大正4年6月 本郷座 仁左衛門、羽左衛門、左團次の弁天娘女男白浪 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりに本郷座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正4年6月 本郷座

 

演目:

一、渡辺崋山

二、紙子仕立両面鑑

三、入鹿の父

四、弁天娘女男白浪

 

主な配役一覧

渡辺崋山

渡辺崋山/中島嘉右衛門…仁左衛門

高野長英…左團次

金井虎次郎…芝鶴

小関三栄…又五郎

仁三郎…羽左衛門

立…千代之助

おたき…秀調

おみち…松蔦

 

紙子仕立両面鑑

万屋助右衛門/手代権八…仁左衛門

大文字屋栄三郎…羽左衛門

丁稚長吉…千代之助

お松…松蔦

 

入鹿の父

蘇我蝦夷…左團次

物部津軽…又五郎

葛城赤猪…荒次郎

史の慧尺…壽美蔵

当麻…松蔦

 

弁天娘女男白浪

弁天小僧菊之助…羽左衛門

日本駄右衛門…仁左衛門

南郷力丸…左團次

赤星十三…又五郎

忠信利平…壽美蔵

浜松屋幸兵衛…芝鶴

浜松屋家之助…新之助

 

前回紹介した筋書でも書きましたが、この時期本郷座は新富座と共に明治座に代わり二代目市川左團次の常打ちの劇場となっていていました。そこに4月公演の後2ヶ月間もの間歌舞伎座が休場していた事もあり身体が空いていた仁左衛門と羽左衛門が客演する形で参加したのが今回の公演となります。

 

渡辺崋山 

 

最初は河竹黙阿弥が書いた渡辺崋山です。

この作品は明治19年5月に新富座で上演された夢物語盧生容画(ろせいすがたえ)という作品を脚色・改題したものです。

夢物語~ではどちらかというと渡辺崋山よりも高野長英が主役扱いになっていましたが今回はタイトルにある様に崋山を主役に据えています。それに伴ってか初演では七幕一五場の長丁場の内容だったのが長英の場面が削られて今回は四幕八場に縮められています。

夢物語では崋山を九代目團十郎、長英を初代左團次が演じていたのに対して今回は崋山を十一代目仁左衛門が、長英を二代目左團次がそれぞれ演じています。

 

劇評では主役から脇役になってしまった長英と奉行の中島嘉右衛門を務めた左團次について

 

 

与力には見えたが奉行には見えない(中略)どこか若輩で天晴崋山ほどの人物を吟味する位には見えなかった

 

闊達にてよし、三人会合の場にて崋山に新宿通いの事を云われ、今夜あたり出かけるかもしれませんよと心置きなく高く打ち笑う所豪傑なり

 

と二役の中島嘉右衛門はイマイチだったものの、高野長英に関しては左團次本人は役者とは思えない程生真面目で女遊びもしない性格にも関わらず、剛柔併せ持つ人物を上手く演じたそうです。

また、最後の長英捕物の場も

 

本水の横吹きにてこの中にて烈しき立廻りは壮烈、我が子を捕人の手より奪い返し、八方に目を配りながら濡れた我袂を絞って我子の顔と頭を拭いてやる所はホロリとさせたり、子を負って立廻りの内にまた子を奪われその身も戦い疲れて自殺するまで芝居を忘れて長英に同情すると共に幕府の役人の横暴を不覚に憎む心も起きたり

 

と御馳走役で長英を裏切る仁三郎で出演した羽左衛門を殺害する場面も含めケレンの本水を使った豪快な立廻りぶりも高評価されてます。

 

本水を使ってずぶ濡れになっている左團次の高野長英

 

一方、主役の崋山を演じた仁左衛門はと言うと町奉行所詮議の場での左團次演じる吟味役中島嘉右衛門とのやり取りこそ「何処までも主家を思う細心の性格あらわれてよく」と好評でしたが、終盤崋山宅の場になるとこれが裏目に出て

 

「(崋山が不忠不孝渡辺登という絶筆の書を遺して亡くなった最期を)自殺の覚悟を母に打ち明け母の許しを受け倅にも自殺の旨を云聞け、仏間に伴いて我が死に様を見せるという所が新しい所なり

 

と例によって変に凝った役の解釈で自殺の方法を史実とかけ離れて忠臣蔵の四段目かと思う位長々と独自の演出で行ったそうです。

これには劇場の見物達も思わず大声で笑ったようで更には劇評家の逆鱗に触れたらしく

 

