ここのところ、だんだんと日がのびて、陽射しが暖かくなってきたように感じます。

春はもうすぐですね。

WBCの強化試合も始まって、野球ファンである私は今大変ワクワクしています。

 

結局、いままでしっかり治してきてくれた放射線科のチームの力を信じ、気管周囲のリンパ節に対し、陽子線照射をお願いしました。薄氷を踏む思いでしたが、本当に幸運なことに、何の合併症も生じず、病巣は消失しました。

 

その後、今日に至るまで、再発はありません。

再発予防の抗がん剤投与も7年前に終了しました。

 

当たり前のことですが、ガンになった当初から完治する日を夢見て、闘ってきました。もちろん、現在闘病中の方々、そして、そのご家族・ご友人の方々もそうだと思います。

ガンが完治し、野球選手がホームランを打った時のように、思いっきりガッツポーズをする自分の姿を願いながら、闘病してきました。

 

発症したのが2013年2月26日なので、今日でちょうど10年になります。

先日亡くなられた恩師に、彼の医局を離れる時に頂いたワインを開け、ささやかな夕餉とともに、先ほど家内と乾杯させて頂きました。穏やかで温かい気持ちと、数多くの幸運や支えて下さった人々に対する感謝に満ち溢れた幸せな時間でした。

 

 

ガッツポーズはありませんでしたが、こうして静かに私の闘病生活は閉じました。

 

 

      *       *       *       *  

 

 

最初に書いたように、症例報告になったぐらいですから、私自身の経過はかなり良い方だったと思います。でも、失望し諦めていたら、間違いなく私は今ここにいません。私が主に闘病していた10年前よりも医学は進歩していて、ガンもだんだんと、だけど着実に治る病気になってきていると思います。

 

不定期で、ちゃんと思ったように書くことができませんでしたが、やっと完治に至るまでの過程を書くことができたと思います。

私自身医師ですので、いい加減な楽観的なことは書けませんが、少なくとも私のように極めて悪い状態でも完治することがある、その事実を知って頂ければ幸いです。そしてそれが闘病中の方々の気持ちをほんの少しでも良いから、軽くすることができれば本当に嬉しいです。

一人でも多くの闘病中の方が完治となり、病の不安から解放されることを心から祈っています。

 

明けない夜はありません。

そう思って、私は闘病してきました。

 

Virchow転移がおこってから約一年経過した、2015年11月05日、今度は右肺上葉および気管前リンパ節に転移巣が発見された。約一年CRが維持されたので、「このまま治ってくれるのでは」という期待が強くなってきた頃だったので、ショックが大きかったのを覚えている。

 

今回も主治医はもちろん、友人の放射線科医にも相談した。肺の病巣は孤立巣なので問題ないが、リンパ節は照射と照射の谷間にあたる部分で、以前同じように谷間になってしまった時よりさらに状況は厳しく、今度こそ照射はかなり難しい、と言われてしまった。照射範囲が重なり組織のダメージが強ければ、過剰照射による重篤な合併症を起こす、ということだった。心臓や大動脈、肺、気管支、食道、等、大変重要な臓器が並んでいるところで、例えば、気管に穴が空いたりすればかなり致命的な合併症となってしまうわけである。

 

友人の顔が歪んだ。

家内がまた泣き顔になった。

 

限界ギリギリで陽子線を当てるか、サルベージ手術(Salvage: 難破船を救済するような難しい手術で、放射線をあてたボロボロの組織を手術するため、縫合不全や大量出血など様々な合併症のリスクが高い手術)をしてもらうか、腎障害を覚悟でFLEP療法を再度強化するか、難しい選択をしなければならなかった。

どれを選んでもかなり分の悪い賭けになる。

 

人生は難しいと思った。

 

 

 

CR(完全奏功)となって丁度半年後の2014年11月、PET検査で左鎖骨上窩リンパ節に転移巣が発見された。超音波検査でもリンパ門の消失などの悪性所見があり、いわゆるウイルヒョウ(Virchow)転移と診断された。ガンの診療に直接携わらない科に属する私でもよく知っている、非常に有名なリンパ節転移である。医学生の間でも常識で、私が学生だった頃も国家試験を受けるには必須の知識であった。

