大正7年2月 歌舞伎座 幸四郎の9年ぶりの出演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は前回に続き歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正7年2月 歌舞伎座

 

 

演目:

一、義経千本桜
二、奈良朝時代
三、神明恵和合取組
四、戻駕色相肩

 

前回の公演をまあまあな入りで何とか面子を保った松竹は客が入りにくい2月公演の為に帝国劇場との相互出演協定により前年の12月に十一代目片岡仁左衛門を出演させた見返りに七代目松本幸四郎を歌舞伎座に出演させるという大胆な策に打って出ました。

幸四郎が歌舞伎座に出演するのは明治42年11月公演以来実に9年振りの事でした。

 

主な配役一覧

 
その為、座組は前に中座の番付で触れましたが犬猿の仲であった仁左衛門は共演を拒否して休み、また雀右衛門も明治座での襲名公演に出演する為に抜けたので残りの面子に幸四郎と明治座と掛け持ちで左團次と松蔦が加わる形になりました。
 

幸四郎のコメント

 

 義経千本桜

 
一番目の義経千本桜はこの前仁左衛門が一世一代で渡海屋を演じた事でお馴染み説明不要の三大浄瑠璃の一つであり、幸四郎の出し物となります。
今回は
 
・堀川御所
 
・渡海屋
 
・道行初音旅
 
の中々ない組み合わせによる半通しになっていて特に序幕の堀川御所がセットで上演されているのは非常に珍しいです。
どれくらい珍しいかと言うと戦後70年で上演されたのは僅か13回、国立劇場の通し公演を除けば9回と約10年に1回の割合です。
堀川御所の内容については後白河法皇の陰謀で後に四ノ切で重要なアイテムとなる初音の鼓を授かった事や義経が送った平家の大将の首が偽物だった事、義経の正室である卿の君が平家の人間である等数々のイチャモン嫌疑をかけられて頼朝の配下に攻め込まれて義経の逃避行が始まるというまさに序章とも言える場となります。
この幕では卿の君が夫にかかる嫌疑を振り払おうと自害したり、頼朝の差し向けた手勢を討ち取ってしまい義経が逃亡する原因を作る弁慶が六月歌舞伎でも上演された御攝勧進帳よろしく大暴れする所など見どころが十分あるのがポイントでもあります。
今回は女房お蝶実は典侍の局と静御前を歌右衛門、源義経と狐忠信を羽左衛門、弁慶を段四郎、相模五郎を八百蔵、渡海屋銀平実は平知盛を幸四郎、局飛鳥井を源之助、川越太郎を芝鶴、土佐坊昌俊と海上軍平を鶴蔵がそれぞれ務めています。
劇評ではまずこの序幕のみ出て来る段四郎の弁慶について
 
段四郎の弁慶が芋洗ひの大荒事に、古風な立廻りが看客を喜ばせていました。
 
と勧進帳でも歌舞伎に寄せた弁慶を演じて評価を得ていた段四郎だけにここでも豪快に弁慶を演じた事を評価されています。
そしてそのまま舞台は渡海屋へと移ります。渡海屋の場についてはかつて浪花座の筋書を紹介した時に書きましたのでそちらをご覧ください。
 
浪花座で渡海屋を演じた時の筋書
今回知盛を演じた幸四郎は上記の浪花座以外に大正2年11月に帝国劇場でも務めた他、地方巡業においても持ち役の1つとして度々演じていていました。浪花座の時はイマイチ評判が宜しくありませんでしたが今回はどうだったかというと
 
今度の方がよく出来ていました。幅もあり、調子もあり、押出しが立派ですから、何処へ行っても引けは取りません。白絲縅の鎧を着てからの出になっては味がありませんでしたが大物浦の場は大芝居でした。
 
と浪花座の時と異なり絶賛されています。
 
幸四郎の平知盛
 
続いて劇評では歌右衛門の典侍の局でも八百蔵の相模五郎でもなく、前月の代役を気に大谷竹次郎に気に入られて今回は海上軍平を演じた鶴蔵について
 
鶴蔵といふ器用な役者は、前月の『花の御所』でも仁左衛門の代役を引き受けて、八百蔵や羽左衛門の相手になってゐましたが、今度も段四郎を相手の土佐坊昌俊と、八百蔵や歌右衛門や幸四郎相手の海上軍平を勤めて達者にやってゐます。
 
と触れて器用に違う役柄をこなせる腕を評価しています。大谷が見込んだ通り演じれる役幅が広く代役も難なくこなせる腕は確かであり、それまでそのポジションにいた三代目片岡市蔵やその息子の四代目片岡市蔵と共になくてはならない役者であった事が伺えます。
 
