宗像三姉妹を祀っている広島の厳島神社と奥社・弥山の御山神社を参拝してきました。

世界遺産ということもありアジアと西洋人の観光客で賑わっていました。

長崎県上対馬町の厳島神社の記載によると、「厳島弁才天という神は、本来は宗像の女神、市杵島姫で、沖ノ島の祭神であったのが、仏教と習合して弁才天となったもので、安芸の宮島(厳島)が有名になった」とあるように厳島神社と大願寺は一体となってイチキシマ姫を祀っていたようです。

イチキシマ姫(市杵嶋姫)は記紀でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女の一人です。

誓約で生まれた男性のアメノオシホミミ(天忍穂耳命)とアメノホヒ(天穂日命)はアマテラスの子供になり三姉妹はスサノオの娘となっています。天孫族のアマテラスは父系で出雲のスサノオは母系を表しているようです。

海部氏の勘注系図によると、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名はサデヨリ姫(佐手依姫命)、息津嶋姫命、ヒコイラツ姫(日子郎女神)となっており押穂耳(オシホミミ)の第三子のアメノホアカリ天火明と結ばれてアメノカグヤマ(天香語山命)の妻となるホヤ姫(穂屋姫)を生んでいます。

 

また先代旧事本紀によるとアメノホアカリ(天火明)はオオナムチ(大己貴神)の娘アメノミチ姫(天道日女命・別名 高照姫命)を娶ってアメノカグヤマ(天香語山命)を生んでいます。

ホツマではアマテルとハヤコの間に生まれた三つ子、タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三姉妹の一人です。タケコ(奥津島姫)は、多賀近江の大己貴命(おおなむちのみこと)の妻となり、タキコ(江島姫)は、香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、タナコ(市杵島姫) は、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻となっています。

 

家系図を残す社会は男性の嫡子をたどる男系なので家系図は女性の名前がありません。ところが母系社会では母から娘なので逆に父親という概念がありませんでした。

系図を書いた人も読む人も頭が長男をたどる男系になっています。

そのために古代日本は母系社会だったので古代日本の系図は父系と母系が混在してわかりにくくなっています。

大国主は役職名なので卑弥呼のように女性だった時代もあるはずです。

三姉妹を祀る神社の中で市杵嶋姫を祀る神社だけがダントツに多くなっています。

松尾大社の祭神は大山咋神と共に市杵島姫命だけが祀られています。市杵嶋姫は弁財天と集合して安芸の宮島をはじめ江ノ島、金華山、天河、琵琶湖の竹生島に祀られていました。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
〜封印が解かれた女神〜
トーク:清水友邦 & 武藤悦子
ダンス・パフォーマンス:アムリッタ朝子
https://www.facebook.com/events/2407600376138587/

 

 

美保神社は島根県松江市美保関町にある神社で、式内社・美保神社に比定されている古社。主祭神はコトシロヌシ(事代主命)とミホツヒメ(三穗津姫命)とされている。

 

コトシロヌシは「えびす様」として崇敬され、全国各地にあるえびす社3385社の総本社とされている。美保は日本海航路の港として大いに繁栄し、出雲大社だけでは方詣りといわれるほど美保神社も人々の信仰を集めた。

出雲風土記によると美保神社の本来の主祭神は美保郷の名の基になったミホススミ(御穂須須美命)一柱だけだったようだ。

ミホススミ(御穂須須美命)はオオナムチ(大穴持命)とヌナカワヒメ(沼河比売命)とのあいだに生れまれたとあり、諏訪神社の祭神タケミナカタ(建御名方命)と同神と見られている。

ヌナカワ姫は越の国の翡翠の女神だった。古代の言葉の「ぬ」に宝玉の意味があり、ヒスイ(翡翠)のことをヌナタマと呼んでいた。ヒスイの勾玉は縄文中期(BC5,000年)頃から作られていた。越の国とは越後国(新潟県)の越で出雲と日本海で繋がっていた。

 

 

伝承では大国主命から離縁されたヌナカワ姫は悲しみのあまり姫川(新潟県糸魚川市)に身を投げて入水自殺してしまう。時代が変わりヒスイの勾玉は必要とされなくなったのである。

 

