「失われた30年」を生きて(子ども世代のためにできること) | アラフィフ親父の戯言

アラフィフ親父の戯言

妻と高校生の娘の3人家族。20代と中高年で複数回転職。国立大学文系学部卒。仕事の人間関係と子どもの成績に頭を悩ませる、どこにでもいるアラフィフ親父です

私は大学を卒業するまで「学歴神話」を信じていました。東大とか、偏差値の高い大学に行けば行くほど、社会的な地位や年収、そして人としての幸せも約束されると信じていました。

 

それを信じたからこそ、10代の人生の大半を受験勉強に捧げました。それがどんなに辛いものであったとしても、東大にさえ行けばそんなのは全て帳消しになるし、その後の人生は安泰だと信じていました。


が、実際には全然そうではないことを、その後の「失われた30年」で知ることになりました。




だからというわけではありませんけど、私は自分の子どもに対し、本人が「いい大学」を目指したければ目指せばいいとは思いますが、他のあらゆるものを犠牲にしてでも難関大学に何としてでも入学しろ、と言う気にはなれません。


「アナタの言われた通りに私はちゃんと勉強したし、それなりの高学歴を手に入れたし、就職人気ランキング上位の会社にも就職した。にもかかわらず、私は幸せな人生を歩んでいない。だったらアナタが私の人生の責任を取ってよ」と言われたとしても、私は我が子の人生に対して責任なんて取れないからです。



受験勝者にはなったものの、その後の人生のあらゆる場面においてその見返りを求めるようになってしまうとしたら、それは子どもにとって不幸以外の何物でもありません。


親世代とは違う時代を生きる子どもたちに対し、我々自身が子どもたちのロールモデルになることはできません。ロールモデルになれない我々が、子どもに対して時代錯誤的な苦行を強いるのは間違っていると思うのです。


私がこのブログで散々批判している重課金はその典型例にすぎません。フランス革命やロシア革命が起こる寸前になっても、貴族は我が子に時代錯誤的なエリート教育を施し続け、そうした子どもたちが新しい時代を生きて行けずに処刑されてしまったのと同じようなことが起こるとしか思えません。



「失われた30年」はもう終わろうとしています。あるいは数年前に始まったと言われる「風の時代」以降、もう終わっているのかもしれません。

私がかつて働いてきたJTC数社は、我が子が社会に出る頃には明らかに今よりも大幅に衰退し、あるいはもうなくなっているかもしれません。やにくもに勉強を頑張り、難関大学を卒業し、人気企業に就職したとしても、その過程にある人生を蔑ろにしてしまうと、「風の時代」を幸せに生きていくことはできないような気がします。


・多感な10代においては、まずは様々な経験をして、生きるための直感を研ぎ澄ます

・自らが好きだと思える学問に出会い、それを専攻し、それを活かした職に就く

・かといって、その職に就いた後はレールに乗っかった人生を歩めばいい、などという世の中ではもはやなくなっているはず。10代の頃に養った感性が、その後の人生の判断に大きな影響を与えるはず


親にできることがあるとすれば、子どもに対して、こうした「きっかけ」を与えるための環境を用意することなのかな、なんて思っています。