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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

トスカニーニ/ニューヨークフィル

ベートーヴェン交響曲第7番

 

曲目/ベートーヴェン

交響曲第7番イ長調op.92

1.第1楽章 11:29

2.第2楽章 8:42

3.第3楽章 7:09

4.第4楽章 6]56

 

指揮/アルトウーロ・トスカニーニ

演奏/ニューヨーク・フィルハーモニック

 

録音1936/4/9,10  カーネギーホール

 

伊JOKE SM1119

 

 

 

 

 もう50年以上も前に、イタリアへ旅行した折に購入したレコードです。たまたま入店したレコード店に、このトスカニーニのジャケットがやけに目についたので購入したものです。当時はベートーヴェンの交響曲第7番一曲だけ収録されていることはあまり気にしなかったように思います。何しろそれまで名前だけは知っていましたがトスカニーニのレコードは一枚も持っていませんでした。そういう意味ではフルトヴェングラーも似たような状況でしたが、多分ウラニアの音源と同じベートーヴェンの交響曲第3番だけは持っていたでしょうか。まあ、本場のイタリアでトスカニーニのレコードが手に入ったということだけで購入したものです。

 

 録音は良くありませんが、聴き終わってまず「完璧」という言葉が思い浮かぶような名演です。このレコードを聞いてその後、トスカニーニのベートーヴェン交響曲全集を購入したのですが、そちらは1950年代のNBC交響楽団との録音で、このニューヨークフィルハーモニーとはイメージが違ったのでのちには手放した思い出があります。まあ、それだけトスカニーニの録音の中ではこの一枚がインパクトがあったということになります。

 

 第1楽章の序奏は、同時代のほかの巨匠と同様、ゆっくり、威厳をもって開始されます。一時期はやや遅いテンポで肥大化させた演奏が多かった時代がありますが、ここはテンポの設定・そのフォルムの構成において、理想的な第7交響曲の姿を実現しています。それでいて、リズムを弛緩させないがっしりとさせた構成で強靭なアタックでポコ・ソステヌートからヴィヴァーチェへと繋いでいます。こういう演奏を聴くとカラヤンがトスカニーニを模倣したというのが理解できます。とにかく第1楽章から風格のある演奏です。

 

 これに対する第2楽章は第1楽章とは打って変わってあっさりした表現に見えますが、それもこの第1楽章あってのことです。のちに不滅のアレグレットとして有名になるこの楽章をそれほど感傷的ではなく淡々とリズムを刻んでいきます。「のだめカンタービレ」で一般には第1楽章が有名になりますが、小生など第7番はこの第2楽章が肝だと思っています。それが証拠に初演の時のアンコールはこの第2楽章が再演されています。この時代のニューヨークフィルにはこのトスカニーニを始めフルトヴェングラー、メンゲルベルク、のちにはワルターなどが登場し黄金期を築いていた時代です。木棺もしっとりとしたいい演奏を披露しています。

 

 そして第3楽章。主部のプレストでは、トスカニーニのもとで鍛え上げられたニューヨーク・フィルのアンサンブルの妙を聴くことができます。弦楽器はユダヤ系のメンバーが多かったこともあり緻密なアンサンブルを披露しています。トリオは、トスカニーニ流の猛スピードで駆け抜けますが、推進力があります。ニューヨーク・フィルの水準の高さにも驚嘆させられます。

 

 第4楽章も、安定感のある音楽運びで、爆演に走ることなく、かなり早いテンポを取っているのに・まるで激することなく冷静にオケを統率して一糸の乱れさえ見せません。この第4楽章、同一リズムが執拗に反復され、アウフタクトである2拍目にアクセントが置かれています。これは現代のロックやポップスにおけるドラムスの拍子のとり方と同じです。このためリズムに推進力が生まれ、この楽章はこの調子でスピード感のある熱狂的な雰囲気が延々と続きクライマックスを形作っていきます。このトスカニーニの解釈はまったく古さを感じさせません。

感動的なフィナーレです。

 

 トスカニーニは1928年から七年間、ニューヨークフィルの常任指揮者を勤めました。したがってNYPを指揮したベートーヴェンの七番は決別直前のものである。オーケストラの各楽器のソロは名人芸ぞろいの上、アンサンブルもしっかりと整っていて、現在でも模範とするにたる名演である。

 

