その後も左團次一門に付き従いながらも自身で巡業したり、適当な女形がいないと歌舞伎座に客演するなど歌右衛門、梅幸に次ぐ世代の女形として順調にキャリアを積んでいましたが、一方私生活では妻のしほと離婚してしまい、養子に迎えた二代目坂東勝太郎も関東大震災後の行動に立腹して一時勘当するなど家庭内ではトラブルを抱えていました。

そして後妻との間に実子の慶三、光伸に恵まれましたが昭和10年に三代目の死後に勘当が解けた後も仲がしっくり行って無かった四代目秀調を襲名した勝太郎は養家の弟を引き取らず、彼らは菊五郎、吉右衛門の一座に引き取られる事になり複雑な関係が生まれる事になりました。

 

さて、話を戻すと劇評ではまず秀調のおみのについて
 
中にも秀調のおみのが真剣にてよかったり
 
秀調の鋭さは上々である。
 
と復讐の怒りに燃える女性を演じて評価されています。
そして、高綱の左團次は
 
左團次の高綱、利己心に跼蹟している小さく醜い高綱をその逞しさと直情の発で辧是している。
 
左團次の高綱、左升の智山を馬に乗せて花道へかかり、少しも芝居ッ気なく後も見かへらずサッサと揚幕へ入るところ大芝居、これだけでも高綱の気性をよくあらはしたる、さすがは作者は綺堂なりけり
 
と活歴が目指そうとして失敗した写実の極致とも言える枯淡な演技ぶりで俗世から離れようとする高綱を完全に自分の物にして喝采を受けています。
 
左團次の佐々木高綱

 
 
左團次の高綱と壽美蔵の子之助

 
一番目の荒々しい武者ぶりや中幕の妖艶な色気ともまた異なる左團次の見事な好演も相まって演目そのものも非常に受けが良かった様です。
 
恋飛脚大和往来

 
二番目の恋飛脚大和往来もこれまた何度もブログで紹介しましたが初代中村鴈治郎が当たり役とした演目ですが今回は封印切の場のみの見取りですが延若が亀屋忠兵衛に挑戦しています。
そして芝雀が梅川、段四郎がこれまた珍しく丹波屋八右衛門を務めています。
 
参考までに鴈治郎の封印切

 

当然の事ながら天下一品の鴈治郎の忠兵衛に面と向かって比較される事になりますが、そこは延若も十分に承知していたらしく以前に紹介した延若芸話には封印切の性根について
 
「縁切り」ではありませんが「恋飛脚」の忠兵衛もこれに似た役です。(中略)今申しましたとほり、この忠兵衛も一幕中ブルブル震へるほど怒っている。またそれほど怒っていればこそ封印が切れるので、幾ら八右衛門に病づかされても平気な顔でいるやうな鈍感な忠兵衛なら、お屋敷の金の封印に手をかけるやうな悲劇にならぬわけで、忠兵衛の役にもなりません。それに、子の忠兵衛の怒り方はほかの役と違って始終そばにいる梅川に気をとられている一種変わった怒り方です。梅川が心配でヘンか知らん、梅川がわしを意気地なしやと思うてヘンか知らん…なにもかも梅川に気ばかり配りながら怒っているのです。始終に梅川の顔色ばかり見ている。それが「封印切」の忠兵衛では最も肝心な性根かと存じます。」(延若芸話)
 
と書いていて延若なりの忠兵衛の性根の置き所について述べられています。
そんな延若の忠兵衛ですが劇評では
 
延若の忠兵衛は鴈治郎の忠兵衛とは別様の妙味がある。(中略)延若の忠兵衛はそれ(鴈治郎)に比べると少し塩気が染みている、磨きが少し足りないが、その代わり性根が沁み出る様な處に彼の長所がある。「せかねばならぬ道が遠い」の處でも鴈治郎は足元ふらふらと梅川の手を引きながら、戸の方を見込んで白の尻を遥かに消えて行く様にうたふ。延若はここで正気に立ち返って沈んでいふ。ここにも二人長所の差は見える。
 
延若の忠兵衛、少しパサパサとはしているが手に入ったもの
 
と濃厚こってりな演技で知られる延若にしては珍しい評価をされていますが、鴈治郎のコピーではない彼の忠兵衛はきちんと評価されています。そして劇評では延若の次に評価されているのがこれまた滅多に演じた事が無い丹波屋八右衛門を演じた段四郎で
 
段四郎の八右衛門はその感情が真において無類である。火鉢を挟む忠兵衛梅川が間へ割り込む際の嫉妬の如きはその眼差において語調において非の打ち處がない。
 
段四郎の八右衛門が息子拵えで、忠兵衛の遊び友達といふ心持で、悪人ではなくただの意地張で忠兵衛を苛めるもよし
 
と長年の経験故か慣れない心中物のニンも柄にも合わない八右衛門を上手に演じて評価されています。
一方摂州合邦辻では絶賛され、梅川も鴈治郎の忠兵衛で経験済みである芝雀の梅川は
 
芝雀の梅川も女房じみてよし
 
とこの役の中で一番ニンに合う役にも関わらず言及は控えめとなっています。
 
段四郎の丹波屋八右衛門、延若の亀屋忠兵衛、芝雀の梅川
 
この様に主要人物全員がそれぞれ持ち味を発揮した事もあり、洗練された鴈治郎の封印切とは一味違う出来栄えとなりこれはこれで受けは良かったそうです。
 
後面露玉川

 
大切の後面露玉川はいつものの段四郎親子による舞踊で
殆ど出ずっぱりにも関わらず段四郎は疲れを見せずに猿之助と踊り
 
段四郎大働き、大入り続きの半分は澤瀉屋が軽々と荷ひたる手柄といふべし
 
と大車輪ぶりを評価されています。この様に左團次、延若の両名に襲名を控える芝雀、そして佐々木高綱以外の全演目に出演するという大車輪ぶりをしながらもそれぞれの演目で高評価されたベテランの段四郎のそれぞれが会心の働きをした事から劇評にもあるように不入り月の6月にも関わらず大入りを記録しました。
 
この後左團次、段四郎は揃って夏場の歌舞伎座に2ヶ月連続で出演し休む事を知らず活躍し、延若は7月を巡業に充てた後に8月の歌舞伎座に2年ぶりに出演した後は帰阪して珍しく道頓堀に留まって下半期を過ごす事になります。
そして上述の様に芝雀はこの後7~9月にかけて地方巡業をした後、いよいよ10月の浪花座で襲名披露に臨む事になるなど4人ともにこの結果に満足すること無く突き進む事となります。