キリル・コンドラシン/ショスタコーヴィッチ交響曲第8番 | geezenstacの森

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キリル・コンドラシン

ショスタコーヴィッチ

交響曲第8番

 

曲目/ショスタコーヴィッチ交響曲第8番

A1    Adagio    23:22

A2   Allegretto    5:33

B1  Allegro Non Troppo    5:52

B2  Largo — Allegretto    20:15

 

指揮/キリル・コンドラシン

演奏/モスクワフィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1961

Producer – Giveon Cornfield

 

EVEREST 3250

 

 

 ショスタコーヴィチのレコードを整理していたらこんなものが出てきました。当時はどこを探してもこんなレコードの存在すらありませんでした。最近は古いレコードは「DISCOGS」のサイトをあたっているのですが、そこにはちゃんとこのレコードが存在していました。ジャケットに「A FIRST AMERICAN RECPODING」とありますが、多分EVERESTとして最初のアメリカ発売という意味でしょう。と時イギリスはEMI、アメリカはこのEVERESTが発売権を持っていました。ということで録音データは1962年ということでしょう。この時、同時にイギリスでもASD2474として発売されています。ただ、この交響曲第8番、第5楽章まである作品なのにこのレコードにはトラックは4つしかありません。まあ、この交響曲第8番も7番と同じく第4楽章と第5楽章はアタッカでつながっています。ですからこういうトラック割でも支障はないのですが、解説としては不親切ですわなぁ。そして、トラックには楽章の表記がありませんからあながち間違いではありません。第4楽章がラールゴ、第5楽章がアレグレットとということです。構造的には1、2楽章と3、4、5楽章でシンメトリックな構造となっているということができます。つまりは、実際には第3楽章以下第5楽章までは一塊の曲として演奏されます。

 

 

 

詳しいデータの記載は何もありません。いつものブルーと赤のレーベルデザインです。

 

 アダージョで始まる構造は交響曲第5番と同じ形をとっています。

この作品は、モスクワにある「創作の家」で1943年の夏に僅か二か月余りで書き上げられました。『ショスタコーヴィチ自伝』によると、曲の完成直後にショスタコーヴィチはこの作品についておよそ次のような解説をしたとあります。 

交響曲第8番には、多くの内的、悲劇的、劇的な葛藤がある。けれども全体は、楽観主義的な、人生肯定的な作品である。第1楽章は極めてゆっくりと進行し、極めてドラマチックな緊張を持ちクライマックスに達する。第2楽章は、スケルツォ的な要素の行進曲であり、第3楽章は活発でダイナミックである。第4楽章は痛々しく沈んだ性格を持つ。第5楽章は、様々な舞曲や民謡風の旋律を持った明るく喜びにみちた牧歌的な音楽である。

この第8番には、これまでの自分の仕事に含まれていた主義主張のようなものが今後の発展方向をみいだしているような気がする。この新作は、ごく簡単に言い表すと、たった二つの言葉で、「生きることは美しい」という風に表現出来る。あらゆる暗くて陰気なものが消え去り、美しいものが勝つ。” 

一方で、後にソロモン・ヴォルコフにより編纂されたあの有名な『ショスタコーヴィチの証言』によれば、この曲は、人類史上でも稀有なほど凄惨な戦いとなった「スターリングラード攻防戦」の犠牲者や圧政で死んでいった人や苦しんでいる人たちのためのレクイエムだと本人が述べたとあります。 

 

 曲の初演は1943年11月にモスクワで、ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団によって行われました。作品はそのムラヴィンスキーに献呈されています。国外では翌年、世界各地で「スターリングラード交響曲」の名称で演奏されました。 まあ、今ではこう呼ばれることはありませんが、曲を聴くと前作の第7番との対比において「スターリングラード」と呼んでもしっくり来るなぁと個人的には思っています。ただ、5楽章の終わり方は対照的に戦争はまだ続くかのように全曲は静かに終結していてそういう点で人気がイマイチなところとなっています。

 

 このコンドラシン演奏は多分ステレオで収録された最初の演奏ではないでしょうか。そして、初演者のムラヴィンスキーの演奏と共に忘れられない演奏になっています。個人的にはこのレコードは第7番を所有する前に持っていたこともありよく聴き込み、コンドラシンの指揮に魅了された記憶があります。第1楽章冒頭の低弦にすぐに現れる「ド-シ♭-ド」の動きにあります。この二度下がって(または上がって)戻るモチーフが、全楽章を緻密に支配していき、約60分の全曲に統一感を与えています。

 

 コンドラシンのショスタコーヴィチは当然ながら日本では新世界レコード、日本ビクターで発売されましたから日本では、このエヴェレスト盤は輸入盤としか流通していません。玉の入荷も当然少なかったでしょうなぁ。日本盤はVIC5171として発売されています。それにしても不思議に思うのですが、日本ではメロディアが消滅したとき、その原盤はどうなったんでしょうなぁ。日本コロムビアがコンサートホール原盤のコピーテープを保有していたようにビクターにもメロディあのコピーマスターがあるように思われるのですが、ビクターはコロコロと親会社が変わっているので今更メロディアの原盤には興味がないのでしょうかねぇ。残っていれは日本はマスター管理がしっかりしているので本家のメロディアより劣化の少ないマスターがあるはずなんですけどねぇ。韓国メーカーばかりがメロディアをリリースしているのにビクターが動かないのは不思議な気がします。

 

 さて、このコンドラシンの演奏、1962年と録音は古いのですが、演奏はすこぶる立派で、言ってみれば馬力のあったソ連のオーケストラを堪能できます。 アダージョの第1楽章は全曲の半分近い長さを占め、弱音の緊張感や張りつめた美しさから、血塗られたような不協和音の轟音まで、真に迫る場面が連続する、ショスタコーヴィチ渾身の傑作楽章といえます。

 

 快活な第2楽章と弦が刻む中を独特の方向を上げる第3楽章はともに短い楽章で有永鮮烈な印象を与えます。この頃のモスクワフィルは中々の実力者が揃っています。第3楽章の中間部のトランポットのギャロップも見事ですし、金切り声を上げる咆哮もピタッと決まっています。

 

 全曲一気通貫は下の演奏でどうぞ。

 

 

 各楽章ごとは下で楽しめます。

 

 

 

 

 

 

中古レコードです。