16年前の8月のお盆前、私はガンが発見されてから約4か月の入院生活にピリオドを打ちました。


この仕事にいかなくても良かった4ヶ月を得たことで「自分らしく生きる」ということの大切さ素晴らしさ、そして難しさを知りました。


そしてそれ以来、自分の中で「わがまま」に生きるということを意識するようになったのです。


今日はそんな私の思う「わがまま」について書こうと思います。


私はとってもわがままだと思う時がある。


わがままとは「自分の思い通りにふるまう事」だが、最近は「どうしてそれがいけないの?」なんて思っている。


自分の思っていることを言い、そしてふるまわなければ、もし間違ったことや考え直さなければいけないことを言っていたとしても誰も教えてくれないし、気付けない。


だから、私はわがままにはなるが、それを通そうとは思ってはいない。


ただ自分の思っている通りの言動をしようと思っている。


そう思うようになったのは、やっぱりずっと我慢をして生きてきたから。


幼い時から厳格な父から「わがままを言うな、我慢しなければいけない」と言われ、それが嫌で学生時代は好き勝手していたが、社会に出たらそうもいかず、歳を重ねるにつれて我慢しなければいけないこともたくさん出てきて、人や世間の評価や目が気になり、周りに気を使いながら生きてきた。


そしてその我慢が限界になり鬱になった。


鬱で布団から起き上がることが出来なくなった前の日、会社で「いったい自分は何のために仕事をしているのか?生きているのか?」がいくら考えても解らず思考自体が停止してしまっていた。


その答えを出せないまま3か月後に復帰をしたが、今度は遅れを取り戻すために必死に頑張ろうとしていた。


その時は我慢を通り越して、自分の心を見て見ぬふり、つまり無視をしていたような気がする。


そして癌に・・・・


しかしその結果、癌になったことで、幸運にも我慢しなけれないけないことがなくなったのだった。


だから私の最初の入院生活はまさにパラダイス(笑)


なにも我慢することなく、好きな時に好きなことをやり、24時間抗がん剤に繋がれているのでみんな気を使ってくれて、行動範囲も限られていたので、自分の思うがままにふるまっても良かったのだ。


その時私は、抗がん剤に繋がれている入りにもかかわらずとても幸せだったのです。


今思い返すと、それほどやせ我慢をしていたのですね。


そんな私の我慢を抗がん剤の治療がすべて取り払ってくれお蔭で、ストレスフリーの状態になっていました。


すると不思議なもので、出る確率が多いと言われていた抗がん剤の副作用はまったく出ず、あまり効果は期待できないと言われていたにもかかわらず、私のがんは医者がびっくりするほど劇的に小さくなったのでした。

見つかったときの食道ガン




抗がん剤治療後の胃カメラでの食道


たぶん治療効果というものは抗がん剤がどうのというより、心が大きな影響を与えるのだとその時認識しました。


そんなことがあって、私は我慢することは自分にとって良くないことだと強く思うようになったのです。


しかし入院生活をしていると、他の患者さんで病人を良いことにとってもわがままを言い看護師さんや家族を困らせている人が何人かいました。


そんな人を見ていると結局は自分も怒り不満を持ちイライラしていることが良く解るのです。


私は、自分の言いたいことは言うようにはするが、それを受け入れてくれるか否かは相手マターなので、それまで期待はしないようにしようと思いました。


だって、逆のことを自分がされたら、相手は良くても今度は自分が我慢をしてそれを受け入れなければいけなくなってしまいますよね。


結局はわがままを言うのは良いのですが、その結果までを思うがままにしようとしたら、今度は自分以外の人に我慢をさせてしまうのですから。


その時から私は「わがままであろう!」しかし「人のわがままも認め、お互いを尊重し合えるような着地点を見つけるようにしよう」と思い今があります。


するとどうでしょう、わがままってとっても気持ちが良いのです(笑)


そして、もっととわがままになって良いのだ思えるようになり、やりたくないことを、なぜしなければいけないなんてことまで思うようになり、これまでそんな生き方を貫き通してきたのです。


そんな経緯を経て、


我慢し妥協することを覚えて、人は生命力を失います。


出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない。


さらには我慢ばかりして出ない杭は、土の中で腐ってしまうのです。


だから私は出る杭を意識してきました。


これまで失敗もたくさんあったが、その失敗は気付いたことや学んだことが多かったような気がします。


でもこれ以上出たら、出過ぎた杭になるかな?(笑)


そして今は、どうせいつか死ぬんだから、それまでは我のまま、わがままでいようと開き直っています。


世間ではわがままはいけないことのように言われることが多いのですが、私はダメなことだと思っていたら自分を抑え込んで心も閉ざされてしまう人生になってしまうと思いました。


自分の思い通りにふるまう事って、本当に誰かに迷惑をかけているのでしょうか?


我慢って本当に誰かのためになっているのでしょうか?


自分と同じように、他人のわがままも受け入れて、見返りを求めず、人の気持ちも考えることが出来たなら、人を幸せにする生き方とはわがままに生きること。


そしてそんな自分を愛し、大好きになること。


つまり自分らしく生きることのような気がします。

私たちの生き方や考え方を縛っているのは「概念」です。

癌になったとき、ほとんどの人はこの概念に押しつぶされてしまうのです。

概念というのは、物事の共通するところ

癌になった時の概念は「苦しみ・死・絶望・孤独」


いいものは何一つありません。

つまり、概念に従っている以上は、決して良いことはないのです。

私は癌になったとき、この概念を取り払いました。

「チャンス・楽しく・生き抜く・希望・自由・仲間・」

では、どうして私は概念を取り払えたか?

一部ではなく全体を見ようとしたからです。

私は「末期ガンになっても治った人がいる」ことを知りました。

このような人がいることは誰でも知っているはずです。

しかし、ほとんどの人はそれを奇跡や例外として自分とは別物として捉えてしまい、ほとんどの人に共通するものの方を見てしまうのです。

それは、私たちが生きていくためには「概念」に従っていたほうが楽だからです。

つまり、概念から外れるとうことは、多くの人や事に共通してないということなので、非常識と見られてしまうのが怖いのです。

私は「概念」は、排除することで成り立っていると思っています。

多数決の理論のように、少を排除することで物事を解決してしまう考え方なのです。

私はこの概念が人を苦しめ、心を痛める元凶のような気がしてなりません。

それは概念=正しいと思ってしまうことから始まります。

私は癌になったことで、今までの概念を取り払いました。

仕事、お金、自然、ライフスタイル、生き方に対する概念を変え、そしてこれ
まで排除してきた方に目を向けたのです。

最初は人から冷たい視線や言葉を受けました。

しかし、気にせず進んでいくことで不思議なことに心が軽くなり、楽しくなってきたのです。

今思い返してみると、それが自分らしく生きることだったように思います。

人は概念として理解できないものは、体験しても認めないという習性があります。

だから、末期ガンから治った人に会っても、自分は別だと思ってしまうのです。

私は概念を払ったことで、不思議なことに自然に自分は大丈夫と思えるようになりました。

たぶん自然にガンという病の概念も取り払われたのではないかと思います。

これが癌に限ったことではありません。

心の病や、災いもすべて概念を取り払うことで今までとはまったく違った方向に進み始めると思います。

概念は全体を見ようとせず、一部を見るためのもの。

そしてその一部を排除する心によって成り立っています。

人間も含めてこの世の中に完璧はありえません。

概念を持つことは、苦しみの元を抱えること。

それを手放せは幸せになれると私は思っています。

そして今も様々な概念を取っ払って、現在進行形で非常識を楽しんでします(^^♪