geezenstacの森

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音楽に美術たまに映画にパソコン、そして読書三昧のブログです

人生の峠を越えはや70代に突入し、ここで一度過去を振り返って整理してみようと思い立ち、10代の青春時代に立ち戻って新たにブログをしたためます。
人生いつでも「往去来今」

内容は雑多です。音楽と美術たまに映画やパソコン、そして読書三昧のブログです。

プレヴィン

LIKE PREVIN!

 

曲目/

A1. Rosie Red    4:37
A2. If I Should Find You    4:22
A3. Sad Eyes    6:31
A4. Saturday    6:25

B1. Tricycle    6:02
B2. I'm Mina Mood    8:24
B3. No Word For Dory    3:25
B4. Three's Company    5:35

 

パーソネル/

ピアノ/アンドレ・プレヴィン

ベース/レッド・ミッチェル

ドラムス/フランク・キャップ

 

録音/ 1960/02/20,03/01  コンテンポラリースタジオ ロスアンジェルス

P:レスター・ケーニッヒ

E:ロイ・デュナン、ハワード・ホルツァー

 

Contemporary Records – S7575

 

 

 アンドレ・プレヴィンの3枚目のジャズアルバムです。このアルバムの特徴は全曲プレヴィンのオリジナル曲だという点です。1960年2 月20日と3月1日にロサンゼルスのコンテンポラリー レコードのスタジオで録音されました。このあとプレヴィンは1962年にCBSにもアルバムを残します。そちらは別途取り上げています。

 

 

 さて、ブレヴィンはこの「Like Previn!」が録音された当時、プレヴィンは31歳で、すでに30本以上の映画音楽を手がけており、「恋の手ほどき(ジジ)」(1958年)と「ポーギーとベス」(1959年)で2年連続アカデミー賞を受賞した直後の作品でした。聴いてみると、プレヴィンのピアノの冴えは相変わらずで、この時代ヘンリー・マンシーにも映画音楽を描いていてさらにピアノも弾くという点ではどこか張り合っていたのではないかと勘繰ってしまいます。マンシーニにもジャズ寄りのアルバムを発売していますからねぇ。

 

 ウェストコースとジャズとして華麗にスイングする音はとても魅力的です。昔は何となく楽しいだけのジャズは敬遠していたのだけど、「楽しくスイング」のジャズって疲れたときにはいいものです。それに加えて、レッド・ミッチェルの手堅いベースが刻む音が心地よく響きます。このLPのB面でのプレヴィンとの丁々発々のやりとりは、後年の高音をやたらとギターみたいに弾く連中とは異なる低音でブロウする快感に満ちています。

 

 ベーシストのレッド・ミッチェルとドラマーのフランキー・キャップの素晴らしいサポートを受け、プレヴィンはオリジナル曲で一貫してスウィング感あふれる演奏を披露しています。収録曲はどれもヒットしなかったものの、ビバップを基調とした、しっかりとしたバラエティ豊かな楽曲集となっています。冒頭を飾る「Rosie Red」のようなブルージーでありながら洗練された響きなど、キャッチーで小粋なメロディの中に映画音楽で培われた緻密な構成力が光り、ソングライターとしてのプレヴィンの魅力が爆発しています。耳当たりは柔らかいのに、聴き込むほどに細部の工夫が見えてくるタイプの作品です。

 

 このレコード、Side 2の3曲目に収録された"No Words for Dory"がとにかく絶品です。静かなバラードなのですが、とにかく切なく美しい演奏です。このDoryって誰かと思ったら、裏ジャケの解説を見ると、当時の妻ドリー・プレヴィンのことだということです。妻に捧げた曲なのか・・・そりゃ、完璧な曲、完璧な演奏じゃなきゃマズイでしょうなぁ。ちなみにプレヴィンは5度結婚しています。この後、クラシック界で活躍し出した時は女優のミア・ファローと結婚して3人の子供を儲けています。ジャズ時代のプレヴィンも良いものです。

 

 

 

 

 

 

 

フリッツ・ライナー

ブラームス交響曲第4番

 

曲目/

ベートーヴェン/エグモント序曲* 7:28

ブラームス/交響曲第4番ホ短調Op.98

I. Allegro non troppo  11:11 

II. Andante moderato  12:40 

III. Allegro giocoso  6:28 

IV. Allegro energico e passionato  9:44

 

指揮/フリッツ・ライナー

  ルネ・レイボヴィッツ*

演奏/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1962/10/02.03.05

  1962/10/06* ウォルサムストウ・タウン・ホール

P:チャールズ・ゲルハルト

E:ケネス・ウィルキンソン

 

CHESKY   CD6

 

 

 1988年に発売されたCDです。1960-80年代にリーダーズダイジェスト社のために録音されたものです。リーダーズ・ダイジェスト社は、ステレオ初期に自社企画のクラシックLPも取り扱っており、数々の名盤を世に送り出しています。コンサート・ホール・レーベルと似ていますが、最も異なるのはその音質。クラシックのレコードを、高いステイタスを持つアイテムとして捉え、サウンド・クオリティを重視したリーダーズ・ダイジェスト社は、その制作を高音質で知られた米RCAに依頼したのです。さらに、RCAは当時、英DECCAと提携関係にあったため、プロデューサーがRCAのチャールズ・ゲルハルト、エンジニアがDECCAのケネス・ウィルキンソンという夢の組み合わせも実現(他のプロデューサーとエンジニアはみなDECCAです)。リーダーズ・ダイジェスト社は大規模なプロジェクトを推進するにあたって音源制作(と製造)をRCAに依頼。プロデューサーにRCAのチャールズ・ゲルハルト、エンジニアには当時RCAと提携関係にあったデッカのケネス・ウィルキンソンら有名なベテランが名を連ねており、そのためステレオ初期ながら一貫して高いクオリティが保たれています。下の画像は、手前がゲルハルト、奥がウィルキンソンです。

