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geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

バーンスタイン/シカゴ

ショスタコーヴィチ交響曲第1,7番

 

曲目/ショスタコーヴィチ

交響曲第1番ヘ短調 Op.10

01. Shostakovich: Symphony No.1, Op.10: 1. Allegretto - Allegro non troppo [8:54]    

02. 2. Allegro - Meno mosso - Allegro - Meno mosso [4:46]    

03. 3. Lento - Largo - [Lento] (attacca:) [10:19]    

04. 4. Allegro molto - Lento - Allegro molto - Meno mosso - Allegro molto - Molto meno mosso - Adagio - Largo - Più mosso - Presto [10:37]    

交響曲第7番ハ長調 Op.60『レニングラード』

05. 1. Allegretto [31:43]    

06. 2. Moderato (poco allegretto) [14:48]    

07. 3. Adagio [19:25]    

08. 4. Allegro non troppo [18:52]

 

指揮/レナード・バーンスタイン
演奏/シカゴ交響楽団
録音:1988/06/23 シカゴ・シンフォニーホール

D:ハンス・ウェッバー

P:ハンノ・リンケ

E:カール・ヨアウグスト・ネーグラー

 

DGG  00289 479 3019-20

 

 

 今日はショスタコーヴィチの命日ということで、今週はずっとショスタコを取り上げています。手元にあるのは「100 GREAT SYMPHONIES」というボックスセットに収録されたCDです。これもDGGのボックスセットですが、やはり手抜きで曲目と演奏時間を期したデータしか記載してありません。別冊の小冊子もあるのですがマークの表示があるだけで詳しいデータはありません。

 

ジャケットもこんな安っぽいものです。

 

 バーンスタインによるショスタコーヴィチの交響曲第1番は、メインプログラムは7番だが、この1番も圧倒的な存在感を示す必聴の録音。演奏としてはやや遅めの重心の低いテンポで演奏される楽章もあれば、そこから加速していく音楽の流れというのも中々に面白い印象を受けます。ライヴといってもほとんどがゲネプロの演奏中心でしょうから抜群の安定感を感じ取ることができる演奏となっています。何よりも機能性抜群のオーケストラ全体が一つにまとまっているというのも大分聴きごたえがあるように思えます。当時はショルティの棒のもとで鍛え上げられた弦楽器のアンサンブルは申し分なく、金管楽器のシャープな馬力のある咆哮も素晴らしいものです。木管楽器も歯切れの良い美しい音色も聴いているだけでその凄さが伝わってきます。バーンスタインは作曲家としての視点からショスタコーヴィチの作品を捉えているようで、特にこの第1番はニューヨーク時代も晩年になってから取り上げてもので新旧でそれほど解釈の違いは感じられません。ここでは第2楽章の金管の鳴りにゆとりがあって心地良い。さすがシカゴ響。ピアノも実に安定している。ややもすると転びまくる難易度の高い曲ではあるが、アンサンブルも乱れることなく、難なくこなすシカゴのパワーに圧倒されます。打楽器も全般的に硬質で音量も大きめ。ドン!バン!と決まる大太鼓とティンパニが気持ち良いディスクです。

 

 ショスタコーヴィチの『レニングラード』は、バーンスタインとシカゴ響の数少ない共演で、バーンスタイン晩年様式というべき巨大なアプローチと、当時世界最強とうたわれたシカゴ響の圧倒的なパワーが相乗効果をもたらした演奏で、その壮絶をきわめた大音響では右に出るものがないと評される空前の演奏。第1楽章の有名な“ドイツ軍侵攻”の場面における洪水のようなサウンドには驚くばかりで、名高いシカゴ響ブラス軍団の威力のほどをまざまざと示してくれています。


 非常に重量級な演奏であり、編成も拡大化された曲ということも重なって非常に重厚的かつパワフルな演奏を聴くことができるようになっている「レニングラード」であることは間違いない。テンポの緩急からなる躍動感はそれほどないとしても、楽章が進んでいくごとに鎮魂歌としての役割を成していくこの曲の深みある音色と圧倒的なまでのスケールは中々に聴きごたえのある仕上がりを誇っている。ライヴならではの臨場感を味わえるとはこのことで、金管楽器による群としての分厚さはもちろんのことUHQCD仕様の高音質盤だからこそ体感できるダイナミック・レンジの幅広さや、全てを包み込む金管楽器の圧倒的な音圧と弦楽器による壮大なスケールを余すことなく堪能することができるようになっている。