 トスカニーニの演奏については、ここ最近頻繁に取り上げているが、今日はその中からベートーヴェンの交響曲第7番をご紹介したい。この曲、もポピュラーになったが、もともと名作で、SP、LP時代には、トスカニーニやフルトヴェングラーのレコードが時に奪い合いになるほどよく売れたという話だ。名盤も多く、トスカニーニ(1936、1950年代盤)、フルトヴェングラー(1943、50年盤)、カルロス・クライバー(1976年、1983年)などと伝説の巨匠たちが、複数の演奏を残しており、聴き比べの面白さにも事欠かない。

 今回ご紹介する、トスカニーニとニューヨーク・フィルの演奏は、トスカニーニ特有の気迫、情熱とともに、客観性、造形にも優れる、この曲の古典的名演と形容できる。トスカニーニには、1950年代のNBC響との「全集」からの録音もありますが、ニューヨーク・フィルの指揮者最後の年となったこちらの盤石な演奏のほうに軍配を上げるものです。

 

 下の録音は今までのいかにもSPという音ではないマスタリングになっていて非常に聞きやすくなっています。

 

 

 

なつやすみ所蔵企画
えともじ展 文字で読み解く美術の世界



 今回はちよっと変わった切り口の所蔵展だったのですが、チラシの裏にはちょっと気になる囲みがありました。追悼展示「今井龍満」の名前があります。小生はこちらの方が気になりました。なんとなれば2年前にこの今井龍満氏の展覧会に出かけていたからです。まあ、そんなこともあり出かけてみる気になりました。絵画や彫刻などの美術作品の中には、漢字やひらがな、アルファベットといったさまざまな文字を見つけることができます。画中のモティーフとして登場する街角のポスターや書籍、コラージュされた印刷物、歌仙絵に記された歌、陶作品の文字模様など、作品の中の文字はテーマや舞台、モティーフの意味について、私たちの想像力をかきたてます。また、絵の片隅やカンヴァスの裏に書かれた画家の個性豊かなサインや数字、保管箱の箱書きは、作者や時代、伝来などの貴重な情報を伝え、その字には画家や所蔵者といった作品にかかわる人々の思いまで表れているかのようです。
 

  本展では、絵画、彫刻、工芸など文字に焦点を当てて選んだ約70点に加えて、箱や軸などの付属品を交え展示し、美術を取り巻くさまざまな文字から、コレクションを読み解きます。


①文字もよう

 陶芸作品の意匠には、巧みに文字を取り入れたものがあります。模様の中に紛れ込ませるように文字を記した作品や、表面にひとつの字を大胆にデザインした作品などが例として挙げられます。
松竹梅をモティーフとする《青花松竹梅文大壺「大明嘉靖年製」銘》では、模様として描かれたうねる木の枝によって「寿」などの字が形づくられました。


 

②絵の中の文字

 風景画の中の看板やポスター、室内画の書籍というように、絵の中のモティーフにはさまざまな文字を見つけることができます。
島田章三《博物館》では印刷物がコラージュされました。切り取り、貼り付けられた文字からは主題である博物館の陳列品の情報や書籍の題名がわかり、展覧会のテーマまで想像できます。背景の看板に大きなアルファベットが書かれた国吉康雄《道化(舞踏会へ)》、雑誌や楽譜が組み合わされ、貼られた島田鮎子《散歩道》では、作品全体の一要素として文字を取り入れ、絵を構成したことがうかがえます。
画中の文字から作品の世界を読み解き、紹介します。

 

 

島田章三 《博物館》1971


国吉康雄 《道化(舞踏会へ)》1950

③書と画の交流

 

 優雅にあるいは力強く文字を表現する日本の書は、国内外で美術作品と関わってきました。日本の書に影響を受けた画家のひとりであるスペインの画家ミロは、《女と鳥》において墨汁を垂らしたかのような表現を用いています。今年は春先に東京都美術館で「ミロ展」を見て来ていますので彼の作風の変遷は理解しているつもりです。下は1972年の作品です。

 

ミロ 女と鳥 1972

 

 このほか、短冊に筆を走らせまさに歌を詠もうとする女性の姿を捉えた葛飾応為《夜桜美人図》が見ものでした。北斎の娘で父親を手伝っていたがために彼女の作品は多くは残っていません。そんな中でこの《夜桜美人図》は注目に値しました。これは、長らく行方知らずだった作品で現在はこのメナード美術館が収蔵しています。作品は8月17日までの前期展示の作品ですからお見逃しなきようお出かけください。小生にとってはこの作品が、今回の展示の一番の目玉でした。

