十歳で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人
そろそろ卒業のシーズンですが、
子どもが小学校、中学校、高校、大学と進んでいく中で、
一流になれる人に共通する素質とは何なのでしょう。
必要条件のひとつに、継続する力があることは間違いないでしょう。
子どもの頃は神童、天才と呼ばれる人は多いのかもしれない。
でも、いずれどこかで壁にぶち当たります。
それは他人との競争の中かもしれないし、
世界の成り立ちを理解することへの限界かもしれない。
すべて理解したら悟りなわけですが、そんな人いる気がしません。
小さい頃、「頭がいいね」といわれてきた人は、
壁にぶち当たったときの努力の仕方を知らない。
せっかく才能があるのに勿体ないですね。
自分の限界を知ったとき、否、「限界かもしれない」と感じたとき、
それはシグモイド曲線でいうところの上限に達しつつあるだけのことだと思います。
その意味することは、同じ方法ではその先はたかが知れている、というだけのこと。
※2011-02-01 シグモイド曲線
昨日も別なニュアンスで書きましたが、
そのときは次元をひとつ上げればいいのです。
新しい世界に入るのです。
但し、その場合、新しい世界ではまだシグモイド曲線の始まりに過ぎません。
つまり、努力しても目に見えた結果がすぐには感じられないということ。
でも、本質的な仕組みを知っていれば、それはまた乗り越えられます。
そう、継続が大事なんですね。
トップクラスと言われている大学に入学した人でも、
そこから成功の道に進んでいくのは一握りに過ぎません。
彼らを特徴付けている能力のひとつは、「継続する力」を理解していること。
始めは一見、周りより頭がいいようには見えない人はたくさんいますが、
地道に継続する力を持っている人は確かにに成功しています。
一方、一見頭がいいように見える(実際才能は優れている)人でも、
継続を怠った人はまったく伸びていきません。
今日はかなりそれを実感する出来事に出会いました。
大学以降は基本的に、強制的に継続をさせるような「優しい」仕組みはありません。
自分の力でやっていくしかない。
だから、それまでに、如何に自主的に継続をする習慣を身につけられるかが大事なんだと思います。
鍵は、その仕組みを本質的に実感できているか。
そして、本当に自分がやりたいことをやっているのか。
でしょうか。
但し、やっぱり才能は必要です。
両面を理解して、自分にしかできないことで、人に、そして社会に貢献していきたいですね。
子どもが小学校、中学校、高校、大学と進んでいく中で、
一流になれる人に共通する素質とは何なのでしょう。
必要条件のひとつに、継続する力があることは間違いないでしょう。
子どもの頃は神童、天才と呼ばれる人は多いのかもしれない。
でも、いずれどこかで壁にぶち当たります。
それは他人との競争の中かもしれないし、
世界の成り立ちを理解することへの限界かもしれない。
すべて理解したら悟りなわけですが、そんな人いる気がしません。
小さい頃、「頭がいいね」といわれてきた人は、
壁にぶち当たったときの努力の仕方を知らない。
せっかく才能があるのに勿体ないですね。
自分の限界を知ったとき、否、「限界かもしれない」と感じたとき、
それはシグモイド曲線でいうところの上限に達しつつあるだけのことだと思います。
その意味することは、同じ方法ではその先はたかが知れている、というだけのこと。
※2011-02-01 シグモイド曲線
昨日も別なニュアンスで書きましたが、
そのときは次元をひとつ上げればいいのです。
新しい世界に入るのです。

但し、その場合、新しい世界ではまだシグモイド曲線の始まりに過ぎません。
つまり、努力しても目に見えた結果がすぐには感じられないということ。
でも、本質的な仕組みを知っていれば、それはまた乗り越えられます。
そう、継続が大事なんですね。
トップクラスと言われている大学に入学した人でも、
そこから成功の道に進んでいくのは一握りに過ぎません。
彼らを特徴付けている能力のひとつは、「継続する力」を理解していること。
始めは一見、周りより頭がいいようには見えない人はたくさんいますが、
地道に継続する力を持っている人は確かにに成功しています。
一方、一見頭がいいように見える(実際才能は優れている)人でも、
継続を怠った人はまったく伸びていきません。
今日はかなりそれを実感する出来事に出会いました。
大学以降は基本的に、強制的に継続をさせるような「優しい」仕組みはありません。
自分の力でやっていくしかない。
だから、それまでに、如何に自主的に継続をする習慣を身につけられるかが大事なんだと思います。
鍵は、その仕組みを本質的に実感できているか。
