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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

 

コンドラシンのレニングラード

曲目/ショスタコーヴィチ
交響曲第7番ハ長調作品60『レニングラード』
1.第1楽章 Allegretto 26:29
2.第2楽章 Moderato(Poco allegretto)  10:32
3.第3楽章 Adagio 15:16
4.第4楽章 Allegro non troppo 18:59

 

指揮/キリル・コンドラシン
演奏モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1975/07/05 モスクワ音楽院大ホール

 

P:ピョートル・コンドラシン

 

ビクター音楽産業 VIC-5169~70(原盤メロディア)

 

 

 8月9日はショスタコーヴィチの命日ということで再び、彼のレニングラードを取り上げます。今回取り上げるのはレコードです。まだまだ「メロディア」レーベルが健在だった1980年に発売されたもので、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によるショスタコーヴィチ交響曲の全曲が1,500円盤で再発されたときのものです。1962年から1975年にかけて録音された世界初のショスタコーヴィチ交響曲全集で歴史的力作の中の一枚です。日本ではとうとう全集としては発売されませんでした。写真のように帯には「朝日新聞視聴室」「ステレオ芸術」「ステレオ」推薦という文字が踊っていますが、決してレコード芸術はこのコンドラシンのショスタコーヴィチに推薦は出しませんでした。まあ、後の交響曲第14番だけお義理に推薦していますが、当時はなぜ、ムラヴィンスキーばかりが推薦になってコンドラシンはだめなんだと、いきまいてこのレコードを購入したのを覚えています。とっくに廃刊になりましたが、そのころは「ステレオ芸術」の評価の方を信じていたのです。

 

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 ションタコーヴィチとコンドラシン

 

 それまでは、個人的にはムラヴィンスキーのモノラル録音盤は所有していましたが、初めて購入したステレオのレコードによる「レニングラード」でした。この交響曲第7番「レニングラード」は、その偉業の最後を飾る録音で、同時に第2次世界大戦戦勝30年周年の特別記念録音とのことです。まあ、ラストを飾るに相応しい大曲でしょう。この録音にはショスタコーヴィチも関わったようで、そういう意味ではお墨付きの全集だったのでしょう。レコード時代は演奏時間の関係で、1楽章一面という贅沢な作りでしたから安い買い物ではなかったわけです。国内盤は全集で揃えるとすると、1500円盤でも軽く2万円近くなりましたからね。のちにイギリスEMIからメロディア原盤を使ってショスタコの交響曲全集が発売(SLS5025)されましたが、これはコンドラシンを筆頭に、ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフ、バルシャイらの演奏をかき集めた物で、第7番はスヴェトラーの府の演奏であったのでがっかりした記憶があり、暫くして手放してしまいました。なことで、このコンドラシンのショスタコは手元にはこの一組しか残っていません。

 

 録音はいささか古めかしさを感じさせますが、演奏の質は他の指揮者を圧倒して小生のコレクションの中ではピカ一です。この頃はバーンスタイン盤も出回っていましたが、この演奏と比較すると少々はったり臭く感じられた物です。メロディアの録音も、この当時は金管バリバリのただ騒々しいだけの物はなりを潜めて、繊細な表現もしっかりと捉えています。提携していた日本ビクターの技術陣が貢献していた部分もあるのでしょうね。

 

 曲は1941年の作品です。第1次世界大戦中で、ナチス・ドイツのソ連侵攻開始と相前後して作曲が始められ、レニングラード包囲戦の最中に完成しています。当初は「戦争」「回想」「祖国の大地」「勝利」と各楽章に副題がつけられ、表面上はファシズムとの闘争と華々しい勝利への確信を描いているのですがが、音楽に込められた真意には謎が多い作品です。「レニングラード」というタイトルとは裏腹に作曲者自身もナチスの侵略を想起させるとして、早くから副題を削除してしまっています。時に日本は大東亜戦争が勃発した年でもあります。

 