 

 

 そして、こちらが第1番です。

 

 

 シカゴ響という、おそらくは世界最強のブラスセクションを有するオーケストラを使って録音したバーンスタイン盤は極めて魅力的です。旧盤のニューヨークフィルも名盤でしたが、このシカゴ響との録音はそのスケールの大きさからさらに名演になっています。ヴォルコフによる「ショスタコーヴィチの証言」以来ショスタコーヴィチの音楽は政治・思想から切り離して解説されることが少ないと思っいますが、バーンスタインの演奏は、ショスタコーヴィチの音楽が仮に音響だけであっても、聴き手を完全に圧倒することを教えてくれます。

 

  曲全体は遅めのテンポで、丁寧に仕上げています。第1楽章はスケールたっぷりだし、第2楽章は叙情的。中間部は気だるい感じが出ている。第3楽章は特に良いと感じます。出だしの音からハッとさせられます。美しいだけではなく、どこか悲痛な叫びにも聴こえます。複雑な音色が絡み合って、この作品が作られた当時のショスタコーヴィチの一筋縄ではいかない心情が表れている感じです。バーンスタインはまるで自分の音楽のようにこの作品を手の内に入れているのですが、非常に感情豊かな演奏になっています。まさに同じ作曲家という目線からこの曲にアプローチしています。

 

 この曲を実演で聴いた人は、舞台に所狭しと並ぶオーケストラに目を見張ると思います。打楽器を含む大オーケストラに、作曲家はさらにトランペットを3本(4-6番)、ホルンを4本(5-8番)、トロンボーンを3本(4-6番)追加しています。この追加された金管セクションは極めて強大であり、「レニングラード」の音響上、最もおいしいところをさらっていきます。先日の名フルと愛知芸術大学管弦楽団との共演でもそうでしたが、その理由は第4楽章にあります。

 終盤にさしかかった583小節目、この第4楽章が緊張を孕みつつ最高度に盛り上がってくるところで、フォルテで朗々と演奏されるホルンのパートソロはこの追加部隊に割り当てられています。このあたりのかっこ良さといったら他に類例がありません。音楽はそのまま膨張に膨張を続け、壮大なファンファーレを奏でつつ最強音で終了するのですが、そのファンファーレもこの追加部隊が決めています。

 

 

 

 

 

 

バーンスタイン/VPO

ショスタコーヴィチ交響曲第6,9番

 

曲目/ショスタコーヴィチ

 交響曲 第6番 ロ短調 作品54

1.Largo 22:29

2.Allegro 7:52

3.Presto 7:32

交響曲 第9番 変ホ長調 作品70*

4.Allegro 5:21

5.Moderato 9:19

6.Presto 3:25

7.Largo 3:14

8.Allegretto 5:49

 

指揮/レナード・バーンスタイン

演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1985/10*

   1986/10  ムジークフェライン・ザール

D:ハンス・ウェッバー

P:ハンノ・リンケ

E:クラウス・シャイベ

 

DGG 00289 479 0768

 

 

 実際に手元にあるのはグラモフォンが2012年に発売した「ウィーン・フィル・シンフォニー・エディション」というボックスに含まれているものです。で、下がボックスのジャケと写真です。味気ないですなぁ。このボックスセットデータもイカゲンで、録音データは一切記載がありません。まあ、DGGに残されたウィーンフィルの演奏を適当に寄せ集めたものです。思うに、レヴァインとウィーンフィルでデジタルでもーぁルトの交響曲全集を録音したもののさっぱり売れなかったのでこのセットにぶち込んで撹拌を測ったようなセットです。そのため、今でも在庫が残っているという有様です。それにしても正規リリースされたCDもこの一枚だけジャケットデザインが全く違う絵が使われています。若き女性が草原でランニングしている様は何を表しているのでしょう。

 

 