 

主治医からその転移がある、という話を聞き、「またか」とがっかりするとともに、「ああ、あれね」という感覚も持った。医師が患者になった場合、どこかで客観的にというか、他人事というか、そういう立場で自分の病状を見る傾向があるように感じる。自分はまさしくそれで、この時もそうであった。最初の告知の時もそうであった。おそらく長い間、病気を客観的に、かっこよく言えば、冷静・冷徹に、診るトレーニングを積んできているからだと思う。

ただ、幸いなことに、AFPは18とさほど上がっていない。以前は3桁あったのだから雲泥の差である。CRになってから半年が経過していたし、単独の再発だし、侵襲も少ないということがあって、主治医(外科医)から手術でも行けます、と言われた。迷ったが、基本的に気が小さい臆病者なので、やはり治療を受け慣れている陽子線照射を受けることにした。実は凍結療法をした部位が、このころはまだ本当に治癒していたか、画像診断上はっ切りせず、陽子線のようにすっきり治った感じがなかったので、別な治療を取り入れた場合の経過を経験していない、という不安も、手術を選択しなかった根拠でもあった。

 

幸いいつもと同様に、陽子線照射にすっきりと反応してくれて、病巣は消失し、再度CRとなった。

FLEP療法をその後継続したが、その中で特にシスプラチンはFirst Lineの核となる薬でもあり、長い間使い続けてきた。とても良い薬だが、一番問題となる副作用に腎毒性がある。CR(完全奏功)を得て、喜んだのもつかの間、今度は腎機能が下がり始めた。eGFRという腎臓の働きをみる代表的な検査がある。もともと90以上あったが、抗がん剤治療をはじめて80前後となっていた。それが、このFLEPをはじめて3カ月ぐらいで50ぐらいまで落ちてきてしまった。

  また、5FUという抗がん剤もレシピの中にあったが、これも激しい副作用を起こした。口内炎がひどく、口の中から喉にかけて、ほとんどの粘膜が口内炎になってしまった感じである。口内炎はなったことのある方は分かると思うが、小さい病巣だけでも強い痛みを伴う。それが口腔内のほぼ全域で起こってしまい、食べるのはおろか、水を飲むのも痛くて呑み込めないような状態になってしまった。FLEP療法は強力なレシピであるが、その分副作用も強かった。CRとなったので、本当は続けたいところだったが、仕方ないので、主治医はエトポシド単剤の化学療法を継続することに変更してくださった。

  もとの状態や癌種から言って仕方ないことではあるが、なかなか簡単ではないと実感した。しかし、逆に言えば、あれだけの状態がCRになったのだから、贅沢は言えない。本当にありがたいことである。生きていられるだけでありがたい、とこの幸運に感謝した。

陽子線照射を病巣に行っていたが、AFPの値は2000前後(正常:10以下)を行ったり来たりしており、画像診断(PETやMRI等)ではわからない、微小病巣が散らばっていることが推察されていた。先に書いたような経緯で、その時期にFLEP療法を始めたところ、AFPは下がりかけた。しかしながら、肝臓の左葉の体表面に近いところに新たな転移巣が出現してしまった。AFPが下がりきらないわけである。正直心が折れかけたが、諦めるわけにはいかない。

  主治医と相談し、今度は表層にあることから、凍結療法を行うこととした。本当に色々考えてくれてありがたい限りである。これは、皮膚科や泌尿器科の疾患に対して、古くから行われてた方法である。その名の通り、ガンの病巣に針を刺し、そこで凍らせて癌細胞を死滅させる治療法である。欧米では、肝臓がん、腎がんなどの体内の病変にも行われていて、日本でもだんだんと浸透してきている方法である。

