信念とは「正しいと信じる自分の考え」
私は以前から、良いにしろ、悪いにしろ信念はしっかり持っている方だったように思う。
今、思い返せば、サラリーマン時代に鬱になったのも信念が強かったからとも言える。
自分の思う仕事やそのやり方は、○○でそれが正しいのだ!と。
だから、それとは違う言動をする上司や部下、そして会社に対しても怒りが湧き起こり、それを消化できず、徐々に心が孤独になり疲弊して鬱になり、復帰してからは体が疲弊してがんになったという結末だ。
そして、癌になってからもまたまた、新たな「信念」をもち突っ走った。
その結果得たもの。
それは、真実は○○なのに、「どうして解らないんだ!」「どうして出来ないんだ!」という怒りだった。
結局は信念事体は以前とはまったく違うが、信念のあり方としてはまったく同じだと気付いた。
当時、私は西洋医学三大療法は間違っていて、癌をはじめとする慢性疾患は一部例外を除いては自然療法や代替療法で治すべきだ!と信じて主張をしていた。
しかし、多くの患者さんと出会い、信念とは「信じて念ずるもので、主張するものではない。」という結論に至ったのだった。
正しければ何でも受け入れられるわけでもなく、その正しさに囚われ他に押し付ければ逆に反発を受ける。
その結果、不安になったり、悩んだり、幸せが遠ざかったりしてしまうこともあると解った。
なので、信念は信念としておいておいて、正しさより、幸せという選択肢が大切だと思うようになったのだ。
正しさを主張しだしたら、宗教戦争と同じで〝信念″対〝信念″の対決だ!
今の世の中もなんだか、そんな風潮にあるような気がしてならない。
一人の自立した人間として〝信念″を持って生きることはとっても大切だ。
しかしもっと大切なことは、〝他を配慮する心″
だって、自分以外の人もなんらかの〝信念″を持たなければ自立した生き方はできないんだから。
そして、この世の中は自分以外はすべて他人なんだから。