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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

2つのラフマニノフピアノ協奏曲第2番

アンダ VS ルービンシュタイン

 

曲目/

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18 

1. Allegro moderato    10:33

2. Adagio sostenuto    10:49

3. Allegro scherzando    11:48

ピアノ/ゲザ・アンダ

指揮/アリチェオ・ガリエラ

演奏/フィルハーモニア管弦楽団

録音/1953/10

1. Allegro moderato    10:16

2. Adagio sostenuto    11:53

3. Allegro scherzando    11:08

ピアノ/アルトゥール・ルービンシュタイン

指揮/フリッツ・ライナー

演奏/シカゴ交響楽団

録音/1956/01/09

 

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 menbranから2010年に発売されたラフマニノフの10枚組のボックスセットです。とっくに廃盤になっていますが、この中の一枚に有名なピアノ協奏曲第2番が二人のピアニストの演奏で一枚に収録されているものが収録されています。ゲザ・アンダの方は1953年の録音ですから、もちろんモノラル収録ですが、もう一人のルービンシュタインの方は1956年ながらステレオ録音で収録されています。このセット、他にはピアノ協奏曲の第4番がミケランジェリとラフマニノフ本人のピアノで収録されているというディスクも含まれているという珍しいセットになっています。著作権切れの演奏を集めていると言えばそれまでのことですが、マニアにとっては垂涎の内容と言えなくもありません。

 

 多分、ゲザ・アンダの弾くピアノ協奏曲第2番の英コロンビア盤のモノラルLPが元で、1953年の10月の録音です。バルトークやモーツァルトの名演で知られるアンダですが、この録音は忘れ去られているのだろうし、多分ここでしかCD化されていないのではないでしょうか。ゲザ・アンダといえば、モーツァルテウムのカメラータ・ザルツブルクと共演した一連の録音がDGにあり、とりわけ第21番の録音は、映画「みじかくも美しく燃え」のサウンドトラックに使用されていましたから極めてよく知られているのではないでしょうか。このモーツァルト、ゲザ・アンダには、「初めて弾き・振りでモーツァルト協奏曲全集を録音した人」でもあるんですね。この後、バレンボイムやアシュケナージが後を追うことになります。

 

 さて、あまり注目されないゲザ・アンダのラフマニノフですが、冒頭から肩の力の抜けた自然体の演奏になっています。名匠ガリエラの伴奏がまた見事なものとなっています。ゲザ・アンダはハンガリー出身のピアニストで、フルトヴェングラーをして「ピアノの吟遊詩人」と言わしめたように、柔らかな響きで叙情的に仕上げた好演に仕上がっています。バルトークを得意としていたからなのかラフマニノフはテクニックを披露するというわけではなく、まさにあるがままに音楽を作っています。

 

 

 ライナーとルービンシュタインと言えば、さぞやたくさんの競演盤があるだろうと思って調べてみると、なんとこのラフマニノフの2番と、ブラームスの1番、それとパガニーニの主題によるラプソディだけです。なんとも不思議なことですが、最近は便利なものでググってみると、こんなエピソードが引っ掛かりました。

 まず、きっかけとなったのはこのラフマニノフの2番が大変好評だったことです。それに味を占めたRCAは二匹目の土壌をねらって「第3番」の録音を計画します。すべての不幸はここから始まります。今さら言うまでもないことですが、ラフマニノフの3番は難曲中の難曲で、バリバリのテクニックを持ったピアニスト御用達の作品です。そんな作品をルービンシュタインで録音しようというのがそもそも大きなミステイクなのです。
 

 実際、ルービンシュタインのレパートリーにラフマニノフの3番は存在しません。彼はこの作品をコンサートで取り上げたことはありませんでしたし、おそらくは今後もそんな予定はなかったはずです。にもかかわらず、RCAは強引にこの企画を持ち込んで、さらにはルービンシュタインのために特別にリハーサルまで行うことにしたのです。悲劇は、このリハーサルで起こりました。リハーサルはごく普通に第1楽章からスタートしました。しかし、と言うべきか、やはり、と言うべきか、ルービンシュタインは難場にさしかかると大きなミスをしてしまいました。ライナーはオーケストラを止め、いくつかの指示を与えてからもう一度演奏させました。しかし、ルービンシュタインは同じところに来るとまた同じミスをしてしまいます。ライナーは、今度は何も言わずもう一度繰り返させたのですが、ルービンシュタインはやはり同じ所でもっと派手にミスをしてしまいました。
 