この仁左衛門の様に堂々と強烈にやられては崋山の人格を根底から覆す様にて感心せざるなり(中略)仁左衛門の崋山観、あたかも個人の名画の上に今人墨を塗りたくるに同じと言うべし

 

と厳しく批判しています。一方で倅役で出演していた千代之助については

 

甘く上手にいて、いかさまこの子先に到りては親より上手の役者になるべし

 

親と違って変な役の解釈に走らず正直に演じている部分を評価して親より上手くなるとまで褒めています。

言うまでもなく千代之助こと十三代目仁左衛門が最晩年に親を上回る名優の名を欲しいままにした事まで予見したわけでは無いでしょうが、確かにここに至るまでの十一代目の暴走っぷりを見ていると親の背中を見て育つはずの息子の方が親に似ず正統に育っているのを評価したくなる気持ちも分からなくもありません。

 

また、劇評では長英の妹おみち役で松蔦を出した事に関しても批判していて

 

こは妹を出さぬ方がよかるべし(中略)女房を松蔦では移らぬので妹にしたので情愛の方が移らず、世を忍んで三年余りの月日を送るも妻子の情愛に引かさるるとありてこそ露見の一段が格別に悲惨なるなれ、(中略)松蔦の妹もまた仕悪そうなり

 

と無理して出した事で逃亡中の場面に影響が出ていると指摘しています。

この様に折角の作品を手を入れた上に役者の解釈による変更も相まって折角の左團次の熱演虚しく大失敗に終わりました。

 

紙子仕立両面鑑

 

中幕の紙子仕立両面鑑は十一代目片岡仁左衛門の出し物で明治36年の歌舞伎座で行われた十五代目市村羽左衛門襲名披露公演でも上演された演目です。僅か2ヶ月前の4月に歌舞伎座で上演した助六と同じく助六物の作品の1つになります。

今では助六所縁江戸桜ばかり有名になりこちらの紙子仕立両面鑑は十一代目の養子である十三代目仁左衛門が1987年に国立劇場で30年ぶりに復活上演させたのを最後にもう30年以上も上演されていませんが仁左衛門は長らく絶えていたこの演目を復活させて大当たりを取った事から得意役をまとめた「片岡十二集」の一つに数えて大切にするほどの演目でした。

因みに内容はというと曽我物の要素を入れた歌舞伎十八番の助六とはかなり異なっています。

話は妻がいる身でありながら遊女揚巻に入れあげて助六は親に勘当され、夫婦は離れ離れになります。それでも夫を愛する妻お松は夫の窮地を救う為に揚巻の身受け代を払う為に身売りを考えている…という所から始まります。

 

渡辺崋山ではいつもの悪い癖が出た仁左衛門でしたが、この演目になると

 

仁左衛門の助右衛門、いつもと同じ型の老け役なれど去状といって揚巻の年季證文を渡す義理合の心持よく見えて大いに良し

 

二役番頭の権八で悪身の可笑味、トボトボとした助右衛門と変わって軽くして妙なり(中略)ここへ来ると仁左衛門また天下一品なり

 

と二役共に好評でした。

 

また千代之助も丁稚の長吉役で出演していて「たまらない所もあるが人形(文楽)のやりそうな技巧で相応に工夫された物だと思った

と彼もまた工夫の成果が見られたらしく評価されています。

片岡親子の好演もあってか他に脇で出演している「東京式で上方気分を壊している」という松蔦や「気なし」とやる気が見られないとされる羽左衛門といったマイナス要素を差し引いても良かったそうです。

今まで私のブログを見られてきた方は

 

何でいつも変な演技で舞台を滅茶苦茶にする仁左衛門を興行主は懲りずにいつも起用するんだろう?