 この曲の第1楽章はラヴェルのボレロの手法を使った戦争の主題が印象的ですが、コンドラシンの演奏で聴くとそれがパロディではなく、迫り来る危機をきっちりと表現していることに気がつかされます。オーケストラのレベルは決して充全とはいいがたいのですが、屋や早めのデンポで演奏され、コンドラシンのタクトが緊張感を持ってぐっと引き締めてドライブしていることがひしひしと伝わって来ます。ここで響くピッコロの第2主題「平和な生活の主題」は突き刺さるような響きで印象的です。日本ビクターの製作になるこの国内盤はもちろんオリジナルマスターのコピーによるプレスですから、多分今発売されているCDの音とはいささか違うとは思いますが、低域までしっかりと収録された重心の低い録音で、この曲を聴くには相応しい音場を形成しています。

 

 第2楽章も、ややベールがかかった音ながら重々しい雰囲気を良く捉えています。弦楽器のスタッカートを強調させたアクセントで、この戦争の過酷さを際立たせています。ただ、惜しいのは金管がややおとなしい音で収録されていてもう少し咆哮させても良かったのではと思える伝です。ただし、あまり大音量になるとアナログのSN比の中では玉砕してしまいますからね。ただし、中間部のテインパニの打ち込みは強烈です。

 

 第3楽章はやや早めのアダージョです。ショスタコの特色である崇高ながら悲痛な嘆きをも思わせるコラール主題が印象的です。コンドラシンはそれでも感傷的な物を排除しつつひたすら前向きに、民衆の団結を讃える音楽として描いて行きます。

 

 レコードですから当然第3楽章と第4楽章は途切れていますが、本来ならアタッカで続けて演奏される所です。弦の低弦のユニゾンが蠢く中第4楽章になだれ込んでいきます。第4楽章の冒頭のオーボエのモールス信号の「V」(・・・-)すなわち「Victory」を表す処理が印象的です。

 

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 お気づきかと思いますが、この録音データのプロデューサーはピョートル・コンドラシンが当っています。つまり、彼の息子です。この全集は親子して完成させたということでしょう。この全集の録音はあまり計画的ではなかったようです。ところが晩年ムラヴィンスキーがショスタコーヴィチの交響曲初演を断るようになり、それをコンドラシンを引き受けていた関係で、1970年代に入るとソ連当局は史上初のショスタコーヴィチの交響曲全曲録音をコンドラシンの手に委ねたのではないかと推察出来ます。ところが、あまりにも当局が口を挟むのでコンドラシンはこの全集を仕上げたころから、当局と反目しだしたのではないでしょうか。このモスクワフィルは1976年まで音楽監督のポストにありました。まさに、このショスタコーヴィチの交響曲全集が彼らの最後の大仕事であったといえるでしょう。このレコードの裏面ジャケットにはこのオーケストラを振るコンドラシンの写真がカラーで掲載されています。このコンビ、チャイコフスキーコンクールの本選ではずっと伴奏を務めていましたから実力的には十分です。当時のモスクワフィルとの充実した活躍が忍ばれます。しかし、コンドラシンの1978年の亡命でこの交響曲全集の存在は正当に評価されること無くひっそりと姿を消していきます。先のEMIのショスタコの交響曲全集もそういう時代の流れの中でコンドラシンの全集としては発売されなかったように思います。

 

 コンドラシンは亡命して、さあこれから本当の自分がやりたかった仕事をやろうとした矢先に心臓発作で倒れてしまいます。享年67歳でした。たらねばですが、本格的に西側で活躍していたら、多分再度ショスタコーヴィッチの交響曲全集にチャレンジしていたように思います。そうなれば最高レベルの交響曲全集が完成していたように思えてなりません。

 

 

 そして、ニコニコ動画には1975年5月14日、スメタナ・ホールで行われたプラハの春音楽祭でのライヴ録音の音源がアップされていましたので、貼り付けておきます。

 

 

ジョージ・セル

ベートーヴェン序曲集

 

曲目/

4.歌劇「フィデリオ」 序曲 作品72b 序曲   6:10
5.「レオノーレ」 第1番 作品138   9:14
6.「レオノーレ」 序曲 第2番 作品72a   14:03
7.「レオノーレ」 序曲 第3番 作品72b   13:50

1.「エグモント」 序曲 作品84 6:10   8:33

3.「シュテファン王」 序曲 作品117   7:30

指揮/ジョージ・セル
演奏/クリーヴランド管弦楽団

 