 ライナーは指揮棒を置いてオーケストラに向かって「ピアニストが練習をするので20分間休憩します。」と言ってしまいました。それを聞いてルービンシュタインは「あなたのオーケストラはミスをしないのですか?」と言い返しました。それに対して、ライナーは一言だけ返したそうです。
「しません。」
てなことで、ルービンシュタインは無言のままステージを去り、リハーサル会場には二度と戻って来なかったそうです。

 

 そういうことで、ブラームスの1番と共にこのラフマニノフは奇跡的に録音が残りました。この時代のライナーは古いタイプの指揮者ということでかなり恣意的に店舗を揺らしています。そういう意味ではライナーのラフマニノフと言えないこともないのですが、ルービンシュタインも力強いタッチでスタインウェイをガンガン鳴らして対抗しています。のちにオーマンディとの再録があり、今ではそちらにお株を奪われていますが、間違いなくステレオ初期から60年代までは輝いていた名盤でしょうなぁ。

 

 

 このCDはその演奏の違いを一枚で聴き比べることができるという意味では貴重です。ゲザ・アンダはモノラルですが、不足は感じませんし、ルー品シュタインはリビングステレオの3チャンネルステレオ録音が今でも輝いています。

 

 

 

 

 

 

レイモンド・レッパード

フランク交響曲ニ短調

 

フランク:
交響曲ニ短調

1. Lento: Allegro Non Troppo   19:13

2. Allegretto   10:40

3. Allegro Non Troppo    10:45 
4.交響詩『アイオリスの人々』    10:51
5.交響詩『呪われた狩人』   15:14

指揮/レイモンド・レッパード
演奏/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 

録音1995/03      CTIスタジオ、ロンドン

 

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 1970年代はもっぱらバロック音楽の指揮者として活躍していたのでこういう対局のオーケストラ作品を指揮しているのを発見した時はちょっとびっくりしました。ただ、調べるとイギリス時代はイギリス室内管弦楽団や小規模のBBGノーザン管弦楽団などを指揮していてそういう方面の活躍が主体だったようですが、1987年からはアメリカに拠点を移し、インディアナポリス交響楽団の音楽監督に就任し、このオーケストラを年間フルに活動するオーケストラに育て上げています。この録音は1995年に行われていますから、近現代のオーケストラ作品もしっかりとこなしていた時代の録音ということになります。

 

 まあ、そんな中でもこれは異色の録音なんでしょう。フランクといえばフランスの作曲家ですが生まれはベルギーという事で、普通はこの交響曲はとてもドイツ的な響きがします。このフランクの交響曲ニ短調はこれまでに夏季の演奏を取り上げています。

 

 

 

 

 ところがこのレッバードの演奏はそのドイツ的な響きがあまり感じられません。あくまでもフランス音楽としてのニ短調交響曲なのです。冒頭の通常なら荘重なレントの導入ではじまる低弦が奏する問いかけるような動機が全く威圧がありません。これはオーケストラが持っている響きに影響されるものなんでしょうか。なによりも、レッパードのテンポはかなり遅いレントのテンポで演奏しています。第一楽章が19分台というのはカラヤンやジュリーニの20分に及ぶ演奏に近しいものがあります。ひょっとするとレッパードはオーケストラのもつ軽い音質を熟知していて意識的に遅いテンポで少しでも重厚さを稼ぎ出そうとしたのかもしれません。音楽が停滞する寸でのところでのテンポを保ち曲をまとめています。循環主題をいろいろ表情づけを変えながら丁寧に描いています。

 

 3楽章形式はフランス人作曲家にとっては書き慣れた手法なのでしょう。第2楽章の中間部にスケルツォを持ってくるという手法で曲を構成しています。冒頭は弦楽とハープの和声ではじまりますが、この録音会場であるCTSスタジオはそれほど大きなスタジオでなく、映画音楽の録音でよく使われるスタジオということで、やや縦長になっています。その冒頭の響きはハープの音がやや響き過ぎ残響が多すぎる嫌いがあります。この録音は録音スタッフのクレジットがないということで確認が取れませんがいつものエンジニアと異なっているのかもしれません。ただ全体はイングリッシュホルンの音色もなかなか綺麗で演奏のレベルは高い仕上がりになっています。

 

 