 この作品、調べるとソ連の画家アレクサンドル・デイネカが1944年に完成させたキャンバスに描かれた「エクスパンス」と題された油彩画です。この作品は、中央ロシアの風景を背景に、スポーティな体格の若い女性たちが走る様子を描いています。1944年、ソ連軍が進軍し、ドイツ軍は逃げ惑っていた。飢餓と貧困に苦しみ、戦争は依然として兵士たちを殺していたが、真珠のような輝きを放ち、勝利は間近に迫り、明るい未来が手招きし、彼らは誰よりも身近に感じられた。これらすべてが絵画に反映されているのでしょう。

 

 

 1979年に出版された『ショスタコーヴィチの証言』以降、ショスタコーヴィチの作品解釈は見直しや変更が頻繁に行われるようになりましたが、このアルバムにおけるバーンスタインのアプローチは、特定の問題意識などの束縛から自由な絶対音楽としての作品像を彫琢し、極めてナチュラルで誇張のない表現のなかに、これら2曲のすこぶる音楽的な実像を浮き彫りにする結果を生んでいます。ショスタコーヴィチの6番と9番の組み合わせです。まず6番は、「革命」と呼ばれる5番と「レニングラード」こと7番との間に挟まれ、目立たずいまいち人気がありません。全体は3楽章構成で、とてつもなく暗く長い第1楽章。一陣の風のようにさらりとスケルツォが流れる第2楽章に続いて、サーカスのジンタのごとき楽天的な第3楽章という極めてユニークな構成で、能の「序ー破ー急」に類似します。それにしても、このバーンスタインの再録になる交響曲第6番はニューヨークフィルとの旧番に比べてもさらにテンポが遅くなっています。旧盤は18:56で、昨日取り上げたプレヴィンでは19分台でしたがここでは22分半をかけて演奏しています。まあ、全体として70年代以降のバーンスタインはテンポが遅くなっていたのですが、ここまで極端ではありませんでした。下はニューヨークフィルの旧録音の第1楽章です。この録音は1965年にされています。

 

 

 それから20年、活躍の舞台をヨーロッパに移したバーンスタインは、ウィーンフィルというカラヤンのベルリンフィルとは対極にあるオーケストラを使って考察を深めた自らの音楽体験を実践したのです。20年間の深厚の成果をここで露吐しています。

 

 

 作曲者は6番という数字を、かのベートーベンの「田園」になぞらえる気であったらしく、政府の社会主義リアリズムに即し、マヤコフスキーの詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」を基本にして、「春の生命の躍動」を描いたと記録にあります。といっても暗さと明るさの極端なコントラストはかなり個性的です。

6番2楽章が旧盤よりさらに遅くなっています。第2楽章を7分53秒で演奏する指揮者はこのバーンスタインぐらいでしょう。一般的には5分台に収まります。ここまで遅いと完全に別の曲のイメージですが、キラキラと輝く音色は素晴らしい。2種のバーンスタインの録音は極めて個性的なので聴き手を選ぶことは間違いないでしょう。

 

 

 

 この作品は映像でも残っています。多分音だけで聴くよりも、その表情づけは映像で確認した方が理解しやすいでしょう。

 

 

 続いて第9番です。バーンスタインは晩年になって重厚長大型というのか、末端肥大症型というのかスローテンポで極端な演奏をするケースが増えました。60年代のニューヨークフィルとの演奏と比較すると「これは同じ指揮者なのか」と疑問に思うほどの変貌を遂げたものです。しかし、どの曲も同じように重厚長大になったわけではないようです。この第9番の方はそれほど演奏時間は変わりません。ウィーンフィルとの再録音では全体的にやや厚い響きになってはいますが、極端な音楽にはなっていません。おそらく、バーンスタインの中にはこの曲に対する確固としたイメージがあって、それが終生変わらなかったのだと思います。指揮者の最終的な到達点としてはこの演奏を取るべきでしょう。

 

 また、第9番は第2次大戦の勝利をテーマとしてますが、これもベートーヴェンを意識しながらもアイロニー的な小編成の5楽章構成で描かれています。確かにこれは、ベートーベンの第九のような大作を期待していた政府関係者を憤慨させ、特に第5楽章のダンスはスターリンが嫌悪したユダヤ民族風の調べという有様。果たしてショスタコーヴィチは政府から糾弾され生命の危機にさらされました。

 

 この作品もまたバーンスタイン自身のアナリーゼが残っています。

 

 

