「少ない問題をじっくり考える」勉強法 | アラフィフ親父の戯言

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文系学部出身ですが仕事は理系寄りです。アラフィフで中高年転職しました。妻と中高一貫校に在学中の娘の3人家族です。

受験勉強、特に算数・数学に関し、私が「物量大作戦」に否定的なのは以前から書いている通りです。それは、私自身がそれが原因で高校時代に挫折した経験があるから。


「物量大作戦」によって全ての人が私のようになるわけではありませんが、処理力がずば抜けて高いとは言えない圧倒的多数の人にとって、このやり方は向いていないような気がします。

たとえ中学受験や高校受験がそのやり方で何とかなったとしても、大学受験で同じやり方が通用するとは限りません。同じやり方で勉強を続けて成績が上がらないのであれば、やり方を変えればいい話なのに、「高校に入ったら数学が苦手になってしまった」と、自分で自分を決めつけてしまう人が多い気がします。

日本において、むやみやたらに多くの物量を機械的に解かせようとするやり方が、大量の算数嫌い・数学嫌いを作り出しているような気がします。



私が桁外れの理系音痴だったことは否定しません。
数学は、高校数学で数列が出てきたあたりから訳が分からなくなっていました。

Σとかは見るだけで拒否反応が出るようになり、問題が全く解けなくなってしまいました。

三角関数は、
tanΘ= sinΘ/cosΘ
sin^2Θ + cos^2Θ = 1
くらいは何とか分かりますが、それ以外の加法定理とかは、結局入試本番まで覚えることができませんでした。それでも何とかなりましたが。

空間座標上を移動とか回転とか、動いた部分の体積を求めろとかなると、もはや絶望的。

私がどのようにしてこの難局を乗り越えたかというと、「物量大作戦」とは真逆の、「とにかく徹底的に考える」でした。

学校の授業を無理にキャッチアップしようとすると身体愁訴が出てくるので、一切無視。授業中は、ノートに書き写した通信添削の問題をずっと考えていました。
普通の人には数分で分かる問題が、私は1時間かけないと分からないのです。

空間図形に至っては、1時間どころか、登校時から下校時まで、(数学以外の授業中も)ずっと同じ問題を考えて続けている日もありました。


    • 移動した図形をイメージできるようになるのに数時間
    • それを積分式を表すと解説のようになるのだと理解できるようになるのに数時間
    • その積分式の解法を理解するのに数時間

それくらい空間音痴だったのです。

でも、そうやって数学の空想に耽っている時は、不思議と楽しかったです。
さっぱり訳が分からなくなった学校の授業を放棄し、何か月かこのような状態を続けていたら、模擬試験で解ける問題も増えて、解く速度も上がってきました。


つまり、学校の数学の成績はずっと底辺のままでしたが、模試の数学の成績はみるみる上がってきたのです。


かつての私のように、処理力も理解力も十人並みかそれ以下の生徒には、「多くの問題を機械的に解く勉強法」よりも「少ない問題をじっくり考える」勉強法の方が向いているような気がします。