  お蔭でその病巣も消失し、AFPも下がってきた。ただ、全身に散らばっているのは間違いないので、さらなる再発を心配していたが、その心配通り、今度は縦郭から胃の後ろの膵臓の近くのリンパでの病巣が発見された。イタチごっこの感はあったが、FLEPと陽子線照射を再度試みることにした。ただ、AFPの値を見ると3桁だったのが、再発の度に上がりはするが、少しずつ下がってきた。

 

そしてとうとうこの陽子線照射の途中でAFPは5.4と正常値となり、画像でも一切病巣は描出されなくなった。いわゆるCR (Complete Response:完全奏功)である。発病したのが、2013年2月26日、そして、このCRが明らかとなったのが、2014年5月15日であった。偶然だろうが、昭和初期の有名な軍部クーデターと日付を同じくした(順番は逆だが)。発症以来目指してきたCRが現実となり、本当にありがたく、嬉しく思った。

  ただ、CRは検査上完治になった状態だが、微小転移はまだ残っている可能性はある。この後も暫く慎重にFLEP療法を継続することとした。

 

 

有り難いことに、医局の先生たちがこの闘病期間中に、入れ替わり立ち替わりお見舞いに来てくれた。手術の指導をしたり、一緒に研究をしたりした、いわば苦楽を共にした先生たちである。

 

そのうちの一人が、ちょうどFLEP療法を始める数日前に、奥さんとお子さんを連れてきてくれた。お子さんがとても人懐こく、いきなり私の座っている膝の上に座ってきた。尖がった小さな骨盤の感じは、昔自分の子供が膝に座った時の感覚を急に思い出させた。別な先生は、やはり私の家にお見舞いに来てくれたとき、妻の前で号泣したらしい(ちょうど私が席を外した時)。それ以外にも多くの先生がお見舞いに来てくれたり、メールやお花、年配の方は直筆のお手紙をくれたりした。

  一方、私が健康でバリバリやっている時に、すり寄るようにして近寄ってきた人ほど、手のひらを反すようにして、反応が冷たくなる人もいた。とても分かりやすい反応で、悪いが少し笑ってしまった。

病気をしたとき、友人の大切さが本当に染みるようにわかるとともに、人の性が良く見えるようになった。以前分からなかった人の本質が分かるようになった。病気が私を成長させてくれた、とも思った。

 

私が尊敬し、胸を張って恩師と呼べる先生がいらっしゃった。大変厳しいお方で、常に背筋はピンと張り、声は大きく断定調で、若い医局員はその先生の前だと緊張し、萎縮してしまう傾向にあった。世界的にも有名で、あだ名は日本では元帥、外国でも、Le Generalと呼ばれていた。典型的な昭和~平成初期のころの教授の立ち振る舞いで、威厳に満ち溢れていた。その先生は退官されていたが、私が病気と知ると、かなり頻繁に手紙を送ってくれるようになった。病気のことを聞くわけでもなく、日々徒然なるままに色々なことを手紙に書いて送ってきてくれた。我々にとっては天皇みたいな存在で、そういうことをしてくださるような先生とは思っていなかったので、大変驚くとともに本当にありがたいと思った。

厳しいお顔の下に、とても優しい心をお持ちであるのがひしひしと伝わり、心から尊敬した。

 

その恩師が一ヶ月ほど前に亡くなられた。父に続いて、医学の上での父も失った。人生のめぐり合わせとしては仕方のないものとは思うが、寂しいものである。

御恩に報いられたかわからないが、教えを胸に今後もできる限りのことをしなければ、と心に誓った。

BEP療法について主治医と相談した。やはり、審議には時間がかかりそうとのことだった。

ただ、本当にありがたいことに、BEPと似たレシピで、AFP産生の胃ガンに効果がある、という治療法の論文を見つけてきてくれた。FLEP (5FU + leucovorin + etoposide + cisplatin) 療法と言い、下線を引いた薬剤はBEP療法と共通である。この論文は、Stage 4のAFP産生の胃ガンの57例に対する治療成績をまとめた論文である1)。食い入るように読んだ。今までの論文では、私の状況に対する治療成績は2年後の生存率はほぼ0%であったが、この論文では、50%が9年以上、もしも手術ができる状態になれば100%生存できる、ということである。ガイドラインから外れた治療法であるので、倫理委員会の審議は必要と思われたが、これだけの内容の論文なので、緊急承認も可能と思われた。

