大正2年6月 歌舞伎座 鼓の里と迷走する歌舞伎座 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は再び歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正2年6月 歌舞伎座

演目:

 

一、大石義雄        
二、中将姫        
三、鼓の里        
四、紫色盛夏草        
 

田村成義が腎臓萎縮による吐血で倒れた為に演劇評論家の関根黙庵と田村の実子である田村寿二郎が代わりに指揮を執って行われた6月公演です。

その影響もあってか全演目中が3作が新作というかなり異色のラインナップとなりました。

とはいえ、大切の紫色盛夏草は舞踊演目であり、大石義雄は仮名手本忠臣蔵のリメイクといって差し支えない作品であり完全な新作は中幕の鼓の里のみとなります。

 

配役一覧

 

一覧の中に市村羽左衛門の名前がありませんがこれは歌舞伎座を脱退した訳ではなく、先約があった2ヶ月に渡る台湾巡業に出かけている為です。前回は菊五郎、吉右衛門、国太郎、新十郎、翫助だけだった市村座の面々が今回は三津五郎、勘彌、榮三郎、東蔵など主要メンバーも全員出演し、事実上市村座一座に歌舞伎座の幹部が客演という形に近い状態になっています。

 

順を追って演目を説明するとまず一番目の大石義雄はタイトルから想像できるように赤穂浪士の討ち入りを題材にしていて仮名手本忠臣蔵でいう所の七段目と九段目を中心に最後にちょっとだけ元禄忠臣蔵の大石最後の一日が加わるような構成でさながら実録忠臣蔵のような趣となっています。

大石内蔵助を演じているのは片岡仁左衛門で相手役を歌右衛門、脇を市村座の若手が務める形を取っています。

桐一葉や名工柿右衛門での熱演で大当たりした事から新作物との相性がいい仁左衛門に大石内蔵助を演じさせてみたこの作品は結果からいうと大失敗でした。

 

仁左衛門の大石良雄と歌右衛門の女房およし

 

 

失敗の原因はまずいくら新作物に向いているとはいえ、今まで仁左衛門が演じてきたのは桐一葉の片桐且元にしろ、名工柿右衛門の酒井田柿右衛門にしてもいずれも仁左衛門の得意な老け役であり、それに対して今回はニンにない時代物の大役である大石内蔵助を演じさせたのが間違いでした。仁左衛門も序幕の茶屋遊びの場面では後年七段目を得意とした養子の十三代目同様に洒脱で鷹揚な演技を見せて良かったものの、山科閑居の場になると本人なりの工夫のつもりなのか「ひょろひょろふざけた歩き方をしてみたり、首を振って見たりする」という挙動不審な演技をしたりして折角の場面をしらけさせてしまうなどいろいろ役の性根の解釈に問題があったようです。

その他の脇役も歌右衛門の女房およしこそ浅野家家老の妻に相応しい気品もあって問題なかったものの、三津五郎の大石主税が不評で「(下手すぎて)見ていて気(の)毒の様な感(じ)がした」と散々な出来だったようです。

 

二番目の中将姫は奈良時代の伝説上の人物である中将姫を題材にした作品で歌舞伎では鷓山姫捨松と外題で呼ばれてます。

この作品は明治時代にはすでに絵本太閤記と同様に見取り演目となっていて中将姫が継母岩根御前にサディスティックに甚振られる三段目の「中将姫雪責め」の場だけ上演されるようになっていました。五代目歌右衛門は福助時代の若い頃はこの役を得意としていましたが、鉛毒が酷くなってからあまり演じておらず今回が4回目の上演となります。とはいえ歌右衛門の中将姫は彼の気品あふれる芸風も後押しして

 

どうしても16、7の高貴な姫君にしか見えない(中略)此以上の中将姫は恐らくあるまいと思われる

 

と絶賛されました。しかし、彼以外となると話は違った様で桐の谷を演じた菊五郎が思った以上に好演したものの肝心の岩根御前の仁左衛門がこれまた頓珍漢な演技で良くなかったらしく「歌右衛門以外全員失敗」という烙印を押される有様でした。

 

歌右衛門の中将姫と仁左衛門の岩根御前と菊五郎の桐の谷

 

この演目は上記の劇評にもあるように得意役としてた五代目の没後は次男の六代目中村歌右衛門が一応持ち役として継承しましたがあまり得意では無かった様で戦後に演じたのは1957年と1972年の僅か2回のみでした。一応成駒屋の演目としてその後も時々演じられてはいましたがここ20年以上上演が無いのが実情です。

 

こんな感じで最初の2作があまり評判が良くない中、今回の演目の中で白眉の出来と言われたのが新作の鼓の里でした。

4月公演の失敗にもめげずに榎本虎彦が書き下ろしたこの作品はフランスの作家フランソワ・コッペの作品の翻案だそうです。

菊五郎演じる捨蔵と勘彌演じる三之助の2人が主人公の作品で仁左衛門演じる公家に献上する鼓の制作と芙雀演じる倉子との恋愛を挟みつつ巻き起こる人間模様を描いた作品で特に菊五郎は恋と人間関係の板挟みに悩む実直な醜男役を自然に表現して演じて「思い切って人の意表に出る点は野心がある」と役作りを評価されています。

 

六代目尾上菊五郎の捨蔵

 

一方もう1人の主人公である勘彌も「丸味のあるユーモアを出せる芸が時々滑ってる」と少々上滑りする場面があったものの、恋敵の役としては中々好い味を出していたらしく大石義雄で不評だった兄三津五郎とは対照的にかなりの好評でした。

 

勘彌の三之助と芙雀の倉子

 

そして前2作では不評の原因の一つであった脇役も物語のカギを握る倉子を演じる芙雀は「(生娘らしい)初々しい所に欠けている」としながらも「直載に心持を表そうする点は受け取れる」と評価され、「段四郎に新しい芸風を望む方が無理」と劇評でも言われている新作が苦手な段四郎のニンを榎本も理解してか昔気質で時代掛かった師匠役という無難な役どころでボロを出さずに演じ、また前2つの演目であまり評判が良くない仁左衛門も綾小路雅信という公家役もあってか突飛な演技もせず大人しかったのが幸いし、主役の足を引っ張る事も無かったようです。

 

そんな訳で4月公演とは変わって新作が好評なのに対して旧作系統の作品が不評もあってか今回も見物の入りは伸び悩み不入りに終わりました。

 

そして公演の最中の6月16日に病が峠を越した田村成義は歌舞伎座の重役たちを築地の料亭に集めて重役会議を開きその席で自身の後継者に松竹の大谷竹次郎を指名しました。その後重役たちが大谷を交えて協議を重ねて7月に株の売却と田村の顧問就任を条件で引き受ける事で話がまとまりました。明治43年の東京進出から僅か4年あまりで松竹は遂に東京の歌舞伎の殿堂である歌舞伎座を手に入れる事になりました。