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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

ローラン・ドゥアット

テレマン/水上の音楽

 

テレマン

水上の音楽「ハンブルグの潮の干満」TWV55:C3

1.第1楽章/序曲

2.第2楽章/サラバンド-眠るテティス

3.第3楽章/ブーレー-目覚めるテティス

4.第4楽章/ルーレー-恋煩いのネプチューン

5.第5楽章/ガヴォット-戯れる水の精たち

6.第6楽章/アレルッキアーデ-おどけたトリトン

7.第7楽章/吹き荒ぶ風

8.第8楽章/メヌエット-心地よい西風

9.第9楽章/ジーグ-潮の緩慢

祭りのにぎわい「ホルン2つ、バスーン2つ、オーボエ2つと弦楽合奏のための組曲第2番」

10.第1楽章/序曲

11.第2楽章/嘆き

12.第3楽章/

13.第4楽章/

14.第5楽章/

15.第6楽章/

 

オーボエ/ピエール・ピエルロ、ジャック・シャンボン(オーボエ)
フルート/クリスチャン・ラルデ、アラン・マリオン(フルート)
バスーン/ポール・オンニュ、ジャン・ルシェ(バスーン)
ホルン/ジョルジュ・バルボトゥ、ジルベール・クルシエ(ホルン)

 

指揮/ローラン・ドゥアット

演奏/パリ・コレギウム・ムジクム合奏団

 

コロムビア OW−7512-MU(仏ムジディスク原盤)

 

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 このローラン・ドゥアットのテレマンは最初は1000円盤で発売されていました。RE−1517という番号でフランスのムジディスク原盤を使いまるでエラートの穴を埋めるようなレパートリー輪揃えていました。当時は。このレーベルの価値があまりわからずほとんど無視していたのは痛恨の極みです。何しろリステンパルトのバッハの「ブランデンブルク協奏曲」、「フーガの技法」、「管弦楽組曲」などの名盤が溢れていました。このシリーズ、当時はローラン・ドゥアットの指揮するものを何枚か所有していますが、この一枚は漏らしていましたので、今回中古版で入手出来て思わずニンマリです。

 

 「水上の音楽」と聞いて、我々が真っ先に思い浮かべるのはヘンデルの作品でしょう。しかし、存命中ドイツ随一の人気(当時のバッハは2流と見なされていました)を誇ったテレマンにも同じタイトルの作品があるのです。そして彼の作品には「ハンブルクの潮の満干」というサブタイトルが添えられています。この作品は、ハンブルク市の音楽監督だったテレマンが、11723年ハンブルク海軍設立100周年の記念行事のために、序曲「ハンブルクの潮の満干」として書きました。この曲は大好評を博し、通称「水上の音楽」と呼ばれるようになり、その後何度も演奏されました。

 

 当時のテレマン人気は大変なものだったようで、ライプチヒ市の新聞が作曲家の人気投票を行ったところ、1位はテレマン、2位がヘンデルだったそうです。地元ライプチヒの楽長 J・S・バッハは・・・7位でした。

それほどの人気を誇ったテレマンですが、20世紀以降は忘れられてるとまでは言わないものの、バッハ、ヘンデルに比べて影は薄いです。テレマンの代表曲の筆頭は「食卓の音楽」なのでしょうが、その「テレマンの曲を何か口ずさんでみろ」と言われても何にも歌えない人、小生を含めて大多数ではないかと。曲自体はキャッチーで覚えやすいので、取り上げられる機会、聴く機会が圧倒的に少ないのだと思います。何しろ作品の整理が未だに終わっていないという作曲家です。wikiによると、

 

“12歳以降の74年間、生涯にわたって現役であったテレマンは、少なくともオペラ40曲、室内楽200曲、協奏曲170曲、管弦楽組曲600~700曲、受難曲46曲、教会カンタータ1700曲以上などの膨大な曲を残した。一般に17世紀後期から18世紀にかけてのバロック時代のヨーロッパでは、教会の礼拝用または王侯貴族や富裕層などの娯楽や祝祭典用など様々な方面において音楽の需要が増加していたため、当時の著名な作曲家たちは必然的に多作になる傾向があったが、特にテレマンの作品数は、現在知られている同世代のアントニオ・ヴィヴァルディの作品数800曲以上やヘンデルの作品数600曲以上、バッハの作品数1100曲以上などと比較しても群を抜いている”

 ということです。バッハのような小難しい音楽ではなくわかりやすいメロディの中に当時の先端を行く作風で絶大な人気があったのでしょう。テレマンは当時台頭しつつあった市民階級の好みを敏感に嗅ぎ取り、彼らに「ウケる」音楽を量産しました。
ビジネスマンとしても有能で、楽譜の出版も自分で行い、大きな富を築いたそうです。

