あなたはどう生きるか?


私はこう問われたら「健やかに、無邪気に生きる」と言うだろう。


では健やかとはどのような状態なのか?


辞書で健やかを引くと“心身が健全であるさま”とあるが、それがどんな状態なのかはよくわからない。

では私はどう生きようとしているのか?

私の生きるお手本は赤ちゃんだ。

赤ちゃんこそが〝健やか“そのもの。

よく笑い、よく食べ、よく眠る。

そして憎しみや妬み、悲しみといった邪気がない心、すなわち無邪気。



あまり考えずに行動する。

だから意図や目的がないので赤ちゃんの笑顔は可愛い。

ずっとこのままでいて欲しい。

しかし、我ができ、考えることや見返りを覚えることで健やかさは欠如していく。


そして大人になったら既に健やかさはどこへ行ったやら。


顔が険しく、笑っても薄ら笑い、威張ったり怒ったり・・・・・

私も以前はそうだった。


もちろん今でも邪気もたくさんあり、我欲もある。


だからそこに少しでも近づけるよう意識をしてはいるが、なかなかそうはいかないのが現実でもおる。


多くの人はそんなふうに生きるのは出来る訳がないと思うが、目指すことはできる。


先日、ちょうど還暦を迎えたこともあるし、目も見えなくなってくるので、そろそろそれらを捨てどきと思っている。


すべての人に赤ちゃんの時期があったのだから、一度は経験しているので、できるのでは?なんて思っている。


だから私は赤いちゃんちゃんこは着ないが、そこに向かって生きてみようと思う。


生まれた原点に向かう生き方。

それこそが人を幸せに、そして自分が幸せになる生き方だと思うのは私だけなのかなぁ~?


先月はバタバタしていて交流会ができませんでしたが今月は9月26日(火)19時からZOOM交流会

翌日、27日(水)はランチ交流会を開催します。

ガンの方ではなくても、参加いただけるようにしました。

では詳細を

★めぐみの会 ZOOM交流会
時間: 2023年9月26日 19時~20時30分

Zoomミーティングに参加する
https://us02web.zoom.us/j/83734431464?pwd=QS9RRktsN0toYlBjUHQwSVJZNmRIdz09

ミーティングID: 837 3443 1464
パスコード: 399431

参加費は無料





★ランチ交流会は翌日9月は27日(水)11時30分から13時まで

参加費はランチ・飲み物付きで1200円

席の確保が必要なので、参加される方は早めにご連絡下さい。


場所は東郷食守族

https://goo.gl/maps/dnF3i6LfM2BvtGUh8





お申し込みはこのメールに返信でお願いします。

ZOOM交流会はお申込みなしでの当日参加でも大丈夫です。

そんなことでお時間があったら是非お気軽にご参加くださいね。

いろいろお話しできたら嬉しいです。

昨日は60 歳の誕生日、還暦を迎えることができた。


17年前、ガンになり5年生存率20%前後と知った時には、「いったいこの先、何年生きられるのだろうか?もし5年生きられたら、、、、でもら20%しかない、、、たぶん無理ではないか?」

 

「いや、なんとかなる」


そんな考えても、悩んでも解決しないことを考え、悩み、自問自答していた時期もあった。

 

しかし、17年後の今こうやって、なんと還暦の60歳を迎えることができた。

 

今思い返しても、今私がこうやって生きていられるのも、家内、娘、息子、家族がいたからだと思う。

 

心から有難いと思うし、嬉しい。

 

そんななかで、一区切りとなる還暦の060歳の誕生日を迎えることができたのは、たぶんサラリーマンを辞めた時、「生きる覚悟と死ぬ覚悟を同時にした」からだと思う。

 

ガンになった当初は、あと何年生きれるか?子供たちの成長する姿を見ることが出来るか?と死ぬことばかり考えて不安ばかりの毎日でした。

 

私は15年前、癌になって2年後に26年間働いてきた(株)三越を辞めました。

当時は子供はまだ小学生の低学年で住宅ローンものこっていた。

多くの人にどうやって飯を食っていくのか?

 

家族を養っていくのか?

 

早まるな!

なんて言われた。

そして、たくさんの方に、よく仕事を辞めることができたと言われる。

どうしてやめることができたのか?を振り返ってみた。

たぶん「生きる覚悟」をしたからだと思う。

癌になる前は、生きているという感覚を持っていなかったように思う。

ただ何となく起きて,会社に行って、酒を呑んで、飯食って、寝るを繰り返していた。

生きていること自体を当たり前だと思っていた。

しかし、癌になっていつ死ぬかわからないという状態に陥ったのだ。

がんになった当初は、死の恐怖や不安の方が生きていることより大きくなってしまい生きる方より死ぬ方に目が行ってしまった。

死から逃れるために生きていたと思う。

しかし、それではこれからの人生ずっと逃げていなければいけないし、いつかは疲れてしまう。

私は逃げるのをやめようと立ち止まり死と向き合った。

当たり前のことだが、分かったことは「人はいつか必ず死ぬし、いつ死ぬかはわからない」ということ。

つまり直前になるまでは実体はないということだった。

だったらそんないつ来るかわからないものに怯えるより、死までのの課程になる生に目を向けようと思った。

そして、「生きる覚悟」をしたのだ。

常に生きていると感じることができる生き方をしようと覚悟したのだ。

それは「生きる覚悟」と当時に「死ぬ覚悟」もすることだった。

明日死んでもいいと思える生き方。

私が死んだとき、家族や子供たちに対して何が残るか?