そして最後に道行となります。この場は今でも吉野山という外題で独立して頻繁に上演される舞踊演目となっています。
有名な四ノ切の前に当たる部分で静御前と佐藤忠信に化けた狐忠信による舞踊で踊りの最中に忠信が狐の本性を垣間見せてすぐ後の四ノ切に繋がる伏線となっていますが、独立して上演される今では舞踊演目の1つになってしまっています。
 

 

そんな道行でしたが劇評ではそれまでの好評とは違い
 
先づ連鎖式(?)の技巧を加へた道具立てに驚かされました。桜の山の真中に大きく川が流れて、例の車仕掛けの水の流れがグルグル廻ってゐます。静と忠信は妹背山へ迷い込んだのではないかしらと思はれました。
 
と当時流行していた連鎖劇(今でいうプロジェクションマッピングの原始的な物で背景を写し出す劇)を真似て作った舞台装置が妹背山婦女庭訓の山の段みたいな景色だったらしく不評でした。
そして役者の方も
 
羽左衛門の狐忠信は誤魔化し踊りです。六法の引込みなどは無論見せはしません。
 
歌右衛門の静御前も、花道の振りを抜いて不精なことです。(中略)それから、静御前が着ていた襠裲は、あまりにけばけばし過ぎはしないでせうか。さうして、忠信と比翼の恋仲でもあることか、源氏車の模様を散らしたのは言語道断です。衣装の見立てに上手な委員長にも、時々こんな履き違へがあるので困ります。
 
と演技から来ている衣装まで容赦なく批判されています。久しぶりに舞踊を演じた歌右衛門はかつては養父である大芝翫の舞踊の芸を継いで踊りの名手と言われていた時期もありましたが鉛毒によりその栄光も過去の物となり花道を抜かざるを得ず衰えを露にしました。
 
羽左衛門の狐忠信と歌右衛門の静御前

 
この様に堀川御所と渡海屋は好評だったものの、最後の道行は不評で後味が悪い形となりました。
 
奈良朝時代
 
中幕の奈良朝時代は歌右衛門の出し物で團十郎の盟友でつまらないと定評がある福地桜痴の書いた時代物テイストの活歴演目です。
内容としてはいつぞや本郷座の筋書で紹介した岡本綺堂の入鹿の父同様に大化の改新について藤原鎌足側の視点で書いた物となります。
 
参考までに蘇我蝦夷側から書かれた入鹿の父を上演した時の筋書

 

私が最初に投稿した歌舞伎座の筋書を見ても分かる様に桜痴の作品は芝居の精進料理ともいえるほど単調でつまらない事で殊に有名で今回もその例に漏れず劇評にも

 

文選の落選作品を見たやうな芝居だ

 

活人画の一言につきています。桜痴居士の作で、日本外史を其儘に、何等の想像をも、趣向をも加へずに、極めて簡単に脚色した物です。劇としての技巧は少しも加えられてありません。歴史に忠実といへばそれまでですが、あまりに正史にかぶれ過ぎて、舞台が淋しくなるのがこの作者の欠点でした。
 
とバッサリつまらないと酷評されている事からも分かります。また、役者についても
 
坂大炊(中大兄皇子)は、何んにもしない。品位を見せていれば好いのです。福助の岩代の娘姫は、何んにもしないで天平式の衣装の優美なところを見せていれば好いのです。
 
と出し物であり事実上の主役を演じる成駒屋親子を褒めるふりをしながら暗に批判しつつ、
 
この(成駒屋)父子はそれでも満足でせうが、幸四郎の入鹿が気の毒でした。左團次の中臣鎌足が気の毒でした。市蔵も気の毒でした。猿之助も気の毒でした。見ている看客も気の毒でした。
 
と彼らに付き合わされた役者及び見物はいい迷惑だったと痛烈なまでに批判されています。
普通に榎本虎彦の作品を使うなり岡本綺堂なりに書いて貰えばここまで言われなかったでしょうがよりによって退屈極まりない福地桜痴の作品を持ってきた事で余計にか怒りを買ってしまい不評に終わりました。
歌右衛門は今回の公演はこの奈良朝時代と言い前幕の道行といい良い所なしの状態でした。
 
神明恵和合取組
 
そして二番目の神明恵和合取組は前に市村座の筋書で紹介した竹柴其水の書いた世話物演目になります。
 
参考までに五代目菊五郎が演じた時の角座の筋書
同じく参考までに市村座の筋書

 

市村座の時は菊五郎の身体を見てゲンナリして帰ったというオチがありましたが、五代目の初演の時から間近で見て来た羽左衛門は明治34年1月に演技座で初演した後、以前紹介した明治44年1月の歌舞伎座で演じるなど今回が3回目の辰五郎でした。
 
何も書いていないので参考になるとは思いませんが一応明治44年の時の筋書

 