 循環主題が帰ってくる第3楽章もじっくりとしたテンポで腰を据えた演奏になっています。個人的にはもう少し緩急をつけて軽快なテンポでも良かったのかなぁという印象ですが、全体の構成を考えてこのちょっと遅めの設定をしたのでしょうか。カラヤンなんかさらに遅い11分台、ジュリーニに至っては12分台の演奏ですからねぇ。それに比べるとこれでも速いくらいなのでしょう。上にあげたパレーなんかは9分台で演奏しています。個人的にカラヤンの演奏は油ぎっていてくどいという印象を持っていますから音楽が崩壊しないギリギリのテンポでレッパードは攻めていったのかもしれません。

 

 

 交響曲だけでまとめると、よくサンサーンスの3番とカッブリングされのですが、ここでは同じフランクの交響詩が2曲カップリングされています。最初に収録されている「アイオリスの人々」はフランク2作目の交響詩で、ここでもハープが効果的に使われています。詩人ルコント・ド・リールの初期の作品『古代詩集』に含まれる「アイオリスの人々」からヒントを得て作曲されています。このルコント・ド・リールの作品はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」も同じ詩集に含まれています。どちらかというとメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を彷彿とさせる作品で、フランクの意外な一面を感じることができます。抑えめなレッパードの指揮はまるで妖精たちの踊りを彷彿とさせます。

 

 

 フランクは生涯で5曲の交響詩を残しましたが、この作品は最晩年の1882年に作曲され、翌1883年の3月31日に国民音楽協会で初演されています。この作品は、18世紀のドイツの詩人ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーのバラードに基づいており、教会のミサに出かけず、狩りに出かけた伯爵は、その冒涜によって永劫の罪を受けてしまうといった内容です。冒頭のホルンに続いて、聖歌風の主題が現れ、やがて角笛を思わせる主題が取って代わり、狂騒的に展開していきます。ワーグナー的な描写性と音の躍動感あふれる曲で、ドイツ風でありタンポンドラマを見ているような作品です。レッパードは少なからずオペラも指揮しており、こういう作品でもその劇的手法は生きています。なかなかいきいきとした演奏です。

 

 

 

 

 

 

 

使命と魂のリミット

 

著者:東野圭吾

出版:角川書店 角川文庫

 

 

 「医療ミスを公表しなければ病院を破壊する」突然の脅迫状に揺れる帝都大学病院。「隠された医療ミスなどない」と断言する心臓血管外科の権威・西園教授。しかし、研修医・氷室夕紀は、その言葉を鵜呑みにできなかった。西園が執刀した手術で帰らぬ人となった彼女の父は、意図的に死に至らしめられたのではという疑念を抱いていたからだ…。あの日、手術室で何があったのか?今日、何が起こるのか?大病院を前代未聞の危機が襲う。---データベース---

 

 2006年新潮社より発行された単行本の文庫化されたものです。新潮社の週刊誌『週刊新潮』に、2004年12月30日と2005年1月6日の合併号から2005年11月24日号まで掲載され、2006年12月5日に単行本が新潮社から刊行され、2010年2月25日には、角川書店から角川文庫版が発売されたのが本書です。

 

 舞台は帝都大学病院で起こります。心臓血管外科の研修医氷室夕紀は、かつて愛する父親を心臓血管の血管瘤によって亡くしてしまいます。その執刀をしたドクターが心臓血管外科の権威西園教授なのです。夕紀はひそかに、父の死は西園教授の医療ミスではないかと疑いを持ちます。その母親がいつしか西園と懇意となり、再婚をすることになります。そんなこともあり、夕紀の心の中には鬱々とした気持ちが晴れないまま再婚の話が進んでいきます。


 一方、西園には夕紀の父との因縁がありました。かつて警察官として任務にあたっていた夕紀の父がパトカーで西園の息子を追跡していて、その息子は一旦停止をせずにバイクで逃走中トラックにはねられ死亡してしまいます。その息子の父親である西園が執刀医として関りをもつことになったのです。この疑惑に加え物語を複雑にしているのが、病院の看護師と付き合いをしていた直井という青年が、かつて付き合っていて結婚を目前に控えていた彼女が建設中のビルから転落するという事故に遭います。救急車で運ばれるのですが、搬送中に欠陥により動かなくなったアリマ自動車の車を避けるため、一刻を争う救急車は迂回をして病院へ行くことになり、結果的に彼女は命を落とすことになってしまうのです。その当時アリマ自動車の車は欠陥により事故を起こし、その賠償問題に追われていました。直接的な事故ではないということで賠償もされず、直井はアリマ自動車の社長を恨み続けることになります。そこへ舞い込んで来たのがその社長が入院してす手術をするという情報です。そこで、電気関係に詳しい直井は病院に脅迫状を送り、他の入院患者を少なくした状況でこの社長が手術を受ける際に電源を失わせ、手術を失敗させ社長の命を奪おうという企てを考えます。この病院の爆破という事件が輻輳してストーリーは進んでいきます。