現在、美保神社の本殿2棟の間に三つの末社がある。大后社、カムヤタテ姫(神屋楯比売命)、ヌナカワ姫(沼河比売命)、姫子社、ヒメタタライススズ姫(媛蹈鞴五十鈴媛命)、イスズヨリ姫(五十鈴依媛命)、神使社 イナセハギ (稲脊脛命)の3社5神が祀られている。

 

カムヤタテ姫はコトシロヌシの母親、ヒメタタライススズ姫は神武天皇の皇后でイスズヨリ姫は第二代・綏靖天皇の皇后でいずれも出雲系の姫である。

 

祭神のミホツ姫(三穗津姫命)はタカムスビ(高皇産霊尊)の娘で、国譲りの後でタカミムスビが『もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ』ということでオオクニヌシの妻神となったとされている天津神である。

『古事記』の国譲り神話を読むと美保神社の祭神が入れ替わった経緯がよくわかる。

天つ神のタケミカヅチ(建御雷命)が降臨してオオクニヌシ(大国主命)に国ゆづりをせまると「息子達に聞いてくれ」と判断を息子達にゆだねた。息子のコトシロヌシ(事代主)は「どうぞ差し上げます」といとも簡単に承諾してしまう。

 

ところが異母兄妹のタケミナカタ(建御名方命)だけが逆らってタケミカヅチ(建御雷命)に力比べを挑むが負けて諏訪まで逃げて命乞いをする。「これから私は、諏訪の地を一歩も出ません。父と兄にも逆らいません。この葦原中国は、全部お譲りしますから助けてください」こうして国譲りは完了したことになっている。

 

 

これは、もちろん勝者の話なので、敗者の子孫からすればこんな情けない話を聞かされるのは嫌だと思う。タケミナカタ(建御名方命)の立場から、まったく異なる物語がでてくる可能性があるが敗者の歴史は大抵闇に葬られて残っていない。

 

 

今日、ミホススミ(御穂須須美命)は美保神社の祭神から外されて境外社の地主神社の小さな社に置かれている。

中央集権が確立すると各地の神社の祭神は土着の国津神から天津神への変更がなされたのである。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
〜封印が解かれた女神〜
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六甲山は昔、向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代ごろより六甲(むこ)と表記され、明治以降「ろっこう」と音読みされるようになったといいます。

六甲山の旧名から昔はムカツヒメと呼ばれていたのではないかというところから六甲比命神社の祭神六甲比女大善神は瀬織津姫とされています。



六甲山神社は廣田神社の摂社ですが六甲山は廣田神社の奥宮ではなかったかと思われています。廣田神社の祭神は天照坐大神の荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)としています。



桜井市にある横内神社の正式名は撞賢木厳御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津姫命(あまざかるむかつひめのみこと)神社となっています。社名の男女神二柱が祭神です。籠(この)神社の海部氏系図(あまべしけいず)の注記(江戸時代初期)にも天照皇大神宮の祭神名が 天照大神荒御魂 瀬織津姫と明記されているということです。

 



日本書紀に仲哀天皇が熊襲との戦いの最中に崩御されたので竹内宿禰(たけのうちのすくね)に琴を弾かせて中臣烏賊津(なかとみいかつ)を審神者(さにわ)にして神功皇后が入神して祟り神の名を問いただすと伊勢の五十鈴宮にいる向津媛命(むかつひめ)と答えます。そして天照がわが荒魂を廣田に祀るように神功皇后に託宣します。



廣田神社の祭神は向津媛ですがホツマ伝も向津媛命を男性アマテルの正妃サクナダリ・セオリツ姫ホノコつまり瀬織律姫のことだとしています。鎌倉時代中期の成立とされている倭姫命世紀は瀬織律姫を天照大神の荒魂としています。拝殿と階段は六甲比命講の方々により整備されたということです。

参拝が終わって車に乗ってから雨が降りだしたので嵐の日だったのにずぶ濡れにならずにすみました。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
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小岩井農場のとなりの篠木にある田村神社、7月13日は年に一度の祭りの日。千年以上も続いている村の祭りだ。境内のカツラは樹齢500年、杉の木は樹齢千年以上ある。

田村神社の祭神は初代「征夷大将軍」坂上田村麻呂。

 

 

大和朝廷は中国の”中華思想”の影響を受け、天皇の支配する”中華”の周辺には文化の遅れた民族がいるとして東北に生きる異民族を蝦夷と蔑んだ。

 