 

 

 オーケストラはどちらもロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団です。この当時オーケストラは囲い込みでそれぞれのレコード会社が専属性を採用していました。その中でこのロイヤルフィルはその専属に属していなかったため、比較的容易に使用することができました。この1961年はビーチャムが1960年6月に心臓発作に倒れ、後任にルドルフ・ケンペを指名して引退。翌1961年3月8日に死去しています。ということでトーマス・ビーチャムの遺志により、残されたオーケストラを支えるも、楽団が「ロイヤル」の称号返上を余儀なくされ、運営困難となって1963年に一度退任しています。

 

録音風景、デッカのデッカツリーが使用されています

 

 レイボヴィッツによるこの録音は一連のベートーヴェン交響曲全集の一環の中で行われています。そして、このエグモントが螺旋集の最後を飾る録音でもありました。この全集は、ピリオド演奏が盛んになる前に最初にメトロノーム記号による店舗で録音されたものなんですが、一般発売がされなかったためにほぼ忘れされています。ここでもキビキビとしたテンポ運びでそれでいてロイヤルフィルから重厚なアンサンブルと響きを引き出しています。注目は次のライナーのブラームスの小田4番の翌日に録音されているということです。アンサンブルは完璧を維持し録音バランスも完璧という状態で収録されています。

 

 

 さて、ライナーのブラームスです。ライナーはブラームスをあまり重要視していなかったのか交響曲はほとんど録音を残していません。この4番もNBC交響楽団と1947年に録音したきりで、さらに1番有名な交響曲第1番に至っては録音さえも残していません。そんなライナーのブラームスの演奏ですがこれは隠れ名演です。ライナーは1960年10月7日(シカゴ交響楽団の1960-61年シーズンが開始される直前)、心臓病の発作をおこして入院、すべてのコンサートをキャンセルして療養します。翌1961年3月30日、シカゴ交響楽団の指揮台に復帰するも(その時の曲目はベートーヴェンの「交響曲第6番『田園』」等)それ以降は指揮台で椅子を使うなど、指揮活動に制限が加わりました。

1962年からはシカゴ交響楽団音楽監督の任期満了により、同楽団音楽顧問に就任。同年10月イギリスを訪れ、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とこのブラームスの交響曲第4番の録音を行なっています。

 

 この録音のプレイバックを聴いて、ライナーは「これは私のこれまでのレコードの中で最も美しいものだ。とても気に入ったよ」と述べたと伝えられています。第1楽章は「Allegro non troppo」の指示で書かれています。これはAllegro のテンポで、Allegro らしい感じがするはずです。一方、これより遅かったらAllegreを使うはずです。ですからAllegrettoはもう少しゆったりとした感じでしょう。で、このライナーの解釈はかなりアレグロ寄りです。微妙な違いだし、解釈によっては境界線が曖昧になることもありますが、この定義でいくとだいたい11分台がそのテンポではないでしょうか。調べると1970年台の演奏はだいたい13分台です。1960年代だとミュンシュ、ラインスドルフ、そして御大のトスカニーニがだいたいこのテンポです。このブログでもこの4番はハイティンク、アバド、ワルターと取り上げていますがどうも好印象を持っていません。この交響曲第4番の第1楽章はアウフタクトで始まるのがいけなかったのかもしれません。3度下降し、また3度上昇する主題と相まって、どうも女々しい様な気がして好きになれなかった理由でしょう。交響曲第1番とは全くイメージが違いますからね。それがライナーの印象はその女々しさが全くありません。このテンポ感が良いのでしょう。

 

 第2楽章はAndante moderatoです。ここはじっくりとメロディラインを描いています。それにしてもホルン、そして木管が鐘の音を模したような動機を吹きますが、なんと流麗なんでしょう。この時期のロイヤルフィルは捨てたもんじゃありません。ライナーの要求に僅か3日間で見事に答えているのですからいうことはありません。

 

 Allegro giocosoの第3楽章も快調です。この楽章で登場するトライアングルの響きも実演で耳にする響きと遜色はありません。低音部までしっかりと収録された響きはこれぞブラームスの響きという音を捉えています。 

 

 

 第4楽章も弦のうねりが素晴らしい音で捉えられています。そのライナーの解釈にしっかりと答えているロイヤルフィルもまた申し分ありません。特に金管の咆哮は見事でこの曲の命運を握っています。この楽章ではトロンボーンが活躍しますが、それが良い味を出しています。ブラームスが交響曲第4番のフィナーレに採用した形式、それは「パッサカリア」という形式です。これはバロック時代によく使われた形式で、この楽章ではブラームスはバッハの管楽器で提示されるこの主題は8小節で、バッハのカンタータから着想されたといわれています。楽章全体はこの主題と30の変奏及びコーダから成立しています。そのカンタータは以下の旋律です。

 

 

 この変奏を重ねて、ブラームスは作品を描いています。この楽章のテンポもライナー独自のテンポです。上に挙げた三人の中ではアバドが1番近い解釈をしています。そうそう、カルロス・クライバーも近しいテンポの名演を残しています。

 

 

 

 

  

文月の花
 

 8日に関西地方まで梅雨明けが発表されましたが、東海地方はまだ発表はありません。ただ、愛三岐は梅雨明けしているようです。ということで、今日もピーカンです。

 

 最初は写真では大きさがなかなか伝わりませんが拳ぐらいの大きさの「ジニア」です。

 

 

