先月のブログで人生の目的について書きましたが、ガンになる前の私は私利私欲にまみれていたような気がします。

そして、その結果がガンでした。

そんな私がどうして、以前に書いたような気持ちに変わったのか?

その理由は、「すべては自分が源」という言葉を自分の中心に持って来たことで大きな力を得られたからでした。

 

以前は、癌になったこと、対人関係、社会や経済のあり方、行政・・・・

すべて悪いのは自分ではなく他だと思い腹を立てたり、憤りを感じていた。

 

しかし、これらが自分の思い通りになるはずがない。

 

変わらないものを変えようとする。

 

こんな無駄な労力はない。

 

しかし多くの人は変わらないものを変えようとして多くの労力を使ったり、怒ったり、苦しんだりする。

 

その理由は「自分が正しい」と思っているから。

 

つまり「我」だ。

 

といって「我」を否定するのではない。

 

「我」がなければ自分も存在しない。

 

すべての人や物には「我」があり、その「我」は正しさで成り立っていると私は思うのだ。

 

そして多くの場合、その正しさを主張することが自分の存在を主張することだと思ってしまっている。

 

私は癌になったとき「癌になった責任は自分にはない。おれは何も悪くはないのだ!」と思っていた。

そして「癌」に責任転嫁をして自分の生を主張しようとしたが、結局はあまりにも大きな「癌=死」という概念を変えようもなく真っ暗闇のど真ん中にいた。

 

そんな時、患者会でこの「自分が源」という言葉に出会った。

 

癌になったのは自分の生き方に原因がある。

それは何を隠そう自分自身で選択をしてきたのだ。

 

そう思ったら、まだ「癌=死」考える前にやることがあると思えた。

 

「生き方を変える」

 

即ち「身体と心の使い方」を今までとは間逆の選択に切り替えるのだ。

 

身体も心も「自分が源」という言葉を基軸にした。

 

すべての行動には自分の身体が源なので、今まで粗末に扱ってきた身体の声を聞く。

 

そして、その身体をコントロールしている心も。

 

そのために私が取った手段が「自分が正しい」という自分の心の囚われの開放だ!

 

すべては自分に責任がある。

 

それは自虐的とも捉えられるが、私は「自分が変われば、すべては変わる」

変わるはずもない他を変えようとする無駄な努力をするのを止め、自分の意思で自由に変えることができる体と心を変えることになたのだ。

出来事も然り。

癌になって5年間生存率20%前後ということは変えられない。

 

そして必死に死なない努力をしていた。

しかし、死を見るのではなく、今の生をどう生きるか?に集中した。

 

すると生存率なんてどうでもよくなった。

 

先日も書いたが、生存率や余命なんてすべて自分以外の人の過去の結果の統計であって、自分に当てはまるはずはない。

 

だからこそ、それに当てはまらないようにするために今という現実がある。

 

今しか未来は変えられないのだ。

 

また、未来のことを言えば、ガンになった、ならなかったに関係なく、5年生存率も、余命も0か100%の2つに1つしかない!

 

それだったら、100%にするために、きちんと学び、実践しよう!

 

過去と同じだったら、いくら治療をしたところで、統計の数字に近くなってしまうのでは?

 

と思った。

 

すべては今の自分が源なのだ。

 

その結果として15年経つがまだ生きている。


そして不思議なことに、自分の自分がどう生きるかという視界は広がりくっきりとしてきたのだ。

父親のことを許せない自分がいて、何でそうなんだとぶつかってばかりいた。

自分が親を見返そうとしていた理由を話して、そう思っていたことを詫びた。

父親は「お前が癌になったのは俺のせいというのか!」と怒ったが、不思議に私の心は晴れ、それから毎日顔を見て挨拶をしたら、徐々にではあるが父親も変わってきた。

このように、自分が変われば、回りも変わる。

それこそが、すべては「自分が源」だと言うことの裏返しだと思う。

人を変えようとしたり、出来事に不満を持つのをやめ、自分自身を変え、意識を変えてみよう。

すると不思議なことに「無敵」な自分と出会えますよ!
 

 

私は今まで様々なことをやり、様々な人をみてきました。

成功する人、治る人、夢を叶える人

私の思うらこれらの人に共通するのは?

その時が来るのを信じて努力すること

そして行動を積み上げることができること

それを淡々と出来ればと花はきっと咲く

植物に例えれば根を張ること

そして咲く時機が来るまで、じっと根を張り待ち続けること

しかし、多くの人は早く結果を得ようとして、根を張ることを疎かにしてしまうのです

それでは根を張っていないので、ちょっとの風や 環境の悪化で倒れてしまう

治すにも、どんなことをするにも、もっとも大切なのは本気で行動できるか?

そして、それを現実にするための、時間と労力を使えるか?だと思う、

自噴の時間も労力も使わずに、それを本気だと言える訳がないと思うのは私だけだろうか?





早いもので明日からもう師走ですね。


皆さん、今年は何か良いもの得られましたか?


私はお陰さまで、とてもたくさんのものを得られました。


今日は「私はなかなか得られない」という方のために、


「与えたものが、受けとるもの」というテーマで書こうと思います。



あれが欲しい、これが欲しい!