八世紀の後半、大和朝廷は東北地方に次々と侵略して来た。このような大和朝廷の支配に東北の人々は反抗した。

東北に軍を進めた坂上田村麻呂は「武力で一時的に治めることはできても、しばらくすると反乱が起こることになる。蝦夷(えぞ)の民衆が我々と同じような文化の生活習慣になるようにしていくことが大切である。」と桓武天皇(かんむてんのう)に進言した。

坂上田村麻呂の進言は実行され東北の人々は大和の風俗文化に同化していった。東北を侵略した将軍の坂上田村麻呂は神となった。

侵略者が文化の近い民族を支配した場合、税を収集するだけで文化を破壊せず社会構造は温存された。しかし、宗教や文化が異なる先住民が征服されると文化の破壊と虐殺が起きた。そして多くの部族が消滅していった。これが東北でも起きたのである。

 

現代にかろうじて残った少数民族も先祖伝来の土地を追われ、言語を奪われる同化政策をとられ絶滅の危機に瀕している。

中国の四川省、甘粛省、青海省は中国名になっているが住んでいるのはチベット人が多い。元はチベットだったのが武力で中国に編入されてしまったのである。内モンゴルでは漢民族の移住が進みすでに内モンゴルの80%は漢民族であり、先住民であるモンゴル族は20%に過ぎない。現在のチベット自治区も内モンゴルと同じ運命をたどりつつある。

征服した民族は自国の文化を押し付けるものである。

 


日本は戦後、アメリカの穀物政策によって余剰穀物が輸入され欧米風の食生活が進み肉、牛乳、バター、チーズの消費量が増大し日本人はパンと牛乳が習慣となった。

日本は今もアメリカに占領されたままかもしれない。

 

◉2019年9月14日(土)

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伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)が天の浮橋に立って地球の表面に棒を入れて淤能碁呂島(おのごろしま)という島ができます。その島で最初に産まれた子が蛭子(ひるこ)です。

 

 

女性から声をかけたので蛭子は不具の子として生まれたので男性から声をかけて産み直します。そうして最初にできた島が淡路島です。次に四国、続いて隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州となっています。

 

女性から声をかけるのは良くないというのは男性原理です。縄文時代は母系で女性原理が働いていました。母系社会を築いていた縄文社会に父系社会の条件付けをもっていた渡来系の人々がやってきたのです。母系から父系社会へ日本は完全に移行することはなかったようです。

 

 

記紀を読むと男性原理で書かれていますが神話の背後には縄文時代の女性原理が隠れています。縄文時代の母系が戦国時代まで続いていたことがイエズス会宣教師フロイスの証言にみられます。

「ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く」

「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける」

「ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる」

 

 

「汚れた天声に従って、夫が妻を離別するのが普通である。日本では、しばしば妻が夫を離別する」

「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」

 

 

「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている」

「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」

「ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲む事は礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通の事で祭りの時にはしばしば酔っ払うまで飲む」

 

「ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている」

ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波文庫

 

 

富国強兵を進めた明治政府は非常に男性原理が強く強引に神仏分離を進め神仏習合を禁止しました。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)がもっとも激しかった鹿児島藩は廃仏を断行し一時はすべての寺院が廃されてしまいました。

男性原理は分離し女性原理は融合します。江戸時代まで神仏は習合していました。現在、憲法改正をしようとしている人たちも男性原理が強いので母系につながる女性天皇などもってのほかで日本国憲法 第24条を改正して家父長制度をもっと強めたいようです。

女性は男性におとなしく従って家庭にいなさいということです。

 

 

 

日本最古級の墳墓・古墳群が四国鳴門市大麻町にあり3世紀前半の「萩原2号墓」出土の水銀朱と3世紀後半の「天河別(あまのかわわけ)神社古墳群」2号墓および4号墓には中国貴州省産の水銀朱が使用されていました。

3世紀末に魏志倭人伝(ぎしわじんでん)が書かれた三国史の時代です。卑弥呼が没したのは248年頃です。

 

 

阿波の大麻比古神社と阿波神社の中間にある天河別神社の祭神天石戸別(あまのいわとわけ)命は天太玉(あまのふとだま)の命の子で天富命(あめのとみ)の父と言われます。

 

