「オヤカク」したがる学生の本音 | アラフィフ親父の戯言

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アラフィフで中高年転職しました。国立大学文系学部出身。妻と中高一貫校に在学中の娘の3人家族です。

最近の大学生は、就活して内定が出ると親に「その会社に行ってもオッケー」かどうかお伺いを立てて、親からお墨付きの確認がもらえた場合にのみ企業に承諾の返事をする(その一連の行為を「オヤカク」と呼ぶらしい)のだそうです。


https://dot.asahi.com/articles/-/233701


今の学生は、就活対策そのものは、我々の学生時代よりもむしろ真面目にやっていますが、「どこの会社に行きたい」とか「どんな仕事がしたい」という自らの意思がそこに介在しません。

彼らにとって、就活はやらなければならないからやっているのであって、それ以上でもそれ以下でもないからです。


我々の世代が就活していた時だって、「自分が何がしたいか分からない」なんて話はざらにありました。
しかし、今の彼らは「何がしたいか分からない自分」に疑問すら感じていません。

・企業から内定をもらったはいいけれど、それがどれくらいの評価に値する会社なのか?
もっと言えば、
・その企業に入った自分の、企業社会全体における相対的地位はどれくらいなのか?

自分に明確な意思があるわけではないし、とりあえず親がオッケーと言った会社に入っておけは文句は言われないだろう、ということなのだと思います。
要は、オヤカクを偏差値代わりに使っているのです。

そこには、子ども側のしたたかな戦略が見え隠れします。
オヤカクすることで、彼らは自分の人生に対する責任を放棄し、親にその責任を負わせようとしている、とも解釈できるからです。

オヤカクは「この会社で上手く行かなかったらアンタのせい」と親に言っているのと同義で、行く末恐ろしい感じがして仕方ないのです。


受験であれそれ以外であれ、親が子どもにあれこれ指示を出しすぎると、子どもは自分の人生の責任を自分で取ろうとしなくなります。

彼らはそれで小手先のリスクヘッジをしているつもりなのでしょうけど、彼らの人生は彼らのもの、いくら親のせいにしたところで、彼ら自身は幸せにはなれません。

自分の人生の責任は自分で責任を取るという極めて当たり前な行為を、過干渉によって子どもが放棄することのないようにしなければならない、と思いました。