 その「ジニア」の横の「アメリカ芙蓉」の顔の大きさほどあります。

 

 

 この黄色い小さな花は「ブルネリ」でしょうかね。

 

 

 鮮やかな赤い花は「ペンタス」です。まさに夏の花ですねぇ。

 

 

 こちらはピンクのジニアです。これは普通の大きさでした。

 

 

 キョウチクトウ科の花です。

 

 

 これもジニアです。

 

 

 向日葵は漸く存在感を増してきました。

 

 

 わが家の「藪萱草」です。今年は盛大に咲いています。

 

 

 柘榴の実が育ってきました。

 

 

 こちらも今年は咲き誇ってます。「ヒメヒオウギズイセン」です。

 

 

 紫陽花はすでに花色のピークは過ぎていますが、その間隙をぬって「藪萱草」がどんどん花をつけています。

 

 

 

 

 この「キンシバイ」は咲き残りの一輪です。

 

 

 「桔梗」もどんどん咲いています。

 

 

 葉っぱの割には花が小さい「紫御殿」です。渋い色目です。

 

 

小説 爆  弾 

 

著者:呉勝浩

出版社:講談社、講談社文庫

 

 

 些細な傷害事件で、連行された中年男自称・スズキタゴサクと名乗るその男は「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。直後、秋葉原の廃ビルが爆発。さらに男は告げる。「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。ただの“霊感”だと嘯くタゴサクに、警視庁特殊犯係の類家は情報を引き出すべき知能戦を挑む。炎上する東京。拡散する悪意を前に、正義は守れるか。爆弾魔の悪意に戦慄するノンストップ・ミステリー。---データベース---

 

 今年上半期に話題になった映画「爆弾」については以前記事にしています。

 

 

で、面白かったので小説も読むことにしました。まあ、映画は2時間前後にまとめる必要がありますからストーリーは取捨選択されて改めて脚本が描かれその線で撮影が進められますが、ほとんど原作のエッセンスは映画に盛り込まれていました。多分爆発シーンなどもあり先に映画を見た方がインパクトは強いと思われます。そして、昨年の第49回日本アカデミー賞では11部門にノミネートされ、スズキタゴサクを演じた佐藤二朗氏は最優秀助演男優賞を受賞しました。

 

 2025年11月13日のAmazon売れ筋ランキングでは、10位に呉勝浩の『爆弾』(講談社文庫)がランクインしていましたし、この記事を書いている今でも文庫本になってもミステリー・サスペンス・ハードボイルド (本)で 27位になっています。さらに、2023年には「このミステリーがすごい! 2023年版」と「ミステリが読みたい! 2023年版」でそれぞれ一位となり、第167回直木賞候補作にもなったベストセラー作品でもあります。

 

 物語は、スズキタゴサクという正体不明の中年男が酒屋でトラブルを起こし、警察に捕まるところから始まります。最初は野方警察署の等々力刑事から取り調べを受けます。ありふれた事件に思えますが、取り調べ中にスズキが「自分には霊感があり、秋葉原でなにか事件が起きる」と発言。その直後、秋葉原のビルに仕掛けられた爆弾が爆発します。その後も「1時間おきに3回爆発する」と予言したスズキに対し、警視庁捜査一課・強行犯捜査係の刑事である清宮と類家が臨場し、等々力に変わっては取り調べを開始します。しかしスズキは、自己卑下を繰り返しつつのらりくらりと捜査のプロたちの質問をはぐらかし、さらにまだ爆発していない爆弾に関する謎かけを出題し始める始末です。で気がつくのが、ここで登場するスズキタゴサクがまさに映画で役を演じる佐藤二朗氏を意識して書かれたのではないかというほどマッチしています。そのイメージで小説を読めるほど感情移入できます。このせいもあり、小生は主演の類家役の山田裕貴の演技にはさほど魅力は感じませんでした。

 

 とぼけた表情で「爆発したって別によくないですか?」と言い放ち、舌先三寸で警視庁の刑事たちの常識・良識を揺さぶり倒し、ニヤニヤしながら妙に媚びた態度をとったかと思いきや、突如として激昂したような長台詞を吐き、ころころと表情が変わって掴みどころがどこにもない浮浪者を演じます。見た目は住まいを失った冴えないメタボの中年男、なのに底なしの悪意に満ちているという異色のキャラクターです。これらのセリフもほぼ小説と映画はシンクロしています。

 

 小説版での最大の強みは登場人物の心情がみっちりと書かれている点でしょう。小説はほぼ一人称視点で進んでいきますが、場面によって視点人物が切り替わり、その人物の主観で物語が進んでいきます。その中で、視点人物が何を考えていたのかが細かく描写されています。この細かい描写でどんどん進んでいく映画のシーンの切り替わりで見逃してしまう心情のひだの部分を再確認することができます。このことがあり、第一部を読み終わってもう一度映画でストーリーを追い直すという作業も体験しました。

 

 原作で主な視点人物となるのは、一番最初にスズキの取り調べにあたった中年の刑事・等々力、警視庁から派遣された壮年の刑事・清宮、そして制服警官の若い巡査・倖田である。とある理由で署内の警察官たちから鼻つまみ者として扱われ、刑事としてのやる気を失っている等々力。取り調べのプロとしてスズキに接するも、徐々に翻弄されていく警視庁の特殊犯係刑事の清宮。そして普通派出所の「おまわりさん」でしかなかったはずなのに、スズキの犯行によって修羅場に遭遇してしまう倖田。作中での立場や考え方の変化が大きかった3人を軸にしつつ、それ以外の人物視点でも一連の事件を描いていくのが小説版「爆弾」の特徴です。もう一人、登場人物を集約するという意味で上手い配役を設定しているのは倖田とペアを組んで行動する矢吹という巡査の扱いです。後半でも活躍するこの矢吹を前半でも活躍させる映画は新聞販売店での活躍もこの矢吹に割り当てて尺の圧縮に成功しています。