記紀神話を語った人々が最初に移り住んだのが神話で最初にできた淡路島と四国だったかもしれません。伊邪奈美が最後に産んだのは火之迦具土神(ひのかぐつち)という火の神ですがその前に産んだ大宣都比売神(おおげつひめ)は阿波の神になっています。

古事記によると伊邪奈美が生んだのは14島と35神で伊邪奈美が黄泉の国に去ったあとで伊佐奈岐がひとりで生んだ神様は27柱あります。二人は合わせて14島と62柱の神を産んだことになります。

 

男性の伊邪那岐神社は16社ありますが延喜式神名帳に記された女性の伊邪奈美神社はただ1社だけしかありません。それが徳島県美馬市に鎮座しています。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
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滋賀県大津市大石中町の(さくなどじんじゃ)に参拝しました。

 

祭神は瀬織津姫を含む祓戸大神4柱です。

天智天皇の時代に、中臣連金(なかとみのむらじかね)が祓戸の神を祀ったことが始まりで「中臣大祓詞」( おおはらえのことば)発祥の地とされています。しかし、この社殿を建造した中臣連金は壬申の乱で天武天皇に敗れて処刑されてしまいました。

中臣本家は物部氏のもとで忌部氏とともに祭祀をしていましたが587年の物部氏の滅亡ともに中臣宗家は姿を消してしまいました。

宮廷の祭祀を司る神官がいないと困るので大和の中臣氏宗家の代わりに常陸国の中臣氏が朝廷の中枢に入りました。中臣鎌足も分家の常陸国中臣氏だったと思われます。「藤原氏家伝」に「鎌足は大和国高市郡大原で生まれた」と記載されていますが『大鏡』及び『多武峰縁起』には、鎌足が「常陸国で生まれた」と記されているからです。

『常陸風土記』に、香取・鹿島の地は中臣氏の勢力地だったことが記されています。香取神宮の祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で鹿島神宮の祭神が建御雷之男神です。経津主神は古事記に出てきませんが日本書紀では建御雷之男神(たけみかづちのかみ)と共に大国主神の前で剣を抜いて地面に突き刺し国を譲れと脅しをかけた猛々しい神です。

藤原氏の氏神として春日大社が造営されましたが常陸国で自分たちが祭っていた神を勧請して武甕槌命(建御雷之男神)・経津主命・天児屋根命・比売神の四柱を祀っています。

瀬織津姫の名前が出てくる祝詞の「佐久那太理(さくなだり)」とは岩を割き(さく)、滝のように流れ降る(なだり)急流の速川の瀬という意味になり瀬織津姫は川や滝や水の姫神として全国で祀られています。

琵琶湖から流れ出した瀬田川は鹿跳渓谷になると両岸が迫って川幅が狭まり、水の流れも急に激しくなって川面には奇岩があちこちに顔を出します。流れが激しくて弘法大師が渡れないでいると白い鹿が現れて背中に乗せて岩を跳んでくれたという伝説から鹿跳渓谷と名付けられました。

佐久奈度神社はその鹿跳渓谷の信楽川と合流する大石に鎮座しています。久奈度神社に忠臣蔵で有名な大石良雄(内蔵助)の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬 が残っています。近くに大石家の菩提寺「浄土寺」があります。

空海が著したとされる大祓詞の最古の注釈書『中臣祓注抄』では、速川の瀬が「三途の川」で『神宮方書』では「瀬織津姫は三途川のうばなり」と書かれています。つまり仏教が入ると瀬織津姫は三途の川で死者の衣類を剥ぎ取って罪を量る奪衣婆(だつえば)にされてしまいました。いわゆる鬼婆(おにばば)です。

 

◉2019年9月14日(土)

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南アフリカに生息する哺乳類インパラはライオンやヒョウ、チーターという捕食者に襲われた瞬間、地面に倒れ込み、迫る来る死に身を任せます。まだ傷を負っていないのに石の様に動かなくなるのです。

 



この不思議な動物の変性意識状態を生物学者は硬直反応と呼んでいます。先住民は補食動物に霊を明け渡したと考えるそうです。 

硬直反応には二つのメリットがあります。一つは死んだと思って捕食者がゆだんしたとき、すきを見て逃げ出し危険から回避すること。

二つ目めは変性意識状態に入って鋭い歯や爪で引き裂かれている間、痛みを全く感じないようにするためです。 

人間の脳は大きく本能と感情と理性の三つのシステムで構成されています。人間にも動物と同じく恐怖に直面した時に脳の本能の部位が活性化して硬直反応のような不随意反応が起きます。

