昨年の1月29日に日本の民間団体がガダルカナル島沖でのソナー調査で、戦艦「比叡」らしき海底突起物を発見した、という報道がありました。

あれから一年。

ひょっとしたら近く比叡が発見される可能性があると思っていましたが、昨年10月に亡くなった故ポール・アレン氏のチームによって、今年1月31日に船体の2/3を遂に発見したという報道が伝わってきました。

 

引用記事は→こちら

 

発見された状態は引用記事にある通りですが、付け加えると「ひっくり返った」かたちで海底に沈んでいたそうです。

以下の海底画像は探索チームのfacebookより。

 

船首部分が引き裂かれた船体の右舷側。ここから先、約70m部分は発見されず

 

 

九六式25mm対空機銃の弾丸が入った箱

 

 

(左)船体の舷窓 (右)戦闘によるダメージでできた裂孔でしょうか

 

スクリュープロペラとシャフト 

 

これは方向舵

 

八九式12.7cm高角砲。正面に12.7cmの砲弾が見えます

 

 

(左)船体から約500m離れた所にあった測距儀のベースらしきもの。(右)反対側からの撮影

 

マストのベースらしきもの

 

 

比叡は戦前、御召艦として幾度か昭和天皇が座乗した事で国民にもよく知られていたものの、1942(昭和17)年11月12日の第三次ソロモン海戦第1夜戦で損害を受け、翌日に自沈処理されています。大東亜戦争での帝国海軍最初の戦艦喪失となりました(2日後、同海域での第2夜戦で同型戦艦「霧島」も沈没)。

 

第三次ソロモン海戦にて攻撃を受ける比叡 (Wikipediaより)

 

1942年7月11日 アリューシャン方面から帰投中の比叡、東京湾にて。 (Wikipediaより)

 

切手にもなった比叡 (Wikipediaより)

 

ポール・アレン氏が亡くなって数か月たちますが、彼の遺志はその後も粛々とクルーたちによって引き継がれ、実行されています。この分だと霧島の海底画像(梅之助の知る所では、これまで1992年に撮影されたスクリューの写真1枚しかない)も近く、日本に届けられるかもしれません。

ただし、本来なら多くの先人たちを太平洋で失った我々日本人が率先して行うべき事なのではないでしょうか?

 

 

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