今回は羽左衛門の辰五郎に加えて初演時に初代左團次が演じた九龍山を二代目左團次、四つ車を幸四郎、江戸喜太郎を歌右衛門、焚出の喜三郎を段四郎、喜三郎の女房おいのを松蔦、時廻りの花籠の杢蔵を芝鶴、鶴松を鶴蔵、宇田川町の長次郎を亀蔵、辰五郎の女房お仲を源之助がそれぞれ務めています。

因みに源之助のお仲は何と初演時と同じ配役です。

 

劇評ではまず主役の羽左衛門について

 

羽左衛門の辰五郎は演慣れたものです。ちょこまかとして重味はありませんが、豆辰といふ仕事師はあんな男だったのでせう。焚出しの内の場で、段四郎の喜三郎と別れの場が一番面白いと思ひました。

 

この人が出て来ると舞台の調子が緊張してくる。(中略)羽左衛門がこっそり下手から(舞台に)出て来ると、急に全体の調子が生々と活躍し出してくる。

 

と3回目とあって余裕のある演技だったらしく道行の時は正反対に好評でした。

 

羽左衛門の辰五郎

 

対して親が演じたものの本人は初役である九龍山を演じた左團次とあまり世話物は得意でない四つ車を演じた幸四郎ですが左團次はその研ぎ澄まされた緊張感が、その恵まれた体躯が力士という役柄には打ってつけだったのか

 

左團次の無(不)器用で大まかな率直と、羽左衛門の鋭い巧みな技巧とが、甚く面白い対照を示して来る。

 

幸四郎の四つ車は立派でした。

 

とこちらもそれぞれ評価されています。因みに左團次は千秋楽の3日目に今度は段四郎が体調不良で休演した為に九龍山に加えて焚出しの喜三郎までも演じるという掛け持ち出演とは思えない程の大車輪ぶりだった様です。

 
幸四郎の四ツ車と羽左衛門の辰五郎、左團次の九龍山

 
気楽に演じていた羽左衛門、真剣に演じていた左團次、予想以上の好演をした幸四郎という現役バリバリの役者に混じって絶賛されていたのが初演からの持ち役であり上記のリンク先の角座の時も五代目菊五郎の辰五郎相手にお仲を演じた源之助で
 
戸外で愉聞きしてゐる源之助の女房お仲は、後姿を見せているだけでも鳶の女房らしい。辰五郎との別れにもホロリとさせる所がありました。
 
と四半世紀以上に渡り持ち役としている事あって余裕綽綽で女房お仲を演じきり羽左衛門以上に貫禄振りを示しました。
 
源之助の女房お仲
 
この様に羽左衛門、左團次、幸四郎、源之助と主要キャスト全員の評判が高く中幕の不評を大きく盛り返す程見物からも大受けだったそうです。
 
戻駕色相肩
 
大切の戻駕色相肩は元の外題を唐相撲花江戸方といい、その四段目の部分が舞踊演目として独立した物です。
内容としては禿を乗せた駕籠の担ぎ手である吾妻与四郎と浪花次郎作がふとした事で真柴久吉と石川五右衛門だと分かり互いに踊りながら対峙するという破天荒ながらも面白い舞踊です。
今回は吾妻与四郎を羽左衛門、浪花次郎作を幸四郎、禿を竹松がそれぞれ務めています。
互いに團菊に師事して藤間流と吾妻流と舞踊の流派を持つほどに舞踊の腕があり、且つ楼門でそのまま五右衛門と久吉を演じてもおかしくない二人だけに劇評でも
 
幸四郎の治郎(次郎)作は大間ながらも、きまり所は立派にきまります。羽左衛門の与四郎は小きざみながらも、時々きまりに外れます。それでも負けじ劣らじと互に気を入れて踊るので、面白く見られました。
 
と菊五郎と三津五郎とはまた違った豪快さと繊細さの入り交じる舞踊を高く評価されています。
ただ、可哀想なのはその2人の間に挟まれた禿の竹松で
 
姿にも調子にも表情にも、色気がないのは損でした。
 
と2人に比べて未熟さが悪目立ちしてしまう形になり損な立回りになりました。
 
この様に一番目の道行と中幕を除けば残りは全て好評で特に二番目の出来は例年になく素晴らしかった上に帝国劇場からお客様待遇で迎えられた幸四郎もその真面目な性格から序幕から大切まで全ての演目で出演するという大車輪ぶりも手伝い1月の成績を大きく上回り大入りになりました。
この好評ぶりに大谷竹次郎も幸四郎は「客を呼べる役者」だと判断したらしく、2年後の大正9年から帝劇を買収する昭和4年まで毎年必ず歌舞伎座に客演する事になりました。そして歌舞伎座は3月を再び新派に貸し出し、幹部役者をそれぞれ新富座、横浜座、南座、中座に振り分けて派遣しました。そして幸四郎は帝国劇場が恒例の市村座引越公演の為に歌右衛門、宗十郎と共に横浜座に出演する事になります。
歌舞伎座については次の4月公演も持っていますので改めて紹介したいと思います。