しかし現代人は身体的な能力よりも思考に依存している為に身体的反応を理性が押さえ込む事が多いのです。 

自分が捕食者の餌であると自覚している野生動物は生き残る為に何をすべきか解っていて素早く行動に移します。チータは鋭い爪と牙をもっているので全く躊躇なく獲物に襲いかかります。 

人間にとって捕食者と被捕食者の線引きは明確ではありません。人間は俊敏さと牙と爪を持たないため被捕食動物としての記憶が脳の中に生き続けています。



戦うか逃げるかの選択は容易ではないので、生死の危険に直面した時に理性は混乱してエネルギーを閉じ込めてしまいます。

行動を起こさないと理性によって神経系統の中に閉じ込められてたエネルギーは不安、うつ、心身症、問題行動となって浮上し、やがて心身を破壊します。これがトラウマで悩む人の体の中に起こっている症状です。

欲しいものを手に取ろうと思った瞬間、筋肉はすぐに行動に移すための準備をします。しかし、ダメと怒られたりして行動を抑制すると、その使われなかったエネルギーは筋肉に閉じ込められます。これが長期間繰り返し行われると筋肉は相克状態に陥ります。

身体内部にアクセルを踏んで高速回転する本能系と理性によるブレーキの身体硬直による強い混乱状態が起きてしまいます。 

野生動物は「戦うか逃げる」かでエネルギーを本能的に放出することができますが、人間は本能よりも理性が優位なのでエネルギーをうまく解放することができません。心身が分離してしまっているのです。 

強固な自我の層が揺らぐと無意識の層から感情やイメージをともなって否定的な身体感覚が表出します。セラピーの現場では恐ろしいまでの叫び声が出たり、また、体の震え、硬直、引きつけ、爆発するような自由な動きがでてくることもあります。

気づきが起きた状態で、その衝動を感じると、身体を緊張させてエネルギーの流れをせき止めていた強固なブロックは崩壊していきます。

痛みや不安を感じると、封じ込めようと思考がすぐに忙しく動きはじめます。

過去や未来にいったりする思考から離れて、いまここにいて、衝動の反応をあるがまにしておくとプロセスが完了して否定的なエネルギーは肯定的なエネルギーに変容します

気づきが起きると意識の座は頭から腹に落ちてきます。腹が座るとエネルギーを扱えるようになるので衝動から自由になります。

純粋なエネルギーの象徴が蛇です。蛇が目覚めると下腹部からエネルギーが上昇して牢獄に閉じ込められている魂は解放されてドリームタイムへ回帰します。

狩人は世界という狩場で怒り恐怖、無力感という獲物を狩り取らなければなりません。

それが古代から継続している戦士の本当の戦いなのです。

 

 

参考文献

ピーター・リヴァイン「心と身体をつなぐトラウマ・セラピー」雲母書房

チベット仏教では日常の思考する心を「セム」といい、それとは別な純粋意識を「リクパ」と言って区別しています。幸福と不幸、清浄と不浄、善と悪、愉快と不愉快という二元性に分離した思考は「セム」なのです。そして「リクパ」は永遠に空であって、常に清浄です。

 

 

鏡はすべてのものを映し出しますが、どんな像が鏡に映し出されても鏡自体が汚れることはありません。この汚れることがない心の本性が「リクパ」です。

 

リクパは秘密集会タントラに「土台として本来そなわっている光明としての心」として出て来ます。覚醒している光明の心が本当の自分なのです。その状態がダルマカーヤ(法身)です。

自分自身を観察して自己の真の本質がリクパであることを悟ることがチベット仏教の最終目的となっています。

 

チベット仏教は段階を追って進む道でもあります。戒律を守って静かな心の境地に入る最初の道、次に空性を理解するタントラの道があります。

 

9 世紀以降に発展した後期密教はタントラ仏教(Tantric Buddhism )と呼ばれています。タントラは次の四つの種類があります。

 

①所作タントラ②行タントラ③瑜伽タントラ④無上瑜伽タントラです。①~③は空海が日本に持ち帰った密教です。

 

