むかし僕が死んだ家 | geezenstacの森

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むかし僕が死んだ家

 

著者:東野圭吾

出版:講談社 講談社文庫

 

 

 「あたしは幼い頃の思い出が全然ないの」。7年前に別れた恋人・沙也加の記憶を取り戻すため、私は彼女と「幻の家」を訪れた。それは、めったに人が来ることのない山の中にひっそりと立つ異国調の白い小さな家だった。そこで二人を待ちうける恐るべき真実とは……。超絶人気作家が放つ最新文庫長編ミステリ。---データベース---

 

 

 期待が大きすぎたのかもしれません。最後にどんでん返しががあると期待していたのですが、下駄を外されました。まず、タイトルですな。最後に言い訳じみた独り言を言いますがしっくりときません。

 

 予想では元彼女との接点があり再び元の鞘に収まるような展開を予想していました。それが証拠に、途中では、主人公の生い立ちにも、彼女との共通点があるように思え。それをたどっていくと、過去にも接点があったような展開を思わせていたからです。

 

 ところが、エピローグを読んで何と言うあっさりとした終わり方なんだろうとちょっとがっかりしてしまいました。東野圭吾の他の作品のようなひねりが何にもないからです。これだけ引っ張っておいて、これはないよなと言う展開で終わってしまいました。

 

 舞台は口果てた洋館の中での展開に終始します。そういう点では舞台向きの作品なのかなぁと言う気もします。ほとんど2人だけの対話で話が進んでいきますし、洋館の中に散りばめられた小道具を一つ一つ確かめることによってストーリーが展開していき、彼女の記憶が取り戻されていく神話誠に読み応えがありました。途中で彼女が子供に対して虐待を強いていることがわかった時はちょっとドッキリしますが、これが話の展開の複製になっているのかと思うと、これはアリなんでしょう。多分この小説が発表された、1994年の段階では児童虐待と言うのはそれほど表だったテーマにはなってなかったような気がします。それをこの時代に先んじて扱っていると言う点では先見性があるのではないでしょうか。


 実は、この小説「むかし僕が死んだ家」には、主人公の名前がどこにも明かされていません。理学部物理学科の研究助手とだけ明かされており、その主人公の目線で小説が書かれている叙述小説の手法を使っています。加えて、私小説のような語り口です。多分この頃は作者自身離婚していたはずですから実体験に基づいたものでもあるかもしれません。

 

 そういうシチュエーションを利用した小説の骨格があるので最後はちょっと取集がつかなくなったのかもしれません。児童虐待に加えて、性的虐待も盛り込んでいてそれがすり替わりに及んだ背景はちょっとすっきりしません。まあ、この入れ替わりはのちに別の長編ではしつかりとしたプロットで作品化されています。そういう意味では習作的作品なのかもしれません。