 

 映像のない小説版では人物の内面が言語化され、どの場面で何を感じ、どう判断したのかが細かく描写されています。心理描写の量と明示度という点では、小説のほうが圧倒的に情報量がく、その結果登場人物の隙をついてスズキがねじ込んでくる「悪の論理」にそれぞれがどう対峙したかが、非常にわかりやすくなっています。小説の第一部は、清宮が鈴木の人差し指をひん曲げ、矢吹と倖田が池尻の羊羹の中で爆発に巻き込まれるところで終わります。

 

 実際、小説でも主要登場人物であるスズキと類家の心の深部にはほとんど触れられていません。逆に等々力、清宮、倖田らの心理描写はやや多く感じられるほどですが、これは「スズキの悪の論理と爆弾を用いた犯行に、彼らがいかに反応したか」が本作のテーマであるということの裏返しなんでしょうなぁ。この心理描写があることから、登場人物の心の動きについては小説版の方がわかりやすいと思う読者も多いはずです。事実、言葉の裏の読み合いにおいては、映画ではあまり感じられなかった類家のスズキの言葉と、どんどん更新される捜査状況から爆発現場の推定に対する読みは的確です。ですから映画版での類家ではあまり類家の凄さを感じなかったのに、小説では清宮から替わってからのスズキへの対応の凄さは逆に際立ちました。そういうところで、映画を観てから小説版を読むことで「あの時、この人はこう考えていたのか…」という答え合わせができるところわきっと感じることができるのではないでしょうか。

 

 小説は第1部の前にプロローグが置かれています。それに対応いるようにこの「細野ゆかり」に関するエピローグも置かれています。ただし、その部分は別に独立はしていません。でも、このエピソードが置かれることで当事者たちとは違う目線でこの小説が語られていくという客観的な俯瞰を感じることができます。

 

 細野は都内の実家に住む女子大生であり、少しコミュニケーションが苦手なものの、基本的にはどこにでもいそうな人物として描かれています。彼女がスズキの犯行によって感情を揺さぶられ、どのようなリアクションを取るかが、小説の随所に挟まれています。

 

 細野は、つまるところ読者である我々である。小説では、それなりの良識と常識を持ちつつ、なんとなく社会に対して鬱屈した気持ちを少しだけ抱えているような、普通の一般市民として描かれています。しかし現代は普通の人間でもSNS上で世の中に対する意見を表明でき、そこで怒りや猜疑心をむき出しにすることが容易にできます。爆弾テロというストレスに晒された時に彼女がどのような行動を取るかを描くことで、作者は我々に対しても「彼女を笑うことができるか?」「自分はこんな行動をとらないと断言できるか?」と問いかけています。それは、スズキタゴサクがSNSを利用し都内で爆弾が爆発することを告知するところに現れています。SNSのカウント数が上がっていくことで第2の動画がアップされ爆弾の爆発のスイッチが入り、安全なのは野方警察署だけというメッセージが流れます。

 

 スピーディーでスリリングな展開を楽しむなら映画版、作品を通して作者が問いかけたかったこと、描きたかったことをより細かく知りたいなら小説版、という棲み分けがなされているとも言えるのでしょう。最後のところは小説の方がリアリティがあり、読者は類家の話に振り回されて真相が二転三転していてどれが真実かわからなくて終わってしまいます。これは続編に続くことを意味していますが、残念なことに小説版は続編がすでに発表されているのに映画版は制作されないことが濃厚になってしまったことです。フジテレビの杜撰な対応で佐藤二朗氏が今後一切フジテレビに関わる仕事をしないとSNSで発表したことから制作が不可能になってしまったからです。「夫婦別姓刑事」の問題で「踊る大捜査線」も降板になることに関してはどうでもいいのですが、この「爆弾2-法廷占拠」が製作されないのでは、こちらは「読んでから見るか 見てから読むか」という楽しみ方ができ無くなってしまったからです。フジテレビはアホなことをしたものです。

 

 

 

 

フレデリック・ストック

シューマン、ウォルトン他

 

曲目/

ブラームス/Symphony No. 4 in D minor Op. 120

1.Ziemlich langsam    8:10

2. Romanze    4:20

3. Scherzo    4:09

4.Finale    7:00

バッハ/前奏曲とフーガ ホ長調 BWV 552 *   15:25

エネスコ/ルーマニア狂詩曲第1番 Op. 11 in A major *   10:58

シベリウス/悲しき旋律 *   4:02

シベリウス/トゥオネラの白鳥*    8:02

ウィリアム・ウォルトン/喜劇序曲 「スカピーノ」*   9:22

 

指揮/フレデリック・ストック

演奏/シカゴ交響楽団

 

録音/1941/04

  1930-1940

 

 

 先日のシューリヒトとセットになっているフレデリック・ストックのアルバムです。お恥ずかし話ですがこのCDを聴くまでストックの存在は知りませんでした。調べてみるとシカゴ響の黄金時代は一般にフリッツ・ライナーとゲオルグ・ショルティと言われていますが、いやいや、このストックの時代も黄金期に含めてもいいのではという気持ちになりました。何しろ第2代のシカゴ交響楽団の音楽監督に1905年に就任すると、そのまま亡くなる1942年までその地位にありました。在任37年はユージン・オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と並んでアメリカ人指揮者の任期の最長記録となっています。また、1941年の創立50周年にはストラヴィンスキーの《交響曲ハ調》、コダーイの《管弦楽のための協奏曲》を依嘱し初演しています。現代音楽の紹介にも積極的だったんですなぁ。このアルバムでも、ウィリアム・ウォルトンの作品でも名演を繰り広げています。

