中高時代の濫読 | アラフィフ親父の戯言

アラフィフ親父の戯言

文系学部出身ですが仕事は理系寄りです。アラフィフで中高年転職しました。妻と中高一貫校に在学中の娘の3人家族です。

私の出身中高は、数学は異常に厳しかった反面、文系科目の授業レベルは低く、多くの生徒は真面目に授業を聞いておらず、 寝ているか数学の宿題の内職をやる時間になっていました。


私もご多分に漏れず、こうした授業を真面目に聞くことはなく、授業中はずっと読書をしていました。

どんな学校の図書室や、どんな田舎町の小さな図書館にも大抵置いてある世界文学全集(ほとんど借りる人もいないので、古くても案外きれいなことが多い)を片っ端から読み漁っていました。


短編小説よりも、どちらかといえば長編小説の方が好きでした。

中1の頃は日本文学が中心。入学直後に読んだ下村湖人の「次郎物語」が大変面白く、その後に石坂洋次郎や志賀直哉あたりの小説を読み漁っていました。


そういうお堅い小説ばかりではなく、当時流行っていた赤川次郎の推理小説もかなり読みましたよ。そのうち飽き足らなくなってきたので、松本清張や森村誠一を毎日一冊以上のペースで読んだ時期もありました。


西洋文学に手を出したのは中2くらいだったと思います。最初のうちは色々な国の文学作品を読んでいましたが、途中からはフランス文学とロシア文学が中心になりました。フランス文学はスタンダールとモーパッサン、ロシア文学はトルストイとドストエフスキーがお気に入りでした。このあたりの文豪のメジャー作品の大半は、中2か中3あたりに読みました。


こうした小説にはヨーロッパの地名がたくさん出てきますが、位置関係が全然分からなかったので、地図帳を手元に置きながら読んでいました。また、ヨーロッパの近代史が分からないと小説の内容が理解できない (ナポレオンのロシア侵攻の史実を知っていないと、トルストイの「戦争の平和」の内容は理解できない) ので、世界史資料集を無為に何時間も眺めて過ごす、なんてこともよくありました。


フランス語とロシア語をNHKのラジオ講座で少しだけ勉強してみましたが、地方にはフランス語やロシア語の書籍なんてなかったので、大学に入ったら原文で読みたいなあ、なんて思っていました。


ただ、全ての文豪小説を面白いと思ったわけではありません。私の場合、何故かヘミングウェイとの相性が悪かったようです。何回読んでもすぐに眠くなってしまうので、読むのを諦めてしまいました。


高1くらいに、シドニー・シェルダンの小説を原文で読み漁った時期もありました。


あと、読書ではありませんけど、古い洋画(テレビ番組を録画したやつ)を見まくっていました。映画を見た後に、風と共に去りぬ、エデンの東、ゴッドファーザーあたりの原作を読んだりしていました。ハリウッド映画だけではなく、フランスやイタリア映画も好きでした。



こうした経験が結果として大学受験に役立った部分はあるのかな、と思いますが、スマホがなかった時代だったからできたことなのかもしれません。今の時代に学生をやっていたら、私も (我が子と同様に) スマホ中毒になった可能性大ですし。


でも、今の時代でも、与えられたカリキュラムをこなすことだけが勉強ではないはずです。今の子たち、特に難関校と呼ばれる学校に通う子たちにとって、それ以外の勉強をする機会というのはむしろ減っているのかもしれませんけど、中高時代に色々な回り道や冒険をするのはありだと思います。