 

葛飾応為 19世紀中頃

④芸術家たちの記した文字

高村光太郎《鯰》1931 

 

 

⑤追悼展示 「今井龍満 Ryuma IMAI」

 

今井龍満 《Dragon (blue)》2024 

 

「偶然を生きるものたち」をテーマに動物を描いた今井龍満。精力的に活動を展開する中、2025年2月に48歳の若さで急逝しました。

当館で2023年夏に開催した個展は、今井にとってはじめての本格的な個展で、ゆれる線と鮮明な色彩による表情豊かな動物たちが、多くの人々を魅了しました。

このたび、当館所蔵品から今井が描いた動物たち約15点と個展の際に彼が選んだ西洋絵画3点を展示し、画家・今井龍満を偲びます。

 

2023年の展覧会で展示されていたものが今回も展示されています。

 

 ただ、チラシに告知している割には1室全部彼の作品の展示で埋まっているわけではないのでやや、中途半端な内容になっていたのが残念でした。

 

 

組曲「惑星」

チャールズ・グローヴス/ロイヤル・フィル

 

曲目/

ホルスト「惑星」

1.火星(7:41)

2.金星(8:21)

3.水星(4:03)

4.木星(8:13)

5.土星(8:57)

6.天王星(5:54)

7.海王星(8:56)

 

指揮/サー・チャールズグローヴス

演奏/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 フィルハーモニア合唱団女声コーラス

 

録音1988/07 ワトフォード・タウン・ホール

P&E: ブライアン.B. カルバーハウス

 

Castle Communications CIRRUS CICD1015

 

 

 1992年6月に亡くなったグローヴスの最後の録音だそうです。いろいろな発売元からリリースされていますが、このCDは最初期のものです。CDの解説はジェフェリー・ロングという人物が書いているのですがそのコピーライトが1987年になっていますから多分最初のリリースでしょう。この「Castle Communications」は1983年にテリー・シャンド、クリフ・デーン、ジョン・ビーチャーによって設立されたイギリスの独立系レコードレーベル兼ホームビデオ配給会社でしたが2007年に活動を停止しています。もっとも、ロックを中心として活動していましたからこのCDは珍しいレパートリーと言えるでしょう。

 

 ところで演奏しているロイヤルフィルは調べてみるとレコード時代は一枚もこの「惑星」の録音を残していません。172種の「惑星」の録音を網羅していると思われるこちらのサイトでもステレオ以前は一枚も紹介されていません。イギリスのオーケストラでは珍しいといってもいいでしょう。ところがCD時代以降になると7種の録音がリリースされています。

 

プレヴィン-テラーク 1986

グローヴス-Castle Communications 1987

ジェームズ・ジャッド-DENON   1991

ヴァーノン・ハンドリー-インターサウンド 1993

マイク・パット-ギルド 1993

オーウェン・アーウェル・ヒューズ-apex   2004

フランク・シップウェイ-DENON    2009   

 

 プレヴィンの録音も所有していますがテラークらしくない冴えない録音でしたのでコレも期待していなかったのですが、意外や意外冒頭の「火星」から爆演が繰り広げられます。以前取り上げた「人生の50枚」でもこのCDをリストに入れているほどです。ただ、この時はこのCDは記事としては取り上げていませんでした。ほとんど世の中ら知られていませんし、基本としているYouTubeの音源がなかったからです。ですが、最近はやはりこの音源がアップされています。そんなことで演奏の確認ができますので取り上げた次第です。

 

 この録音プロデュース兼エンジニアをブライアンカルバーハウスが勤めています。結構この人の録音は素晴らしいものが多く、このブログでも以前ワルター・ジュスキントのコダーイのアルバムを取り上げていますということで、この演奏も大変素晴らしい録音となっていました。

 

 ロイヤルフィルといえばポップスからクラシックまで幅広い活躍をしているオーケストラですが、その演奏には結構ムラがあり、やっつけ仕事的なものも多いのですがこのアルバムは多分ピカイチのレベルではないかと思われます。そして、グローヴスの残した録音の中でも10指に入るものだと思われます。

 