 

 最初はシューマンの交響曲第4番が演奏されています。多分録音が1番新しいのですが音質はイマイチなのが残念なところです。最初聞いた印象はトスカニーニが指揮をしたらこんな演奏になるのではないかという印象を持ちました。ただし、トスカニーニはシューマンの交響曲第4番の録音を残していません。正規のセッション録音は第3番だけのようです。

 

 さて、この時代のシューマンの交響曲の演奏はそれこそ改訂版による演奏が主流で上のトスカニーニさえマーラーの改訂版で演奏しているとされています。とにかくまともには演奏できない代物というのが当時の定説で、多分のこのストックの交響曲第4番の演奏もその例に漏れずマーラーの編曲版による演奏のような気がします。楽器の重ね具合は聴く限りフルトヴェングラーの録音と同じようにも聴こえます。音色はフルトヴェングラーと一緒、演奏スタイルはトスカニーニということでなかなか充実しています。

 

 

 ストックの演奏でバッハのオルガン曲がオーケストラ編曲で聴けるとは思いませんでした。これはストコフスキー版ではなくフレデリック自身の編曲による演奏です。この時期ストコフスキーはフィラデルフィア館のもとで独自の編曲版のバッハを録音していましたから。ストックはそれを自身の編曲でシカゴ響と録音したのでしょう。ここでは弦楽が主体ながらもハープまで投入した豪華な編曲になっています。当時、こういう演奏でストコフスキーに対抗していたとは知りませんでした。なかなかゴージャスなバッハになっています。

 

 

 ストックの同時代の音楽という意味ではこのジョルジュ・エネスコのルーマニア狂詩曲も立派な現代音楽の演奏です。こうして聴いてみると、ストックの現代音楽に対するシカゴ響のオーケストラの能力の把握と共に、主要な旋律を浮かび上がらせるアプローチは今聴いても結構わかりやすい演奏を繰り広げています。これもなかなかいい演奏です。「悲しき旋律」は最初はゆっくりとしたテンペで始まり後半は結構アップテンポで2つの旋律線を対照的に演奏してわかりやすい演奏になっています。

 

 

 つづく2曲のシベリウスも言ってみれば同時代の作曲家です。これらもメロディラインをくっきりと浮き上がらせて面々とオーケストラを歌わせています。

 

 

 

 そして、最後はウォルトンの喜劇序曲「スカピーノ」です。この曲はいかにもウォルトンらしい楽しい作品で、シカゴ交響楽団の創立50周年に委嘱された作品になります。スカピーノは17世紀のフランス喜劇などに登場する狡賢くて軽妙な召使の道化役のことです。ウォルトンはこの人物の原型となったイタリアの即興劇からヒントを得て、さらにジャック・カロの版画集《バッリ・ディ・スフェッサニア》(1622年) に描かれた軽妙な踊り子・道化の姿にも着想を受けたて作曲したとのことです。作品は1940年に完成していますから当時は最新の録音であったことが窺い知れます。これはなかなか侮れない指揮者です。

 

 

 

 

 
 

シューリヒト/ベルリンフィルの「英雄」

 

曲目/

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」

1. Allegro con brio 15:14

2. Marcia funebre: Adagio assai    14:49

3. Scherzo: Allegro vivace    4:17

4. Finale: Allegro molto    10:50

ベートーヴェン/序曲「コリオラン」* 8:25

シューマン/マンフレッド序曲** 10:23

 

指揮/カール・シューリヒト

演奏/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

  ベルリン・シュターツカペレ*

  ロンドン交響楽団**

録音/1937、1941*、1946**

E:Oskar Blaesche Sr.

 

HISTORY   20456 308

 

 

 今回取り上げるのはシューリヒトのアルバムです。シューリヒトの名前を初めて知ったのはブルックナーを聞いてからです。多分最初に買ったのはノンサッチから発売されていたハーグフィルとのブルックナーの7番、その後セラフィムレーベルで発売されていたウィーンフィルとのブルックナーの9番でした。どちらもブルックナーを聞くにはあっさりとした演奏でしたが、素のブルックナーを知るにはいい体験でした。また、その後にパリ音楽院を振ったベートーヴェンの交響曲全集があることを知りましたが、どうしてもパリ音楽院を振るシューリヒトがイメージできなくて、またモノーラル録音ということもあってパスしていました。当時は、クリュイタンスがベルリンフィルでシチーリヒトがパリ音楽院管弦楽団はおかしいだろと思ったのを覚えています。

 

 そして、今回この「THE 20TH CENTURY MASTORS」を手に入れてこのセットにベルリンフィルとの録音があったのでこれは如何にと聴いてみた次第です。そして、これが大当たりでした。確かに録音は1937年と古いのですが、待望のベルリンフィルとの録音ということで期待に胸を膨らませました。そして、案の定シューリヒトスタイルを踏襲しながらの『英雄』は、テンポを大きく揺らすことなく、オーケストラの響きを透明かつ機能的に鳴らしながらも、内側から湧き出る熱いカンタービレと引き締まったリズム感で魅了してくれました。ついでにパリ音楽院(ORTF)との録音も聞きましたが感銘度はこのベルリンフィルに軍配が上がりました。まさに重苦しさを排し、古典的な気品と推進力を両立させたその解釈は、モノーラル時代のそれもSP原盤による演奏としては第一級品です。

 

 

