大正8年6月 帝国劇場 羽左衛門の加賀鳶の通しと摂州合邦辻競演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は2年ぶりに羽左衛門が出演した帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。

 

大正8年6月 帝国劇場

 

演目:

一、盲長屋梅加賀鳶
二、摂州合邦辻
三、鎌倉武士

 

大正6年6月公演以来、2年ぶりとなる羽左衛門の出演となりました。

 

前回の公演の筋書はこちら

 

本来であれば2月の歌舞伎座で実現する筈でしたが梅幸のスペイン風邪感染によりご破算となり、共演自体は3月の横浜座で既に実現していましたが東京での共演は2年ぶりとなりました。

前回の公演では相手役での共演は十六夜清心のみでしたが、今回は盲長屋梅加賀鳶と摂州合邦辻の2つで共演となりました。

 

盲長屋梅加賀鳶

 
一番目の盲長屋梅加賀鳶は河竹黙阿弥が書き下ろし明治19年3月に千歳座で初演された世話物の演目となります。今では音羽屋のお家芸としてつとに有名ですが昭和に入り肥満体であった六代目が梅吉を演じる事に難を示した事から改変され上演されるのは専ら道玄の部分のみとなっていて梅吉の部分は冒頭の本郷通町勢揃いのみとなっています。
しかし、それはあくまで六代目の事情であり今回演じる羽左衛門には関係ない事から珍しく普段上演されない
 
・湯島天神茶店の場
 
・天神前梅吉内の場
 
・本郷通町木戸の場
 
・天神前梅吉内の場
 
・小石川水道橋の場
 
を含む通しでの上演となりました。
因みにこの普段上演されない部分の内容はと言うと現行の勢揃いの場に出てくる鳶頭の梅吉に雷五郎次が女房のおすがと巳之助が不倫をしていると讒言をして梅吉もまた偶然が原因で蚊帳(布団の中)から巳之助が出て来る所を見てしまった事が原因で男を売る家業柄、お菅を突き放し、お菅もまた責任を感じて死を以て償うべく書置きを残して去ってしまう…という話になっています。
この部分は戦後僅か3回しか演じられていない非常に珍しい場で最後に上演されたのは45年前以上に遡ります。(後述する小石川水道橋の場のみ20年前に1度上演されています)
現在では梅吉と道玄は兼ねて演じるのが常になっていますが今回は梅吉の部分を多く描く為にか兼ねずに分けて梅吉と死神を羽左衛門、道玄と松蔵を幸四郎が務め、その代わりに幸四郎が松蔵を兼ねている関係で本来ならお茶の水土手際の場での道玄の太次右衛門殺しと伊勢屋の場で偽手紙の件を暴く場面では松蔵に代わり梅吉が行うという少し変則的な設定となっています。
因みに他の配役は梅吉女房おすがを梅幸、加賀鳶巳之助を宗之助、子守りお民を宗十郎、雷五郎次を松助、番頭五兵衛を幸蔵、伊勢屋与兵衛と磐石石松を勘彌、女按摩お兼を長十郎がそれぞれ務めています。
 
さて意欲的な通しでの上演ですが、劇評ではそもそもこの企画そのものに対して
 
加賀鳶加賀鳶といっても、勢揃いの外、加賀鳶でなくてはならぬ件は無く、鳶の女房の間男嫌疑といふ苦々しき事件が、二幕と三幕も幅をするのでは、これが本当の嬶とびでも御座いませうかと、こっちまでがつひ無駄をいひたくなるなり。切りめて道玄の方でもと思ふに効なく、これも今度の舞台では有害無益、何程河竹復興の御時節でも、ヤンヤとは些と申しかぬ。
 
とノッケから全否定で酷評されています。
この事は梅吉の出番を殆ど省いてしまった現行の六代目型が上述の通り肥満体だった六代目の体型による所が大きい一方で合理的な考え方を持つ六代目にとって女房の不義に悩む夫という役柄自体が合わない上に省いても残りの内容にそこまで波及しないと踏まえて現行の演出になった事に影響を及ぼしている可能性は否めません。
さて、劇評はこのメッタ斬りの勢いで前半部分に出演している役者についても
 
丑之助のお花、何をいふにもツンケンして、色気といふもの微塵もなく、情夫に逢って文句ばかり並べているやうなるは、本人の芸よりも歳の足らぬ故なり。
 
宗之助の巳之助、序幕での能書が時代になり過ぐ。容姿は前向きがよく、後を向くとグチャつくは、根が女形を売物の人なればならん。
 
勘彌の石松、市村(座)一派の変写実黒塗り宗に帰依の結果、右いふが如く閻魔色に拵へ、文芸座の余勢を見知らす大緊張に、動もすれば息立つは、真逆に自己紹介にもあらざるべし。
 