 加えて、録音が素晴らしいのです! 馬力のある録音で、ケトルドラムのにぎにぎしい響きと、重厚な低音からきらめくような光まで見事に捉えています。また普段はあまり聞き取りにくいオルガンの響きですが、この録音ではその重低音部分をしっかりとサポートしています。まぁ、マイナーなところからの発売でしたから、日本では全く話題にならなかった演奏ではありますが、ネットで確認するとあちこちでやはりこの録音演奏が賞賛されています。

 

 プロデューサーを務めているカルバーハウスは、1972年まではEMIの所属でした。それ以降はフリーになってこういう録音を数手がけています。フリーになった頃は、彼はエンリケ・バティスの録音を結構手広く行っていたようです。EM Iの録音の中でも、彼の手がけたものは結構ダイナミックな録音のものが残っているような気がします。まぁそういう経緯もあり、このレコーディングは最初のスネアドラムの打ち込みからして興奮物です。バイオリン軍のコルレーニョ奏法による調べに乗って、左右1杯に広がったステレオの臨場感のある演奏が、スピーカーの間の音場を作り上げています。この戦いの音楽を表す楽章は名演が多く、過去にもいくつか取り上げていますが、ここまでの爆演型はなかなか出会うことができません。打ち鳴らされるドラの音も強烈で、まぁ最初から惑星の世界へ借り立ててくれます。

 

 

 火星の冒頭の弦楽群のコル・レーニョのリズムがステージいっぱいに拡がって展開します。ここに打楽器軍のスネアドラムの刻み、ティンパニのトレモロ、そしてドラの響きといやが上でも不気味さが漂う中をタフな金管群が咆哮します。ややハイ上がりかなとも感じますが、重厚な低音から煌めくような高音まで見事に捉えて再現します。コーダ付近で現れるオルガンの響きも聞き取れない録音が多い中ここではしっかりと聴き取れます。

 

 金星は朗々たるホルンの独奏で始まります。続く木管による柔らかい響きと、さらにハープの優しい調べが、前曲の騒々しさをかき消すような甘いメロディーを繰り広げます。テラー区はワンポイント録音でしたが、ここではマルチマイク録音がしっかり寄与しています。プレヴィンの録音から1年後ですから、オーケストラはその音作りをしっかり学習していたのでしょう。また、1985年から音楽監督をしていましたからオーケストラのレベルも上がった時期の録音というのもプラスに作用しています。

 

  水星は「金星」に続いてハープやチェレスタがキラキラと輝きます。もはや木管のアクロバティックなアンサンブルに驚くこともありません。終結も生真面目に閉じます。もっとコミカルでもよかったかな。

 

 木星は最近は、火星よりも、この木星の方が演奏される機会が多いのか、単独で取り上げられることもしばしばです。チャールズ・グローヴスという指揮者は、イギリスでは中堅でEMIには結構録音が残っていますが、日本ではあまり紹介されることがなかったように思います。ただBBCのオーケストラと結構長く付き合っていましたので、イギリス音楽には精通していたでしょう。それゆえこのホルストも実演では、何度も演奏したことがあるのでしょう。ただ、ここでは組曲の中の一曲としてのアプローチです。結構早めの店舗でぐいぐい突き進んでいきます。通常中間部アンダンテ・マエストーソでは、ここでテンポをぐっと落とし「お涙頂戴」的な演出になる演奏が多々ある中で、これらとは全く次元が異なります。

 

 土星は神秘的な開始から、コントラバスが第1主題を奏で、老年の衰えを仄めかします。全楽章の中で一番演奏時間の長い楽章で、ホルスト自身は一番気に入っていたのがこの楽章です。智勇幹部以降はフルートとハープが活躍しますが、通常はフルートの戦慄線を浮かび上がらせ、ハープは添え物的に鳴らすことが多いのですが、ここではハープの和音の中をフルートの調べが謳っています。改めて聴くとハッとさせられるところです。なんか土星の輪(ハープ)の中をフルートが遊泳しているような響きです。

 

 天王星ではロイヤル・フィルの金管群が大暴れします!特にホルンと弦楽のそうする第2主題はゾクゾクします。そして続くチューバのオクターブ・ユニゾンが登場すると最高潮に達します。ただ、この演奏、最後の前奏の部分だけが別撮りのようて、わずかに編集ミスがあります。

 