 第1楽章は確信に満ちた和音の打ち込みはしっかりと鳴らしています。そして、テンポは思ったほど早くありません。実に堂々としたアレグロ・コン・ブリオです。のちのパリ音楽院(ORTF)より落ち着いたテンポです。実は1960年代まではこれぐらいのテンポで演奏されていました。イン・テンポでこれだけしっかりとした演奏を聴かせるにはなかなかの力量があったと言わざるを得ません。また、戦前の録音ですから当然のように提示部の繰り返しはありません。個人的に言えばこれがレコード時代に聴いていたごく一般的な演奏です。そういう思いでおも彷彿とさせる演奏です。当然コーダ部分のトランペットの扱いもハンス・フォン・ビューローによる改変版を使用しています。

 

 第2楽章は第1楽章より早い演奏ですがしっかりと葬送行進曲というイメージを具体化させた演奏になっています。淡々とした他早めのテンポで演奏されていることは想像できますが、これほどベルリンフィルからねっとりとしたそれこそ足を引きずるようなアクセントの重たいサウンドをよくベルリンフィルから引き出せた物だと感心してしまいます。この部分をORTFの演奏で聴いてみましたがこのねっとりとした足を引きずる音は再現されていませんでした。やはりEMIはオーケストラの選択を間違えたのでしょう。

 

 第3楽章は快速です。何せ4分台で駆け抜けています。それでもインテンポで間延びした感じはありません。トスカニーニよりも早い演奏です。まあ、ベルリンフィルだからこの速さでもアンサンブルが乱れないのはさすがです。

 

 そして第4楽章は対照的にやや遅めのテンポでじっくりと英雄を締めくくっています。全体の構成を考えた見事な演奏と言ってもいいと思います。こういう演奏を聞かされるとなぜEMIはシューリヒトとベルリンフィルの選択をしなかったのかということが悔やまれます。

 

 

 シューリヒトの「コリオラン」序曲もテンポ的には早めの淡白な演奏です。ただし、こちらはベルリン・シュターツカペレの演奏でアンサンブルが弱く、フレーズの出だしで音が揃わないところが散見されます。

 

 

 これはちょっとソースが不明の録音で、シューリヒトのディスコグラフィを当たるとオーケストラはLPOという表記に加えて録音は1948年という記述もあります。ちなみにシューリヒトとLSOの録音はこれ一曲しかありません。LPOとは他にウェーバーとかベートーヴェンの演奏が確認できます。シューリヒトはシューマンの「マンフレッド」を混んで録音していますが、この演奏はやや緩い方に分類されます。まあ、こういう録音もあるという認識ぐらいにしておいてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

オスカー・ピーターソン 

ウェストサイド・ストーリー

 

曲目/レナード・バーンスタイン

01.何か起こりそう / Something's Coming 3:53

02.サムホエア / Somewhere    5:28

03.ジェット・ソング / Jet Song    7:40

04.トゥナイト / Tonight    4:38

05.マリア / Maria    4:48

06.アイ・フィール・プリティ / I Feel Pretty    4:23

07.Reprise 3:55

 

ピアノ/オスカー・ピーターソン

ベース/レイ・ブラウン

ドラムス/エド・シグペン

 

録音: 1962年1月24日、25日、ニューヨーク

P:ジム・デイヴィス

E:ボブ・シンプソン

Verve    V6-8454

 

 

 ジャズ・ピアノの巨匠オスカー・ピーターソンが、バーンスタインの名作ミュージカルを極上のトリオでアレンジした1962年録音の傑作ジャズアルバムです。名手レイ・ブラウンのベースとエド・シグペンのドラムを従え、「トゥナイト」などの名曲をエネルギッシュかつ端正に昇華させています。ブレヴィンの知的な解釈に比して、こちらはビ・バップのノリのいい演奏を繰り広げています。

 

 

 

 1曲目の「Something's Coming」から、その演奏に感心することしきり。早いテンポで端正でダイナミックなピアノに、ハイテクニックで太いベース、着実かつ柔軟なドラムが絡んでいきます。この頃の録音は楽器によって定位がはっきりしていて、ドラムスは左、ピアノは中央に定位し、ベースは右に展開しています。そのため各楽器のバトルが手に取るように聴こえます。そんな演奏に乗って、これから何かがおこりそうな微妙な不安感と期待感が表情豊かに表現されています。なんだか、指を鳴らした、ちょいとクールな若者たちが出てきそうな、そんな感じがするスケールの大きい演奏になっています。惜しむらくはフェイド・アウトになっている点できっちりと起承転結でまとめて欲しかったことです。

 

 2曲目の「Somewhere」ではレイ・ブラウンが弓を使ってベースを引く場面があります。これがまた実にいいのです。ノン・ヴィヴラートで奏でられるメロディには聴き入ってしまいます。

 

 3曲目の「Jet Song」は上手くアレンジされていて、「この曲、こんなに良い曲だったんだ」なんて感心します。そして、ハイライトは、やはり、4曲目の「Tonight」でしょう。この曲は「ウエストサイド物語」の中でも、最も有名な曲で、「ウエストサイド物語」は良く知らなくても、この曲はどっかで耳にしている人が多いのではないでしょうか。この優しくダイナミックな曲を、オスカー・ピーターソンは端正なタッチで、実にダイナミックに歌い上げていきます。しかも、バックにはベースの名手、レイ・ブラウンがブンブンブンとベースを唸らせながら、これまた、端正かつダイナミックに、ピーターソンのピアノをバッキングする。ドラムのシグペンは、その2人の隙間を埋めるように、バラエティに富んだドラミングで、リズムをガッチリとキープしています。

 