と情け容赦なく評価を下しています。
ただ、若手は兎も角、五代目菊五郎の初演時にも演じていた羽左衛門、梅幸、松助の音羽屋一門及び宗十郎については
 
宗十郎のお民、子守になれる齢でもなき故、顔を見ると気味が悪けれど、儲かる役を車輪に勤める處で喝采。廉々には、勿論巧い處あり
 
松助の五郎次、序幕の天神では風体宛(さなが)ら博労の如く、これが江戸っ子とは受け取れねど、この人の世話物の加之(しか)も書卸ろし云々といふのを聞いて見物して、褒めぬは馬鹿のやうな世世界には、滅多な事はいはれず。
 
と所々疑問符やマイナス点はあったものの、かつて若女形で名を売った宗十郎や初演以来の持ち役である松助の五郎次とあって劇評もある程度の評価を下しています。
そして主役たる羽左衛門と梅幸は
 
梅幸のおすが、序幕に出て来た處、今時の茶屋女房にて、(四代目)松之助(二代目)菊之助の並んでゐる書卸ろしの時の写真の風俗と比べて、それだけやはり新しいは是非もなしか。五郎次の水を注す詞に不審し、後に馬鹿々々しさうに相手にならず跳付けるあたり、最早持味で素敵に巧し。内の場にて、蚊帳より出でし時の顔色、如何にも雷鳴に魂を消したたる人の如く、良人その他の戻り居るに、ホッとしながら挨拶をする工合など、真実にて大出来なり。後の幕に格子先での愁嘆、栄えぬ筋をも可愛想に好く演て見する、これも亦技量。結構結構。
 
羽左衛門の梅吉、これが悪ければ代は戴きません、では無く、戴けませんお手の物。男っ振好し、今日での梅吉なれど、勢揃ひの場にて、手足を拡げて極まった形は好からず。それに台詞の繋ぎに無暗矢鱈と「ガ」を押し込み、意味が何処で片付くのか分からぬは粗雑なり。(中略)梅吉は、女房の不始末に当惑したる様子が巧し。次の場に、道玄との応対は、段違ひにて相撲にならず、演り難からうと寧そ気の毒。後の場になり、おすがの遺書を読むあたり、存外味あり。(中略)後を追っての引込みに十分踉蹌(よろよろ)して尻を端折るは、性根が弱くて商人染み、鳶の者としては、前の意地っ張りに似ず二本棒(武士)臭し。
 
見終って得心の行けるもの、梅吉とおすが而巳(のみ)
 
とこちらも満点とは行かないものの、超辛口な劇評もこの2人だけは合格点を与える程の出来栄えだったらしく概ね好評でした。
 
羽左衛門の梅吉、梅幸のおすが

 
しかし、幹部役者の中でも例外は付き物でそれが道玄と松蔵を演じた幸四郎で
 
高楼の道玄、かういふ狂言を何と心得たるにや、緩急抑揚悉く度外れなる例の新写実を無面目に応用し、長い芝居の片棒担いだ折角の道玄を、頭から与太っぺえに仕上げたるこそ乱暴なれ。看客難儀、この人と台詞の受け渡しする役者も難儀。難儀難儀鈍根頂上
 
二役の松蔵、これは柄と調子とをハッキリさせざるを得ぬ役だけに幾分かハッキリし、勢揃ひの場は先づ立派なる腰押しに見えたる(中略)後の場に出て来る松蔵は大分道玄の親類となり
 
と松蔵は兎も角、道玄に至っては見物も迷惑、共演する役者も迷惑、鈍根(能力・素質が劣っている)の頂上(極み)と彼の写実癖の演技が完全にミスマッチだと糾弾する程の酷い出来でした。一方で幸四郎以上にミスマッチな配役と思われたお兼を演じた長十郎は
 
長十郎の女按摩、肩の怒った容姿は、自分の方が揉んで貰ったら好さそうにも思はるけど、無理な役をこのくらゐに捻じ付ければ、先ァ先ァ他に比べて偉い方なり。
 
とこちらは最初から無理な配役だと承知の上で本人なりに工夫の末に役作りをしている部分が同情を買ったのか幸四郎程ボロカスには言われませんでした。こちらは初演時は松助が演じていた役であり、後年に六代目が手掛ける事になった時に三代目尾上多賀之丞がこれを小芝居で培った技芸で当たり役にした事で一躍有名になりましたが多賀之丞が手掛ける以前の様子が伺えて何気に貴重な証言であったりします。
 