 

という疑問が1回ぐらい心に浮かんだであろうと思いますが、偏にこういう大当たりをするだけの腕を持っているからに他ありません。

確かに今回の渡辺崋山や後述の弁天小僧など外れた時の悲惨さはかなり酷い物ですが、名工柿右衛門や桐一葉などここぞというときには無類の良さを持っていて六代目菊五郎をして「團菊没後の本当の名人は十一代目仁左衛門だよ」と言わしめただけの事はあります。

考えてみれば團十郎も活歴にのめり込んでいる時期の評価は散々たる物で新作でこけて旧作で当たった團十郎と旧作がよくこけて新作では当たるといった違いこそあれど團十郎と仁左衛門は似たり寄ったりな部分があり、両優を良く知る菊五郎はその辺を敏感に感じ取って上記の発言に繋がったのだと思います。

 

入鹿の父

 

続く入鹿の父は左團次と組んで数多くの傑作作品を世に送り出してきた岡本綺堂の新作です。

妹背山婦女庭訓と同じく大化の改新を題材にした作品で実際の内容が江戸時代の風俗や慣習になっている妹背山に比べて故実に詳しい綺堂はきちんと時代考証をして大化時代に合わせた舞台装置や衣装になっています。

 

左團次の蘇我蝦夷

 

物語は架空の人物である史宦の慧尺を登場させて蝦夷が死ぬ際に古くからの日本の資料を道連れにして焼け死んだ伝説を織り交ぜて話を膨らまして展開しており、書物の中から三国志を取り上げて道卓の暗殺の故事を入鹿に当てはめて暗殺を暗示するなど史実を基にしながらフィクションの第三者視点で話が進むという面白い展開になっています。

さて、劇評はと言うと

 

左團次の蝦夷、焦々して世を呪い人を罵るところ相変わらず気持ち良し

 

表面の強さと内面の弱味とかがなりに例の生一本で粗っぽい芸風で現わされた(中略)しかし左團次は入鹿暗殺後になると気の抜けた芸になっている

 

と新作ならではの骨太の演技力は評価されているものの、入鹿を暗殺された事で悄然としている蝦夷を演じる部分では若干ケチが付いています。

 

そして作品自体は綺堂らしいと褒めつつも新作ならではの欠点でなるべく人物を役者に当てはめようとする為、松蔦、左升、壽美蔵あたりが「いつもの役」と若干テンプレ気味になっている事を指摘されています。特に左升の翁は「呪いの唄が完全に浪花節で舟唄を唄うようにて神秘らしからず」と流石の綺堂も古代の呪文までは調べていなかったらしく、折角凝った時代設定をぶち壊しにしていたようです。

 

弁天娘女男白浪

 

そして二番目の弁天娘女男白浪は言わずもがな弁天小僧です。

今回弁天小僧を演じるのは言うまでもなく花の橘屋こと羽左衛門でこの演目には日本駄右衛門で仁左衛門が、南郷力丸で左團次がそれぞれ出演し三人が一堂に顔を合わせる演目となります。

そして今回は稲瀬川勢揃いの場の後に極楽寺山門の場が付いています。

 

まず弁天小僧演じる羽左衛門は明治29年に真砂座で初演して以来、今回で4回目となりすっかり手慣れた役にしていました。

その為、

 

楽々としたり

 

と南郷演じる左團次共々肩の力も抜け余裕すらあったそうです。

 

後年の五代目尾上菊五郎三十三回忌追善興行の際の弁天小僧菊之助

この姿を見てこの時の年齢が60歳と聴けば殆どの人が信じないであろう妖艶な色気です。

 

しかし、羽左衛門の好評を尻目にまたもや仁左衛門の暴走があったらしく、冒頭の日本駄右衛門の頭巾の両端を結ばずダラリと下げるといった変な工夫に加えて本来なら花道で5人揃って述べるつらねを何故か幕を切ると舞台上に5人揃っていて述べる形に強引に変えたそうです。

この演出自体はブログで以前紹介した五代目尾上菊五郎の最後の舞台の時に左半身が不自由な菊五郎の為に取られ、後に同じく鉛毒の関係で歩行がぎこちない歌右衛門が日本駄右衛門を務めた時も同じ演出を用いた事があるので突飛とまでは言えないですが、別段身体になんの不自由も無い仁左衛門がわざわざこの演出に変えたのかは謎です。

 

この様な思いがけない横槍が入ったとはいえ、羽左衛門の演技には全く影響を及ぼさなかった(気にしなかった?)らしく、さしもの岡鬼太郎ですら批判の言葉が出ないほどの出来栄えだったそうです。

 

この後、羽左衛門と仁左衛門の両名は8月公演が若手芝居だった事もあって10月まで歌舞伎座の公演が無かった為、各々気儘に地方巡業や夏休みを謳歌していたそうです。

一方働き盛りの左團次は夏も休むことなく巡業に明け暮れ大正4年は2月の叔父の斎入引退公演以外1度も歌舞伎座に出演する事無く本郷座と新富座の間を行き来しながら舞台出演を続ける事になります。