自由な校風
今日はふと自分の出身高校のことを思い出していました。
その高校、それなりの進学校だったのですが、
「リベラリズム」といいながら、
自由な校風をうたっている高校でした。
高校入学と同時に学年主任の先生から言われた言葉は、
「うちの高校は、卒業生の半分は浪人しますから」
でした。
まあしょっぱなからすごいことを言う先生だな、と思ったわけですが、
思えば色々な先生がいました。
自分の好きな作家のことばかりゴモゴモと語る国語の先生、
フィリピンパブと車が好きで、授業の8割をその雑談で終わらせる英語の先生、
自信なさ気に授業をし、生徒との面談では逆に生徒から影響を受けまくる物理の先生、
などなど。
生徒たちも好き勝手していて、校則もあるのかないのか分からない高校でした。
勿論、法律に触れるようなことは決して許されてませんでしたが(当たり前か)。
こんな高校ですが、今思い返すといい高校だったなと思います。
進学校でありながら、正直、周りの人がまじめに勉強をしている様子は全くありませんでした。
でも、先生自身の好きなことに対する熱い思い、生徒同士の個性のぶつかり合い、
そういうものが、自然とお互いに感染し合っていたんだと思います。
半分はやっぱり浪人していたけど、そこで培った地頭はすばらしいようで、
だからこそ進学校であったし、皆そういうプライドを持っていた。
都会で忙しく暮らしていると忘れがちですが、
そういう、「遊び」が必要なんだろうなと思います。
閉塞感を超越するには、型にはまった世界を抜け出して、
ちょっと「遊んでみる」ことが必要なんです。
これからは益々、「個人」が表出してくる時代になるんでしょう。
家族や社会の「集団」はもうありません。
だからこそ、「個」と「個」の感情を通した結びつき、
本当の意味での「自由」と「平等」が問われる時代になってきたんだなと思います。
今日はちょっと思い出に浸ってしまいました。
その高校、それなりの進学校だったのですが、
「リベラリズム」といいながら、
自由な校風をうたっている高校でした。
高校入学と同時に学年主任の先生から言われた言葉は、
「うちの高校は、卒業生の半分は浪人しますから」
でした。
まあしょっぱなからすごいことを言う先生だな、と思ったわけですが、
思えば色々な先生がいました。
自分の好きな作家のことばかりゴモゴモと語る国語の先生、
フィリピンパブと車が好きで、授業の8割をその雑談で終わらせる英語の先生、
自信なさ気に授業をし、生徒との面談では逆に生徒から影響を受けまくる物理の先生、
などなど。
生徒たちも好き勝手していて、校則もあるのかないのか分からない高校でした。
勿論、法律に触れるようなことは決して許されてませんでしたが(当たり前か)。
こんな高校ですが、今思い返すといい高校だったなと思います。
進学校でありながら、正直、周りの人がまじめに勉強をしている様子は全くありませんでした。
でも、先生自身の好きなことに対する熱い思い、生徒同士の個性のぶつかり合い、
そういうものが、自然とお互いに感染し合っていたんだと思います。
半分はやっぱり浪人していたけど、そこで培った地頭はすばらしいようで、
だからこそ進学校であったし、皆そういうプライドを持っていた。
都会で忙しく暮らしていると忘れがちですが、
そういう、「遊び」が必要なんだろうなと思います。
閉塞感を超越するには、型にはまった世界を抜け出して、
ちょっと「遊んでみる」ことが必要なんです。
これからは益々、「個人」が表出してくる時代になるんでしょう。
家族や社会の「集団」はもうありません。
だからこそ、「個」と「個」の感情を通した結びつき、
本当の意味での「自由」と「平等」が問われる時代になってきたんだなと思います。
今日はちょっと思い出に浸ってしまいました。