有り難いことに、医局の先生たちがこの闘病期間中に、入れ替わり立ち替わりお見舞いに来てくれた。手術の指導をしたり、一緒に研究をしたりした、いわば苦楽を共にした先生たちである。
そのうちの一人が、ちょうどFLEP療法を始める数日前に、奥さんとお子さんを連れてきてくれた。お子さんがとても人懐こく、いきなり私の座っている膝の上に座ってきた。尖がった小さな骨盤の感じは、昔自分の子供が膝に座った時の感覚を急に思い出させた。別な先生は、やはり私の家にお見舞いに来てくれたとき、妻の前で号泣したらしい(ちょうど私が席を外した時)。それ以外にも多くの先生がお見舞いに来てくれたり、メールやお花、年配の方は直筆のお手紙をくれたりした。
一方、私が健康でバリバリやっている時に、すり寄るようにして近寄ってきた人ほど、手のひらを反すようにして、反応が冷たくなる人もいた。とても分かりやすい反応で、悪いが少し笑ってしまった。
病気をしたとき、友人の大切さが本当に染みるようにわかるとともに、人の性が良く見えるようになった。以前分からなかった人の本質が分かるようになった。病気が私を成長させてくれた、とも思った。
私が尊敬し、胸を張って恩師と呼べる先生がいらっしゃった。大変厳しいお方で、常に背筋はピンと張り、声は大きく断定調で、若い医局員はその先生の前だと緊張し、萎縮してしまう傾向にあった。世界的にも有名で、あだ名は日本では元帥、外国でも、Le Generalと呼ばれていた。典型的な昭和~平成初期のころの教授の立ち振る舞いで、威厳に満ち溢れていた。その先生は退官されていたが、私が病気と知ると、かなり頻繁に手紙を送ってくれるようになった。病気のことを聞くわけでもなく、日々徒然なるままに色々なことを手紙に書いて送ってきてくれた。我々にとっては天皇みたいな存在で、そういうことをしてくださるような先生とは思っていなかったので、大変驚くとともに本当にありがたいと思った。
厳しいお顔の下に、とても優しい心をお持ちであるのがひしひしと伝わり、心から尊敬した。
その恩師が一ヶ月ほど前に亡くなられた。父に続いて、医学の上での父も失った。人生のめぐり合わせとしては仕方のないものとは思うが、寂しいものである。
御恩に報いられたかわからないが、教えを胸に今後もできる限りのことをしなければ、と心に誓った。