録音/
レオノーレ第2番:1966年10月8日、
コリオラン、シュテファン王:1966年10月29日、
レオノーレ第3番:1963年4月5日、
クリーヴランド、セヴェランス・ホール
レオノーレ第1番、フィデリオ:1967年8月25日、ロンドン

P:ポール・マイヤース

 

独CBS 61580

 

 

 1977年の卒業旅行でヨーロッパ一周した折にドイツのシュトットガルトのレコード店で購入したものです。ドイツの61000シリーズは廉価盤の範疇に分類されていたものです。多分1マルクが100円前後であったはずで、このショップでまとめ買いをしてその足でシュトットガルトの駅の横にあった中央郵便局で船便での発送手続きをした記憶があります。多分セールか何かをしていたんでしょうなぁ。

 

 このレコード、当時発売された日本盤とは収録内容が違います。多分ドイツだけのカップリングだったのでしょう。このジャケットデザインもドイツ盤だけのもので、日本盤はアメリカと同じデザインで収録曲数も少なかった記憶があります。セルのベートーヴェンの7曲の序曲は、1963年4月に録音され一足先に交響曲第4番とのカップリングで同年に発売されたレオノーレ第3番を除き、全集完成後の1966年と1967年に録音され、2枚のLPで発売されました(レオノーレ第2番がオーバーラップ)。アメリカでは、ちょうど全集が完成した1960年代半ばにエピック・レーベルがポップス色を強めたため、セルとクリーヴランド管は古巣コロンビア・レーベルに復帰し、コロンビアからの発売となりました。

 

日本盤 13AC208 収録曲がかなり違います。


 「フィデリオ」のために書かれた4つの序曲を収めたLPは、1968年のクリーヴランド管創立50周年記念発売の1枚となりました。珍しいのは、「フィデリオ」「レオノーレ第1番」の2曲が1967年夏のヨーロッパ楽旅中、ロンドンで録音されていることです。セル&クリーヴランド管のセッション録音が地元以外で行なわれたのはこの時だけです。最初はその「フィデリオ」序曲です。

 

 

 

 そもそも、CBSのアーティストだったオーマンディやバーンスタインは単独でのベートーヴェンの序曲集を残していません。唯一このセルがこういったアルバムを残しました。細部まで一音もゆるがせにせぬ緻密な配慮が行き届き、張りつめた生彩さがほとばしるようなリズム感で構成されたセルの演奏は、ベートーヴェンが作品に盛り込んだミニ・シンフォニーともいえる圧倒的なドラマを描き出しています。こりアルバムにはベートーヴェンが過激「フィデリオ」のために書いた序曲が4曲も収録されています。

 

 今ではオペラ「フィデリオ」上演の際は「フィデリオ」序曲が演奏され、第2幕で「レオノーレ」序曲第3番が演奏されるということが当たり前になっています。このレコードを入手した時代は一通り聞いていますが、この第1番の由来は全くドイツ語が理解できないためスルーしていました。今回改めてこの1番に注いて調べてみたらいろいろなことがわかりました。まず、作品番号が138番ということで交響曲第9番のOp.125より後の番号になっています。実際の作品目録には無いんですなぁ。いわゆる遺稿というものです。なんでも幻となったレオノーレのプラハ上演のために作曲されたということらしいのですが、定かではありません。いちおう、オペラの曲の旋律が使われているということで1番という番号が与えられていますが、ほとんど演奏されることはないのが現状です。

 

 

 次の第2番は今では歌劇「レオノーレ」として上演される際にその序曲として演奏されているようです。手元にも、歌劇「フィデリオ」と歌劇「レオノーレ」があります。規模が大きいので演奏会用序曲としてたまに単独で演奏されるようですが、セルは多分アルバム用に録音したもので、3番より録音が新しいので聞きバエはこちらの方がいい魔かもしれません。クリーヴランド管弦楽団の演奏は緻密で聴き映えがします。

 

 

 録音は少々古いのですが、再録音しなかったということはセルはこの演奏に自信を持っていたのでしょう。まあ実際聴いてみても揺るぎないアンサンブルとセルの意思が貫かれた演奏は今聴いてもぞくぞくとした興奮を感じます。

