20代の頃に3年間働いた商社を辞めた後は、某大手メーカーに20年働くことになったわけですが、その20年間が決して順風満帆だったわけではありません。
以前にも書いた通り、転職した後も、前の会社に対する怒りが収まらない状態が数年間続き、転職して随分経った後に、起こっていたことを取引先に告発することで、自分なりに折り合いをつけたわけです。
その後は可もなく不可もない生活を送っていたわけなのですが、数年経って、今度は働いていた部署がなくなってしまうという事態に見舞われることになりました。
「商社出身」ということで海外営業(輸出部門)に配属されていたのですが、中国製品の台頭により、その会社の製品の競争力がなくなってしまい、数百人いた海外営業部隊が廃止されることになったのです。
この時も「商社出身」という理由で、今度は調達部門(輸入部門)に配属されることになりました。
が、はっきり言って、この部門、完全に腐りきっていました。
職場カースト、いじめ、嫌がらせは日常茶飯事。
この部署に新卒で配属されていたら、速攻で退職か部署異動を願い出ていたと思います。
が、以前働いていた商社よりはマシだと自分に言い聞かせ、何とか自分を保つようにしていました。
転職に踏み切れない理由は他にもありました。
- この時点で既に30代半ばになっていたが、転職や畑違いの部署異動が続いたため、その歳になっても強みとなる専門性が特にない(=転職しようにもアピールできることが何もない)状態だった
- ちょうどその頃、妻の体調が思わしくなく、切迫早産等で入退院を繰り返す状態が続いていた
ということもあり、極力環境を変えたくないという思いもあったのです。
この部署の主要派閥グループ(その多くは、入社以来その業務しかやっていない人たち)からは相手にされていませんでしたし、私も距離を置いていました。
彼らはいつも集団でつるんでいましたが、彼らが集まるところには、上手く説明できないのですが、何かしら常にどす黒いとぐろを巻いたようなオーラが見えるというか、異様な雰囲気が漂っていたからです。
はっきり言って、人間のクズの集まりにしか見えませんでした。
数年後、何とか管理職に昇格することはできましたが、調達部門にいながらも、当時は誰もやりたがらない、調達とは全く関係のない賤業(と社内ではみなされていた仕事)に追いやられてしまいました。
部下は50代が中心で、全員私よりも年上でした。
全く未経験の分野で管理職になったため、彼らに仕事を教えてもらうしかなかったのですが、最初の頃は人間関係の構築に非常に苦労しました。
それでも数年経って、彼らとの関係はかなり良好になりました。
この部署にいる限り、もはや出世は望めないのは明らかでしたが、誰でも知っている大手企業という看板もあり、会社が潰れないのであれば、このまま定年までノラリクラリ居続けるのもありかな、と思っている自分もいました。
会社の経営状態が安定し続けていたならば、そのまま「仕事できないオジサン」として会社に居座り続けるという選択肢もあったのかもしれません。
が、会社の業績はどんどん悪化。
部下が次々と定年退職する中、新しい部員の補充はなく、仕事もどんどん減っていきました。
大学卒業以来、様々な環境で働いてきましたが、出社しても何もすることがない、という経験を40半ばになって初めて経験することになりました。
それでも周囲の目があるので、何かしら仕事をしているフリをしなければなりません。
仕事がないということが、仕事が忙しいよりも苦痛であるということを、この時に初めて知りました。
そうこうするうちに、50歳以上を対象とした早期退職の募集が始まりました。
当時私はまだ50歳になっていませんでしたが、もうこの会社はダメだと思いました。
ちょうど我が子の中学受験と重なっていて、ある程度の収入は確保しなければ、と思っていた矢先でした。
で、転職をすることにした、という次第です。
私にとってラッキーだったのは、社内では「賤業」とみなされていたものの、私がやっていた仕事のニーズが世間一般では高まっていて、それなりに転職先の紹介があったことです。
しかも、コロナの影響でその仕事のニーズがますます高まり、さらに好条件での再転職が可能だったということ。
派閥ボスに群がっていた人たちのように「上澄みの美味しい仕事」しかやっていなかったとしたら、彼らと同様、はるかに悪い条件の転職先しか見つからなかったと思います。