 直井の計画は最初病院か世話からは黙殺されますが、やがて世間に知られることにより企ては着々と進められます。手術は一旦延期されることになりますが社長のスケジュールもあり手術も実行されることになります。その窮地の中で西園教授は夕紀への疑いを晴らすべく手術に立ち合わせることにします。


 事件が対外的に知られた段階で警察が動きます。脅迫事件捜査に携わる一人が警視庁の七尾行成刑事です。七尾はかつての氷室夕紀の父、健介の部下だったのです。そんなこともあり、ぐいぐいと夕紀の懐に飛び込んでいきます。ちよっと警察の中ではアウトローという設定になっていて、この彼の活躍が犯人のミスディレクションに気づき、真相に肉薄していきます。しかし、気がついた時にはすでに手術の当日になっていました。そこから緊迫の展開が始まります。

 

 なかなか興味のある医療事象を扱った小説ということで、2011年にはNHKがテレビドラマ化しています。まあ、テレビドラマは脚本家が間に入りかなり脚色しますから原作通りのイメージとはいかないのが常です。この小説でもそうですが、犯人の直井譲治と看護師の真瀬望とが出会ってからのストーリーが時間軸にしてはおかしいのに気が付きます。犯人の目的はアリマ自動車の社長の島原総一郎の手術の妨害が主目的ですが、彼がどこの病院へ入院するかは不確定な要素で、なおかつ手術の日にちは予定日が変更になるという不確定な要素があるのにこの病院に勤める看護師の真瀬と付き合い情報をもらい、病院の機器に仕掛けを施すような時間的タイミングが取れたかという部分は疑問が残ります。

 

 後半は電源の爆破や非常用のバッテリーの電源停止などかなりの装置が事前に仕掛けられていることが明らかになっていきますが、こんなことは実際にはほぼあり得ないことでしょう。機器類の点検は中央監視室の人間が日々監視しているところで、そこに見知らぬ装置が取り付けられるということはまずあり得ませんし、こういう機械室への侵入は鍵の管理もしっかりしていますからまず他人が侵入することは不可能に近いところです。監視カメラもありますしね。

 

 こういう描写の甘いところはありますが、ストーリーとしての展開はさすが東野圭吾作品という出来栄えです。ただ、伏線の回収という部分ではこの作品はあまりありません。週刊誌への連載作品というところにその要因があるような気がします。

 

 東野圭吾の公式ガイドブックにはこの作品の成立の背景が描かれていて、2004年に亡くなった彼の母親の死が契機になっているということです。彼の母親も大動脈瘤があり、さらに肝管が癌に犯されていていたそうです。結局手術はせずに残された余命を全うさせるという判断になったようですが、そういう実体験があるので医療処置の描写には真に迫るものがあります。

 

 

 

 

 

 

オレ・シュミットのボロディン

 

曲目/ボロディン:
1.歌劇『イーゴリ公』序曲 11:00
2.歌劇『イーゴリ公』~ ダッタン人の踊り 14:09
3.歌劇『イーゴリ公』~ ダッタン人の行進 5:20
4.交響詩『中央アジアの草原にて』 7:23
交響曲第2番ロ短調 op.5 
5.第1楽章 Allegro7:03
6.第2楽章 Scherzo; Prestissimo5:19
7.第3楽章 Andante7:49
8.第4楽章 Finale; Allegro7:06

 

指揮/オレ・シュミット
演奏/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音:1996年

P:アラン・ピーターズ

E:ディック・ロージー

 

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  このCDも「ロイヤルフィル・コレクション」に収録されているものの1枚です。このホックスセット、一応アルファベット順に並んででいて、ボロディンはその6枚目です。

 

 オレ・シュミットについては名前だけは70年代にトリオからニールセンの交響曲全集のレコードを出していたので知っていたのですが、実際に聴くのは初めてでした。1928年コペンハーゲンに生まれたデンマークの指揮者です。アルベール・ウォルフやクーベリック、チェリビダッケに指揮法をみっちり学んだというから当盤のつぼを押さえた演奏も納得できます。コペンハーゲン国立歌劇場、ハンブルクフィル、デンマーク放送響等で活躍し、イギリスのオケへの客演も多い人です。また、作曲家としてもかなりの作品を作曲しています。