 こちらは旧録音と比べても演奏時間はそんなに違いません。ピッコロの剽軽な主題からなる第1楽章はむしろ旧録音より早いテンポです。映像を確認するとこちらは会場の雰囲気もあるのでしょうが実にイキイキと指揮しています。多分この本来のCDジャケットの絵はこちらの第9番をイメージしてデザインされたものではないでしょうか。同じ傾向の第2楽章。タンバリンなどの打楽器が活躍するスペイン舞曲風の第3楽章。短くとも重厚な第4楽章。アタッカで続く第5楽章で、はじめて戦勝の乱舞が演奏されて終わります。

 

 この曲の小生のディフェクト・スタンダードはミラン・ホルヴァートの演奏ですから、全体はもう少し早めの店舗で軽やかさがあってもいいとは思います。しかし、これはこれでバーンスタインのアナリーゼ通りの演奏として楽しむことにします。

 そんな波瀾に満ちた2作品を、バーンスタインは全くの純粋な音楽として、黙々と指揮しています。ウイーンフィルにとってショスタコーヴィッチはあまりなじみがないと思われますが、指揮者の期待に応えて良い演奏を行っています。「政治は政治、芸術は芸術。関係ないよ。」そんなレニーのつぶやきが聞こえてきそうです。政治に翻弄された芸術を守ろうとした音楽家と演奏で同意を示した指揮者。二人の世代と国境を越えた強い絆が感じられます。

 

 

 こちらも映像が残されています。

 

 

 

 

 

プレヴィン

ショスタコーヴィチ交響曲第6番

 

曲目/

ラフマニノフ/交響曲第3番イ短調Op.44

I. Lento - Allegro Moderato    15:27

II. Adagio Ma Non Troppo    12:59

III. Allegro    12:50

ショスタコーヴィチ/交響曲第6番ロ短調Op.54*

I. Largo    19:20

II. Allegro    7:16

III. Presto    7:04

 

指揮/アンドレ・プレヴィン

演奏/ロンドン交響楽団

 

録音/1973/12/01 ,1974/04*

   1976/07/21,22  アビーロードスタジオ

E:クリストファー・パーカー

D:クリストファー・ピショップ

EMI STUDIO  CDM 7 69564 2
 
 
 このCDはヨーロッバだけでしか発売されていません。不思議です。日本では初出時のショスタコの6番とプロコフィエフの「キージェ中尉」組曲ですが、ヨーロッパではレコード時代からこの組み合わせで発売されていました。2曲合わせると75分ほどの収録時間になりますから、まさに長時間収録レコードであったわけです。一つ推測されるのはこのラフマニノフの3番はRCAにもプレヴィンは録音を残しています。そのため、優位性を生かすためにこのカップリングを選択したのではないでしょうか。と、書いておいて、ここではショスタコーヴィチの交響曲第6番しか取り上げません。ラフマニノフはまた別の機会に取り上げます。
 
 第1楽章です。ラルゴの楽章ですが弦楽の濃厚なユニゾンにより開始され、全体の半分近くを占める長大な楽章です。弦楽器による主題の提示は前作の第5番とも共通していますが、その後にテンポアップして勇壮なクライマックスを迎えることはなく、むしろこの前半部分の大音響を頂点に音量はどんどん低下し、弦楽器のトレモロに乗った木管楽器のソロやアンサンブルを中心に、瞑想的かつゆっくりと進行します。プレヴィンはソビエトの各オーケストラが鋭い切れ込みと寒々とした凍てつくような木管の響きを特徴に音楽を組み立てていますが、プレヴィンはそこに人間的な温かみをもプラスして演奏しています。これはひとえにEMIの作り出すバランスの取れた音場によるところが大きいのかもしれません。曲は盛り上がることなく徐々に曲調は冷ややかさを帯び、2本のフルートの静かな掛け合いやバスクラリネットのモノローグを経て、やがて冒頭と同じロ短調で静かに終止します。一説にはレーニン讃歌を目指して作曲するようにとの当局の指示を逆手にとってアイロニー的に第5番の対極のような作品を目指したというショスタコーヴィチの静かなる反骨芯が底流に流れているのでしょう。



