今回は久しぶりに本郷座の筋書を紹介したいと思います。
大正5年2月 本郷座
演目:
一、奥州安達原
二、番町皿屋敷
三、大杯觴酒戦強者
四、鐘もろとも恨鮫鞘
この月の東京の歌舞伎界は新富座で鴈治郎と歌右衛門の共演、市村座では五代目尾上菊五郎の十三回忌追善公演と話題目白押しでした。そんな中、本郷座では二代目市川左團次がそんな劇界の流れとは無縁だと言わんばかりに一座を率いての公演を開きました。
ただ、そこは抜け目のない松竹とあって歌舞伎座での襲名披露を終えたばかりの延若と芝雀を大阪へ帰さずに引き留めて左團次と共演させました。彼等3人の共演は丁度1年前に歌舞伎座で行われた初代市川斎入の東京での引退公演以来となります。
演目を見ると
奥州安達原…延若
番町皿屋敷…左團次
大杯觴酒戦強者…左團次
鐘もろとも恨鮫鞘…延若
と綺麗に左團次、延若の出し物が並んでいて左團次の相手役が松蔦、延若の相手役が芝雀とこれまた綺麗に分かれていて双方の演目に付き合うという形を取っています。
奥州安達原
一番目の奥州安達原は上記の通り延若の出し物で、安倍宗任役で左團次が付き合っています。
今回はいつも演じられる三段目の袖萩祭文の前にだんまりをつけて上演し筋を分かりやすくしています。
そして袖萩祭文では
「芝雀の袖萩が大いによし」
と貞任と二役ではなく、芝雀が単独で演じ薄幸な娘役を演じさせたら定評のある芝雀だけに好評でした。
対して持ち役である貞任を演じた延若は
「謙杖の切腹見届けてからにて見あらはしも桂中納言が優美で無いゆえに引き立たず」
と化けているはずの桂中納言の役が珍しくニンに合わなかったのか不評でした。
そして左團次の宗任も
「性急過ぎて味といふものがちっともなし」
とこちらも不評でした。
総じてこの演目はあまり受けが良くなかったようです。
番町皿屋敷
中幕の番町皿屋敷は今でも時折上演される新歌舞伎の名作で今回が初演となります。
この演目は講談が原作の怪談噺として知られるお菊の皿割りの話をベースに岡本綺堂が時代考証がメチャクチャな部分を取り除き、新たに旗本と腰本の些細な思いの行き違いから結果的に愛しあった者同士が命を殺めてしまうという恋愛悲劇に仕立て直した物になります。結末も怪談噺に付き物の因果応報を匂わせながらも決して亡霊等は出てこないリアリズムに拘る綺堂らしい演目です。
奥州安達原では思わぬ不評でしたが、こちらはというとまず作品について
「新しみありて面白し」
「いつもは傍の者が悪で殿様を煽って殺させるのを、これは傍が良く殿様が武士の意地だけで殺すのがよし、お菊も覚悟して快く手にかかれば後で化けて出る手数もなくサラサラとした皿屋敷凄みが無くて大よしなり」
と怪談話を大胆にアレンジして恋愛ものに仕立て上げた斬新な脚色を高く評価されています。
そして左團次の青山播磨についても
「左團次の播磨、活気あり新意味ありて面白し宗任とは別俳優なり」
と彼が得意としていた心理描写を主とする役柄がハマり高評価されています。
左團次の青山播磨
一方、松蔦のお菊は
「皿を割っても怒られなければ本当に可愛がってくれるのだという思い付きはあまりに幼稚で落し話にある筋めくが恋に迷う若い女の心持ありてよし」
とこちらも従来の歌舞伎にはない新しい女性像の役を見事に演じきり評価されています。
この二代目市川松蔦は左團次の義弟(妹の夫)に当たり、妹も一時期「市川松蔦」の名跡で舞台に上がっていた事があります。(この二代目は奥さんが初代ではなく義父の初代左團次を初代と数えて二代目にしています)
彼は幼少期から左團次一門で育ったいわば生え抜きともいえる存在でそれだけに二代目左團次の相手役として若い時から重宝され、彼が借金苦で一座を解散した時も松蔦(当時は莚若)だけは一緒に連れていくほどのお気に入りでした。松蔦もその左團次の期待に応えて自由劇場を始め新歌舞伎でも左團次の相手役を数多く務めました。その為と言っては何ですが松蔦には弱点があり、新歌舞伎や古典物で左團次が得意とする演目以外はちっとも演じられないという物でした。三姫を始め、舞踊などもからっきしの状態で左團次、あるいは左團次以外の左團次一門の人以外とは共演することは皆無という状態でした。