④の無上瑜伽タントラはインドで最後に発展したので、チベットには伝わりましたが日本には伝わりませんでした。

 

無上瑜伽タントラには「ヘーヴアジラタントラ」を教典とする母タントラと『秘密集会タントラ」を教典とする父タントラがあってその二つを統合したタントラを不二タントラといいます。不二タントラは「時輪タントラ」を教典としています。

 

 

 

 

タントラではエネルギーを扱います。

 

エネルギーを知らなければ私たちは心に怒りが湧いてきたときに怒りを止めたり避けようとします。しかしタントラはそのエネルギーをよく知っているのでそれを止めたり抑圧したりせずに活用するのです。 それを可能にするのがタントラの修行です。

 

このタントラ修行の最後の段階「あるがままで完全な境地」をカギュ派はマハムドラー、ゲルク派はゾクリム、ニンマ派はゾクチェンと呼んでいます。

 

「マハムドラーは何ものにも依らず

また労せず

ただゆったりと自然であることによりて」

 

「ゆったりと自然なる境地にとどまるならば

間もなく汝はマハムドラーにたどり着き

無達成なるものを達成せん」

「与えず、また取らず

人はただ自然のままにあるべし」

(「マハムドラーの詩」より抜粋)

 

 

 

チベットでは教えを伝授する教師(ラマ)が大切にされています。

 

しかし、あるがままで完全なリクパの境地を説明し、それを理解させようとする教師はいますがそれを弟子に直接与えることができる教師はどこにもいません。今までもいませんでしたが、これからも出てくることはないでしょう。

 

教師は自己の本性を理解するための方法しか与えることができないのです。地図を与えることはできますが直接歩くのは弟子です。

光明を授かるには教師ではなく教えを授かる弟子の方に関わっています。

 

光明はもともと人の本質に備わっているので、あらゆるものは、あるがままで最初から完璧なので変えたり取り除いたりするものは何一つないことをチベットで「クンツゥ・サン」と呼んでいます。

寂静な心の境地の中にとどまる瞑想をシネーといいます。しかし思考のない三昧の状態は眠っている状態と同じです。瞑想をやめると静寂は失われます。

 

そこで思考や感情などのエネルギーが動いている状態とリクパの境地が一体となることをゾクチェンは求めます。

覚醒していても覚醒していなくともリクパは誰の心にも最初からあります。

 

しかし、わかっていない人には、自己の本性であるリクパと自覚されずに思考で理解したリクパの二つになっています。どちらのリクパも一つですが、最終的にリクパは心の中で再統合されなければなりません。それをマハムドラーでは「母と子の光明の再統合」の言葉で表現しています。

 

「はじめヨーギは

おのが心の滝のごとく転落するを感じ

中ほどにてはガンガーのごと

そはゆるやかにやさしく流れ

ついに、そは大いなる海となり

息子と母の光がひとつに溶け合うところ」

(マハムドラーの詩)

 

 

タントラの最終段階ではさまざなエネルギーが湧き上がる中にとどまりながらリラックスして、あるがままの境地を保ち続けるのです。

 

ゾクチェンでは 一切はすでに成就しているので努力の病を捨て去り、そのままで完全な境の中にとどまりなさいと教えます。

 

ゾクチェンの無努力の教えを言葉だけで理解すると「すでに自分は悟ってしまったので、心の浄化や瞑想は必要がない」と思い込んでしまう人が出てきます。

 

人に迷惑をかけて犯罪行為に手を染めても、わたしは完全だ。何も問題はないと自分を欺いてしまうのです。

 

ここでは詳しく述べませんが、その危険性は昔から指摘されていました。

 

しかし、同時に自己の本性を知ってしまえば瞑想の方法を借りる必要がないことも確かなのです。

 

タントラの最終段階に入る前に無意識の浄化と思考を観察する瞑想が必要だと私は思います。

 

「私はあるがままで完璧だ」

「私は完全な存在なので瞑想もワークも必要がなく、何一つ変える必要はない。」

 

とそう自分に言い聞かせて、思い込むことはできます。

 

マインドは本を読んだり話を聞いただけでわかったつもりになります。わたしのマインドも誰のマインドにも同じことが起きます。今ここにいられないマインドは本性を捉えることはできません。