以前のままだったら、私は癌になって人生設計が狂って奈落の底に落ち後悔と苦しみの中を生きて死んだという記憶が残る。

すると、やっぱ癌は怖いし、癌になったら不幸になってしまうという意識が出来上がってしまう。

そんな記憶は残したくないと思った。

私は家族や子供たちに対して父や夫と言う前に人間としてどう生きるかを示してみようと思った。

それは親として夫として生きるのではなく、一人の人間として生きる覚悟だった。

癌になった時に以前の私は死んで、新しい私に生き返った。

そんな生き方をしたほうが、家族や子供たちが今後何らかの苦境に立ったときに役に立つのではないかと思ったのだ。

家族は私の鬱になり癌になって抗癌剤をやり大きな手術をして人工呼吸器につながれた姿からすべてを知っている。

それを乗り越えて生きていく姿を見せることは、私にしかできないことだし、癌にならなかったらできないことだ。

それをチャンスと捉えた。

どう生きて、どう死ぬか?

それは本来すべての人がもっている使命であるが、なかなか実感がないことでもある。

といいうより、あえて実感しないように生きているような気もする。

私は幸運にも癌になったことでこの両方に目を向けることができた。

そして、「生きる覚悟」と、「死ぬ覚悟」を同時にしたことで、過去と離れて未来と現在を同時に生きることができるようになった。

未来なんて現在しだいでどうにでもなる。

今がよかったら、未来も良いに決まっている。

だったら今が良いと思える、体と心の使い方をするだけでいい。

先のことを考える必要も、目標を作る必要もなくなった。

それが私にとって「今を生きる」ということだ。


その今を積み上げた結果の還暦なのだ。


私は17年前野6月27日に、15時間の大きな手術をして人工呼吸器につながれ、何もできない赤ちゃんのような状態になったときを2回目の人生の誕生日とした。


となると今日からは3回目の人生だ。


もう一度、原点に還って「生きる覚悟と死ぬ覚悟」をしようと思う。


2.回目の人生のときにはまだ幼かった子どもたちも、お陰さまで成人して、立派に自分の生き方をしている。


当時は一緒に暮らしていた祖母や両親よりも先に死ぬこともなく、見送ることが出来た。


だからこれからの3回目の人生は、今まで以上に人様のお役に立てるような生き方をして、還暦を迎えられた恩恵をこの世に還し、次につなげ巡らせていこうと思う。


今までと同じように、人生の最後を迎えるまで、未来のための今を生き続けるだけ。


そして最後は生き抜けたことにら感謝して土に還る!


還暦の今日、そんな潔い生きた方をしようと決目たのでした。










 

 
今日、お陰さまで還暦60歳を迎えることができました。
 
実は5年前、55歳のときに『そこらにはいない、元気でバリバリに動ける還暦60歳』目指してきました。
 
そして今日、その日を迎えることができました😊

、お店のオープンや緑内障手術後の安静期間もあり1年弱ほどはたまにしか身体を動かせませんでしたが、7月から毎朝1時間30分ほどストレッチ、筋トレやトレーニングをしてきたことで、なんとかそれを達成することができました。
 
今朝、トレーニング後に撮った写真と動画です。
 
 




普通とはちょっと違った60歳になれたかな?
 
私がこのように一つの節目に向かって自分に意識をむけて、身体を鍛えたりするのは、その先の人生を豊かにするため。
 
身体を鍛えることは私にとって原点に還り、新たなスタートを切るための土台づくりでもあるのです。
 
今日は還暦を迎えるにあたりこの5年間も振り返りながら、私がどうして、そんなことをするのか?を書こうと思います。
 
私はガンになってから生き抜くめに一番はじめにやったのは「トレーニング」
 
16 時間にも及ぶ大手術をして食道を全摘出、胃の半分を切り、頸部・胸部・腹部の57ヶ所のリンパ節を郭清して満身創痍の状態から蘇るために術後2週間のときに病棟内を1万歩歩きはじめました。
 