 
 第2楽章は快活なアレグロの楽章です。通常の交響曲ならスケルツォに値する楽章でしょう。明るいクラリネットソロに始まる、軽快なスケルツォ楽章です。基本的に3/8拍子でうきうきと小躍りしながら進むのですが、時折4/8拍子+5/8拍子が交錯し「おっと・・・」と踊りのステップが一瞬乱れます。この辺のリズム感はさすがプレヴィンです。この録音はプレヴィンの任期の絶頂期に録音されています。ロンドン交響楽団は自主運営のオーケストラでクラシック以外にも映画音楽もたくさん手がけていますが、そういう柔軟性が映画音楽出身のプレヴィンとの相性の良さを引き出しているのでしょう。切れ味のいい金管楽器が加わり頂点を築いた後、ティンパニのソロを経てピッコロとバスクラリネットの反行カノンで主部が再現しますが、その後喧噪は遠ざかる一方で、最後はフルートとクラリネットにより、ふわっと舞い上がるように消えていきます。


 
 
 第3楽章の出だしはロッシーニの「ウィリアム・テル」のスイス軍の行進を想起させます。ショスタコーヴィチは自作によく他の作曲の作品を引用していますが、その引用の仕方がまた絶妙です。このウィリアム・テルはのたに交響曲第15番にも引用しています。途中でソロヴァイオリンを採用するのも同じ用法です。突如として3/8拍子となり、やがて金管楽器や打楽器が激しく爆発します。不規則な変拍子による木管楽器のアンサンブルを経て、ヴァイオリンのソロにて冒頭の主題が戻ってきます。テンポは最後まで緩むことなく、ティンパニを伴って一気に駆け抜けて終結を迎えます。

 
 
 この交響曲第6番はベートーヴェン同様に交響曲第5番と第6番を対にして、ショスタコーヴィチの「田園交響曲」であると解釈する向きがあります。また作曲者本人もこの意味深長な交響曲について、同時期に作曲された弦楽四重奏曲第1番とともに「春の喜びに満ちた抒情的な曲」であると述べています。しかし、時代はナチスがポーランドに侵攻していて、かろうじて独ソ不可侵条約で均衡は保たれていますが、暗雲は漂っている時代です。そういう時代背景を考えると織田生木通りとは考えられません。第1楽章は喜びとは程遠い、どんより曇った空のようなモノトーンが支配しています。このプレヴィンのショスタコーヴィチの第6番は、ほとんど数ある名盤の中では埋もれている演奏です。ただ、個人的にはこのプレヴ院の演奏は1970年代という時代の中にあってソフィスティケートされた一種のアンチテーゼ的な側面を持っていて、当時の西側に広くショスタコーヴィチを知らしめようという目的があったのではと思ってしまいます。ために、プレヴィンは4、5.6、8、10、13版という作品を録音していますが、戦争をまともに扱った7番、10番、11番、12番という作品は録音していません。
 

 
 

 

 

 

 

 

 

クーベリック/VPO

「我が祖国」

 

曲目/スメタナ「我が祖国」

1:ヴィシェフラド 14:25

2:ヴルタヴァ 11:31

3:シャールカ 9:31

4:ボヘミアの森と草原から 12:24

5:ターボル 13:20

6:ブラニーク 13:58

 

指揮/ラファエル・クーベリック

演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1958/04/03-07 ゾフィエンザール

 

DECCA   425784-2XN

 

 

   CD初期の1989年に英DECCAから発売された「noblesse」シリーズの一組です。このCDはクーベリックでスメタナの「我が祖国」とケルテスでドヴォルザークの交響詩をセットにしたもので内容的に充実していたので捕獲したものです。このシリーズ自体日本では発売されていませんでしたし、プレスが当時の西ドイツのハノーファー工場製ということで今となっては懐かしい全面銀蒸着仕様のCDです。で、今回取り上げるのはその片割れのーベリックの「我が祖国」です。数あるクーベリックの「わが祖国」の録音中2番目であるこのウィーン・フィル盤は、後のボストン響やバイエルン放送響、そして最晩年のチェコ・フィル盤と比較するとCDでは現状入手が難しいディスクでした。国内盤においては現在のユニバーサルミュージックになってからは一度も発売されたことが無く、以前のキング時代に発売されて以来久々の復活となります。輸入盤でもローカル盤等(このCD)で再発されていたものの、比較的入手し辛かった盤といえるでしょう。