 

 さて、テレマン、ヘンデル双方の「水上の音楽」に共通している点は、当時の管弦楽組曲の形態を取るところ。すなわち付点リズムによるゆったりした序奏の後に急速なフーガが続くフランス風序曲で始まり、その後に何曲かの舞曲をつなげていくパターンであるということです。冒頭の序曲は、穏やかなハンブルクの海を思わせる荘重な音楽で始まります。その後はこの時代の舞曲のフォーマットを用いつつ楽章毎にタイトルが付けられ、それがその楽章のキャラクターを象徴しています。特に印象的なのは第9曲の「潮の満干」でしょうか。ジーグという舞曲の形態で、潮が満ちては引いていく様子を巧みに描写しています。さらに、前後しますが、第7曲の「吹きすさぶ風」及び第8曲の「心地よい西風」も巧みな自然描写が光っています。


第1曲 Overture (海の水がゆったりたゆたうような冒頭から引き込まれます)
 

 


第2楽章/サラバンド-眠るテティス、テティスは海の女神のことです。

 

 

 

3.第3楽章/ブーレー-目覚めるテティス

 

 

第4楽章/ルーレー-恋煩いのネプチューン

 

 

.第5楽章/ガヴォット-戯れる水の精たち わりかし覚えやすい曲でしょう


 


第6楽章/アレルッキアーデ-おどけたトリトン この曲もキャッチーです。


 

 

第7楽章/吹き荒ぶ風

 

 


 

第8楽章/メヌエット-心地よい西風

 

 

第9楽章/ジーグ-潮の緩慢

 



 B面も分類でいくとTWVという作品番号で分類されていますが、軽やかで優美で素敵な曲ばかりです。TWV の分類では、TWV 51 が一つの独奏楽器とオーケストラの協奏曲、TWV 52 が2つの独奏楽器群とオーケストラの協奏曲、TWV 53 が3つの独奏楽器群とオーケストラの協奏曲、TWV 54 が4つ以上の独奏楽器群とオーケストラの協奏曲となっていて、TWV 55 は管弦楽の序曲・組曲にあてられています。「祭りのにぎわい」も組曲です。こちらもなかなか演奏される機会がなく、このドゥアットの演奏は貴重なものです。

 


まあ、死後の評価なんて、ご本人にとってはどうでもいいことでしょうけど。
とにかくテレマンの音楽、21世紀のいま聴いてもとっても楽しめます。

 

シンセサイザー「四季」

 

 

 

 

 

 ヴィヴァルディの「四季」といえば、ひところはさまざまの楽器で演奏されるのが流行ったものですね。このプログでも、お琴や三味線で演奏した和ものとか、ジャズにアレンジされた演奏もの、ヴァイオリンではなくフルートに編曲されたものなどもこのブログで取り上げています。

 

 

 

 

 

 もちろんシンセサイザーのものもありましたよく知られているのはパトリック・グリーソンの演奏するものでした。こういう演奏でした。こちらは1984年に発売されたもので、すでにデジタル収録されていました。

 

 

 そして遡ること6年の1978年に、このレコードのフランク・ベッカーという日本在住の作曲家が、モーグの向こうを張ってローランドが開発したモジュール型のシンセサイザーSystem100を使って作ったものが、世界で最初のものだったのではないでしょうか。今でこそ、そんなものは簡単に作れてしまうようになりましたが、当時はもちろん単音しか出ないアナログシンセで、シークエンサーもせいぜい10音ぐらいしかセットできないという原始的な代物でしたから、それで「四季」全曲を作るのは大変だったことでしょう。こういうシステムです。

 

 当時のミックスダウンの様子の写真が掲載されています。

 

 

 このアルバムの存在は、中古レコードショップで見つけるまでは全く知らなかった存在です。シンセサイザー・ミュージックはその最初の頃から興味があり聴いていました。まだ冨田勲の「月の光」が発売される前で、走りとなったワルター・カーロスの「スィッチド・オン・バッハ」というアルバムでした。まだこのブログでは取り上げていなかったようですが、その第2弾となったブランデンブルク協奏曲は下で取り上げています。

 

 

 そして、冨田勲はしばしば取り上げています。

 

 

 

 

 

  さて、このフランク・バッカーの「四季」です。まあ、聴いて貰えばわかりますが、基本的に四季の楽譜をシンセサイザーの音で置き換えただけの演奏に感じます。そして、ヴァイオリン協奏曲としては本来のヴァイオリンにソロパートは任せるという非常にシンプルな構成で出来上がっています。言えば単純に楽譜のオーケストラパートをシンセサイザーに置き換えただけの演奏という事ができます。まあ、1977年レベルのローランドの装置ではこの程度のことしか出来なかったということです。