 

 

 このアルバムにはフィデリオ関連以外では「エグモント」が収録されています。ポール・マイヤーズのプロデュースによる一連の録音はセヴァランス・ホールの響きを十全に捉えていて、以前は冷たいとされていた響きは改めて聴いてみると非常に素晴らしいバランスで録音されています。低弦の重厚さも過不足なく収録されていて、改めてセルのベートーヴェンの解釈の緻密さを感じます。

 

 

 最後に収録されているのが「シュテファン王」序曲ということで、「コリオラン」で無いのがこのアルバムのちょっと残念なところですが、この作品も作品番号からベートーヴェンの晩年の作品ということがわかります。ただ、ベートーヴェンが自分の意思で描いた作品では無いということで、民衆にもわかりやすい内容で書かれています。その辺は「ウェリントンの勝利」という作品に通じるものがありますなぁ。

 

 

 このアルバム、すっかり所有していることを忘れていました。1975年の発売という記載がありますが、国内でセルの1300円盤が発売されたのは1976年でした。ドイツ盤はレーベルが赤でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

アンドレ・ワッツ/小沢

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番

 

曲目/ラフマニノフ

ピアノ協奏曲第3番ニ短調Op.30

1.第1楽章 アレグロ・マ・ノントロッポ 15:57

2.第2楽章 インテルメッツオ アダージョ 9:47

3.第3楽章 フィナーレ アラ・ブレーヴ 9:31

 

ピアノ/アンドレ・ワッツ

指揮/小澤征爾

演奏/ニューヨーク・フィルハーモニック

 

録音:1969/10/01 ニューヨーク、フィルハーモニック・ホール(現デイヴィッド・ゲフィン・ホール)

P:リチャード・キロウ

E:エドワードT・グラハム、レイモンド・ムーア

CBSソニー 13AC1051

 

 

 全く購入した記憶のないレコードが出てきました。ワッツが来日した記念のシールが貼られていますから1980年でしょう。この当時はもう協奏曲の録音をしていませんでしたからこの旧譜を引っ張ってきたのでしょう。それにしてもこんな録音を残しているとは記憶にありませんでした。そして、小沢がニューヨーク・フィルとこんな録音を残していたとは・・・多分商業録音として小沢がニューヨークフィルハーモニックと録音したのはこれが最初で最後でしょう。

 

 ワンドレワッツのデビューの顛末は下で書いています。ワッツのは1963年1月19日放送の「ヤング・ピープルズ・コンサート」に16歳の時に出演しています。

 

 

 この時のワッツのリストは下の演奏です。

 

 

 

 一方小澤征爾も1962年4月14日に「フィガロの結婚」序曲を降って登場しています。二人ともバーンスタインが目をかけていたことになります。

 

 

 ラフマニノフの第2番をワッツは前年にバーンスタインと録音しています。そんなことで、憶測ですが多分バーンスタインの差金でこの録音を小沢とセッティングしたのではないでしょうか。この1969年は、小澤征爾はバーンスタインと共にニューヨークフィルハーモニックのアメリカ縦断ツァーに参加しており、9月には同フィルのシーズン・オープニングに最も指揮しています。また、この10月末までニューヨークフィルに留まっています。そういうスケジュールの中でこのセッションが録音されたと言えます。ただ、今聴いてもあまりいい録音とは言えません。アメリカの原盤はM30059という番号で発売され、マトリックス番号もMAL 30059-2A P、2B-Pが振られているのですが、この日本盤はまったくこのレコードのために新しくマスタリングをやり直しています。

 

 日本盤はそれほどテープ日好き目立ちませんが外盤は結構耳につくようです。冒頭からワッツのピアノは一音一音をくっきりと目立たせ、かなりくっきりした弾き方で普通はしないようなアクセントなどを頻繁につけています。ただ、途中で大胆なカットがあり??がついてしまいます。この楽章のカデンツァは通常版で始まりますが、途中でOssia版に変わるという珍しい弾き方をしています。ワッツは有名どころの2番は録音していませんから結構変わったレパートリーのチョイスをしています。そんなことで、ここではおさへわ政治はただサポートに徹しているだけで木綿゜った個性は感じられません。