 最後の 海王星は冒頭でフルートが第1主題を奏で、美しい響きがハープ、弦、チェレスタによってひとしきり続きます。途中から女性コーラスが加わりますが、歌詞のないヴォカリースで歌われます。この部分ホルストの指示では「合唱団は、隣の部屋に置く。部屋の扉は、曲の最後の小節まで開けておき、ゆっくりと静かに閉じる。合唱団、扉、副指揮者達(必要な場合)は、聴衆から完全に見えないようにする」と指示が書かれています。まあ神秘的ですなぁ。

 

 さて、幻想的な惑星ですが下の音源で多少なりとも管さがわかっていただけたらなぁと思います。残念ながらこの演奏は今は廃盤になっています。
 

 

隙あらば猫 

町田尚子絵本原画展

 

 

 期待したわけではないのですが、ちょうど時間が取れたので、はるひ美術館へ出かけました。ここはこじんまりとした美術館ですが、なかなか工夫をされた展示でいつも感心させられます。
 
 今回は猫をテーマにした展示ということで猫だらけと言う気がしたのですが、実際はそうではありませんでした。つまり、町田尚子と言う絵本作家の展示会です。確かにご本人が猫を飼われていると言うことで、それが中心ではありますが、必ずしも全部が猫と言うわけではありませんでした。反対にそれが少し救いでもありました。
 
 出かけたのは土曜日ということで、結構親子連れの鑑賞者が多かったのもこの美術館の特徴です。なんとなれば2階に絵本がいっぱい置いてありますし、企画と関連したテーマで、子供が自由に絵本を読んだり、また折り紙を折ったりすることができるスペースが設けられているからです。
 
チケットと折り紙で作成した猫
 

美術館入り口

 

天井からのタペストリー

 
 画家・絵本作家の町田尚子は、絵本の物語を繊細なタッチと大胆な構図で描くことで、その文章が生きる空間を表現し、高い評価を受けています。そうした町田の絵本には、所々に猫の姿が描かれています。
町田尚子の座右の銘は、「隙あらば猫」。童話や遠野物語、怪談絵本など、様々な物語の中で猫を主人公として、時に脇役として登場させています。描かれた猫たちは、毛並みから仕草まで緻密に表現され、猫と共に暮らす町田の観察眼の鋭さ、そして猫を慈しむ眼差しが感じられます。
本展は、デビュー作から『ネコヅメのよる』『なまえのないねこ』『ねこはるすばん』などの代表作、そして最新作まで17冊の絵本原画や絵画、貴重な制作資料を展示します。本展では、『ネコヅメのよる』『なまえのないねこ』『ねこはるすばん』などの代表作をはじめ、デビュー作から最新作まで約160点の絵本原画を、ラフスケッチなどの貴重な制作資料と合わせて紹介するとともに、当館を題材とした描きおろし作品も展示いたします。
 

そして、会場入り口にはこの会場のための書き下ろし作品が展示されていました。

 

美術館中猫だらけです。

 

普段は打ちっぱなしのコンクリート壁にも猫が闊歩しています。

 
 

作者は猫以外の動物の絵本も書いています。

 

全部の猫が上を見上げています。壮観です!!

 

 

 
 

 

作者の絵本が2階スペースでは自由に読むことができます。

 

名古屋場所がありタイムリーな「どすこいみーちゃん」と写真が撮れます。

 

町田 尚子(まちだ なおこ)画家・絵本作家

 

 1968年東京都生まれ。武蔵野美術大学短期大学部卒業。2007年に『小さな犬』で絵本作家としてデビュー。『いるの いないの』『さくらいろのりゅう』『ざしきわらし』などの絵本を手がける。近年では『ネコヅメのよる』『なまえのないねこ』『ねことねこ』『ねこはるすばん』『どすこいみいちゃんパンやさん』など、猫が主人公の絵本を制作し、人気を博している。作品集に『町田尚子画集 隙あらば猫』がある。

 

 

『ねことねこ』原画 こぐま社 2019年

『ねことねこ』原画 こぐま社 2019年

 

『わたしのマントはぼうしつき』原画 岩崎書店 2021年

『わたしのマントはぼうしつき』原画
岩崎書店 2021年

 

『なまえのないねこ』原画 小峰書店 2019年

『なまえのないねこ』原画
小峰書店 2019年

 

『ねこはるすばん』原画 ほるぷ出版 2020年

『ねこはるすばん』原画
ほるぷ出版 2020年

 

