医者からの余命宣告や冷たい言葉や態度を受けたと怒り落ち込む患者さんがたくさんいます。

私はこのような問題は病院にいる限りは避けられないと思います。
とはいっても、病院を退院するわけにはいかないのが普通です。
 
ほとんどの医者は「がん=治らない死」と確実に思っています。
特に大きな病院に行けば生きほど。
だから家族にも、患者さんにも早めに良くならないことを受け入れさせたいのです。
 
そのほうが、患者さんが治らなかったときの家族の悲しみは和らぐから。
やっぱりダメだった・・・・と
 
命は他人が決めることはできないのに・・・・
しかしそれは医者が悪いのではなく、私たち患者が命を医者に預けてしまうから起こる現象だと思っています。
 
だからこそ、私はこのような活動をしています。
本当の意味での命の尊厳は、他人がとやかく言うことではなく自分自身の問題なのです。
 
こうなってくると多分ここから先は、患者さんとご家族の問題です。
そして患者さんと家族の考え方が違う場合も多々あります。

患者さんが治らないと思ってしまい、家族はなんとかして治したい!と

患者さんが死を受け入れた場合、周りがそれに対して批判したりとやかく言うことはできません。
それをしたら、患者さんは自分の心と、家族の思いとの間に挟まれてさらに苦しみが増します。そして家族も一生悔いが残ったり、負い目を感じたりするでしょう。

それは患者さんにとっても本意ではないと思います。
家族をはじめ周りが患者さんにしてあげれることは、受け入れることではないかと思います。
 
世の中はすべて真実です。
良いも悪いもすべてが真実なのです。
 
しかし、多くの人の真実とそうでないものがあると思っています。
例えば、治らないと諦めてしまっている患者の思いも真実。
治ると信じている家族の思いも間違ってはいません。
 
人がすべて違うように、真実もすべて違うのです。
 
どんな人も苦しんで苦しんで、真実を見つけようとします。
これでいいのだと。
真実は人の数だけあるのです。

ここまで書いていると、なんだか患者さんが治らないと思ってしまったら家族は諦めなければいけないと書いているようですが決してそうではありません。

私が言いたいのは患者さんの思いを無理に変えようとするのではなく、変わるように持っていくことが大切だということ。

分かりやすく言えば、後ろからけつを叩いたり、前から早く来いとけし掛けるのではなく、一緒に並走するのです。患者さんの歩くスピードに合わせて。

そして一緒に徐々にスピードを上げるための努力をするのです。
とはいってもそれがなかなかできていないのが現状。

そして患者さんは遅い・走れないという苦しみややっぱりダメだという諦めをもってしまします。

そうならないためには、患者さんと一緒に希望を持って併走することが大切だと思います。