 

 久しぶりにCDラックから取り出したら中のウレタンスポンジが変色し、CDに一部固着していたので慌ててスポンジを取り除きCDを清掃して再生を確認したところです。日本ではCD初期にキングから出ていましたが、本家ではこんな形で発売されていたんですなぁ。

 

『わが祖国』は第2次大戦以後、「プラハの春」音楽祭のオープニングで必ず演奏されるようになったこともあって、一部の人々にとっては、特別の意味合いを持つ曲ともなっています。バイロイト復興コンサート初日のフルトヴェングラーの「第9」や、ベルリンの壁崩壊を記念するバーンスタインの「第9」と同様の意味で、特異な価値を持たされてしまったクーベリック&チェコ・フィルの1990年ライヴは、確かに、その独特の雰囲気など、別格といってよい演奏ですが、クーベリックにとっても、チェコ・フィルにとっても、必ずしもベストの演奏とは言えません。このウィーンフィルを振った「我が祖国」は、これは個人的な穿った見方かもしれませんが、デッカが次世代のウィーンフィルを牽引する指揮者として白羽の矢を立てていたのではと思わせる起用でした。シカゴ響とは33歳の時マーキュリーに録音していましたがモノラルでした。そして、ここでは44歳という年齢でウィーンフィルに登場しています。この時期、クーベリックはDECCAにウィーン・フィルとお試しのような形でブラームスの交響曲全集、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集とチェロ協奏曲と第7番&第9番、そしてこの「わが祖国」を録音しています。片やショルティもベートーヴェンの第3、5、7と録音しましたがそこまででシンフォニー指揮者としてはポシャりました。1958年時点でショルティは46歳でした。でも、どちらもデッカのお眼鏡には敵わなかったのでしょう。

 

 ただ、若いなりにもウィーンフィルというオーケストラに立ち向かって祖国の音楽を記録として残せたのは幸いだったのかもしれません。なんと言ってもウィーンのあるオーストリアのお隣はもうチェコなんですから。当時のウィーンフィルはまだウィーン訛りが残っていた本当にウィーンフィルらしい響きを持っていました。のちにクーベリックは何度もオーケストラを変えてこの「我が祖国」を録音していますが、個性的なこのオーケストラを相手に足跡を残したのは今となっては貴重です。そういう意味ではこの録音はウィーン・フィルを聴くべき物でもあるのでしょう。すでに当時はボスコフスキーがコンマスに座っていましたし、そのしなやかなヴァイオリン、上品なトランペット、こくのあるウインナホルンの響きなど、いずれも絶品といえます。そのため、個性という点では全盛期を迎えていたと言われる1950年代のウィーン・フィルの美質を堪能できる貴重な録音となっています。オケのインターナショナル化が進んだ現在のウィーン・フィルでは得難い個性であることもなおさら本録音の価値を高めています。ウィーン・フィルの「わが祖国」の盤は意外と少なく(他にレヴァイン、アーノンクール等)、その意味でも重要な記録です。また、ウィーン・フィル初めての「わが祖国」全曲録音でした。

 この録音レコードで発売された時は2枚組で発売されました。イギリス盤はそのまま1面から4面のカッティングで発売されましたがSLX規格で発売されたアメリカ盤は1枚目(SXL2064)の1面に1,2曲目「ヴィシェフラト」「モルダウ」に対し、同じ品番の裏面は3曲目「シャールカ」ではなく終曲「ブラニーク」となっている点です(商品のジャケ写は初期盤SXL2064の面を採用)。そして2枚目(SXL2065)では1面に3,4曲目「シャールカ」「ボヘミアの森と草原より」、裏面には5曲目「ターボル」となっています。面の振り当てが風変りなのは、当時オートチェンジャー用に対応するための処置と言われています。

 

 さて、第1曲の「高い城」ではハープの音色が美しく奏でられて始まりますが、その後のオーケストラはかなり古めかしい響きに聴こえます。このCD、デジタル化初期ということもあり、ADRMの表示があります。そのため、デッカの初期ステレオ録音としては、必ずしもいい状態のものではなさそうです。ただ、そこから聴こえるVPOの響きは、まだローカルな香りがするもので、合奏精度は最近の録音のようにかっちりしたものではありません。