『小さな犬』原画 白泉社 2007年

『小さな犬』原画
白泉社 2007年

 

『いるの いないの』原画 岩崎書店 2012年

『いるの いないの』原画
岩崎書店 2012年

 

 そうそう、今日、7月27日は作家本人が来館してサイン会が開催されています!! 時間は13:00  14:00  15:00です。
 

 ミュンヒンガーの「四季」

 

曲目/

ヴィヴァルディ/四季 作品8、1-4
1.第1番 「春」 No.1 : SPRING (10:54)(Alegro - Largo - Alegro)

2.第2番 「夏」 No.2 : SUMMER (10:59)(Alegro non molto - Adagio - Presto)
3.第3番 「秋」 No.3 : AUTUMN (12:10)(Alegro Adagio molto - Alegro)
4.第4番 「冬」 No.4 : WINTER (9:45)(Alegro non molto - Largo - Alegro)

 

指揮/カール・ミュンヒンガー(指揮)
演奏/シュトゥットガルト室内管弦楽団

ヴァイオリン/ウェルナー・クロツィンガー

 

録音/1958/05 ヴィクトリア・ホール、スイス

 

英デッカ SPA201

 

 
 昨日取り上げた、カール・ミュンヒンガーの四季をゲットしていましたので取り上げることにしました。この録音について調べてみると、ミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団が、ヴィヴアルディの「四季」を最初にモノラルLP として録音したのは1951年でした。(米国でL P が登場したのは1950年春。) ヴァイオリン独奏はラインホルト・バルヒェットが受け持っていましたが、このアルバムは初め輸入盤として1952年ごろにはわが国にも少量がはいっていたようです。ffrr というロンドンのすぐれた録音で注目されましたが、このころはまだ録音特性がバラバラで標準のRIAAではなかったようです。
 
 日本プレスとしてこのLP が発売されたのは1958年(昭和33年) 6 月で、番号はLB - 13でした。そのころのベスト・セラーのーっとなったことは言うまでもありません。イ・ムジチの四季もまだ、このころはモノラルしか出ていませんでした。多分認識としてはこの頃はそれ以前にも「四季」はSP レコードとしていくつかあったようですが、この曲がわが国をはじめ、欧米でにわかに愛聴されるようになったのは、やはりミュンヒンガーのこのモノラルL P の出現が大きく貢献したことは間違いないところでしょう。
 

 この1958年はすでにステレオ録音はソースとしては登場していました。デッカも1954年ごろから試験録音をしていましたのでミュンヒンガーも直ちに「四季」を再録音しました。この録音は、1958年5 月にスイスのジュネーヴにあるヴイクトリア・ホールで収録され、わが国では1959年の2月28 日にSLB - 1 という番号で発売されています。この1958年というのはデッカにとっては転機でヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格としてが45/45方式を採用したのを期に、自社で開発したV/L方式を断念し、西独テルデック社に45/45方式のステレオ・カッターを注文してカッティングを開始しています。そして、この番号からも解るように、これはキングレコードのロンドン・ステレオ盤の第1号でした。しかも前出のモノラル盤からわずか約9ヵ月後の発売で、ヴァイオリン独奏は、ウェルナー・クロツィンガーに変りました。

 

 ところで、ミュンヒンガーはシュ卜ゥットガルト室内管弦楽団とともに、"四季" の録音を英デッ力に3種残しています。
 1. 1951年モノラル録音 Vn ソロ バルヒエット
 2. 1958年ステレオ録音 〃  クロツィンガー
 3. 1972年  〃    〃  クルカ
このアルバムは、2の1958年録音のもので、翌1959年2月、ロンドン・ステレオの第1回のその第 1号(SLB-1)としてキングレコードより国内発売されました。勿論、日本での "四季" の最初のステレオ・レコードでもありました。ちなみにアーヨのステレオによるイ・ムジチ盤は1959年4-5月の録音でしたから発売はその後でしょう。

 

image

 

 手元にあるのは英デッカ盤で、レコード番号こそはSPA201ですが、原盤はZAL4035-4Wというスタンプがあります。つまりはマスターテープから4回目のスタンパーで製作されたものという事で、オリジナルのマスターに近い音がするという事です。この最後のWはHarry Fisherというエンジニアがマスターを製作していることが分かっています。