 7曲目のリプライズは2曲目の「Somewhere」が演奏されています。こちらはフェイドインでのテイクです。ただし、演奏は全くの別物で開始されます。そして、色々な曲がメドレーで並べられています。そして、最後はまた「Somewhere」で締められるという形です。このフェイドインとかフェイドアウトはレコードならではの手法です。ライブでは絶対にあり得ませんからねぇ。

 

 このアルバムを聴いていると、このころのピーターソン・トリオは、「最強のピアノ・トリオ」と呼ばれていた所以が良く判ります。とにかく楽しいアルバムです。特に、ジャズ初心者の方々にとっては、多分プレヴィンのアルバムよりはこちらの方がピアノ・トリオ入門盤としても入りやすいかもしれません。個人的にはこの後のドイツの「MPS」に録音したアルバムは廉価盤にも投入されたこともあってかなり集めました。

 

何か起こりそう 

 

サムホエア 

 

ジェット・ソング

 

トゥナイト

 

マリア 

 

アイ・フィール・プリティ

 
Reprise

 

 

 

 

 

 
 

プレヴィンの

ウェストサイド・ストーリー

 

曲目/レナード・バーンスタイン

1. なにか起こりそう 02:35

2. ジェット・ソング 04:47

3. トゥナイト 05:22

4. アイ・フィール・プリティ 06:46

5. クラプキ巡査への悪口 04:54

6. クール 03:19

7. マリア 05:28

8. アメリカ 04:52

 

パーソネル

ピアノ/アンドレ・プレヴィン

ベース/レッド・ミッチェル

ドラムス・シェリー・マン

 

録音/1959/08/24-25 コンテンポラリースタジオ

P:レスター・ケーニッヒ

E:ロイ・デュナン

 

INTENSE   600337 6(原盤 contemporary)

 

 

 アンドレ・プレヴィンは、作曲家、編曲家、映画音楽、ジャズ・ピアニスト、クラシック・ピアニスト、指揮者。どちらかと言えば、クラシックに軸足がありました。2019年2月に惜しくも89歳で逝去。我が国への関わりは、2009年から3年間、NHK交響楽団の首席客演指揮者として活躍。そんなクラシックな演奏家が、こんな洒落た小粋なウエストコースト・ジャズをピアノ・トリオでやっていたなんて。彼の経歴をライナーノーツで読んだ時、とにかく驚いたことを覚えています。

 

1950年代のアンドレ・プレヴィン

 

 「二足の草鞋を履く男」。アンドレ・プレヴィンは、クラシック・ピアニストであり、ジャズ・ピアニストでもあります。そして、どちらのパフォーマンスも一流のレベルで、こんな音楽家はそうそういない。ここでは、ジャズ・ピアニストのアンドレ・プレヴィンがいます。プレヴィンは、1960年代初頭までは米国ウエストコースト・ジャズを代表するピアニストでもあったのです。

 

 この1959年8月24–25日の録音、ちなみにパーソネルは、André Previn & His Pals = André Previn (p), Red Mitchell (b), Shelly Manne (ds)。アンドレ・プレヴィンのピアノがメインのピアノ・トリオ編成。ベースに名手レッド・ミッチェル、ドラムに名手シェリー・マンが担当している。米国ウエストコースト・ジャズの最強のリズム隊でもありました。タイトル通り、レナード・バーンスタインのミュージカル「ウエストサイド物語」のオリジナルスコアから8曲を選び、ジャズ風にアレンジしています。これがまあ、なんと絶品。「ウエストサイド物語」のジャズ・ピアノ・トリオによるカヴァーは、オスカー・ピーターソンのものが有名だが、そのピーターソンのカヴァーよりも、このプレヴィンの方が内容が濃いです。

 

 プレヴィンのピアノは、強烈なドライブ感が身上なのですが、クラシック出身が故、ファンクネスは希薄。しかし、ジャジーなオフビート、ジャジーなコード進行はしっかりと存在する。タッチは切れ味よく硬質、速いフレーズも難なく破綻なく弾きこなしています。

 

元・コンテンポラリー・レコード・オーナー。
 

 1917年にニューヨークで生まれ、1940年代に映画プロデューサーとして頭角をあらわし、『ローマの休日』などの制作に関わりました。しかし、1953年の赤狩りによってハリウッドを追放されたことを機に、’49年グッドタイム・レコードを設立、1951年に立ち上げた「コンテンポラリー・レコード」に専念しました。彼は高音質なステレオ録音をいち早く導入するなど、ウエストコースト・ジャズの発展に多大な貢献をしました。
 

 ピーターソンとプレヴィンの違いは「ファンクネス」の濃淡とオフビートの強弱。ピーターソンのピアノは、ファンクネス濃厚、オフビートが強烈。その他の特徴はプレヴィンと同じなんですが、この「ファンクネス濃厚、オフビートが強烈」なところが、ミュージカル曲の様な流麗な旋律を持つ楽曲のカヴァーについては邪魔になる。流麗な旋律の「流麗さ」が、濃厚なファンクネス(「ファンク(funk)」特有のノリ、泥臭さ、熱量、そしてグルーヴ感を表現する言葉)と強烈なオフビートに掻き消されてしまっています。その点、プレヴィンのピアノは「ファンクネスは希薄、オフビートはしっかりジャジー」なので、ミュージカル曲の様な流麗な旋律を持つ楽曲のカヴァーに向いています。この「ウエストサイド物語」のプレヴィン盤を聴くとそれがよく判ります。流麗な旋律を持つ「ウエストサイド物語」の挿入曲達のフレーズが、キラキラと輝くように耳に入ってきます。プレヴィンはベースに映画音楽がありの下から、音楽のことはよくわかっています。バーンスタインにリスペクトしながら俺ならこのミュージカルをこう料理しますよ、ということをアピールしています。

 