 

 有名な第2曲「モルダウ」になりますと、ローカル色豊かな響きが郷愁を誘うようでもあります。ちょっと鄙びた音色で意外とあっさりとした解釈でこの曲を振っています。クーベリックは、意外とこの有名曲を過剰な演出を排して素朴に演奏しようとしているようで、全体の中の一曲という位置付けで演奏している気がします。大活躍するフルートをはじめとして、管楽器群がウィーンの楽器特有の響きであるのも影響しているかもしれません。セルの演奏など演出過剰な部分もあり、曲本来の味わいはこのクーベリックの演奏の方が好きです。

 

 第3曲「シャルカ」というのはチェコ伝説上の女戦士を題材にしたもので、ヤナーチェクもオペラに仕上げていますから、チェコでは有名な存在なのでしょう。そういう勇猛な女性の話であるからでしょう、ここではなかなか迫力ある演奏を聴かせてくれています。

 

 第4曲「ボヘミアの森と草原から」は実を言うとこの「我が祖国」の中で一番好きな曲です。冒頭から深い森を感じさせるVPOの重厚な響きかで始まり、次第に明るい風景へと変化していくさまが音からダイレクトに感じ取ることができる気分になります。終盤のポルカの賑やかな迫力は楽しさを倍加させてくれます。

 

 第5曲「ターボル」は、やはりチェコの歴史上重要な「フス戦争」の拠点となった町の名前です。ヴァチカン支配に抗したチェコの宗教的な戦いという重い題材ですからVPOの重厚な響きがよく似合っていますし、緊迫感豊かな音楽を聴くことができます。

 

 最後の第6曲「ブラニーク」は、前曲から引き続き「フス戦争」を題材にしたもので、そのとき亡くなった兵士を埋葬した山の名前です。

前曲の旋律を引き継いで始まるこの曲は、題材のせいか、ちょっと英雄的な雰囲気を感じさせたりと、終曲にふさわしい劇的なところがあります。そこをクーベリック/VPOは、かなりダイナミックな演奏で聞かせてくれますので、満足感いっぱいで聴き終えることができます。ただ、ティンパニの音がぼこぼこ鳴る点はやや録音の古さを感じずにはいられませんけどね。

 

キリル・コンドラシン

ショスタコーヴィッチ

交響曲第8番

 

曲目/ショスタコーヴィッチ交響曲第8番

A1    Adagio    23:22

A2   Allegretto    5:33

B1  Allegro Non Troppo    5:52

B2  Largo — Allegretto    20:15

 

指揮/キリル・コンドラシン

演奏/モスクワフィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1961

Producer – Giveon Cornfield

 

EVEREST 3250

 

 

 ショスタコーヴィチのレコードを整理していたらこんなものが出てきました。当時はどこを探してもこんなレコードの存在すらありませんでした。最近は古いレコードは「DISCOGS」のサイトをあたっているのですが、そこにはちゃんとこのレコードが存在していました。ジャケットに「A FIRST AMERICAN RECPODING」とありますが、多分EVERESTとして最初のアメリカ発売という意味でしょう。と時イギリスはEMI、アメリカはこのEVERESTが発売権を持っていました。ということで録音データは1962年ということでしょう。この時、同時にイギリスでもASD2474として発売されています。ただ、この交響曲第8番、第5楽章まである作品なのにこのレコードにはトラックは4つしかありません。まあ、この交響曲第8番も7番と同じく第4楽章と第5楽章はアタッカでつながっています。ですからこういうトラック割でも支障はないのですが、解説としては不親切ですわなぁ。そして、トラックには楽章の表記がありませんからあながち間違いではありません。第4楽章がラールゴ、第5楽章がアレグレットとということです。構造的には1、2楽章と3、4、5楽章でシンメトリックな構造となっているということができます。つまりは、実際には第3楽章以下第5楽章までは一塊の曲として演奏されます。

 

 

 

詳しいデータの記載は何もありません。いつものブルーと赤のレーベルデザインです。

 

 アダージョで始まる構造は交響曲第5番と同じ形をとっています。

この作品は、モスクワにある「創作の家」で1943年の夏に僅か二か月余りで書き上げられました。『ショスタコーヴィチ自伝』によると、曲の完成直後にショスタコーヴィチはこの作品についておよそ次のような解説をしたとあります。 