羽左衛門の梅吉、勘彌の伊勢屋与兵衛、幸蔵の番頭五兵衛、長十郎のお兼、幸四郎の道玄

 
そして普段なら質屋の場からすぐに道玄宅の場加州侯表門の場でだんまりでの道玄の捕縛で終わりますが今回はその前に梅吉のパートに戻り、悪事を働いた五郎次が死神に魅入られて死を選んでしまうという怪談物チックな小石川水道橋の場が付いていて死神を上述の通り羽左衛門が務めています。
梅吉は好評だった羽左衛門ですが、亡霊の類になるとかつて牡丹灯篭をやった際にはかなり酷評されており、下馬評でも評価は高く無かった様ですが、劇評によると
 
二役死神、例の幽霊と違って、足のニュっと出て居るのからして滑稽の上、敵役に首を縊らせようとしたり、身投げの手伝ひをしたりするのゆゑ、何う演っても可笑味になるは仕方なく、飯を喰はぬ老爺が尻っ端折りて使ひに歩いてゐる形の、死神よりも貧乏神に近ければ、これは扮装を新規にする外不気味にしやうなき者なり。看客が笑ふかとて羽左衛門の所為でなし。但し、笑ひ声のへへへへなど余り宜くもなし。
 
と不評でしたがそもそも扮装やそもそもの原作のキャラ設定が故に怖さよりも可笑しさが目立ってしまう損な役であり羽左衛門がどうこうしたとて笑い声以外は改善の余地がないと珍しく擁護されています。
 
参考までに牡丹燈籠の時の筋書

 

 

珍しい小石川水道橋の場


この様に幸四郎など橋にも棒にも掛からぬ様な酷い出来の役者もあったものの、見物も久しぶりの2人の夫婦役での共演とあって主役たる羽左衛門と梅幸の好演した事からそこまで道玄の酷さも話題に上がらず評判はまずまずといった所でした。
 
摂州合邦辻

 

 中幕の摂州合邦辻は明治座の筋書でも紹介しましたが安永2年2月に菅専助らによって書かれた丸本物の演目となります。

 

以前紹介した明治座の筋書

 

同じく東京座の筋書 

 

同月行われた歌舞伎座の筋書 

 

今回は同月に歌舞伎座で歌右衛門も演じて競演となりこちらは玉手御前を梅幸、俊徳丸を羽左衛門、浅香姫を宗之助、若徒入平を勘彌、合邦を松助、女房おとくを幸蔵がそれぞれ務めています。

さて歌舞伎座の歌右衛門との対決となった梅幸の評価はどうかと言うと

 

梅幸の玉手御前。お約束の袖を被らず、頭巾にしたは、変わった味といふには向かぬが、平凡ながらに色気があり、気を衒った工夫よりは却って好い。出てきた姿も締まってゐて好い。門に立って泣いてゐる間の裾のあたちの影からの味は、無類だ。内に入って「肌を手に」と、後向きに母親を見上げて抱かれた處。武者振り付きたい程好い。嬉くって涙が出る。(中略)「強面いわいな」のあたり、心にもない媚(なまめ)かしさを見せる苦心は好く分かりもし、巧くもあるが、この辺は全くお家物のお部屋さまで様で、梅幸その人の生地から来る玉手の凄婉さが、動(やや)もすれば、新皿屋敷のお蔦などを思はせる。一方に於いて真実味の見えるだけ、他方に於いて丸本趣味の減殺され行くは、この出来栄えに対して殊に残念である。

 

と前半部分では絶賛される程の色気と演技を出して悩殺させる程の出来栄えだったものの、その勢いを後半部分は上手く活かせず「段々世話になって行く」と批判され半々の出来と言った所に落ち着きました。

 

梅幸の玉手御前と勘彌の若徒入平

 
そして歌舞伎座の段四郎との対決となった合邦の松助は
 
松助の合邦、この優の丸本芝居に対する不消化な台詞廻しの変な訛が例ながら耳に附いて、気障ッ臭くて堪らぬが、合邦らしくいふ事に於いては初中後も充分注意してゐるのが知れる。「狐狸」の辺は泣き過ぎる。義太夫腹がないからである。「そんなら「早う呼入れて」の處は巧い。刀を持出してからも好く演てゐるが、娘の腹に突込んでの怒りの台詞は、世話物師に似ぬ常の口の重さで、些とも亢奮の体がなく、一々下に置いて泣声で喚いているは困る。
 
とあり、一番目こそ世話物においては誰もが舌を巻く程の上手さを誇る事に加えて書卸しの役という事で劇評もそこまで強く言えない部分がありましたが、その反動で時代物、特に丸本物においての不出来がここでも垣間見られ長年の経験で役の肚こそ理解して演技するも台詞廻しの部分ではかなり批判されています。
これに関しては何時ぞやの本朝廿四孝の時と同様、慣れない役者に慣れない役を振った劇場側の非も幾分あるように感じられます。
 