 下はレコードからの音源ということで、盛大にパチパチノイズも入っていますが、黎明期のローランドのシステムによる演奏はこんなものであったという事がわかります。1974年の冨田勲の「月の光」がモーグシンセサイザーの機能をフルに使って素晴らしい創作になっている事が分かろうというものです。

 

 

ラザール・ベルマン

リスト/超絶技巧練習曲

 

曲目/リスト 超絶技巧練習曲

第1番 ハ長調《前奏曲》プレスト   0:51

第2番 イ短調《モルト・ヴィヴァーチェ》   1:51

第3番 ヘ長調《風景(パイサージュ)》ポコ・アダージョ   5:29

第4番 ニ短調《マゼッパ》アレグロ   7:12

第5番 変ロ長調《鬼火(フー・フォレ)》アレグレット   3:46

第6番 ト短調《幻影(ヴィジョン)》レント   5:30 

第7番 変ホ長調《英雄(エロイカ)》アレグロ   4:40

第8番 ハ短調《荒々しい狩り(ワイルデ・ヤークト)》プレスト・フリオーソ   4:42

第9番 変イ長調《回想(リコルダンツァ)》アンダンティーノ   9:34

第10番 ヘ短調《アレグロ・アジタート・モルト》   4:06

第11番 変ニ長調《夕べの調和(アルモニー・デュ・ソワール)》アンダンティーノ   9:44

第12番 変ロ短調《雪あらし(シャス・ネージュ)》アンダンテ・コン・モート   5:04

 

ピアノ/ラザール・ベルマン

 

録音/1963 メロディア・スタジオ モスクワ

E:ヴァレンチン・スコブロ

 

ビクター音楽産業 VIC−3095(メロディア原盤)

 

 

 ラザール・ベルマンの名を一躍世界中に知らしめたのが、この1963年にモスクワで録音された「超絶技巧練習曲」全12曲です。モノラルでも半分以上旧録音があったのですが、この全曲は西側にも出回り、カラヤンがギレリスに尋ねた答えはレコードの襷にも書かれている「リヒテルと私が4本の手で弾いても敵わない」という言葉でした。結果、カラヤンは急遽ベルマンをベルリンに招聘。チャイコフスキーを録音しています。およそ人間技とは思えない指さばきとスピード感。ピアニストほどこの凄さが解るでしょう。1963年の録音ながら最初はモノラルで発売されていて、ステレオでは1974年に初めて発売されています。その時はもう少し曲がプラスされて2枚組で4,000円で販売されていました。手持ちの一枚は1978年に再発されてもので、「超絶技巧練習曲」だけで、2,300円となっていました。

 

 この作品、1826年、リストがまだ15歳の時に、彼はすでに才能の片鱗を見せた《12の練習曲》を発表しました。1837年にはこの素材を「四方八方に拡張し、再構成し、加筆し、削除し、旋律・リズム・和声をねじり、彼自身の力量に応じて複雑化」し、そして何よりも、それまで欠けていた詩的な優美さを吹き込みました。元は教育目的の練習曲でしたが、《大練習曲》というタイトルのもと、ピアノによる交響詩へと昇華され、あらゆる技巧が求められる作品となりました。

 

 その技巧はあまりに超人的であったため、リストは1851年に再び手を加え、不要とされた困難さを排除し、形式と内容のバランスを見直し、音楽的な明晰さを加えました。翌年、《超絶技巧練習曲(Études d'exécution transcendante)》として最終版が発表されました。それは「より洗練され、透明で、抑制があり、狙いが正確となり、かえって効果を高める」作品に仕上がっています。そして、全12曲のうち9曲に付けられたタイトル(「風景」「マゼッパ」「鬼火」「幻影」「英雄」「荒々しい狩り」「回想」「夕べの調和」「雪あらし」)は、この文学と詩に育まれた作曲家のロマン的精神を見事に表現しています。

 

 もはや練習曲ではない。そんなことを忘れさせ、音の隅々まで歌い尽くすかような豊かな響き。それでいて、彼の演奏は、恐ろしいほど、あくまで譜面に忠実です。まるでリストを挑発するかのような盛り上がりです。最初の一音から圧倒されます。それでいてイン・テンポで粛々と演奏を進め、アゴーギクをほとんど崩さないのも特徴的です。ベルマンは楽譜に示されたペダルの長さを厳格に守る傾向もありました。
 