 

第1楽章カデンツァ:通常版とOssiaの折衷版
録音年相応に音が悪く、ヒスノイズが目立つ。ピアノはる。もっと端正な弾き方をするピアニストだと思っていたので、これは意外。ややいい加減な弾き方も目立ち、精緻な技巧とは言い難い。第1楽章6分頃に突然省略が入るのは編集の関係か?第1楽章カデンツァは最初は通常版だが、途中から。第2楽章以降、バックグラウンドに音楽と関係ない椅子の軋みのようノイズが混じってくるのが不快。第2楽章4:46でも省略あり(一気にクライマックスへ)。第3楽章も2:01ごろ省略して中間部へ。4:10ごろ突然中間部が終了してあれっ?と思う。いくらなんでも省略し過ぎだろうと。これが編集だろうと実際の演奏だろうと悪意のある収録としか思えない。

 

 

 不思議なのは第2楽章でも不可解なカットがありいきなりクライマックスに突入するという演奏になっています。このレコードの解説は井上和男という人が書いていますが、演奏者の紹介もなければ曲の解説も簡潔に書かれているだけというお粗末なものです。来日記念盤ならその辺りはもう少し配慮してもいいのにと思ってしまいます。どうも、この頃のソニーは廉価盤での出遅れを取り戻そうと粗製乱発の状況にあった気がします。

 

 

 第3楽章も省略、カットの多い演奏になっています。中間部も途中で終了し後半に雪崩れ込んでいきます。このレコードのプロデューサーはリチャード・キロウで1960年代の中頃から登場してきます。60年代末からはバーンスタインのレコーディングでも頻繁に登場してきていますが、こういう製作方針ではちょっとついて行く気がしません。そういうこともあり、ワッツのレコードということで購入はしてみたもののすぐお蔵入りして棚の中で眠っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 レコードですがクソ高いです。

 

ハイフェッツ

ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲

曲目/ベートーヴェン

ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61

1.第1楽章 アレグロ・マ・ノントロッポ 20:37

2.第2楽章 ラルゲット 8:45

3.第3楽章 ロンド 8:29

 

ヴァイオリン/やっシャ・ハイフェッツ

指揮/シャルル・ミュンシュ

演奏/ボストン交響楽団

 

録音/1955/11/27,28   シンフォニーホール

P:ジョン・プファイファー

E:ルイス・チェース

デジタルマスター:ジャック・エーデルマン

 

RVC 12R−1006

 

 

 

 1987年3月に突如としてRVCから一連のアルバムが1,200円盤として発売されました。当時は既に廉価版といえば1,500-1,800円が相場だったのですから驚きでした。この時はRCA盤が20枚、エラート盤が10枚発売されています。「ベスト・チョイス・クラシック1200」と題するシリーズでした。この中でRCA盤はレギュラーの「RED SERIES」ではなくで「GOLD SERIES」での発売でした。本来は諸外国ではミッド・プライスのシリーズで、廉価盤としてはビクトローラとしてのCAMDENレーベルがあったのですがそれを使わずの発売でした。それも、内容的に今まで一度も廉価版に投入してこなかったルービンシュタインやこのハイフェッツの演奏が惜しげもなく投入されていました。

 

 しかし、小生はこの時代までルービンシュタインやハイフェッツのレコード、加えればヴァン・クライバーンは一枚も持っていませんでした。RCAがドル箱として廉価盤には投入していなかったし、管弦楽曲主体にコレクションしていた身になれば協奏曲は後回しでした。それに他社からは彼らに準ずるアーティストの録音はどんどん廉価盤に投入されていましたから蚊帳の外でもあったわけです。このシリーズもそんなに触手が動いたわけではなかったのですが、右下に「デジタル・リマスター」のマークが入っていたので手を出しました。しかし、購入した当時はめちゃくちゃテンポが速い演奏で味も素っ気もない即物的な演奏に思え、一度聴いただけでお蔵入りになっていました。

 