二代目市川松蔦
その裏返しとも言うべきか今回の様な新歌舞伎などでは無類の良さを発揮し、従来の女形役者とは異なる新鮮な役者ぶりに本郷座の客層であったインテリ層には絶大な支持を受け、ある人に言わせれば理想の女性像を「松蔦のような女」と言ったり「松蔦となら心中してもいい」と言わしめる程でした。大正デモクラシーなどにより女性運動などの機運も高まる中で従来の女形の枠に当てはまらない松蔦の存在は左團次一門の特色ともいえる存在だったと言えます。
しかし、そんな彼も一時期今回も出演している四代目中村芝雀や大阪から四代目片岡我童が上京すると次第に持役を奪われる様になり不満を溜めて浅草の公園劇場に移籍する動きを見せて左團次と衝突しあわや破門寸前になりかけた事もある等見かけに依らず意思の強い一面もありました。その後左團次とも和解し彼と一緒に出る場合を除いては殆ど他の役者とは共演をせず昭和に入っても左團次に付き従っていましたが、結果的に松蔦は病気によって昭和13年12月の南座の顔見世公演を最後に休演し、舞台上の夫ともいうべき二代目左團次が昭和15年2月に急死すると後を追うように半年後の8月に亡くなりました。
既に舞台から遠ざかって久しいとは言え、左團次と彼の死が残された左團次一座に打撃を与えたのは間違いなく彼らの運命を決定付けてしまったと言えます。
大杯觴酒戦強者
続いて左團次のお家芸と言える大杯觴酒戦強者です。以前に歌舞伎座の筋書や浪花座の筋書でも紹介しましたが豪快なニンと立廻りが求められる演目で歌舞伎座では初代左團次と同じ熱血型タイプの吉右衛門が予想外の好演をしましたが、今回は二代目左團次と延若の顔合わせとなりました。
歌舞伎座の筋書
浪花座の筋書
親譲りの骨太な演技の左團次に融通無碍な演技幅を持つ延若とあって劇評でも
「左團次の馬場三郎兵衛、ますます手慣れてしかも活気を失わず勇気充ちてよし」
と好評でしたが対する延若は
「延若の井伊掃部守、大酒呑みらしくはあるが威儀に欠くるところありこの優は大阪に帰って馬場三郎兵衛を出し物にするならん」
と井伊掃部守よりも馬場三郎兵衛がニンに合っていると言われるなど今一つニンに合わず珍しく不評でした。
余談ですが延若は後に劇評の預言通り浪花座でこの演目を出す事になります。
その時の筋書
鐘もろとも恨鮫鞘
大切の鐘もろとも恨鮫鞘は浪花座での襲名披露でも上演した河内屋ゆかりの演目です。
延若を襲名した浪花座の筋書はこちら
ここまで二役とも何でも演じられるというのが売りの延若にしては珍しく不評続きでしたが、お家芸のこれに関しては
「愛想尽かしの腹立ち、切羽も詰まり、恨みも重なっての殺しまでが身が入って見ごたえあり」
「台詞廻しも親写しにてよいところあり」
と殺しの大立ち廻りも含めての大車輪で好評でした。
延若の八郎兵衛
一方左團次は愛想尽かしをさせる弥兵衛の役で付き合いましたが、劇評を書いた人が桜鍔恨鮫鞘の方が性に合ったのか
「無理に縁を切らせなくても良い筋をこんがらかした事ゆえ実意が見え透いて役が締まらず」
と大きくニンが変わる弥兵衛についてよく思っていないのかあまり評価していません。
一方で脇の壽美蔵、松蔦、歌六については高評価していて演目その物については「良き出し物」と評価しています。
上記の様に奥州安達原こそ不評でしたが残りの演目が全て良かった事から市村座と新富座が双方大入り状態の中にも関わらず大入りを記録したそうです。
かつては初代左團次の麾下で共に共演した仲とあって左團次と延若は息が合う事や互いが劇界の主流から外れている事も相まってこの後大正、昭和を通じて何度も共演し名演を生む事になります。