 

病気の発見時、おそらく私の5年生存率はほぼ0%であったろう。最初の抗がん剤に対して反応が良かった時点で、5%ぐらいの希望の光が見えた。陽子線治療に反応が良かったことが分かって、感覚的には30%ぐらいに希望が持てるようになった。そしてこの論文に目を通した時、それは75%ぐらいまで上がった感触を持った。

 

「行ける!」

と心の中で叫んだ。

 

主治医も同様な感覚だったかもしれない。

 

陽子線治療とFLEP療法と二つの大きな武器を手に入れた。

ヒントをくれた腫瘍内科医、放射線科医、主治医、そしてこのような奇跡的な出来事に心から感謝した。

 

1) Kochi M, Fujii M, Kaiga T, Takahashi T, Morishita Y, Kobayashi M, Kasakura Y, Takayama T. FLEP chemotherapy for alpha-fetoprotein-producing gastric cancer. Oncology. 2004;66(6):445-9. doi: 10.1159/000079498.

 

 

セカンドオピニオンで得たBEP療法について一つだけ気がかりなことがあった。厚生労働省はBEP療法を私のような食道ガンには認可してくれていない、ということである。こういうのを適応外使用と呼ぶが、保険診療の枠外になってしまう。金銭的な問題はもとより、そこで副作用などで障害や死亡事故が起こってしまった場合、責任問題が発生してしまう。たとえ「私(患者)が強く希望した」という事実があっても、何か起これば、医療者側が責められてしまう。今の世の中の流れから行くと、善意を持った医療が、第三者の批判的論調であっという間につぶされてしまうのである。後出しジャンケンであり、こういう場合、常に勇気ある善意の医療者が不利な状況に追い込まれてしまう。そして、このような試みが潰されてしまうと、医療の進歩は途絶えてしまう。ただ、またその逆も真実で、善意ある医療者も人間である以上万能であるわけがなく、正しいと思ってやったことが最終的には単なる暴走となってしまう危険性もはらんでいる。当然だが「何でもあり」の治療では、薬害事件が起こるのは必至である。

 

こういった状況を防ぐため、各大学や大きな病院には倫理委員会、薬事委員会等があり、そういう例外的な治療に関して議論をする場を設けているが、そこには多くの場合、法曹関係者など医療の素人である人が参加している。彼らは当然現場の微妙なニュアンスは分からない。中立的な立場での意見を伺う場合にはとても良いと思うが、正直「そういう問題ではないんだけどなぁ。。。。」と思ってしまうことも多々ある。そして、特にこういう議論は倫理委員会自体も責任をとりたくないというのもあるが、慎重にならざるを得ないことが多い。現代の世論の流れから、是非は別にして、医療は安全を最優先した、萎縮医療に向かってしまっていると思う。

 

ただ、病気は待ってくれない。そのため、各施設では緊急度によって、緊急承認制度というのを設けていることが多く、この場合、2∼3週間で承認してくれる場合が多い。ただ、BEP療法は完全適応外使用であり、食道がんでの使用についての論文など、科学的な根拠に乏しく、承認が得られるか微妙なところであった。私の癌は進行が速いため、この審議に時間をかけられるようになってしまうと嫌だな。。と不安に思っていた。

治療開始から約10か月目、別の大学病院の腫瘍内科を受診した。あらかじめ、紹介状と画像のCDを送っておいた。私が医師であることも紹介状に書かれていたようで、言葉を飾らず、かなり直球な言葉で彼の考えや解釈について聞かせてもらった。

分かってはいたが、改めて自分の置かれた立場の厳しさを言葉を飾らずに言われると、いくら医師と言っても応えるものである。もちろん私が逆の立場であれば、言葉を飾るのはむしろ失礼になるので、そういう風に言うんだろうな、と思ったが、こんなところも医師であることのデメリットだな、と思った。