 最近レコード棚を整理していてこのレコードが見つかりました。久しぶりに聴いてみると、これがミュンシュ/ボストン響がバックを務めていることに気がついたわけです。一言で言えば、こんなサポートをしていたのかと感心することしきりです。ハイフェッツの残した演奏はどれも速いテンポの演奏で、この録音はハイフェッツのテンポであることが明白です。ベートーヴェンの指示は「アレグロ・マ・ノントロッポ」ということで、アレグロだけとそんなに早くしないでねという指示です。

 

 まあ、ハイフェッツの演奏はあまりにうますぎただけで、すっとした流れの中になんともいえぬ表情がつき、節回しなどは十二分に個性的だと思えます。ハイフェッツの演奏の特異性については、完璧・精巧無比・人間の限界を極めた、など様々取り沙汰されていますが、情熱と厳格さが混淆していることを説明する最もよい例が、このミュンシュ指揮ボストン交響楽団をバックにしての本盤はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でしょうか。ハイフェッツは、冷静かつ正確に、一切の妥協を排除した解釈を行なっています。鋭い運弓と力強いヴィブラートによって創り出されるその音色は非常に特徴的です。まあ、多分別格の演奏なんでしょうなぁ。

 

 この録音はステレオのごく初期に行われています。製作陣はRCAの、ジョン・プファイファーとルイス・チェースでリビングステレオの一枚として3チャンネル録音で収録されています。ただ、このレコードどういう形でデジタルリマスターしたのかについては一切触れていません。ネットで調べるとこの曲のステレオ盤はカップリングとしては発売されていますが、このオリジナルの形での発売はほとんどありません。多分、日本ではこのハイフェッツのベートーヴェンはオリジナルの一曲だけの収録という形では、この時までは発売されたことがなかったように思います。このレコードのマトリックス番号は、レコード番号と同じ12R−1006A、Bとなっています。その下のAGL1-5242はゴールドシリーズのロット番号です。ワールド発売ではこちらがマトリックス番号になっていました。そして、アメリカでは1984年にこの形で発売されています、その時のデジタルマスターはジャック・エーデルマンが担当していました。

 

国内盤のレーベルデザイン

アメリカ盤、デジタルマスターの表示が左上にあります。

 

 第一楽章の冒頭のティンパニの和音からして速いです。何しろ第一楽章を20分半で駆け抜けています。この楽章のベートーヴェンの指示は「アレグロ・マ・ノントロッポ」です。つまりは、アレグロだけとそんなに早くしないでねという指示です。

 

 ちなみに、 ベートーベンの『交響曲第6番 田園』をカラヤンはベルリンフィルで34分31秒、フルトヴェングラーは42分54秒。第1楽章アレグロ・マ・ノントロッポ『田舎に着いたときの愉快な気分』をカラヤンは8分31秒、フルトヴェングラーはゆったりと11分25秒です。また、ベートーヴェンの大工の第1学ょうも「アレグロマノントロッポ、ウンポーコマエストーソ」で、ウンポコ以下は少し荘厳にという指示です。まあ、最近は第九もピリオドタイプで演奏すると早めのテンポですからこんなものかなぁと思えてしまいます。ただ、小生たちのメインで聴いてきた60−70年代の演奏は重厚長大の流れの中にあったわけで、あまりにも速いと拒否反応が先に来るようです。まあ、こんな演奏はハイフェッツしか出来ないでしょう。行き着く暇もなく音楽が押し寄せてきます。言い方は悪いですが、これはベートーヴェンを聴くべき演奏ではなく、ハイフェッツを堪能する演奏でしょう。技巧はこの高速のボウイングについていける演奏者は他にいるのでしょうか。カデンツァはあうあーのものを編曲を加えて演奏しています。まさにやりたい放題です。

 第2楽章もアレグレットですがこれも早めです。技巧的には申し分ないのですがベートーヴェンが聴こえてきません。多分、無表情に冷徹というよりもその鉄面皮の下に熱い思いを湛えているのでしょうが肝心の音楽はさらさらと流れて行ってしまいます。