 ピアノを弾く者なら、持っていて当然の古典的な、驚嘆の一枚でしょう。ただ、彼の名前が今の時代ほとんど忘れ去られているのはひとえにドイツ古典派のベートーヴェンやモーツァルトの録音をほとんど残していないからでしょう。コンサートデビューがモーツァルトのピアノ協奏曲第25番であったにも拘らずです。そして、皮肉なことに1956年のブダペスト国際音楽コンクールにおいて優勝し、1956年にはウラジミール・アシュケナージとともにベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールに参加しましたが、5位に入賞に留まりました。ちなみにアシュケナージは優勝です。ショパンコンクールに何度もチャレンジしながら入選していません。彼のスタイルがショパンと合わなかったのでしょうかねぇ。まあ、世の中にはリスト弾きと称されるピアニストがいます。みなさんはリスト弾きと聞いて誰を思い浮かべるでしょうか?おそらくブレンデル、シフラ、アラウ、ボレット、ベルマン、ワッツなどの名前が挙がるのではないでしょうか。他にも全体のレパートリーの割合からしてリストを特別多く取り上げているわけではないけれど、素晴らしいリスト演奏をするピアニストとして、ホロヴィッツやリヒテルなどもあげられます。これらのピアニストの中でこのベルマンの「超絶技巧練習曲」はその最初の一音から圧倒されました。

 

 改めて、ピアノという楽器は小さなオーケストラだということを再認識させられたような演奏です。ちろん近年の奏法は、どんどん進化している。だが、それが進化と言えるのか。この領域においては、演奏以前に、演奏家としての楽器に取り組む姿勢が問われる。同じ楽器から、同じ音符から、どれだけの音を引き出すかは、演奏するものの執念にかかっています。そもそも、この曲は作曲者のリストさえも演奏不能という難曲だったらしく、十本の指という絶対条件において難しい位置の音であろうと、差異なしに弾きこなすテクニックは、個々の指が個々のキーを叩くのではなく、ピアニスト本人がピアノ全体をかき鳴らすのです。その意味を理解して、ほんとうの意味で弾きこなせる者は多くないのではないのでしょう。


 しかし、ベルマンは、強靱な精神力で、それをここでやってみせています。どの指も、どのキーも、彼の意志に従い曲に溶け込んでいます。だからすごいのでしょう。古典ピアノですら困難だったこの十二曲を、現代のピアノで弾きこなすということがどういうことなのか、もはや曲さえも越えて、ピアニストであるということそのものが示されてくるような名演奏になっています。

 

 

 

 

 

 

悪 意

 

著者:東野圭吾

出版:講談社 講談社文庫

 

 

 

 人はなぜ人を殺すのか。東野文学の最高峰。人気作家が仕事場で殺された。第一発見者は、その妻と昔からの友人だった。逮捕された犯人が決して語らない「動機」とはなんなのか。超一級のホワイダニット。加賀恭一郎シリーズーーーデータベース---

 

 加賀恭一郎シリーズ第4弾です。面白いのでいいペースで読めてます。練りに練られたお話という印象、すっかり騙されてました。これは読み返したい。犯人も加賀刑事も執念がすごい。このシリーズは色々な書き方をされていて、飽きずに読めています。小生は作品順に読んではいないのですが、どんでん返しの面白さからいえばこれが最高作品でしょう。

 

この本の章立て

1.野々口の手記の章 ~事件~

2.加賀の推理の章 ~事件捜査~

3.野々口の手記の章 ~犯人逮捕~

4.加賀の推理の章 ~動機の捜査~

5.野々口の手記の章 ~動機の告白~

6.加賀の推理の章 ~事件の真実~

 

 本書はジャンルでいうとミステリーに分類されますが、その中でもホワイダニット(Why done it)=犯行に至った動機の解明を重視した作品です。タイトルの通り、『悪意』とは何なのか、本書で語られるのですが、その正体に驚くとともに、なるほどと腑に落ちました。

これは何度も話が覆るので、最後まで気が抜けません。自分もまんまと引っかかってしまった。 野々口は弱くて可哀想な立場の人間で、日高は傲慢で下劣な人間だと決めつけていました。しかし、 本当は日高は優しい人で、野々口は悪意に満ちている人だったという逆転劇が展開されます。 物語の序盤の方で犯人がわかり、事件の真相や動機が暴かれていくなか、最初に出てきた猫の殺害の件には一切触れてなかったので何かあるのではないかと思っていたのだが最後の最後に出てきて、なるほどなと感心しきりです。また、途中突然シャンペンのドンペリが登場しますが、途中の段階では唐突に出てくるので摩訶不思議なシチュエーションですが、これも伏線の一つです。東野氏の 小説の素晴らしいところは、全てに意味があることでしょう。何気ない描写にもそこにはちゃんと意味があるのです。これは彼の作品がヒットする最大の魅力でしょう。 