交響曲第8番には、多くの内的、悲劇的、劇的な葛藤がある。けれども全体は、楽観主義的な、人生肯定的な作品である。第1楽章は極めてゆっくりと進行し、極めてドラマチックな緊張を持ちクライマックスに達する。第2楽章は、スケルツォ的な要素の行進曲であり、第3楽章は活発でダイナミックである。第4楽章は痛々しく沈んだ性格を持つ。第5楽章は、様々な舞曲や民謡風の旋律を持った明るく喜びにみちた牧歌的な音楽である。

この第8番には、これまでの自分の仕事に含まれていた主義主張のようなものが今後の発展方向をみいだしているような気がする。この新作は、ごく簡単に言い表すと、たった二つの言葉で、「生きることは美しい」という風に表現出来る。あらゆる暗くて陰気なものが消え去り、美しいものが勝つ。” 

一方で、後にソロモン・ヴォルコフにより編纂されたあの有名な『ショスタコーヴィチの証言』によれば、この曲は、人類史上でも稀有なほど凄惨な戦いとなった「スターリングラード攻防戦」の犠牲者や圧政で死んでいった人や苦しんでいる人たちのためのレクイエムだと本人が述べたとあります。 

 

 曲の初演は1943年11月にモスクワで、ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団によって行われました。作品はそのムラヴィンスキーに献呈されています。国外では翌年、世界各地で「スターリングラード交響曲」の名称で演奏されました。 まあ、今ではこう呼ばれることはありませんが、曲を聴くと前作の第7番との対比において「スターリングラード」と呼んでもしっくり来るなぁと個人的には思っています。ただ、5楽章の終わり方は対照的に戦争はまだ続くかのように全曲は静かに終結していてそういう点で人気がイマイチなところとなっています。

 

 このコンドラシン演奏は多分ステレオで収録された最初の演奏ではないでしょうか。そして、初演者のムラヴィンスキーの演奏と共に忘れられない演奏になっています。個人的にはこのレコードは第7番を所有する前に持っていたこともありよく聴き込み、コンドラシンの指揮に魅了された記憶があります。第1楽章冒頭の低弦にすぐに現れる「ド-シ♭-ド」の動きにあります。この二度下がって(または上がって)戻るモチーフが、全楽章を緻密に支配していき、約60分の全曲に統一感を与えています。

 

 コンドラシンのショスタコーヴィチは当然ながら日本では新世界レコード、日本ビクターで発売されましたから日本では、このエヴェレスト盤は輸入盤としか流通していません。玉の入荷も当然少なかったでしょうなぁ。日本盤はVIC5171として発売されています。それにしても不思議に思うのですが、日本ではメロディアが消滅したとき、その原盤はどうなったんでしょうなぁ。日本コロムビアがコンサートホール原盤のコピーテープを保有していたようにビクターにもメロディあのコピーマスターがあるように思われるのですが、ビクターはコロコロと親会社が変わっているので今更メロディアの原盤には興味がないのでしょうかねぇ。残っていれは日本はマスター管理がしっかりしているので本家のメロディアより劣化の少ないマスターがあるはずなんですけどねぇ。韓国メーカーばかりがメロディアをリリースしているのにビクターが動かないのは不思議な気がします。

 

 さて、このコンドラシンの演奏、1962年と録音は古いのですが、演奏はすこぶる立派で、言ってみれば馬力のあったソ連のオーケストラを堪能できます。 アダージョの第1楽章は全曲の半分近い長さを占め、弱音の緊張感や張りつめた美しさから、血塗られたような不協和音の轟音まで、真に迫る場面が連続する、ショスタコーヴィチ渾身の傑作楽章といえます。

 

 快活な第2楽章と弦が刻む中を独特の方向を上げる第3楽章はともに短い楽章で有永鮮烈な印象を与えます。この頃のモスクワフィルは中々の実力者が揃っています。第3楽章の中間部のトランポットのギャロップも見事ですし、金切り声を上げる咆哮もピタッと決まっています。

 

 全曲一気通貫は下の演奏でどうぞ。

 

 

 各楽章ごとは下で楽しめます。

 

 

 

 

 

 

中古レコードです。