 終楽章もハイフェッツは猛然と駆けていきます。ミュンシュ率いるオーケストラも猛然と追いかけます。トスカニーニとのモノラル録音よりも速いテンポで進みます。これがハイフェッツのベートーヴェンなんでしょうが我々の求めるベートーヴェンとはちょっと違う気がします。ピリオドスタイルの速いテンポの演奏になれている若い世代ならこういう演奏の方が効きごたえがあるのでしょうが、小生の世代では少し前に取り上げたシェリングのスタイルの方がやっぱりしっくりときます。

 

 

 

 

 

 

最近のブログ雑感

 

 とんでもなく暑い日が続きます。7月も最後ということで、今年の前半を振り返ってみることにしました。最近、このブログがとんでもないことになっています。昔の過去記事がえらくアクセス数が伸びているのです。その代表的な記事が「勝利への讃歌」です。記事は2010年5月22日に書いたものです。今週のアクセス数のトップになっています。原因がわからなかったのですが、今週のNHKの「らじるらじる」の「かけるクラシック」でこの曲が取り上げられていたのです。現在はこの番組では推しの作曲家でエンニオ・モリコーネが取り上げられているのですが、今週はその中でこの曲が取り上げられたのです。映画は「死刑台のメロディ」という1971年の作品で、1920年のアメリカ合衆国・マサチューセッツ州で実際にあった「サッコ・ヴァンゼッティ事件」を正面から描いた史実的社会派ドラマでした。アメリカ史の汚点的冤罪事件として語られる事件をジュリアーノ・モンタルド監督が映画化はています。イタリア移民のサッコとバンゼッティがいわれなき死刑を受けるまでを描いています。こういう映画をイタリアとフランスの共同政策で描いているというところがすごいです。

 

 また、その主題歌勝利への讃歌』を社会派の歌手であるジョーン・バエズが担当したことも話題となりました。そして、曲を作曲したのは巨匠エンニオ・モリコーネでつたのです。オルガンのイントロで始まるという粋なアレンジと、同じメロディが延々と変装的に繰り返されるというミニマム・ミュージックの手法がとられていて非常に印象的な主題歌になっています。

 

 

 続いてアクセスされているのが「世界の女性指揮者ランキング」です。最近ではこの2本の記事が双璧となっています。こちらの記事は、2021年9月23日のものですが、最近女性指揮者の台頭が著しいので記事にしてみたものです。しかし、世の移り変わりは激しいもので、このランキングも既に過去のものとなりつつあります。なんとなればこの時には、今破竹の勢いの「沖澤のどか」の名前は2019年の第56回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝してようやく知られるようになつた頃でした。

 

 

 そして、もう一本の記事は今の時期にはふさわしいといえばそうなのですが、「2023年度名古屋市立小学校「夏の生活」表紙絵展」というものを取り上げたものです。非常にマイナーな記事で多分愛知県は名古屋市の人にしか理解できない記事です。この夏の生活、少しづつあり方が変化していて、2024年には一部採用しない小学校も出てきています。個人的には昔苦しめられた世代ですからねぇ。なくてもいいかなとは思いますが、この表紙絵は見ていて心がほんわかします。テレビニューでも取り上げられましたが、TV番組の「博士ちゃん」のような子供が育つきっかけを夏休みに作ってほしいなぁと思います。

 

 

 

 そして、コンスタントにアクセスがあるのが「BDレコーダーの故障」という記事です。このブルーレイ、パナソニックとソニーが牽引していましたがとうとう録音媒体としてのディスクの製造が中止になりました。容量的にはずば抜けた記録媒体ですが、あまりにもプロテクトをかけすぎてパソコンマニアからも見離されてしまったのが大きな要因でしょう。東芝が牽引したDVDがいまだに健在なところを見るにつけ少々策に溺れたといったところです。ネットでサブスクで映画や音楽が楽しめるようになったことと、大きな購買層だったシニアが目も耳も衰えているところに高画質は必要ないというところに気が付かなかったメーカーの戦略ミスでしょう。小生とて、レーザーディスクなんてソフトは一枚も持っていないし、音質もモスキート音も聞こえない耳ではSACDすら必要ではありませんからなぁ。

 

 

 このブログは一応クラシックがメインということにはなっていますが、ことほど左様に音楽のことは関係ない記事がランクインしています。喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な気持ちです。