 

 読む度に、思うけど、うまい作家です。「悪意」ってタイトルだけ見れば全くイメージが湧きませんが、良くもまあ題名をつけたもんです。形は手記の形式で主観的な展開で事件が語られていきます。犯人の野々口と刑事の加賀の視点は真逆です。事件の記録、事件の発端からはては、小説の舞台となった幼い頃の聞き取りまで、事件の真相を追っていきます。読者としては、その度に、あちらにこちらに振り回されます。なるほど、視点を変えれば世の中の目に見えるもが違ってきます。そして、最後にはタイトルの「悪意」の深層心理が描かれます。しかし悪意って怖い。更に、その思い込みの強さが恐しいことに気付かされます。野々口が恐ろしいと思ったのは、暴力そのものではなく、自分を嫌う者たちが発する負のエネルギーだったのでしょう。

 

 この小説は1996年に発表されたものですが、2001年にテレビドラマ化されています。なぜか加賀恭一郎シリーズながら主人公の刑事の名前が変えられてしまい、そういう面では少し残念なドラマ化でした。ただ。放送されたのがNHKということもあり、変な脚色はなくいつもドラマの主人公に絡むヒロインなどは設定していなかったのは良かった点です。今の時代なら、阿部寛がドラマで加賀を演じていますから、再ドラマかがあったら是非とも加賀恭一郎は阿部寛で演じてもらいたいものですなぁ。

 

 

 

 

 

 

小雨に煙る白川郷

 

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 5日の日曜日はほぼ1日中小雨が降り続く天気でしたが、予定を組んでいたので、観光バスで白川郷方面のツアーを楽しんできました。出発時の名古屋駅に着いた時は雨は止んでいましたということで集合はスムーズでしたが、添乗員の不手際で、時間ギリギリまで点呼の確認がありませんでヒヤヒヤしました。

 

 定刻より10分遅れてバスは出発しましたが、まぁそのタイミングで雨が降り出したので善しとしましょう。とにかく午前中はずっと小雨が降り続いていました。最初はひるがのの「ひるがのピクニックガーデン」という所へ立ち寄ったのですが、ここはもう土砂降りで、まるで雲の中に入っているような荒天でした。本来ならリフトで山頂まで上がり色づいてきたコキアやインパチェンスなどの花の楽しむ場所であったのですが、とてもそんな悠長な事はしている余裕はなく、全身ずぶ濡れでした。

 

 その後食事会場へ向かい、昼食をとっている段になって、少し雨は小降りになり雲の切れ間が見えるようになりました。確かに天気予報では午後少し回復するようなそういう天気予報になっていました。

 

名物の朴葉飯御膳

 

 いざ白川郷へ到着したときには、雨が上がり全体にもやのかかったような景色ではありましたが、濡れる事はありませんでした。天気アプリによると到着から20分後位からまた雨が降り出すと言うような予報ではあったので、なるべく駆け足で見ていこうと言う算段をしました。

 

 

  駐車場から街並みの中に入る吊り橋「出会い橋」です。ちょうどお隣中国では国慶節ということで、たくさんの中国人がこの白川郷にも押し寄せていました。

 

 やはりかやぶき屋根は風情があるものです

 

 KOKIAを使ってディスプレイされたオブジェの奥に合掌造りの街並みが広がります

 

 こちらは宿泊にもなっている合掌造りの建物です

 

 釘を使わない。伝統工法で作られた屋根はがっしりとした網縄で守られています。白い縄とのコントラストが見所です

 

 庭先には、右に水車が置かれていました

 

 

 この水路の中には、たくさんの恋が泳いでいます

 手前のコスモスが秋を感じさせます

 

 この手前の合掌造りの建物は、有名なプリンを販売しているところで、右側に長蛇の列ができていました

 

 鐘楼を兼ねた「明善寺」のお寺の山門です

 

 

 

 

 

雪釣りも出来上がっていました

 

 こちらは食事処ですが、既に昼食の時間は終了していたようです

 

 手打ちそば処ももう店は閉っていました

 

 今日は気温が20度下回っていたこともありラムネ類はさっぱり売れてませんでした

 

 庭でトマト、茄子や赤唐辛子を栽培しています

 

イヌサフランのピンクの花
 
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見学のできる「和田屋」 

 

 和田屋へは水路の小橋を渡っていく事ができます

 

 稜線にたなびく雲海

 

 飛騨牛の肉まんを賞味

 

 3階建ての合掌造の建物もあります