以前の私は常に何かを欲していました。

今振り返ってみると、その理由は「自己犠牲の見返り」だったような気がします。

自分の持っている「時間」「お金」「家族」等を犠牲にして毎日を過ごし、こんなにまでしているんだから当然得るべきものは得なければいけない。

 

得るべきだ!と無意識のうちに思っていました。

とはいっても、そうは思うようにはなるはずがありません。

その結果、常に不満や不安が沸き起こり、さらに欲の炎はめらめらと燃え広がっていったのです。

そして癌になった当初も同じように、自分の大切な時間やお金を使っているのだから、健康を得なければいけない。得られるべきだ・・・・・・

しかしあるときそれは結局癌になる前の心とまったく変わっていないことに気付きました。

一所懸命生き方を変えたり、身体に良いことしても心のざわつきは以前と同じだったから。

それの気づいたのは、患者会のボランティアをはじめてことがきっかけです。

最初は患者会に入れば何かが得られるかも?と思いました。

そしてその中に入ってみると、癌にも関わらず生き生きとしている人が何人かいたのです。

この人たちはどうして自分と同じようなことをしているのいに何が違うのか?


色々話を聞いていて行き着いたのが「心のあり方」

私を含め多くの患者さんはまずは見返りとして”癌が治る”という見返りを求める心で毎日を暮らしている。

なので、ここまでしているのに何で良くならないのだ?いつになったら・・・・・

これでは不満と不安が交錯して心は落ち着くはずはありません。


イコール=良くならない

しかし、生き生きとしている人は、同じことをしていても、自分の時間やお金を自分の身体や他人のために使っている。

自分が今までに何年もかかって経験したことを惜しげもなく他人に話したり、さらには世間にたくさんいる患者さんや予備軍の人たちにもメッセージを発していました。

そして、お手当てや食事療法も、今まで散々痛めつけてきた自分の身体へのいたわりの気持ちが先にあるので、癌が治るのを見返りとしてではなく、結果として受け止めていたのです。

それなのでこの人たちは何時でも笑顔で元気でいられるのだ!

私は、今まで自分にも他人にもなにも与えずして、受け取りたいと思うことで我欲を生み心が乱れてたことに気付き、患者会でのボランティア活動をはじめました。

すると不思議なことに心が軽くなってきたのです。


また、今まで苦しんできた欝の症状もどんどん消えていき、1年後にはすべての薬をやめることができました。




患者会時代、「利他の心が病を治す」という話をすると、ほとんどの方は「それは良くなってからだ!」「あなたは元気だからそう言えるんだ!」と反論をされました。

しかし私は元気や健康というものは、頭で考えるのではなく行動の結果だと思います。

そしてその行動とは元気や健康を得るためではなく、自分や他人に暖かな気持ちを与えることで結果として得られるものだと思っています。

ただ、ただ、自分の心が温かくなることをイメージし行動に置き換える。

すると、不思議なことに体は良くなってしまうのです。

それは本当か?

と考えることこそがすで見返りを求めていることなんですよ(笑)
 

 

今週末、29日(日)は東郷富士浅間神社にて「Goto Togo❗️」という、東郷高校 吹奏楽部の発表の場を作ろう‼️❗️


というイベントを開催します。




今回のコロナ禍で3月以降、すべての発表の場がなくなってしまった学生たちに、地元でその場をつくることで、コロナに負けないエネルギーをもってもらいたいとの思いで企画しました。

すべてがなくなっても、ないからこそ出来ることがあるということを、子どもたちにも地域の人たちにも知ってもらえたらと思っています。

どうしてもこんな時はマイナスに意識が向き勝ちですが、私流に言えば何か新しいことを始めるチャンスでもあるのです。

今日は私がそんなことを思う理由と経緯を書こうと思います。

「フリーハンドになる」

私が12年前サラリーマンをやめたとき、ずっと心がけていたのが”フリーハンド”の状態でいること。

多くの人は自らの手の中にたくさんの荷物を抱え込んでしまっています。

それは目の前に大切なことや、どんなにチャンスが来ても、すぐ手にすることができない状態です。

何かを持っていることは決して悪いことではありません。

しかし、持ち続けることに必死で大切なものに気付く余裕がなくなってしまったり、価値を見出せなくなってしまったりします。

また、もし大切だと思ったとしても、手に持って荷物を降ろそうかと迷ったり、手間取っている間に目も前から遠ざかって手が届かなくなってしまうことも。

更に言えば、荷物をいっぱい持っている人に、新たな荷物を渡そうとする人なんてそうはいませんからチャンスも巡ってこなくなってしまうのです。

私は仕事をやめて以来、常に片手を開けておくようにしました。

そして、空いた手で何をしたいかを常に口にするようにしたのです。

すると不思議なことに様ざまな人が私にパスを出してくれるようになったのです。

私はできる限りそのパスを感謝して受け取りパスをまわしたり、ドリブルして持ち込んだりしてパワフルに動き回りました。

するとその姿を見てまた別の人がパスを出してくれたり、応援してくれる人も増えてきたのです。

このようなプレーをしていて私がわかったのは、

パスをもらったら出すことが大切だということ。


そして、パスをもらいやすいポジションに立つこと。

いくらフリーハンドでいたとしても、自分のことや自分の関心のあることだけをしていたら徐々にパスは減り、出してくれる人も減ってしまいます。

 

個人プレーというやつですね。

そして、同じところばかりにと留まっていたら良いパスは廻ってこなくなります。
緩慢プレーですね。

私は仕事をやめて無職になってからは、常にどんなプレーをしたらパスがもらえるようになるかを意識してきました。

するといろんな角度から、思っても見ないところから、思ってもみない人からパスが飛んでくるようになったのです。

そしてそのパスは夢のゴールに向かっていると思うのです。

ゴールするのは私ではなくても良い。

今、大切なのはパスをつなぐこと。

そんな思いで、私はとサラリーマンを辞めてから2.3年は名刺に「夢職」(むしょく)と書いていました。

夢をつなげ、広げる職。

すべてフリーハンドから始まったのです。

そして、今は「夢職」の名刺は使ってはいないけど、気持ちはずっと夢のゴールに向かっています♪