 そして、そんなプレヴィンのピアノを、名手レッド・ミッチェルのベース、名手シェリー・マンのドラムがガッチリ支える。これがまあ、素晴らしいベース&ドラムなのだ。ベースはブンブン胴鳴りし、弦はブンブン鋼の響きです。ドラムは切れ味良く、弾ける様なパーカッシヴな打音は見事です。この録音はケーニッヒと組んだロイ・デュナンの耳の確かさでしょう。さらに素晴らしいのは、この名手のベース&ドラムが、プレヴィンのピアノの邪魔に全くなっていません。逆に、プレヴィンのピアノが前面に浮かび上がってくるように捉えられています。米国ウエストコースト・ジャズのファースト・コールなベーシスト&ドラマー、恐るべしであります。まあ、彼らとは後にベーシストは代わっていますが「マイ・フェア・レディ」の名盤も誕生させています。

 

「ウエストサイド物語」のジャズによるカヴァーとして、加えて、米国ウエストコースト・ジャズのピアノ・トリオとして、純粋に楽しめる名盤だと思います。プレヴィンのピアノ、クラシックとは違う即興の妙を楽しむことができます。

 

なにか起こりそう

 

ジェット・ソング

 

トゥナイト

 

アイ・フィール・プリティ

 

クラプキ巡査への悪口

 

 クール

 

マリア

 

アメリカ 

 

 明日はオスカー・ピーターソンを取り上げてみますか・・・

 

 

ルナ・フローラ展

 

 

 「パンの花(ルナ・フローラ)」とは、パン用粘土を使用して花びらや葉を一つひとつ形作り、油絵の具で着色して仕上げる、まるで本物のような美しいクレイアート(粘土の花)です。ジュンコ・フローラ・スクールで50年以上の歴史を誇る代表的な創作芸術です。伝統的な「パンの花」だけでなく、現在は「香りの花せっけん(ルナブランカ)」や「シースルークレイフラワー」など、素材や技法が広がっています。この展覧会は23年にも取り上げていました。

 

 

 

 

 さあ、それでは作品を見ていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透明な螺旋

 

著者:東野圭吾

出版:文芸春秋社 文春文庫

 

 

 

 南房総沖に、男の銃殺死体が浮かんだ。同時に、男の行方不明者届を出していた同居人の女が行方をくらませた。捜査にあたった草薙と内海薫はその過程で、思いがけず湯川学の名前に行きつく。草薙はすぐさま湯川の元を訪れたが、彼はそこ、横須賀のマンションで意外な生活を送っていた――。巻末に短篇「重命る(かさなる)」を特別収録。---データベース---

 

 ガリレオシリーズ第10作目。 タイトルはDNAの二重螺旋構造から来ており、親子関係がテーマになっています。 湯川と生みの母親、育ての親との関係、そして本筋の犯人と島内園香との関係、殺人の動機など血の繋がりについて考えさせられる良作となっています。ただし、奈江がそこまでして園香を守る理由は希薄であり、そもそも園香に魅力がないため感情移入とまではいかなかった。 『むかし僕が死んだ家』の主人公が実は湯川なのではないかという考察は以前からあり、それが事実だとほぼ明確に明かされます。

 

  ところで、登場人物の設定や年齢が変わらないシリーズものも多い中、湯川先生はちゃんと歳を重ねています。当初はまだ30台前半だった湯川先生も、「沈黙のパレード」では40歳過ぎ、今回の「透明な螺旋」では髪に白髪が混ざっています。多分、実写化で湯川先生を演じる福山も歳を取るので、そういう意味でも俳優が歳を重ねることが不自然にならなくていいです。東野圭吾も湯川先生を描写する際に、ドラマから入ったファンを戸惑わせない絶妙な書き方をしてくれていますよね。要は、頭の中で福山をイメージしても、何も違和感のない描き方なのです。それがとても嬉しい。
私なんて本から入ったはずなのに、今やもう湯川先生は完全に福山の姿で存在してます。

 

 シリーズ第1作『探偵ガリレオ』の単行本が1998年に刊行されてから、第10作「透明な螺旋」の単行本が2021年に刊行されるまでおよそ23年ですが、まだこんなの隠し玉を持ってたんですね、という感じです。


 これだけ長い間続くガリレオシリーズの中で、私たちは湯川学という男についてまだ何も知らなかったんだと気付かされ、まだまだこの人のことを知りたいと思わされる。小説もドラマも映画もヒットして私たちはこんなにも長く湯川先生のことを知っているのに、湯川先生にはまだ誰も触れることができない領域があると感じる。それが現実と重なるように感じるのが横須賀のマンションです。それも母親の介護です。そして、痴呆症の母親は湯川のことをもはや認識できていません。この小説の終わりには、この母親は亡くなってしまいます。そういう時間の流れの中でこの事件は発生しています。そこには事件の解決とともに湯川先生にとってのもう一つのドラマが色濃く関わっています。なんと湯川の本当の生みの親である母親がこの事件に絡んでいたからです。


 それってめちゃくちゃ凄くないですか?シリーズもそろそろ少しマンネリしてもいい頃合いなのに、まだ新しい湯川先生を見せてくれるんです。まあ、あとは湯川先生が結婚するというエピソードが次の作品以降で絡んでくることは考えられますが、それも蘭らかの事件が絡んでのことでしょう。これからも、そういう劇的な変化を見せてくれる予感はします。

 

 そして、この文庫版には短編『重命る』が併録されています。単行本を買った人は悔しい思いでしょうなぁ。三越百貨店のPR誌に掲載されたものらしいですが、おまけとしては悪くありません。こちらは凍結精子による人工授精が物語の伏線になっていますが、話にひねりはありません。