 クロツィンガーは当時のシュトゥットガルト室内管弦楽団のコンサート・マスターであり、前回のバルヘットに優るとも劣らない流麗なソロを聴かせています。注目したいことは、このソロのステレオ音場での定位(位置)がやや左寄りにあるところです。これは実際の演奏会での第1ヴァイオリンの卜ップの位置で弾いていることを意味しています。当時のデッカはもう3本マイクでのデッカツリーでの録音を使っていたのでしょうか。どうも、最近の「四季」の録音では、ソロ・ヴァイオリンは中央に定位しているものが多いようで実際の演奏を聴くのとでは違和感がありますからねぇ。

 

 録音は最初にFFSSを最初に標榜したレコードです。それまではFFRRでしたからねぇ。スイス・ロマンド管弦楽団の使うホールで録音しているということは残響も含めて最良のバランスを狙ったのでしょう。演奏自体は全体に遅めのテンポで、「春」の冒頭からしてイ・ムジチの演奏とずいぶん違いかっちりとしたリズムでまさにドイツ的「春」です。一音一音しっかりと置いて刻んでいきながらヴィブラートはしっかりとかけています。テンポの遅さもあってフレッシュ感は全くありませんが、不思議なもので古臭いとか鈍重だと感じさせないところ枷この演奏の妙味でしょう。

 つづく「夏」も聞いた感じではギラギラ輝く太陽のイメージとはほど遠いのですが粘りのあるフレージングでじっとり蒸し暑い日本の夏を感じさせます。多分このテンポで今演奏されたら聴衆はびっくりするのではないでしょうかねぇ。この「四季」にはソネットがついていますが、その夏は次のようになっています。

 

‘かんかんと照りつける太陽の絶え間ない暑さで人と羊の群れはぐったりとしている。松の木も燃えるように熱い。カッコウの声が聞こえる。そしてキジバトの囀りが聞こえる。北風がそよ風を突然脇へ追い払う。やって来る嵐が怖くて慄く。”

 

 これは夏の第1楽章のものですが、まさにこの状況を描写音楽風に演奏しているのがこのミュンヒンガーなのでしょう。第3楽章などはヴァイオリンの一瞬一瞬の“間”に続いての絶え間ない音の連続が荒れる嵐を表現しているように聴こえます。

 

 また「秋」などは今の演奏だと特にすっきりメロディアスに演奏しうっとりさせてくれるものが多いのですが、ミュンヒンガーだと「春」と一切変わらず妥協無くあくまでヴァイオリン協奏曲として演奏しています。ここの第1楽章のソネットは

 

“夏の季節が終わり、嵐の心配もなくなった。小作農たちが収穫が無事に終わり大騒ぎ。ブドウ酒が惜しげなく注がれる。彼らは、ほっとして眠りに落ちる。”

 

 ってなもんてせ空かせ、多分ミュンヒンガーは葡萄酒をビールに置き換えて演奏しているように感じさせます。クロツィンガーのヴァイオリンは指揮者の要望にそい、オーケストラの一部となって「巧い」「美しい」ということも感じさせず「四季」の骨格として機能しているように思われます。特に第3楽章は極端な遅さの中で旋律線を浮かび上がらせながらこの遅いテンポで「秋」の狩の様子を表現しています。

 

 この演奏でチェンバロは秋の第2楽章以外はあまり目立ちません。「冬」の第1楽章でも通奏低音としての役割に徹しています。まだ、この時代は自由闊達な即興演奏は考えられなかったのでしょうなぁ。よく単独で演奏される「冬」の第2楽章のラールゴもクロツィンガーは名旋律を緊張感を途切れさせずゆったりとしたテンポで聴かせてくれるのは見事です。技巧と音色勝負の今のヴァイオリニストでは無理な芸当でしょう。

 

 

 このレコードも下部に広告が掲載されています。サンプラー的なものとしては2ケタ台にさすがイギリスというべきブリテンのものとオペラのデッカという事でイタリアオペラものがラインナップされています。子のチョイス基準はちょっとわかりませんが、ルジェ―ロ・リッチのメンデルスゾーンやセルのヘンデルもの、そしてモントゥーのエルガーがシリーズに組み込まれています。果たしてこれらのアルバムはイギリスではあまり売れなかったので投入されたのでしょうかねぇ。

 

 

この他で取り上げているSPAシリーズの記事です。

 

 

 

 

ミュンヒンガー2回目の取り上げた録音

 

 

ミュンヒンガー3回目の録音