そして、本当に自分がやりたいことをやっているのか。
でしょうか。
但し、やっぱり才能は必要です。
両面を理解して、自分にしかできないことで、人に、そして社会に貢献していきたいですね。
自分らしさ
「自分らしく」生きる、とは何なのでしょう。
「今、ここ」を生きる、とは何なのでしょう。
3次元(或いは時間を含めて4次元)のこの世界で、
自分の存在範囲を単なる1点に押し込めて次元を落とすことではない。
それは退化だ。
単なる盲目であってはならない。
自分の中だけでグルグル思考が回り、
思考不能になってしまってはいけない。
まるで魔事境のように。
今の日本社会全体がそうなっている気がする。
グローバル化して「個」が表出してきたからこそ、
個々人が自身を三次元空間上の点として認識できるようになった。
やっと、思考の抽象性が上がってきたのだ。
退化させてなるものか。
思考の次元をもうひとつ上げていきたい。
高い次元から、一気に本質的な現実の行動に移す。
そこからしかエネルギーは生まれない。
そこに教育の果たす役割は大きい。
少なくとも、それができるエリート、リーダーを育てないことには。
青臭い思考実験でした(苦笑)。
でも本気です。
「今、ここ」を生きる、とは何なのでしょう。
3次元(或いは時間を含めて4次元)のこの世界で、
自分の存在範囲を単なる1点に押し込めて次元を落とすことではない。
それは退化だ。
単なる盲目であってはならない。
自分の中だけでグルグル思考が回り、
思考不能になってしまってはいけない。
まるで魔事境のように。
今の日本社会全体がそうなっている気がする。
グローバル化して「個」が表出してきたからこそ、
個々人が自身を三次元空間上の点として認識できるようになった。
やっと、思考の抽象性が上がってきたのだ。
退化させてなるものか。
思考の次元をもうひとつ上げていきたい。
高い次元から、一気に本質的な現実の行動に移す。
そこからしかエネルギーは生まれない。
そこに教育の果たす役割は大きい。
少なくとも、それができるエリート、リーダーを育てないことには。
青臭い思考実験でした(苦笑)。
でも本気です。
自由な校風
今日はふと自分の出身高校のことを思い出していました。
その高校、それなりの進学校だったのですが、
「リベラリズム」といいながら、
自由な校風をうたっている高校でした。
高校入学と同時に学年主任の先生から言われた言葉は、
「うちの高校は、卒業生の半分は浪人しますから」
でした。
まあしょっぱなからすごいことを言う先生だな、と思ったわけですが、
思えば色々な先生がいました。
自分の好きな作家のことばかりゴモゴモと語る国語の先生、
フィリピンパブと車が好きで、授業の8割をその雑談で終わらせる英語の先生、
自信なさ気に授業をし、生徒との面談では逆に生徒から影響を受けまくる物理の先生、
などなど。
生徒たちも好き勝手していて、校則もあるのかないのか分からない高校でした。
勿論、法律に触れるようなことは決して許されてませんでしたが(当たり前か)。
こんな高校ですが、今思い返すといい高校だったなと思います。
進学校でありながら、正直、周りの人がまじめに勉強をしている様子は全くありませんでした。
でも、先生自身の好きなことに対する熱い思い、生徒同士の個性のぶつかり合い、
そういうものが、自然とお互いに感染し合っていたんだと思います。
半分はやっぱり浪人していたけど、そこで培った地頭はすばらしいようで、
だからこそ進学校であったし、皆そういうプライドを持っていた。
都会で忙しく暮らしていると忘れがちですが、
そういう、「遊び」が必要なんだろうなと思います。
閉塞感を超越するには、型にはまった世界を抜け出して、
ちょっと「遊んでみる」ことが必要なんです。
これからは益々、「個人」が表出してくる時代になるんでしょう。
家族や社会の「集団」はもうありません。
だからこそ、「個」と「個」の感情を通した結びつき、
本当の意味での「自由」と「平等」が問われる時代になってきたんだなと思います。
今日はちょっと思い出に浸ってしまいました。
その高校、それなりの進学校だったのですが、
「リベラリズム」といいながら、
自由な校風をうたっている高校でした。
高校入学と同時に学年主任の先生から言われた言葉は、
「うちの高校は、卒業生の半分は浪人しますから」
でした。
まあしょっぱなからすごいことを言う先生だな、と思ったわけですが、
思えば色々な先生がいました。
自分の好きな作家のことばかりゴモゴモと語る国語の先生、
フィリピンパブと車が好きで、授業の8割をその雑談で終わらせる英語の先生、
自信なさ気に授業をし、生徒との面談では逆に生徒から影響を受けまくる物理の先生、
などなど。