そして退院してからは筋トレ、ウォーキングからラニングと生きるための資本である身体へのアプローチを5年以上続けてきました。
 
すると、次第に自分に自信が持てるようになり、再発の不安もなくなって、生きることが楽しくなってきたのです。
 
そして人生が好転し始めて、様々な縁が生まれ、思ったことが実現するようになり、幸せを感じるようになってきました。
 
そのお陰もあって今でもこうやって元気で幸せに生きています。
 
しかし、50歳頃からガンの活動が忙しくなりすぎて自分の身体へのアプローチが少なくなってしまいました。
 
そうなると不思議なことに、意識は外に向けられるようになるとともに自己肯定感が薄れ、ストレスが溜まるようになってきたのです。
 
そんななか、あと5年で生まれ直しの年、還暦となる55歳となったきに、一般的な還暦と違い、自分に負荷をかけそレにかけた時間や労力を誇れるような還暦を迎えたいと思い、トレーニングを再開しました。
 
すると不思議なことに、ストレスもなくなり、意欲も湧き、新しいことにチャレンジできるようになったのです。
 
そしてオリンピックの聖火ランナーに選ばれ、出版の話もきて、ノーマカフェの事業もトントン拍子に進むようになりました。
 
そんななか、昨年の6月頃から『東郷食守族』のオープンにより、また意識が外ばかりに向くようになってしまました。
 
するとなかなか事業も思ったように進まず、焦り、対処に必死になってしまいストレスもたまり、心がざわつきはじめたのでした。
 
さらにやっとこの1年が終わるという12月21日に眼科で失明の危機といわれ、年明けに即手術。
 
さらに事業もバタバタが続きましたが、ガンになったときのことを思い返し、一度原点に帰ってやり直すことにしました。
 
そんな中で今度は右目の手術となり、その時の入院で、もう一度原点に帰り意識を自分に向けてみよう!と思い、術後の安静期間が過ぎたら、ずいぶん中断していた身体を鍛え直そうと決めたのです。
 
そして、再度還暦に向けて、7月から週5日、毎朝約1時間半あまり目が不自由でもできるストレッチ、筋トレ、縄跳びを始めました。
 
そうやって意識と行動を自分に向けて、自分のために時間と労力を使うようになると、不思議なことに、意欲も湧き、ストレスもなくなり、精神のバランスも整ってきたのです。
 
こうやって迎えた60歳還暦。
 
5年前に目指していた身体もほぼ出来上がり、身も心も充実。
 
新しい事業も始まり、失明にむけての視覚障がい者の訓練も10.月から毎週スタートします。
 
まさに、歳が還って新しいスタートを充実した身体と精神で切れることとなりました。
 
これからの人生、この命を終えるまで出来ることは目一杯にチャレンジして、出来ないことはきっぱりと諦める。
 
そんな自分自身に貪欲でもあり、潔い生き方を貫き通そうと思って還暦を迎えました。
 
これからも楽しく、ワクワク生きていきますね❢

皆さん、これからも宜しくお願い致します。
 
 
 
 
 
 
 

“食”とは「人を豊かにするもの」


私はガンになる前は20年以上、三越で“食”を仕事にしてきました。


三越の経営理念は「豊かな生活と文化を提案する世界の百貨店」


なので、私は三越時代の仕事は「豊かな生活と文化をどうやって“食”表現していくか?」という視点で進んできた。


しかし、ある時期からその仕事は“売上”“効率”“が優先となり“提案”は後になってしまい、「義務的に食べるもの」となり、その葛藤のなかで“がん”になった。


だから、ガンになった当初は、“食”が病になった原因だと思って“食べること=安心・安全=食養生=病気治し”として「義務的に食べるもの」となっていた。


ある時、それは私が“食”という仕事を通して「がん」になった過程の逆戻りでは?と感じた。


そう思うと今、“食が乱れている”ということの原点が見えてきた。


食とは義務的だったり、見返りを求めたりするためのものではなく、命を輝かすために命をいただくという行為なのだと。


“食”とは豊かさを感じること。


つまり、考えることではなく見て、感じて、食べて、美味しいという五感で、生きている、生かされている実感を味わうこと。


それが喜びとなり、感謝となって、自分がどう生きるか?を導き出すためのものだと思うようになった。


しかし、今の“食”は?となると


健康な人には空腹を満たすもの、


病の人とには体を良くするもの


ともに“義務的”であり“見返りを求める”もののような気がした。


そう思って原点に帰った時、食とは三越時代に求めてきた“豊かさを感じる”為のものなのだと解った。


今、眼の前にある食べ物は、誰が、どんな思いで、どれだけの時間を割いて、自分のたが作ってくれたのか?


それは人だけの力ではなく、自然、その中での様々な生き物、そしてその生命。


それを私たちが食べるということは、その命を断つということ。


だから、何が良いとか悪いとか、考えるのではなく、食べることを通して生かされていることを感じ、その命を繋げることだと思うのです。


そんなことで私は今、ノーマカフェで農業をしたり、食守族で食を提供しています。