 

散々厳しい言葉を聞いた後(緩和医療も選択肢のひとつと話された)、別な選択肢として、とあるレシピの提案を受けた。AFP産生腫瘍は「胚細胞腫瘍」と似た性質を持つので、その進行期の治療であるBEP療法(bleomycin + etoposide(もしくはvincristine) + cisplatin)をトライしてみてはどうか、ということだった。そう言われて、一つの文献1)を教えてもらった。

 

胚細胞腫瘍とはかなり稀な腫瘍で、生殖器(精巣・卵巣)と体の中心線に沿った部分、胸の中(縦隔)、お腹の中(後腹膜、仙骨部)、脳(松果体、神経下垂体部)などに発生しやすいものである。赤ん坊の頃から色んな細胞に分化する役割を持つ原始胚細胞が悪性化したもので、明らかに私の癌とは違う。ただAFP産生腫瘍であることが多く、細胞の性質として似通っている(つまり効果のある治療薬も似ている筈)ので、効果はありそうだ、とのことである。ご自身も、私と同じ上部消化管のAFP産生腫瘍に対して実際に治療したことがあり、かなり効果があった、とのことであった(残念ながら最終的には亡くなられたとのことだが)。

 

やはり餅は餅屋で色んな経験をしているな、また文献を読んでいるな、と感心するとともに、一筋の光明を見た気がした。少なくともPositiveな情報を戴けたことに感謝した。

 

駄目元でもなんとかならないかと、あっちこっちにしがみついて今までやってきた。

諦めの悪い、無様な患者だったとは思うが、当たり前のことだが、こんなところでかっこつけてもしょうがない。

 

一つ気掛りなことがあったが、とりあえず、このBEP療法について主治医に相談することにした。

 

1. Guo Y-L, et al. Primary yolk sac tumor of the retroperitoneum: A case report and review of the literature. Oncol Lett. 2014 Aug;8(2):556-560. doi: 10.3892/ol.2014.2162.

陽子線照射は効果がある感触はあった。照射した部位はPETやCTで病巣は消失していたし、AFPも激減していたからである。ただ、当時化学放射線療法として、一緒に使っていたパクリタキセルはどうも効果があるようには思えなかった。

 

ご承知のように、重粒子線・陽子線などの粒子線を含む放射線療法は、いわば局所療法でPETやCTで検出できる癌の塊(病巣)を退治する。基本的に考え方は手術と同じ、と言ってよいと思う。これに対し、化学療法(抗癌剤)は放射線治療と組み合わせる場合、相乗効果があると言われ、照射部位の病巣が消えやすくなるとされている。

 

化学療法のもう一つの、そしておそらく最も大切な役割として、全身に広がっているであろう、癌細胞の小さな塊(PET等の検査では描出できないもの)を退治してくれる、というものがある。例えば私のように、病巣として検査で明らかになっていたものは、原発巣以外には、肝の右葉とリンパ節だけであったが、食道以外にそこまで到達しているということは、おそらく検査ではわからない小さな病巣は、他にもたくさん全身に散ってしまっているはずである。したがって、局所療法だけでなく、やはり効果の高い化学療法のレシピを見つけるのが急務であると感じた。

 

主治医は外科医なので、基本手術については詳しいが、化学療法はやはり腫瘍内科の先生の意見を聞いた方が良いと思った。もちろん主治医のことは信頼しているし、優れた医師だと思っているが、やはり餅は餅屋ということもある。手術も化学療法も、というのは昭和のころは当たり前だったが、医療が高度化している現在、分業制は進んでいるので、両方優れている、MLBの大谷選手のような人を求めるのは無理がある。

 

陽子線照射という武器を手に入れた、という実感があった。もう一つ、有効な化学療法という武器をどうしても手に入れたかった。私の癌のような特殊なものは、標準治療は必ずしも有効ではなく、それ以外の方法があるはず、と思った。

色々調べて、某大学病院の腫瘍内科の先生の門をたたくことにした。もちろん主治医にはその意を伝え、紹介状を書いてもらった。