生徒たちも好き勝手していて、校則もあるのかないのか分からない高校でした。
勿論、法律に触れるようなことは決して許されてませんでしたが(当たり前か)。
こんな高校ですが、今思い返すといい高校だったなと思います。
進学校でありながら、正直、周りの人がまじめに勉強をしている様子は全くありませんでした。
でも、先生自身の好きなことに対する熱い思い、生徒同士の個性のぶつかり合い、
そういうものが、自然とお互いに感染し合っていたんだと思います。
半分はやっぱり浪人していたけど、そこで培った地頭はすばらしいようで、
だからこそ進学校であったし、皆そういうプライドを持っていた。
都会で忙しく暮らしていると忘れがちですが、
そういう、「遊び」が必要なんだろうなと思います。
閉塞感を超越するには、型にはまった世界を抜け出して、
ちょっと「遊んでみる」ことが必要なんです。
これからは益々、「個人」が表出してくる時代になるんでしょう。
家族や社会の「集団」はもうありません。
だからこそ、「個」と「個」の感情を通した結びつき、
本当の意味での「自由」と「平等」が問われる時代になってきたんだなと思います。
今日はちょっと思い出に浸ってしまいました。
太陽の3D画像
あんまり一日に何度も更新するつもりはなかったのですが、
ちょっと面白い画像を見つけて興奮してしまったので。
NASAが、初めて太陽の全体画像取得に成功したそうです。
First Ever STEREO Images of the Entire Sun
STEREO Sun360
2つ目のリンクからは、画像やムービーをダウンロードできます。
美しい!
夢があるなあ。
実用面でも意義のあることなんだろうけど。
ちょっと面白い画像を見つけて興奮してしまったので。
NASAが、初めて太陽の全体画像取得に成功したそうです。
First Ever STEREO Images of the Entire Sun
STEREO Sun360
2つ目のリンクからは、画像やムービーをダウンロードできます。
美しい!
夢があるなあ。
実用面でも意義のあることなんだろうけど。
風をつかまえた少年②
以前紹介した本、「風をつかまえた少年」の話
ですが、
昨日テレビ東京の番組 でも取り上げられていたようです。
風をつかまえた少年
¥1,750
Amazon.co.jp
この本、本当にお勧めなので是非多くの人に読んでみてほしいです。
「学ぶこと」の意味を改めて教えてくれる、という印象が強く、
そこがテレビでも強調されていたようですが、
この本の前半は、マラウイの(アフリカの)現状について、カムクワンバ少年の目から見た様子が綴られています。
はっきりいって壮絶です。
ここを読んで、私たちの暮らしを、世界の現状を、再認識することは本当に意味のあることだと思います。
写真や映像も訴えかけるものはあると思いますが、
文章の訴えかける力というのはまた異次元ですね。
そういう意味でも、本当にお勧めです。
カムクワンバ少年は、全く科学の根付いていない土地で、本を読むことで自力で夢を実現しました。
周りに立派な指導者がいれば最高ですが、そうではないことも多々あります。
性格、感性はひとそれぞれですから、子どものうちに尊敬できる大人に出会うことは実は少ないのかもしれません。
そんな時、より多くの智恵、感動を与えてくれるのは活字だと思います。
読書は疑似体験。そこに如何に臨場感を感じられるか。
活字を読む能力こそ、子どもに絶対に教えるべきものですね。
昨日テレビ東京の番組 でも取り上げられていたようです。
風をつかまえた少年

¥1,750
Amazon.co.jp
この本、本当にお勧めなので是非多くの人に読んでみてほしいです。
「学ぶこと」の意味を改めて教えてくれる、という印象が強く、
そこがテレビでも強調されていたようですが、
この本の前半は、マラウイの(アフリカの)現状について、カムクワンバ少年の目から見た様子が綴られています。
はっきりいって壮絶です。
ここを読んで、私たちの暮らしを、世界の現状を、再認識することは本当に意味のあることだと思います。
写真や映像も訴えかけるものはあると思いますが、
文章の訴えかける力というのはまた異次元ですね。
そういう意味でも、本当にお勧めです。
カムクワンバ少年は、全く科学の根付いていない土地で、本を読むことで自力で夢を実現しました。
周りに立派な指導者がいれば最高ですが、そうではないことも多々あります。
性格、感性はひとそれぞれですから、子どものうちに尊敬できる大人に出会うことは実は少ないのかもしれません。
そんな時、より多くの智恵、感動を与えてくれるのは活字だと思います。
読書は疑似体験。そこに如何に臨場感を感じられるか。
活字を読む能力こそ、子どもに絶対に教えるべきものですね。