 

オレ・シュミット

 

 ロイヤルフィルコレクションに録音した音源のライセンスものとしてMEMBRANから発売されたもので本家本元からはSACD盤が出ていますので音はいいのでしょう。ボロディンのオペラといえば「イーゴリ公」ですが、一般にオーケストラ作品として演奏されるのはその中から「ダッタン人の踊り」の部分でしょう。ここでは珍しく、「序曲」と「行進曲」もあわせて収録されています。ただ、「ダッタン人の踊り」は通常は合唱を伴う形で演奏されますが、ここでは純粋にオーケストラの演奏だけが収録されています。

 

 曲想に対してオーケストラの音色が明るいので地元ロシアのオケのようなゴツゴツとした重量感のある演奏には及ばないものの、オーケストラの確かな技量に支えられ結構緻密な演奏を聴くことが出来ます。オペラ全曲ものでなければ滅多に聴くことの出来ない「序曲」は「ダッタン人の踊り」しか知らない人にとってはまた別の音楽のように感じるのではないでしょうか。もともと、この序曲ポロディン自身の作曲ではなく、彼の死後グラズノフが生前ボロディンが演奏したものを暗譜していたメロディーや残された草稿に基づいて作曲したといわれています。ですからオペラの総花的なメロディの宝庫といってもいい作品なのですが、グラズノフ印ということで演奏されないようですね。取り立てて特徴のある演奏ではありませんが、きびきびとした演奏で好感は持てます。

 

 

 さて「ダッタン人の踊り」も演奏自体は手堅いもので曲を聴くには申し分無いのですが、合唱を伴わないと、やはりクリープの無いコーヒーみたいなもんでやや味気無さがあります。ただこの演奏で意表をつかれるのは序奏の部分と次の娘たちの踊りの部分に間があり過ぎで一瞬曲が途中で終わってしまったのではないかという不安になります。また途中でテンポがかなり速くなりやや駆け足で音楽が流れていってしまうところは残念です。この曲については名演奏がゴロゴロしているのでやや物足りなさを感じるところではあります。

 

 

「行進曲」は華やかな打楽器と金管とに裏打ちされ、しっかりと地に足のついた、ドラマチックな演奏を聴かせてくれます。

 

 

 オーケストラとの相性でいえば「中央アジアの草原にて」が一番しっくりとした演奏といえるのではないでしょうか。この曲楽譜の扉には、次のように書かれています。
見渡すかぎり広々とひろがる中央アジアの草原を穏やかな ロシアの歌が不思議な響きを伝えてくる。 遠くから馬と らくだの あがきに混じって東洋風の旋律が響きだたよう。 アジア人の隊商が近づく。 彼らは ロシア兵に護衛されながら 果てしない砂漠の道を安らかに進む。 近くなり、やがて遠ざかって ロシア人の歌と アジア人の旋律が重なり、不思議な ハーモニーをつくる。その こだまは次第に草原の空へ消えてゆく。

 

 

 

 曲はこの記述の通り、まずロシア的旋律が出て、その後装飾音付きの三連音を含んだ東洋的旋律へ、そして最後に両者が一緒になった複旋律的なハーモニーとなり、しかもそれらが小さな音から大きく盛り上がって消えて行きますが、壮大なの草原と目の前を通り過ぎるラクダの隊商の動きなどの情景が鮮やかに思い描かれていて、眼前にまさに絵画の世界が広がります。オーレ・シュミットの指揮は バランスのとれたオーケストラの響きで、もともとのタイトルである交響的絵画という風情がよく描写されている演奏になっています。ここでは楽譜指定のテンポ92よりは若干遅い演奏でそれだけ幻想的な雰囲気がよく現れています。レコード時代は昼間部の盛り上がる部分がいかにも不自然なバランスでそこだけつないであるという演奏が多かったのですが、CD時代になってそういう不自然さはなくなりましたし、この録音は自然のバランスでむやみにばりばり鳴らすというようなことも無いので気に入っています。

 

 

 最後はポロディンの交響曲の中では一番ポピュラーな第2番が収録されています。この曲はアンセルメの指揮で長らく親しんだものですが、スイス・ロマンドの演奏はやや細身のサウンドであったし、次に聴いたチェクナボリアンの演奏もオーケストラのせいかややおとなしい演奏であったこともあって、この演奏に接してその野性味あふれる曲想に初めて聴く新鮮な感じがしました。やはりその勇壮な主題の第1楽章が印象的で、このテーマの演奏の仕方でこの曲のイメージは変わってしまいます。もともと、ボロディンはイーゴリ公のために用意していた素材のいくつかをこの曲に転用しているようで非常にドラマチックな作品になっています。自身も作曲家であるシュミットはその劇性の部分をうまく引っ張りだして非常に雄弁な語り口でこの曲をとらえることに成功しています。