本朝廿四孝の時の筋書

梅幸の玉手御前、松助の合邦

 
そして俊徳丸を演じた羽左衛門は
 
羽左衛門の俊徳丸。姿の細りと美いのが、病める若君といふ處に嵌まって結構、扮装もシットリしてゐて好い。「心根を」と、玉手に寄られ、左には数珠、右には紅絹のその帛で顔を隠した風情など殊にに好い。然し、玉手が手負いになっての物語を聞く件、両手を両脇に卸し、体を上へ少し曲げて首を垂れた工合は、無表情に過ぎて暢気さう。(中略)業病平癒になると、イヤ綺麗綺麗。こっちの目を明瞭とするやうで好い心地。「母の尼公を」といふ台詞は母が本文通り尼にならぬ以上何とか更へるか、母が「頭の雪を打ち払ひ」と、本文に叩く何方かにせねば可笑い。が、これは後者に改むべきである。
 
と持ち前の美貌と細い体付きが肥え太ってとても病人とは思えない体格の六代目とは大違いで演技の巧みさで六代目がいくら補おうとこればかりは羽左衛門には遠く及ばず、玉手御前、合邦と歌舞伎座に競り負けていた中で主要キャストではこっちが勝っていると褒められる程好評でした。
 
さて、それ以外の役についても言及があり、
 
幸蔵の合邦女房、婆ァにもしろ真女形は、喰ひ馴けぬ優が押し付けられたのゆゑ、体が窮屈で、娘の来たに驚いて門口へ行く足取は宛ら跛。見ての驚きも頼まれ仕事のやう。「唯打睜る」の形に至っては拙劣を極め、この辺一帯に素人の人形振といふ観である。尤も「尼になって給も」あたりから見直し、この優としては先ァ先ァ上出来でもあらうかぐらゐには片付けた。
 
勘彌の入平、緊張とか充実とか、息り立って仰々しくさへすれば、それを結構とも立派とも思ふ好劇家の多いに禍せられて、この入平の嵩張りさ加減などと来たら、苦々しくも亦、気の毒である。
 
宗之助の朝香姫、時姫か何ぞの意(つもり)で演ってゐると見え、これも仰々し当で閉口する。「お前は何うも置きまされぬ」を、「あなたは置き申されぬ」と翻訳したり、入平の姿を見て、「そなたは家来の」と念を押したり、御見識にも恐入る。「母御の身として子に恋慕」を、「母様のお身にて子に恋慕」と来ては、最早助け船ぇ。
 
と幸蔵以外ほぼ全員がトコトン酷評されています。
この結果からも分かる様に歌舞伎座との競演対決の結果は
 
部分部分には情愛不覚、故意ながらの色気も見え、面白い處は多く思はれるが惜しい哉、最初の優れたる割に末が栄えず、段々世話に縮まる處が梅幸の弱み。
 
玉手、合邦、俊徳の三組とも然う大した相違は無く、女房、浅香の二組は何方も何方で随分悪く
 
座として木挽町(歌舞伎座)の方勝ちではある
 
と俊徳丸が僅かに勝り、玉手御前の前半部分が勝っている以外は歌舞伎座の方に軍配が上がる形となりました。
 
鎌倉武士
 
大切の鎌倉武士は今回羽左衛門と梅幸の夫婦コンビに割を食う形になった幸四郎、宗十郎、宗之助、勘彌の為に拵えた演目で右田虎彦が書き下ろした舞踊の新作になります。
内容は特に説明不要で三杯道具で宗十郎、幸四郎、勘彌の踊りを見せた後に登場人物全員で賑やかに踊るという物で加賀鳶、摂州合邦辻と重たい演目続きの最期の清涼剤代わりに出された様です。
 
劇評ではこの何も考えなくても楽しめる舞踊について
 
宗十郎の大串次郎、子守がへしに大踊り、よしとは見ずに聞いたばかり
 
と劇評が見ずに帰ったとあっさり書いていますが見た人によるとここぞとばかりに舞踊の腕を見せた様です。
 

宗十郎の大串次郎、勘彌の巫女榊 

 
この様に羽左衛門加入による盲長屋梅加賀鳶や梅幸の摂州合邦辻などの受けが良かった事から市村座の役者達も加入し競い合った歌舞伎座にこそ叶わなかったものの、入りとしては十分な入りを記録して羽左衛門が客演する公演は儲かるという事が今回も証明されました。帝国劇場はこの後恒例の女優劇公演を行った後、歴史的転換点となったの大正8年8月の市村座の引越公演を迎える事となります。