 

分離した自我をかかえたままの状態の人々がほとんどなので、(光明を得た完璧な人間像は頭で理想化して作り上げられた概念です。)無意識の底に潜むトラウマが浮上して必ず悩まされます。

 

自分は完全だと強く思いこむ人ほど抑圧は強まるので、ごまかしても、痛み止めが切れると再び痛くなるように、あとで、ひどく落ち込むことになります。

自分の無意識を浄化しないで教師になって教祖になる例は多く、教祖になってしまうと誰かの生徒になって自分を浄化する機会を失ってしまうようです。スピリチュアルな教師にシャドウーが濃い人がいるのも事実です。

 

いくら「宇宙は愛と光で満ちている」「私は完璧だ」と自分を正当化しても抑圧したエネルギーは無意識にそのまま残されます。

 

自分自身の問題との直面をさけ現実と向き合うことの逃避に使われてしまうと、あるがままの自分を見ないで自我を強化し防衛してしまうのです。

今の物理学や宇宙論の考え方によると、私たちの住む宇宙は、突然何もないところから生まれたといっています。

無とはまったくの空っぽなのではなく、粒子が生成消滅を繰り返し「非存在」と「存在」の間をゆらいでいる状態です。

ビックバンが始まる前は時間も空間も物質もエネルギーも何もなかったのです。

 

そこへ突然ゆらぎが起きてインフレーションと呼ばれる急激な膨張によって、私たちが住むことのできるような宇宙になったというのが現代科学の宇宙論です。

 

80年代から究極の粒子は振動するヒモだとするスーパーストリング理論(ひも理論)が注目を集めて来ました。

85年にそれまで問題とされてきた数学的矛盾が解決されさらに95年にエドワード・ウィッテンによって5種類あったひも理論が統合されM理論が発表されるやいなや万物の理論として一躍、世界の脚光を浴びることになりました。

著作年代がばらばらな宇宙論ばかり10冊以上読むと明らかにM理論が出て来た95年以前と以降では内容が異なります。

昔は研究者が4次元以上の話をするのはおかしいと思われていました。今ではSF小説の題材が真面目に取り扱われています。いつのまにか機械的な宇宙の姿は消えてしまいました。

私たちの宇宙は3次元を超越した次元の一つの膜(ブレーン)に存在して、そして遥か大きく高い次元の空間の内部にあります。

私たちは高次元の宇宙にただよう小さな膜の中に閉じ込められて住んでいると説明されます。

ワームホールという空間の裂け目も考えられています。そしてすぐとなりには蒸気の泡のように多数の平行宇宙が存在しています。M理論では11次元の時空が考えられています。

泡の一つの内部で起きていることが膜(ブレーン)に映し出されます。膜(ブレーン)に映った影が私たちです。これが数学モデルによって導かれた説明なのです。

 

リサ・ランドール博士の宇宙理論によると私たちの宇宙は5次元時空に折りたたまれた膜に住んでいるといいます。3次元宇宙からは素粒子が消えたり何もないところから当然現れるように見えても5次元世界では最初から存在しているというわけです。

多次元理論はプラトンの洞窟の例えを思い起こさせます。

 

人間は子供のときからずっと手足も首も縛られままで、頭をうしろへ向ける事もなく、たいまつの明かりで動いている人形の影が映し出されている洞窟の壁ばかりを見て暮らしています。頭が固定された囚人状態で、後ろを振り向く事が出ないので影を本物だと信じて偽りの人生を過ごします。

 

映画マトリックスではほとんどの人間が仮想空間で生きていることを知らないまま死んでゆくと言う世界が描かれていました。

この物質世界は神によって作り出された幻影(マーヤ)であり絶えず移ろい変化し人の心を惑わすものとインド哲学は教えます。

「なぜなら、すべての世界は立ち去るからだ。すべての世界は立ち去り、ふたたび一戻る。時の夜の終わり、すべての物はわが
ふところへ帰る。新しい日が始まる時、私はすべての物をふたたび光の中へ投ずる」バカヴァッドギータ

 

ヨガの目的はこの仮想現実に同一化し巻き込まれている状態から本来の自己が目を覚ます事にあります。

 

神秘哲学の究極の目標は下降した物質界で囚人状態となっている魂を解放して、永遠の世界であるイデアという真実に目覚めることにありました。

 