 

 そのドラマチックな表上付けは特に第3楽章で成功しています。パープで開始されるアンダンテの楽章ですが、中身は非常に美しいメロディの宝庫で幻想的であると同時にロマンティックでまるでオペラの一場面を見ているような気持ちになります。どことなく雰囲気的には先の「中央アジアの草原にて」のような牧歌調な部分も感じられますし、第1楽章の勇壮なテーマも循環方式で使い込まれていますからそういう意味でもバラエティに富んだ楽章です。この楽章が消えいるような形で終わるのに続いて切れ目無く第4楽章に続きます。ロシアの主題に彩られた最終楽章はこれまた華やかな音楽ですが、シュミットの演奏はあまり土着色にこだわらず、どことなく洗練されたサウンドに彩られています。金管ばりばりの演奏ではないので重々しさはありませんが、適度にソフィスティケイトされたこういうサウンドの方がボロディンの作品を普遍性を持って聴くことが出来るのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 このロイヤルフィルは伝統あるオーケストラですが、その根幹にはどういう音楽にも対応できる柔軟性を併せ持っており、その一面をこの演奏で垣間見ることが出来ます。

手塚治虫展

 

 四日市市博物館で開催されている「手塚治虫展」に出かけてきました。この四日市市博物館は2017年にも出かけています。 北側入り口には、四日市市平津新町で発掘されたアケボノゾウの骨格復元模型が入り口に置かれています。博物館自体はこの建物の3-5階を占めていますが、4階は特別展示、5階はプラネタリウムになっています。今回はその4階で開催されている特別展です。実は2020年に愛知県は豊橋市の豊橋市美術博物館で開催されていたのですが、その時は足を運ぶことができなかったので今回リベンジで出かけたものです。

 

 

 

 

 今回は雨降りということもあり、近鉄電車とJR関西線を使って出かけました。四日市は三重県で県庁所在地の「津市」よりも大きな町ですが、あまり知られていないこともあり、以前は自虐的なキャンペーンを行っていたこともあります。

 

 

 

四日市市立博物館

 

4界の会場は正面に「鉄腕アトム」のお出迎えです

 

 17歳のデビューから60歳でこの世を去るまでの43年間、第一線の作家として活躍し続けた手塚治虫(1928-89)。「マンガの神様」と称される手塚の生み出した多様な作品や魅力的なキャラクターたちは、現在も日本はもとより世界中の人々から愛され続けています。子どもから大人までを対象とした幅広いジャンルの作品には、手塚が生涯問い続けた人間や生命の尊さに関わる深いテーマやメッセージが込められており、昭和・平成・令和という時代の移り変わりとともに、新たな事態に直面する現在においても普遍的な輝きを放っています。

本展は、マンガ家・手塚治虫誕生から「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「火の鳥」「ブラック・ジャック」などの代表作を生み出した足跡を紹介するとともに、ストーリーマンガの確立、アニメーションへの挑戦など、多様な視点でその業績を振り返るものです。本展では、手塚治虫の生涯や、手がけた膨大なマンガ、アニメーション作品の中から、約200点におよぶ原稿、映像、資料に加えて、愛用品など貴重な品々をご紹介しています。手塚が手がけたマンガの原稿、映像・資料・愛用の品々なども合わせて紹介することで手塚作品の歴史をたどる構成になっています。

 

展覧会の構成

 

第1部 手塚治虫の誕生

第2部 作家・手塚治虫

第3部 手塚治虫のメッセージ

の3部構成で展示されています。このほか、映像作品として、

虫プロダクションのスタジオ内風景 6分

映画『手塚治虫のブッダ』(2011年)より 13分

手塚治虫伝 マンガ篇 25分

なども上映していてなかなか充実した時間を過ごすことができました。

 

 

手塚作品オールスター

 

写真撮影OKの手塚治虫のオブジェ

 

 

 そして、以下のパネルがあちこちに展示されていました。

 

手塚作品メインキャスター

 

リボンの騎士

どろろ

海のトリトン

不思議なメルモ

ジャングル大帝

ブラックジャック


火の鳥

 

こんなセットも組まれていました、

 

 

手塚治の愛用品が展示されています