私たちのマインドは3次元に投影された5次元の影を現実だと錯覚をして苦しみ異なる次元の間を輪廻しています。

仏教では輪廻転生から解脱することを悟りといっています。

 

それは永遠の命と一つになっている事です。自己の本質は永遠なので輪廻しないのです。映し出された実体のない影を真実の世界と思い込んでいるのが私たちのマインドです。

 

英語で宇宙のことを、万物、全体を意味するユニヴァース、あるいは秩序や調和を意味するコスモスと言います。

人間の本質は物質と心を超えているので、5次元を含めた多次元宇宙全体が自己なのです。

「人が無知に陥っているとき、
彼は現象を見て、神を見ない。
彼が神を見る時、
この宇宙は彼にとって完全に消え去る。」ヴィヴェーカナンダ

6月22日は1年で太陽が最も高く上がる夏至の日です。

夏が終わると植物は枯れて朽ち果て、死をイメージする冬がやって来ます。そして春には再び新芽がふき植物はよみがえります。

古代の人々は死と再生を繰り返し、豊かな実りをもたらす大地の女神に畏怖の念を持ち、火を焚き踊り祈りを捧げました。

夏至の日は異界の扉が開き妖精や魔女が現れる神話のもとになっています。ヨーロッパでは魔女が自然の力を得る重要な儀式「サバト」の日でもあります。

先住民族は太陽のリズムである冬至・春分・夏至・秋分を特別に重要な日として祈りを捧げる儀式をおこなっていました。古代の人々は自然が「死と再生」を繰り返すように命が再生する祭りをしていました。

 

脳にはマグネタイトと呼ばれる磁石が含まれた地磁気に同調する細胞があり、半導体のようにエネルギーを伝達します。その波動により、おのおの場には異なる電圧と電流の方向性が生じ、膨大な情報がコード化されます。この波のようにうねるエネルギーの場は生命体をその環境と分かちがたく結びつけています。

 

先住民のアボリジニは延々と続く砂漠の道を地図もコンパスもなく、道に迷う事なく目的地にたどり着きます。丸一日知らない道を5~6歳の子どもが歩いても迷わず自分の村に帰ると報告されています。現代人は退化してしまいましたが、先住民と渡り鳥の驚異的な方向定位能力は地磁気を鋭くキャッチする鋭敏な知覚を持っていることを示しています。

 

地球の磁場は呼吸のようにリズムをもっています。南極からは螺旋状に正のエネルギーが流れ、北極はそのエネルギーを受け取ります。約100万年ごとに地球の地磁気の極性は逆転し、岩石にそれが刻印されています。

古代遺跡の地下は断層のところが多く放射線と磁気異常を示していて、通常の場所とはエネルギー環境が大きく異なっています。そのような場所では岩石の結晶構造の組み合わせと太陽と月惑星の位置によって場のエネルギーの増減が起きるようになっています。

特別な聖地で瞑想をすると無意識の中から深い感情が湧き上がり、強い高揚感とリラックスが同時に起きてきます。自我の境界が溶けだす変性意識状がおきやすいのです。

 

ワイオミング州のビッグホーン山脈にあるメディスン・ホイールは円周上の六つの石のうち二つの石は夏至の日の出と日没の場所を示しています。そして他の位置にある石は、それぞれ牡牛座のアルデバラン星、オリオン座のリゲル星、シリウス星を示していました。

ニューメキシコ州チャコ・キャニオンにある岩壁のらせん状に彫られた絵に太陽の光が正確に夏至を示します。アメリカ先住民のラコタ族は夏至の時期に聖なる山で太陽をたたえる舞踏を行なってきました。

 

アイルランドの新石器時代の遺跡は重要な日に太陽の光がレーザー光線のように入り口から石室の壁を正確に照らします。ストーンヘンジでは夏至の日に、 ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ります。

 

日本のストーンサークルも夏至の日の出と日没の方向に石が置かれていました。

 

夏至の日に古代インカの遺跡やアイルランドの石室の中で、ヒゲを生やして長く白いローブを身にまとって白い光を放った人々が現れ、その真ん中で一人の女性が横たわっているヴィジョンを見た人がいます。古代の人々は聖地でイニシエーションを行っていたのでしょう。